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苦しみの玄義黙想(2019年5月3日 秋田巡礼にて サマース神父様)

2019年06月18日 | お説教・霊的講話
苦しみの玄義黙想(2019年5月3日 秋田巡礼にて サマース神父様)
同時通訳:小野田圭志神父


『苦しみの玄義 第1玄義:この一連を捧げて、主がゲッセマニの園にて死するばかり憂い給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて、罪を痛悔する恵みを乞い願わん。』

とても傷付きやすい状態における私たちの主が、ゲッセマニの園に於いて祈っているのを見ています。ゲッセマニの園にてこそ、イエズス様は一番苦しまれました。主はゲッセマニで、人類の全ての罪を御覧になりました。アダムとエヴァの罪から、人類の最後の人の犯す罪まで。
私たちの主は、全ての罪の、一つ一つの、全ての悪を、邪悪さを、御自分の身に背負います。そしてそれと同時に、御父にその苦しみを取って下さるようにともお祈りします。
私たちは、私たちの犯した罪の悔悛の御恵みを、より大きな悔悛の御恵みを乞い求めましょう。



『苦しみの玄義 第2玄義:この一連を捧げて、主が鞭打たれ給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて、罪を償う恵みを乞い願わん。』

私たちの主は鞭打たれましたが、普通このような事を受ければ、人は死んでしまいます。しかしイエズス様は、人類の肉欲の罪を償う為に、肉体で苦しみを受けます。私たちの貪欲、貪食、あるいはその他の邪淫の邪欲の罪を償う為に。私たちの主は、私たちがこの世での快楽よりも、罪の償いと鞭打ちを求めるように、求めています。
イエズス様が鞭打たれるその肉体をご覧下さい。そして罪を再び犯さないように、御恵みを求めましょう。



『苦しみの玄義 第3玄義:この一連を捧げて、主が茨の冠を被せられ給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて、侮辱を恐れざる恵みを乞い願わん。』

死刑執行人らは、イエズス様の御頭に茨の冠を押し被らせます。茨の一つ一つが、イエズス様の御頭に突き刺さるのを見て、私たちは考えによる罪と、傲慢の罪を思い起こさせます。私たちは頻繁に、罪人であるという事を忘れ、また傲慢によって他人を簡単に裁いてしまいます。イエズス様は罪が無かったにもかかわらず、他の人々の裁きを受けました。謙遜という最も大切な徳を求める御恵みを乞い求めましょう。



『苦しみの玄義 第4玄義:この一連を捧げて、主が十字架を担い給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて、苦難を甘んじ受くる恵みを乞い願わん。』

イエズス様は、十字架の重荷を自ら担いで、非常に難しい立場に置かれながら状況に置かれながらも、自分の死の処刑の場所に向かっています。口にする事もできないほどの痛さにも関わらず、イエズス様は心では喜びと平和に満たされていました。イエズス様は御自分が死へと向かって歩いているにも関わらず、私たちの救いの為に、人類の救霊の為に、御自分のこの地上での生涯の目的、私たちを愛するが為にこれを歩いているからです。

私たちが日常の義務を果たす、日常の十字架を担おうとする時に、私たちの主に倣って歩もうとする心はほとんどありません。もしも私たちが十字架の価値を、そしてその十字架が私たちをどれほどイエズス様に近付けるか、という事を知れば知るほど、私たちも十字架をますます喜んで幸せに担わなければなりません。



『苦しみの玄義 第5玄義:この一連を捧げて、主が十字架に釘付けにせられて死し給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて、救霊の恵みを乞い願わん。』

私たちの祝されたマリア様、聖母マリア様は、十字架の梺に立ち留まっておられます。イエズス様は、「マリア様こそ、イエズス様に従う全ての人々の母である」と宣言します。マリア様は、イエズス様の命令であれば、どのようなものでも従う準備と覚悟ができていました。マリア様は御子によって、十字架の功徳を全て、私たちに分配する使命を受けました。そしてマリア様は、御子の苦しみを受けたのをご覧になって、どれほど苦しまれた事でしょうか。
この一連を捧げて、マリア様に対する信心をますます深めるよう御恵みを乞い求めましょう。


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