2021年5月9日(主日)御復活後第5主日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(大阪)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
“Vado ad Patrem.”
私たちの主は弟子たちに、「私は、聖父の元に行く」と仰いました。あと数日後に、主の昇天の大祝日が迫っています。この木曜日には、特別にドモルネ神父様に1日早く来て頂いて、ミサを捧げて下さるようにお願いしてあります。どうぞこの祝日にミサに与る事ができますように、お祈り申し上げます。
主は、昇天されます。一体何の為でしょうか?
2つの点を黙想する事を提案します。
1つは、私たちの為に、聖父のすぐ傍で、聖父の右に座して、そして御自分のいけにえを、御自分の5つの御傷を聖父に差し出して、十字架に付けられた御自分を示して、赤く染まった十字架を聖父に、御自分の姿を見せて、そして私たちの為に取り次ぎ、祈り、保護して、聖父に、「どうぞ勘弁してほしい。この私の兄弟たち、愛する兄弟姉妹たちをどうぞ見逃してほしい。その怒りを宥めてほしい。」
そして私たちの特別の取り次ぎ者として、私たちの祈りに耳を傾けて、それを聖父に、「私たちの必要なものを与えてほしい」と懇願して、力強い大願者として、聖父の元に昇る為でした。
これほどの聖父に忠実であった聖子の願いを、聖父はどうしてこれを拒む事ができるでしょうか?
イエズス様が十字架の死に至るまで従順だったその御姿を見せ付けられて、聖父はこのいけにえに宥められて、私たちに多くの祝福と喜びで満たす為でした。
ちょうど私たちがこうミサに与って、お祈りをすればするほど、イエズス様はその御自分の大願の力を、聖父に向かって多く行なう事ができます。
第2は、一体、イエズス様が特に聖父に願っている事は何でしょうか?何の為に天に、聖父の元に行ったのでしょうか?
イエズス様はこうも言います、「私たちの場所を、天国での場所を準備する為に。」
一体どんな場所が準備されているのでしょうか?
聖パウロによると、「創られた被造の知性が考えた事もなく、目も見た事もなく、心にも思い付いた事もない、耳も聞いた事がないほどの、とてつもない幸せが準備されている。この世の全ての喜びや幸せが全く下らない、塵芥のように、ゴミのように思えるほどのものが準備されている。」
聖ヨハネによると、黙示録で、「その時には死はなく、嘆きもなく、悲しみもなく、天主は選ばれた人の目から、涙を拭って下さる」と言っています。私たちの喜び、幸せが満たされる、という事です。
しかし神学者によると、天国での幸せは、それが最も大切なものではありません。それはおまけで、本当の幸せというのは、「私たちが天主を、その美しさと、その本質を、そのまま直接に、ありのままに見て、私たちが天主のようになる事」です。
聖ヨハネ第一の書簡の中にそう書かれています、「天主が現れるとき、私たちは天主のようになるだろう。なぜならば私たちが、天主をそのまま、ありのままに見るからだ」と。
私たちの幸せは天主の幸せと一つになる事で、その幸せの偉大さ、その大きさ、無限の幸せ、そして永遠の幸せは、私たちの言葉では言い尽くす事ができません。この幸せを私たちに全く無償で与えようと、天主と同じ幸せを、至福を与えようと、イエズス様は十字架の苦しみを受けて、そして復活されて、天国に昇られました。
私たちはこのイエズス様に、ただその御恵みを感謝して、そしてイエズス様に、そのイエズスの聖名に拙い祈りを捧げれば、イエズス様はそれを与えて下さろうとされています。主の昇天の準備を致しましょう。私たちの心がいつも天国に上げられていますように、お祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。