堅振の秘跡についての説教(2)
愛する兄弟姉妹の皆様、
1月28日、大阪の聖母の汚れなき御心聖堂では、午前10時30分から堅振の秘跡が始まります。堅振の秘跡を受けようとする方々は、その前に必ず告解の秘跡を受けてください。できる方は前日の金曜日の夕方のミサの前に告解をすまし、土曜日にしか告解をすることができない受堅者のために配慮をお願い致します。
1月29日、東京では入谷ホールの三階で、午前9時から堅振の秘跡の儀式が開始します。堅振の秘跡を受けようとする方々は、その前に必ず告解の秘跡を受けてください。できる限り事前に(例えば、来週の主日である1月22日に、あるいは修道院で)良い告解を受けてください。来週の主日(1月22日)は、二回目のミサのあとで、堅振の儀式のリハーサルを予定しています。
私たちは既に、堅振の秘跡とは何か、そしてその効果は何かについて黙想しました。
今日は、聖霊の七つの賜物、つまり上智、聡明、賢慮、剛毅、知識、孝愛、天主への敬畏について黙想しましょう。
(1)聖霊
堅振の秘跡は、私たちの霊魂において聖霊の現存を増加させます。何故なら、堅振の秘跡を受けることによって、私たちは霊的な子どもから、霊的な大人になるからです。たしかに洗礼の秘跡によって私たちは超自然の命に生まれます。聖霊の働きを受け始めて「成聖の恩寵の状態」になります。しかし、堅振の秘跡によって聖霊の力が霊魂にますますはたらくようになり、超自然の命が完成されるのです。
では聖霊とはどのようなお方でしょうか?聖霊とは、万物の創造者かつ私たちの主である三位一体の第三のペルソナです。御父と御子のペルソナと同じく、永遠、無限、全能の天主です。聖霊は、御父と御子を一つの源として、そこから意志と愛とによって出る(これを神学用語で「発出する」と言います)お方です。御父は御子を永遠からお生みになり、聖霊は御父と御子から、永遠の昔から発出しておられます。
では聖霊はどのように私たちにはたらきかけるのでしょうか?聖霊は、聖霊降臨の日に、使徒たちに下りました。十二使徒は洗礼を受けて、三年の間イエズス・キリストに従い、常に主のみ教えを聞いていたけれどもその御旨をさとらず、また心が弱くてイエズス・キリストの御苦難の時には逃げてしまいました。聖霊の御降臨によって、ようやくイエズス・キリストの御意を覚り、勇気を得て、教えの為にどこまでも力を尽し、苦しみを甘んじ、辱めを喜び、生命を惜しまいほどの強い信者となりました。
聖霊は、堅振の秘跡を通して、全教会と天主の教えを信ずる全ての人々のために送られます。つまり、堅振の秘跡は、洗礼の後に信者に聖霊をこうむらせる「聖霊降臨」の日と言うことができます。聖霊は、十二使徒の上には火のような舌、つまり炎の形をもってお現れになりました。堅振の秘跡で、聖霊は、からだの中の霊魂のように、恩寵とたまものをますます一層豊かに与えてくれるのです。こうして、真実と愛の王国を教会の中につくりあげ、信者がまちがいなく天国への道に導かれるようお助けになるのです。
教皇聖グレゴリオは、こう言っています。天主は教会という神秘体に、キリストという頭を与え、聖霊という心臓を与えた。キリストは真理を知らせ、聖霊は愛を実践させ愛させる。」
(2)聖霊の七つの賜物
堅振の秘跡は、洗礼を受けたキリスト者の霊魂にいっそう多くの恵みを豊かに与えて、霊的な兵士にし、キリストの御国である教会の拡張と発展のために、天主の敵と救霊の敵に対して戦うことができるようにしてくれます。そのために必要な霊的な武器を与えてくれます。この武器を、聖霊の賜物と言います。聖霊の賜物は、聖霊の特別なはたらきによって、私たちの知性を助け、私たちの意志を強めてくれます。聖霊の賜物には七つあります。上智、聡明、賢慮、剛毅、知識、孝愛、主への敬畏です。聖霊の七つの賜物を詳しく見ていきましょう。
1)主への敬畏
七つの聖霊の賜物うち、最高の賜物は上智です。上智の賜物を最高に受けるためにある最初の賜物は「主への敬畏」です。ちょうど、大きな建物を建てるには、しっかりとした基礎を作ることが必要なように、また、大木には深い根があるように、主への敬畏がまず必要です。智恵の書にはこうあります。「智恵の根は、主を畏れることである Radix sapientiae est timere Dominum(智書1:25)」
天主に仕える最初の障害は傲慢です。ルチフェルは傲慢によって罪を犯し、地獄に落とされました。アダムとエワも傲慢によって罪を犯しました。現代ではトランスヒューマニズムという傲慢があります。しかし、聖霊は私たちが謙遜にとどまるように、主への敬畏を与えてくれます。
何故なら聖霊は、天主への愛を私たちに注ぎ、罪によって天主を悲しませたり、天主から離れたりすることを畏れさせるからです。「私たちに与えられた聖霊によって、この心に天主の愛が注がれた」(ローマ5:5)と。天主を愛するがゆえに、主の御稜威(みいつ)を敬うのです。敬畏は、天主が有りて在るものであること、始めもなく終わりもなく、目に見えるものと見えないものすべてをお創りになった全能のお方であること、無限に聖なる方であること、天主の御前では私たちは無に等しいこと、弱々しい存在であることを垣間見せてくれるます。アシジの聖フランシスコがその良い模範です。
2)孝愛
天主に仕える第二の障害は利己主義です。しかし聖霊は、私たちに、養子として愛の霊を与えます。「あなたたちは、(…)養子としての霊を受けた。これによって私たちは「アッバ、父よ」と叫ぶ。」(ローマ8:14-15)聖ヨハネはこう言います。「御父がどれほどの愛を私たちにお注ぎになったかを考えよ。私たちは天主の子供と呼ばれ、また実にそのとおりだからである」と。この愛によって、聖霊は、私たちをして、天主を父として子としての義務を果たさせるのです。言い換えると、聖霊は、私たちを動かし、天主を私たちの父として認識し、天主を父として礼拝し義務を果たすように助けてくれるのです。
孝愛の賜物によって、私たちは天主を「我らの父」として礼拝します。父なる天主に関係する全ての人々をも大切にするように動かされます。聖人たちを敬うことも孝愛の賜物に属することです。また、全ての信徒は、天主の子供ですから、私たちの兄弟です。兄弟として愛し合うべきです。主はこう言われました。「あなたたちは皆兄弟であり、またあなたたちの父はただ一人、天におられる御父だけである」と。
幼きイエズスの聖テレジアは、1886年のクリスマスの夜に、大きな天主の愛を受けて、霊魂をすなどる者となるために自分を忘れなければならないと突然理解したと書いています。
3)知識
人間は、目に見える被造物を通して、目に見えない天主を知るようになります。そこで、聖霊は私たちが天主に忠実に留まり、霊魂の救いを果たすことができるように、被造物とは何かを正しく理解し、被造物をどのように使って天主へと行くべきかを教えてくれます。
知識の賜物は、被造物を通して天主を知らせ、信じるべき正しい信仰を識別させ、被造物を天主に至る道具として正しく使わせ、天主へと至るために被造物の本当の価値や意味を教えてくれ、被造物について正しい判断を下すように助けてくれるのがです。
被造物とは天主へと至る手段であって目的ではありません。そこで「知識の賜物」は、被造物が、天主を失わさせ、永遠の不幸の機会となりうる危険性をもっているということを分からせてくれます。また「知識の賜物」は、過去の過ちを悲しませ、私たちは涙の谷に生きていることを理解させ、被造物の危険性に囲まれていることを悲しませます。
聖トマス・アクィナスは、正しい信仰を全人生を通して深めていました。
聖フランシスコ・ボルジアは、スペイン王国の宰相でした。女王イサベラが若くして突然なくなると、棺に眠る女王の死体を見る機会がありました。崩れた顔と汚臭は見るに耐えられないものでした。その時、被造物のはかなさを深く理解しました。聖霊の働きで、徹夜して祈り、後にすべてを捨ててイエズス会に入会しました。
4)剛毅
被造物が、罪の機会となりうることが分かっただけではたりません。聖霊は、誘惑や挑戦、困難や弱さに打ち勝つ力を与えてくれます。聖霊は人間の心を動かして、全ての危険を耐え忍びながら乗り越えて。信仰の証しをして、もしも必要ならば命さえも与えることができるようにしてくれます。聖霊は人の心に、永遠の命への信頼を注入し、恐怖を追い払います。聖霊のこのような働きが剛毅の賜物です。
日本における聖なる殉教者たちは、聖霊が死に至るまで私たちを強めてくださっていることを証明しています。
5)賢慮
天国に至る道を歩みながら、もっとも必要なものを私たちに示して、私たちを導いてくれるのが賢慮の賜物です。人間の救いに関する、聖霊からの良き勧めを賢慮の賜物と言います。
賢慮とは、何かの目的を達成するために私たちが為すべきことについて、行動の前によく考えて良い助言を受けることです。聖霊の賜物としての賢慮は、疑いや不確かさの中で私たちを導き、私たちが永遠の命という目的に向かうすべてのことについて、救いのために必要であるか否かを導いてくれます。
人が病気の時、医者のアドバイスが必要なように、人間は困難な時(例えば罪を犯して霊的に病を患っている時)、特に永遠の救いに関する時、罪から癒されるために必要なものが、聖霊からの賢慮です。アルスの聖司祭は、多くの霊魂たちを天主の道において導きました。
聖ノルベルトは、貴族出身で若いころに宮殿に仕えていました。ある日狩に出かけた時すぐ近くに雷が落ち、乗っていた馬はノルベルトを地面に振り落としてしまいます。意識を取り戻すと、聖霊の働きで、自分が裁きの座に出る前に、罪の償いをする時が与えられたことを感謝します。彼は、司祭となり修道会を創立し大司教にもなりました。
6)聡明
天国への道のりにおいて、主は永遠の幸せを私たちに垣間見せてくれます。信仰の神秘を理解するように光が与えられます。信仰の真理として信じるように提示されたことを、知性が深く浸透して正しく把握する、このためにあるのが「聡明の賜物」です。
聡明の賜物は、ラテン語では intellectus と言います。これは intus legere つまり「中を読む」という意味を含み、親密に知るということを含意します。
人間の知性は、五感で感じられるものを貫き通して、それが何であるかという本質にまで至って理解します。しかし人間の知性の自然の光は有限でその力には限界があります。
ところで人間は、超自然の至福を得るという目的のために創造されて生きています。ですから人間は自然を超えるより高い真理にたどり着く必要があります。しかし自然の光によっては知り得ない天主の神秘を知るためには、さらに強い超自然の力が必要です。人間に与えられたこの超自然の光が、聡明の賜物です。
聖ヨハネ・ボスコは、聡明の賜物を通して、多くの青少年たちが天国を望むようにさせることができました。
7)上智
上智とは智恵という意味です。聖霊からいただく智恵は天上からの智恵なので、これを上智の賜物と言います。上智の賜物は、全てを、天主が定めた規定に従って判断して、それによって秩序付けることができるようにさせてくれます。何故なら「霊は、天主の深みまで、すべてを見通すから」(コリント前2:10)です。究極の原因であり最高の善である天主を最終の目的として判断する時、人は本当の意味で上智ある者となります。
上智の賜物は、天主のことがらをよく見通して観想させるだけでなく、人間の行いを規定します。人間の行為の規定・方向づけをするときに最初にするべきことは、上智に反する悪を取り除くことです。つまり、最高の善である天主に対して罪を犯すことを畏れるようにすることです。ですから、主をおそれることは智恵の始まりであると言われます。
ソロモン王は上智の人でした。何故なら富や被造物よりも天主からの真理を愛していたからです。
聖霊の七つの賜物を受けているか受けていないかを例えると、マストに大きな帆がついて風を受けて進むヨットか、手でオールをかいて進むボートか、のような違いがあります。洗礼を受けた霊魂は、天国という目的に向かって進むことができます。しかし堅振の秘跡で聖霊の賜物を受けた霊魂は、帆に風をうけて進む船のように、天国に向けてもっと簡単に航海するのです。
(3)遷善の決心
堅振の秘跡をよく受けるために、続けてよく準備しましょう。
主の御昇天の後、使徒たちは聖母とともに祈り聖霊降臨を祈りで準備していました。堅振の日まで毎日祈ってください。特に聖母とともに聖霊に祈ってください。聖母にも祈ってください。聖母は聖霊の浄配だからです。堅振の秘跡を受ける前の1月19日から27日まで、毎日 Veni Creator Spiritus(聖霊の御降臨を望む祈り:公教会祈禱文210ページ)を唱えましょう。
また受堅者の方々は、堅振の秘跡を受けるまでに良い告解をしてください。
来週の主日には、堅振の秘跡の聖伝の儀式についてお話しいたします。