堅振の秘跡についての説教(3)
愛する兄弟姉妹の皆様、
私たちは先週、聖霊の七つの賜物、つまり上智、聡明、賢慮、剛毅、知識、孝愛、天主への敬畏について黙想しました。
今回は堅振の秘跡の儀式についてお話しいたします。
(1)堅振の儀式の心臓部
堅振の典礼様式は初代教会がローマで行っていた古代の儀式に由来しています。この儀式の核心部分は、目に見えるしるしを与える部分と秘跡の言葉です。言い換えると、秘跡の質料と形相です。
堅振の秘跡の質料と形相について説明します。
【質料】
洗礼の秘跡の質料は、受洗者の額に流れる自然水でした。洗礼のためには、少し流れる程度の量の自然水が必要でした。
さて、洗礼の時の水に対応するような堅振の秘跡の質料は、「司教による按手」と「聖香油を塗油しながら受堅者の額に十字架のしるしをすること」です。
「按手」とは、手を頭の上に置くことです。【手を直接に置かずに伸ばすことを「掩手」(エンシュ)と言います。】
聖香油とは、司教が聖木曜に香(バルサム)を混ぜて聖別したオリーブ油のことです。旧約時代から王、預言者、司祭がオリーブ油を受けました。カトリック教会の全歴史を通じて一致している聖伝により、オリーブから絞られた油だけを堅振の秘跡の質料として使用しています。聖伝によればどのような植物油でもいいというわけではありません。この秘跡で塗られるオリーブ油は、聖霊の恵み、つまり聖寵がゆたかに注がれ、信仰をかためることを示します。キリストとは「油を注がれた者」という意味です。こうして受堅者はキリストにより良く与るのです。
香り高く、腐敗することのない香(バルサム)は、堅振を受けた人が、聖寵に強められて、キリスト教的な徳の香りを放ち、悪徳による腐敗から逃れることを示します。イエズス・キリストの快い香りを受堅者たちの生活が広めることを意味します。
額は恐れと恥しさのしるしのあらわれる部分ですから、額に十字架のしるしを塗油するのは、受堅者がイエズス・キリストの十字架を恥て顔を赤らめてはならない、またキリスト信者の名と身分を恥じないだけでなく、信仰の敵を恐れることがないように、という意味です。
【形相】
洗礼の秘跡の形相は、次のことばのことです。「某、われ、聖父と聖子と聖霊との御名によりて、なんじを洗う」。洗礼のこの言葉に対応するような堅振の形相は、「某、われ、なんじに十字架のしるしをなし、聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、救かりの聖香油をもってなんじに堅振を施す(なんじを堅固にする)」です。
以上が堅振の秘跡の質料と形相についてでした。
(2)堅振の典礼様式
では、堅振の秘跡の心臓部を取り囲む儀式を説明します。聖伝によれば、堅振の秘跡はミサとは別個のもので、通常はミサは、堅振の秘跡の直後に行われます。堅振の儀式は、三つの部分から構成され、最後に付属の祈りがついています。
1)聖霊を呼び求める
2)堅振の秘跡
3)ほおを打つ
4)最後の祈り
では詳しく見てみます。
1)聖霊を呼び求める
司教は立ったまま受堅者たちの方に向いて、両手を胸の前に合わせて次のように祈ります。受堅者たちは跪いて胸の前に手を合わせています。私たちにとって最悪の事態は罪を犯すことですから、とりわけ司教は受堅者らを「罪より守り給え」と次のように祈ります。「聖霊があなたたちに降臨し給い、いと高き天主の力があなたたちを罪より守り給わん事を。」
次に、司教は全ての受堅者たちの方に両手を伸ばします。これは聖寵を伝えるということを意味するしぐさです。手を伸ばしながら、聖霊が受験者たちを罪という悪魔の奴隷状態から抜け出させ、彼らが聖霊に属するように祈ります。
「全能永遠の天主、主は忝けなくも御身のこのしもべ等を水と聖霊とによりてを新たに生まれしめ給い、且つ彼らに全ての罪の赦しを賜い給うた。願わくは彼らに七つの形の御身の霊、聖なる慰め主を天から送り給え。」
司教は聖霊の七つの賜物を、上智と聡明との霊、賢慮と剛毅との霊、知識を孝愛との霊、主を畏れる霊と個々に呼び求めます。受堅者たちはそのたびにアメンと答えます。
2)堅振の秘跡の核心部分
司教は祭壇の前におかれた椅子に座ります。受堅者は代父あるいは代母に伴われて司教の前に跪き、代父母は立ったまま自分の右手を受者の右肩に置きます。
司教は、受堅者の霊名(堅振名)を一人ひとり尋ね、右手の親指の先で香油を付けて、それぞれの受堅者の頭の上に右手を置きます。つまり按手してこう言います。
「某、われ、なんじに十字架のしるしをなし」
司教はこう言いながら受堅者の額に親指で十字架を印します。さらに形相の言葉を続けます。
「救かりの聖香油をもってなんじに堅振を施す(なんじを堅固にする)」
右手で「聖父」「聖子」「聖霊」という言葉でそれぞれ十字架の印をして、つまり三回十字架のしるしをして、祈りを終えます。
「聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて。」
受堅者はアメンと答えます。
3)ほおを打つ
続いて司教は「平和があなたともに」と言いながら、受堅者の頬を軽く打ちます。堅振を受ける人の頬を軽く打つのは、イエズス・キリストヘの信仰のために受ける屈辱や労苦をおおしく耐え忍ぶべきことを教えるためです。司教が同時に平和を祈るのは、勇気ある態度の報いとして平和が与えられることを意味しています。
これが終わると受堅者は立ち上がり、次の者が跪いて堅振を受けます。こうして全員が受け終わるまで続きます。
4)最後の祈り
全ての受堅者が堅振を受け終えると、アンティフォナ(交誦)を聖歌隊が歌います。私たちが今受けた秘跡を堅めてくださるように天主に祈ります。
次に、謹んで跪いている全ての受堅者たちに司教は最後の祝福を与えます。
最後に、司教は司教杖を手に持って、受堅者に向かい、立ちあがって主祷文、天使祝詞、使徒信経を唱えるように命じます。
以上が聖伝による堅振の秘跡の儀式の説明です。
(3)新しい堅振の問題点
では、今から50年前にできた新しい堅振について、どのような違いがあるか見てみましょう。
第二バチカン公会議以後、全ての秘跡が新しくなりました。それはエキュメニズムの影響をも受けたからです。そのためにプロテスタントによる考えが入り込んでしまいました。それによると秘跡とは、目に見えるしるし(象徴)だけであって聖寵は生み出さないとされます。何故ならプロテスタントによれば信仰のみで救われるとされるからです。たとえばルター派の「堅信礼」といわれるものは「秘跡」ではなく「信仰宣言」の一つです。
堅振とは天主の子供たちを、信仰のために戦うキリストの兵士とすることです。しかし、エキュメニズムのために第二バチカン公会議以後は、カトリック信者が信仰の戦いと武器を放棄するように指導されています。新しい堅振では司教が受堅者のほおを打つ儀式がなくなりました。新しいミサの中で行われる新しい堅振は、洗礼の約束の更新から始まり、ルター派の「堅信礼」という信仰宣言に良く似ていると言われています。
秘跡が変わった理由は、さらに「過越しの神秘」という新しい神学の影響を受けたからです。それによると罪の贖いとは、天主の正義を満足させるという伝統的な概念ではなく、むしろ天主の愛を表しているという側面だけが強調されています。新しい堅振では、七つの賜物は「知恵と理解、判断と勇気、神を知る恵み、神を愛し敬う心」となっていて、「主への敬畏」(主を畏れること)ということばが省かれています。
1971年8月15日に、形相が「たまものである聖霊のしるしを受けなさい」(Accipe Signaculum Doni Spiritus Sancti)ということばに変わりました。この新しい形相は東方教会の堅振(chrismation)の様式から来るとされています。【聖伝によると司教が「某、われ、なんじに十字架のしるしをなし、…なんじに堅振を施す(なんじを堅固にする)」と司教が行為しているのことがはっきりと表されていますが、新しい堅振では行為の主体が曖昧です。】
オリーブ油を使うことは旧約時代からの聖伝でしたが、1972年11月30日、パウロ六世は全ての植物油の使用を認可したので、堅振の秘跡の有効性に対する疑いはますます深刻なものとなってしまいました。
(3)遷善の決心
御昇天の時に主イエズスはこう言われました。「聖霊があなたたちの上にくだり、力をお与えくださる。あなたたちは、イェルザレム、全ユダヤ、全サマリア、地の果てまで私の証人となるであろう」と。ギリシア語では、証人と殉教者とは同じ単語(μαρτύριον)です。
どんな場合でも私たちの信仰を決して恥ずることがないように、確固たる超自然の信仰を恵みをこい求めましょう。キリスト者は、キリストの御名と御旗つまり十字架を誇りに思います。最後までこの栄光を守ることができる聖寵を祈りましょう。
私たちの主はこう言われます。
「私と私のことばを恥じる人を、人の子もまた、自分の栄光と、おん父と聖天使たちとの栄光をもって来るそのとき、恥じるだろう。」(ルカ9:)
「私はいう。人々の前で私の味方だと宣言する人を、人の子もまた、天主の天使たちの前でかれの味方だと宣言する。しかし、人々の前で私をいなむものは、天主の天使たちの前でいなまれるだろう。」(ルカ12:)
日本の26万人以上の聖なる殉教者たちを見てください。【日本では記録が残っているだけでも4000人以上の殉教者がいます。江戸末期から明治初期を含めると26万人以上のキリシタン殉教者たちがいたと推定されています。】たとえば日本二十六聖殉教者の中には聖霊に満たされた日本の聖なる少年たちがいました。
広島の三原に着いた夜、16才のトマス小崎は母親に次のような遺書をしたためました。「母上様、主のお恵みに助けられながらこの手紙を書きます。わたくしたちは長崎で十字架につけられることになっています。どうかわたくしのことも、父上のことも何一つご心配なさらないでください。パライソ(天国)で母上様のおいでをお待ち申し上げております。母上様、臨終のときに、たと神父様がいらっしゃらなくとも、心の底から罪を痛悔し、イエズス様のお恵みをお願いすれば救いを全うするすることができます。人からどんなことをされようとも忍耐し、すべての人に愛をお示しください。また、ふたりの弟を異教徒の手にゆだねることのないように、たいせつに育ててください・・・・・。」
最年少で12才のルドビコ茨木少年は、殉教の1年前に受洗しました。共にいた司祭が逮捕された時、彼は除外されたのですが、捕えるよう願い出ました。長崎への死の行進中、いつも明るく朗らかにふるまい、ある茶屋で休憩中、唐津城主の弟寺沢八三郎が茨木のいたいけな姿に同情して、「信仰さえ捨てれば、わたしの家に引き取って武士にしてあげるが、どうだ」と言いました。ルドビコ茨木は顔色を変え「お奉行さま、あなたこそキリシタンにおなりませ。そして一緒に天国へ参りましょう」と、きっばり断わりました。西坂の丘の刑場では「自分の十字架はどこ」と尋ねました。十字架を示されると情熱をもってそこに走り寄ります。十字架につけられた時、喜んで『パライソ(天国)、パライソ、イエズス、マリア』と言っていました。心には聖霊の恵みが宿っていたのです。
聖アントニオ少年は殉教の約1年前に京都に来て他の少年たちと共に教育を受けます。アントニオの父親は一行のあを追い、泣く泣くむすこに「おまえはまだ若いし、大きくなってから殉教してもおそくはない」とくどきました。しかし13才のアントニオは「デウス様に生命をささげるのに、年をとっているかどうかは問題ではありません。あの罪なき幼子たちも生まれてまもなくキリスト様のために殺されたではありませんか」と答えて、びくともしなかったのです。
主は言われます。「人々が、あなたたちを憎み、破門し、侮辱し、そして、人の子のために、あなたたちの名を不敬のものとして排斥するとき、あなたたちはしあわせである。その日には喜びおどれ。あなたたちは、天において偉大なむくいをうけるであろう。」(ルカ6:)
現代世界に生きる私たちは堅固な信仰を持つために、堅振の秘跡が必要です。堅振の秘跡をよく受けるために、続けてよく準備しましょう。聖霊のより多くの賜物をこい願いましょう。
受堅者の方々は、堅振の秘跡を受けるまでに良い告解をしてください。
洗礼の秘跡を堅振の秘跡で完成してくださる聖寵を主に感謝いたしましょう。
聖霊の浄配である聖母に祈りましょう。