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聖遺物は私たちに、聖人たちが行ったことやキリストへの愛のために耐え忍んだことを思い起こさせ、私たちがその模範に倣うよう、勧める

2023年11月14日 | お説教・霊的講話
聖人の聖遺物についての説教(判事の書第十九章)
 
ドモルネ神父 2023年11月5日
 
はじめに
 
諸聖人の祝日にあたって、聖人たちの聖遺物を、信者の信心のために一週間程度顕示するという伝統があります。今日はその週にあたりますから、聖書の判事の書第19章を通して、聖人たちの聖遺物についてお話ししたいと思います。この書は、歴史的な書です。つまり、この章に記録されている物語は、本当に起こったということです。これは、恐ろしい物語です。しかし、そこに含まれている霊的な意味は、驚くほど意義深いもので、聖人たちへの私たちの信心を奨励するのに適したものです。
 
1. 物語
 
エフライムの部族に属するあるレヴィ人が、ユダの部族の女性と結婚しました。その後、この女性は夫に対して不忠実になり、自分の両親の家に帰ってしまいました。4ヶ月後、その女性とよりを戻すため、このレヴィ人は彼女のところに行きました。すると彼は、妻と妻の両親に歓迎されました。しばらくして、二人の関係は完全に元に戻りました。そこで、このレヴィ人と妻は、自分たちの家に戻ることにしました。
 
その旅路は長いものでした。夜遅く、二人はベンヤミンの部族のガバアの町に着きました。このレヴィ人は、ガバアの住民たちが、ユダヤ人であり、選ばれた民の一部であるにもかかわらず、酷く邪悪な者たちであることは知りませんでした。この住民たちは、ソドマやゴモッラの人々のように、道徳的に腐敗していたのです。二人は、この地に住む他の部族の老人に歓待されました。
 
二人がこの老人の家で食事をとっていると、邪悪な者たちの一団がその家を取り囲み、その老人にこう言って脅しをかけました。「お前の家に入った男を出せ、その男を打ちのめしてやる。」その老人はこれを拒み、彼らにそのようなおぞましいことをしないよう説得しようとしましたが、無駄なことでした。遂にこのレヴィ人が「自分の女を彼らのところに連れてくると、彼らは彼女に乱暴をはたらいた。」(判事の書19章25節)この女は酷い暴行を受け、翌朝亡くなってしまいました。
 
するとこのレヴィ人は、妻の遺体とともに自分の家に戻り、刃物をとって、その遺体を十二の部分に切り分け、それをイスラエルの十二の部族に送り、起こったことを伝えました。もちろん、この遺体の一部を受け取ってその話を聞いた人は皆、ショックを受けました。人々は怒り狂い、ベンヤミンの部族に対して、罰として戦争を仕掛けることとし、その戦いに完全な勝利を収めました。これがその物語の概要です。
 
教会がこのような恐ろしい物語を聖書の中に記録したのは、明らかに、それに関わる霊的な教訓があるからです。聖パウロの言葉を思い出してください。「前にかきしるされたすべてのことは、私たちへの教訓のために書かれたものであって、聖書の教える忍耐と慰めとによって、希望をもたせるためである。」(ローマ15章4節)教父たちは、この物語の霊的な意味を、私たちに教えています。
 
2. 物語の霊的な意味
 
このレヴィ人は天主のかたどりで、その妻はユダヤ民族のかたどりです。レヴィ人がその妻と結婚したように、天主はイスラエルとの間に特別な盟約を結ばれました。その妻が主人に対して不忠実となり、自分の両親の家に戻ったように、ユダヤ人は天主に対して不忠実となり、自分たちの父親、つまり悪魔の下に戻りました。実に、私たちの主イエズスは、ユダヤ人の指導者たちに対してこう言われました。「あなたたちは、悪魔を父にもっている。」(ヨハネ8章44節)
 
しかし、このレヴィ人が妻を愛し続け、妻を自分の家に戻すためにユダの地にまで行ったように、天主はユダヤ人たちを愛し続けられました。聖三位一体の第二のペルソナが、ユダヤ人たちが再び天主を愛すよう、天から地上に降りて、ユダのべトレヘムに行かれたのです。
 
このレヴィ人が妻の愛を取り戻し、自分の家まで連れ帰ったように、私たちの主イエズスは、ご自分の使徒たちや弟子たちの心の中に、天主への愛を起こされました。主は、彼らの上に、ご自分の神秘的で汚れのない花嫁であるカトリック教会を建てられ、ご自分の家である天国へと、教会を導いておられます。
 
ガバアの邪悪な者たちが、そのレヴィ人を捉えて暴行しようとしたもののかなわなかったように、キリストの全ての敵たちは、時代を通じてキリストの名声を汚し、キリストの教えを腐敗させようとしたものの、それはかないませんでした。
 
そのレヴィ人が、妻をガバアの邪悪な者たちの手に渡してしまったように、キリストも天国に戻られ、ご自分の神秘的な花嫁である教会を、敵たちの手に渡されたかのようです。実際、時代を通じて、キリスト教徒たちは数多くの迫害に耐えねばならず、また様々な方法で拷問にあい、暴行を受け、殺されました。
 
このレヴィ人が、イスラエルの人々が正義を守るために立ち上がるよう、妻の遺体を部分に切り分け、それをイスラエル全土に送ったように、私たちの主は、地上におけるご自分の聖職者たちを通じて、聖人たちの体を切り分けられ、それを世界中に送られました。聖人たちの聖遺物は、キリストの敵たちの邪悪さを証言し、世界中のカトリック教徒を、キリストとキリストの教えを守るため、必要なら死に至るまで、立ち上がるよう鼓舞するのです。このことに関して、アリウス派の異端が教会を苦しめていた時、聖アタナシウスがカトリック教徒たちに述べたことを覚えておくのが良いでしょう。聖アタナシウスの言葉は、教会を内側から破壊している近代主義という恐ろしい異端に直面している私たちにも当てはまります。「このレヴィ人の不幸は、今教会に起っている災厄に比べれば、小さなことのように見える。この災厄は、我らがこれまで聞いたこともないもので、これほどの大きな苦しみを耐え忍んだ人は、いまだかつていなかった。この物語においては、ただ一人の女が暴行を受け、ただ一人のレヴィ人がそれに憤慨した。今暴行を受けているのは教会全体であって、憤慨しているのは教会組織全体である。この物語においては、各部族は殺された女の遺体の一部分を見たのみであったが、それで義憤に立ち上がるに十分であった。しかし今、教会の全ての民は散り散りばらばらになっている…。であるから、皆の一部に対してなされる不正義が全員に対してなされたかのごとくに、何とぞ皆立ち上がってもらいたい。皆、自らが義憤を感じたかのごとくに、我らの助けに急ぎ来たれ。教会の聖なる正典や信仰が地に落ちることを許してはならぬ。」聖アタナシウスが、アリウス派に対するカトリックの信仰の擁護のために全てのカトリック教徒の助けを必要としたように、聖ピオ十世会は、近代主義に対するカトリックの信仰の擁護のために、全てのカトリック教徒の助けを必要としています。
 
結論
 
親愛なる信者の皆さん、聖人たちの聖遺物は、このレヴィ人の妻の遺体がイスラエルの人々に与えたのと同じ効果を、私たちに与えます。それは、私たちの心の中に、私たち自身の罪を償い、私たちの社会の内でのキリストの権利を擁護するという、正義への聖なる渇きを起こします。聖遺物は私たちに、聖人たちが行ったことやキリストへの愛のために耐え忍んだことを思い起こさせ、私たちがその模範に倣うよう、勧めるのです。
 
また、聖人たちは、特にその聖遺物を安置し、讃える人々や場所に対して、とりなされます。5世紀のカトリック司教であったテオドレトゥスは、こう言っています。「聖人たちの勇気ある霊魂は、天において、天使たちの間を自由に動く。聖人たちの体は、もはや墓の中に隠されてはおらず、町々や村々はそれを分け、持ち合っている…。聖人たちの体は分けられたが、その力は分けられてはいない。その体のいかに小さな一部であろうとも、分けられる前の体全体と同じ力を持っているのである。」
 
この聖堂にある聖遺物の聖人たちが、特に私たちのために、また大阪におけるカトリック信仰の発展のためにとりなしてくださいますように。


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