Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

イエズス様の聖心の愛の神秘:忘恩の私たちにイエズスはさらなる愛を示した。それがイエズスの聖心の約束

2024年06月21日 | お説教・霊的講話

2024年6月9日(主日)イエズスの至聖なる聖心の荘厳祭 東京での10時30分のミサ説教

トマス小野田圭志神父

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、
一昨日の金曜日は、イエズス様の聖心の大祝日でした。ですから私たちは、今日、聖心の荘厳祭を祝いつつ、聖心の神秘を一緒に黙想いたしましょう。

【天主の愛】
あたかも四週間連続で、毎週のように教会は私たちに対する天主の愛を確認させようとしていたかのようです。なぜかというと、聖霊降臨の主日では、愛である聖霊が私たちに与えられたことを祝いました。またその次の三位一体の主日では、愛である聖三位一体が私たちの霊魂にお住まいである、という神秘を祝いました。そしてその次の御聖体の荘厳祭では、愛の秘蹟である御聖体が私たちに与えられてイエズス様がすっかり全てわたしたちのものになった、ということを祝いました。そして今日は、イエズス様の聖心、愛の炎で燃える聖心を祝っているからです。

天主はまさに愛です。イエズス・キリストは天主として永遠の昔から私たちを愛しておられます。今日の入祭唱はまさにこのことを歌っていました。
四つの場所が特に主の愛を明示しているといわれています。すべてが主の愛を示していますが、この四つが特にそうです。
まず、馬小屋:聖ヨハネは言います、「天主はおん独子をお与えになるほど、この世を愛された。」(ヨハネ3:16)
次は十字架:聖パウロは言います、「キリストが私たちの為に死去されたことによって、天主は私たちへの愛を示された。」(ローマ5:8)
その次に御聖櫃にまします御聖体:聖ヨハネはこうも言います、「イエズスは、…この世にいるご自分の人々を愛し、限りなくかれらに愛をお示しになった。」(ヨハネ13:1)
では第四は何でしょうか。イエズスの聖心です:聖ヨハネはこうも言っています、「私がいないと、あなたたちにはなに一つできない。…父が私を愛しておられるように、私はあなたたちを愛した。私の愛にとどまれ。」(ヨハネ15:5-9)

イエズスの愛の聖心、これは天主の愛がすべて凝縮されて含まれています。この世を創造された愛、わたしたちに御言葉を告げられた啓示の愛、そしてご托身の愛、贖いの御業の愛、聖霊を渡してくださった愛、そして御聖体における愛、そしてわたしたちが天国で永遠に幸せになるその愛、すべてこの聖心に詰まっています。

【私たちの忘恩】
いったいなぜこれほどわたしたちを主は愛してくださるのでしょうか。
私たちにいったいどんないいところがあったんでしょうか。いいえ、天主は、全ての至福をお持ちのお方で、私たちを一切必要としていません。私たちがもっているものは全て主から頂いたもので、私たちが自分のものだといえるのは、罪しかありません。

ではいったいなぜ主はわたしたちをこれほどまで愛してくださるのでしょうか。それはただ単に主があまりにも良い方であり、憐れみの愛を持ちの方であるからです。わたしたちはここにして、主の愛に狂ったような聖心を垣間見ます。そのようなものを見ると私たちはどうしても、愛に、愛を以って返したいと思わざるを得ません。もしも私たちが友達から、愛を受けたら御礼をしたいと思う、それが人情です。もしもそれが友達よりももっと高貴な人から恩人からたくさんの恩を得たとしたら、もっとそう思います、御礼をしたいと。王様から、天皇陛下からもしかしたら、特別の寵愛を得たとしたら、そのような王様のためには特別に献身したい、報いたいと思って当然です。

ところが、残念ながら、天主の愛は、愛されていません。あまりにも愛されていないので、イエズス様は、ついに、フランスのパレ・ル・モニアルというところで、聖マルガリタ・マリア・アラコックという修道女にあらわれて、御自分の聖心を見せてお嘆きになりました。(1673-1675)悲痛を聞いてください。どれほど辛いかということをイエズス様はわたしたちに訴えています。
「この聖心を見よ。この心は人々を愛して何ものをも惜しまなかった。愛を証するためには、いさぎよくすべてを犠牲にして燃えつくした。それなのにこの返礼として、私は、多数の人がこの愛の秘跡――つまり御聖体に対して見せる彼らの不敬と冒瀆、冷淡と軽蔑によって、忘恩以外の何ものをも受けていない。」

もしも私たちが誰かに善を施して親切をしたら、そのかわりになにもなかったとしたら、あるいは忘恩…悪口が返ってきたとしたら、いったい私はどのように思うでしょうか。

【聖心の約束】
イエズス様の聖心は、氷のようにつめたいわたしたちに愛想をつかして、当然でした。「あっそう。ならいいよ。ああおまえ何様だよ。えっ、知らんよ。」と、おっしゃって、当然です。

しかし、イエズス様はこの忘恩の私たちにさらなる愛を示してくださったのです。
それがイエズスの聖心の極み、限りない愛でした。わたしたちをも招いて、この忘恩をわたしと一緒に償ってほしいとおっしゃったのです。もしもそうしたらわたしはおまえに特別の祝福を与えると約束する、それがイエズス様の聖心の約束といわれているものです。これにはたくさんあります。祝福の約束がたとえなかったとしても、当然このような恩をわたしたちは愛するべきです。しかしわたしたちがあまりにも冷淡で忘恩で利己的なので、主はその愛のあまり、約束さえも付けてくださいました。たくさんある約束の中で今日は三つをご紹介します。

●聖心の御影が崇敬される家庭のため
一つは ほんの小さなことなんですけれども、イエズス様の御影が崇敬される家庭のためには特別の約束をされました。聖マリア・マルガリタ・アラコックの言葉を聞いてください。
「主は、御自分が聖心に満たされておられるすべての聖寵の宝を、イエズスの聖心の御影を崇敬するすべての人の心に豊かに注ぐと私に約束されました。この御影が特別の崇敬のために飾られるところはどこでも、ありとあらゆる祝福を呼び下すでしょう。」(I, 244.)また別のところではこうも言っています。
「主はすべての祝福の源ですから、この愛すべき聖心の御影が、愛され、尊ばれるために飾られるすべての場所に、主は祝福を豊かに注ぐでしょう。」(II, 296, 300, 532.)

For Homes in Which His Image is Revered
“He promised me that He will abundantly pour out all the treasures of grace with which He Himself is filled on the hearts of all who revere it (i.e. the image of the Heart of Jesus); wherever this image is displayed for particular honor, it will call down all sorts of blessings.”(I, 244.)
“Since He is the source of all blessings, He will pour them out abundantly upon all places where this image of His lovable Heart is displayed to be loved and honored.”(II, 296, 300, 532.)

●イエズスの聖心の祝日を祝う人々のために
また第二に、イエズス様の聖心の祝日を祝う人々のためにこんな約束をされました。「私は、聖体の祝日の八日後の金曜日が、私の聖心を崇敬するための特別の祝日と指定されることをおまえに求める。その日には、聖体拝領をして、荘厳な行為によって聖体に対して償いをなし、御聖体が祭壇に顕示される間に受ける冒辱(ぼうじょく)をつぐなうためである。私は、このように聖心を崇敬する人々、また聖心を崇敬させる人々に、私の聖心が天主の愛の影響を豊かに広く与えることを約束する。」(II, 103.)
また別のところでは、
「この祝日は、謙遜で誠実な心で、名誉をもって祝うすべての人にとって、救いと永遠の祝福の日である。」(II, 444, 439.)とも仰せられました。

For Those who Celebrate the Feast of the Heart of Jesus
“I ask you that the first Friday after the Octave of Corpus Christi be dedicated to a special feast to honor My Heart.... I promise you, that My Heart will expand so as to pour out abundantly the influence of its divine love on those who pay it this honor and work to promote it.”(II, 103. The promise concerns first all who institute the feast and then those who celebrate it.)
“The day of this feast is a day of salvation and eternal blessing for all who celebrate it with honor, with a humble, sincere heart.”(II, 444, 439.)

●「九つの初金曜日 」
また、最後に、今日の最後は九つの初金曜日の約束です。イエズス様の言葉を引用します。
「私の聖心の憐れみの溢れにおいて、私は、9ヶ月間連続して毎月、初金曜日――つまり月の最初の金曜日――に聖体拝領するすべての人に、最後まで堅忍する恵みを約束する。彼らは私の侮辱・面汚しとして死ぬことはなく、秘跡を受け、私の聖心は臨終の時に彼らの確かな避難所となるだろう。」

For The Practice of the “Nine First Fridays”
“In the abundance of the mercy of My Heart I promise the grace of final perseverance to all those who, during nine consecutive months, will receive Holy Communion on the first Friday of every month; they will not die in My disgrace, but will receive the Sacraments, and My Heart will be a sure shelter for them in their final hour.”

この最後のイエズス様のみ言葉を少し説明します。
最後まで堅忍する恵み、というのはわたしたちが成聖の恩寵の状態で臨終を迎えることができる、つまり天国に行くことができるという約束です。
初金の信心はたったこれだけです。毎月、月の最初の金曜日に連続して9回、聖体拝領を受けることです。これだけを条件にしました。この聖体拝領はイエズス様の聖心を敬い、約束された効果を受けたいという意向を持ってなされれば それで充分です。そしてこの意向は撤回しない限り、九か月間その時その時思い出す必要はなくて、一度そのために九か月間行うという意向を立てればそれで十分とされています。いいかえれば習慣的な意向だけで、十分だということです。そしてこの九か月の連続した聖体拝領というのは、何度でも繰り返すことができます。

【遷善の決心】
では最後に遷善の決心を立てましょう。昔、ローマ帝国は、非常に危機の時がありました。その時に、コンスタンティヌスという軍人に十字架のしるしを見せて、そしてこうそこには書かれていました。
In Hoc Signo Vinces! この印によって勝て!これによって勝利をおさめろ!
彼はローマ皇帝となってキリスト教に自由を与えます。キリスト教は迫害を終えました。

現代、イエズス様は、聖心のしるしをもって勝て!悪魔に勝て!罪に勝て!天国に入れ!と、招いておられます。この聖心の御影(ごえい)を このこれがどれほど愛と尊敬と名誉と崇敬と信頼との対象であるかということを、イエズス様は望まれておられます。この聖心の御影は天主御父の正義の怒りを宥めるに非常に効果があるからです。

では私たちは遷善の決心をして、イエズス様の聖心の御影を家に飾り、そしてこれを愛し、崇敬することにいたしましょう。もしもまだ飾られていない家庭がありましたら、ぜひ、この六月に飾るのはいかがでしょうか。イエズス様がそのような家庭にどれほど大きな恵みをもたらしてくださることでしょうか。

また第二にイエズス様の聖心の祝日は年に一回だけです。この前の金曜日だけです。しかし、初金曜日には、教会はこれと同じミサを随意ミサとして捧げることを許しています。このミサに与ることによってわたしたちは同じ効果を受けることができます。そうすることによって、初金のミサに与ることによって、「救いと永遠の祝福の日」とすることができます。しかも9ヵ月間連続して御聖体拝領をするならば、聖心は永遠の救いをわたしたちに約束さえしてくださっています。

わたしたちが最後の審判の時に、あるいは私審判の時に、主から何と言われるでしょうか。忠実な僕よ、さあこの世の初めからお前たちのために準備された永遠の国に入れ。といわれるのでしょうか。それとも、イエズス様は、お前は私が家に入った時にも足を水で洗ってもくれなかったし、髪を洗ってもくれなかったし、何もしてくれなかった。と、仰るのでしょうか。

マリア様はイエズスの聖心を最も愛されました。汚れなき御心をもって愛されました。ですから最後に、マリア様にイエズスの聖心を愛する恵みを請い求めましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。



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