【参考情報】公会議はたった一本の糸にぶら下がっているだけである(危機に瀕している公会議):ヴィガノ大司教による、リード、カヴァディーニ、ヒーリー、ワイナンディへの返答
ここでの問題は、モンティーニ【パウロ六世】のミサを考案したファリザイ派的偽善を隠そうとして、祭服やグレゴリオ聖歌を使って、新しいミサを昔のミサのように「着飾らせる」ことではありません。第二奉献文(Prex eucharistica II)をやめたり、東を向いて(ad orientem)ミサを捧げたりすることでもありません。戦いは、トリエント・ミサにおける天主中心のビジョンと、第二バチカン公会議以後の偽のミサにおける人間中心のビジョンと間にある存在論的違いに関するものです。
2023年1月24日(火曜日)
THE ONE THREAD BY WHICH THE COUNCIL HANGS
カルロ・マリア・ヴィガノ
A response to Reid, Cavadini, Healy, and Weinandy
武装した軍勢が
聖所、城壁を汚しに立ち、
日々のいけにえを廃し、
そこに、荒廃のいとわしいものを立てる。
(ダニエル11章31節)
私は、「トラディティオーニス・クストーデス」(Traditionis Custodes)に関する現在進行中の論争と、リード(Reid)神父が、カヴァディーニ(Cavadini)、ヒーリー(Healy)、ワイナンディ(Weinandy)に反論するコメント(こちら)を興味深く読んできました。しかしそこでは、指摘された問題に対する解決策には至っていません。私はこの投稿で、現在の危機を脱する可能性のある方法を示したいと思います。
第二バチカン公会議は、教義的公会議ではなく、教理的な真理を定義する意向を持っていませんでした。第二バチカン公会議は、それ以前に教導権の不可謬の権威によって明確かつ曖昧さのない形で定義された教理を、間接的に、かつしばしば曖昧な形で、再確認するにとどまっていました。【それにもかかわらず】この公会議は、不当かつ強引に、「ザ」公会議、新しい「公会議の教会」の「スーパー教義」とみなされ、その行事【公会議】との関連で教会を定義するまでになったのです。公会議の文書には、典礼の領域で後に行われたことについての明確な言及はなく、典礼憲章「サクロサンクトゥム・コンチリウム」(Sacrosanctum Concilium)が成就したものだと見せかけられています。その一方で、いわゆる「改革」には多くの批判的な問題があり、このことは、公会議の教父たちの意志と公会議以前の典礼上の遺産に対する裏切りを表しています。
むしろ、私たちが自問すべきなのは、公会議が望んでいるものには思えない行為に、どのような価値を与えているか、ということです。このような行為を公会議と呼ぶことができるのか、ということです。つまり、「検邪聖省が長い時間をかけて詳細に策定した準備草案という公式の準備前提を超えて、その言及できない意向において破壊転覆的であることを見せている行為、さらには、すでに明らかになったように、教会が公会議を設立した目的とは正反対の目的のためにそれを利用しようという意向を持った人々が使う手段において悪意のあることを見せている行為」を、道徳的に「公会議」とみなすことができるかどうか、ということです。この準備前提は、公会議に由来する、あるいは公会議を参照する教会の他の行事や統治行為をも客観的に評価できるようにするために不可欠なものなのです。
説明させてください。私たちは、法が、それが生まれる法体系全体から切り離すことのできない、ある〈心〉(mens)、つまり、その正確な目的に基づいて公布されることを知っています。少なくともこれらは、教会の知恵がローマ帝国から獲得した法の基礎となるものです。立法者は、ある目的をもって法を公布し、〈その特定の目的のためにのみ〉適用されるように定式化します。したがって、立法者は、その対象者、目的、結果に関して、法を曖昧にしかねない、いかなる要素も回避するでしょう。公会議の招集は、教理、道徳、典礼、教会規律の特定の側面を定義するために、ローマ教皇の権威の下、教会の司教たちを荘厳に招集することを目的としています。しかし、それぞれの公会議が定義するものは、いかなる場合でも聖伝の範囲内になければならず、いかなる形でも不変の教導権に反することはできません。なぜなら、不変の教導権に反してしまうと、教会における権威を正当化する目的に反することになるからです。同じことが教皇にも当てはまり、教皇は、信仰において兄弟姉妹を強め、主が教皇に託された群れの小羊や羊を牧するという、自らの任務の範囲内において〈のみ〉、全教会に対して完全で、間になにも介さない、直接的な権能を持っているのです。
第二バチカン公会議までの教会の歴史において、ある公会議がそれ以前の公会議を〈事実上〉(de facto)取り消すということは決してありませんでしたし、「司牧的」公会議――第二バチカン公会議という孤語(ἅπαξ、hapax)――が20回の教義的公会議以上の権威を持つということもあり得ません。しかし、司教団の大多数の沈黙の中で、ヨハネ二十三世からベネディクト十六世までの5人のローマ教皇の承認のもとに、それは起こりました。この50年の永久革命の中で、どの教皇も第二バチカン公会議の「教導権」に疑問を呈したことはなく、あえてその異端的なテーゼを非難し、そのあいまいなテーゼを明確にすることはありませんでした。その反対に、パウロ六世以降のすべての教皇は、第二バチカン公会議とその実施を教皇在位中のプログラム上の支点とし、自分たちの持つ使徒由来の権威を公会議という〈絶対命令〉(diktats)に従属させ、拘束しました。彼らは、【公会議前の】前任者たちから明確に距離を置くことによって、またロンカリ【ヨハネ二十三世】からベルゴリオ【フランシスコ】に至るまで顕著な自己参照性によって、自分たちを前任者たちと区別してきました。彼らの「教導権」は第二バチカン公会議に始まって第二バチカン公会議に終わり、その後継者たちは、公会議を招集し、終結させ、適用したという事実のみで直前の前任者たちを聖人と宣言しています。神学用語もまた、公会議の文書の曖昧さに適応し、公会議以前には異端とみなされていたものを、定義された教理として採用するまでになりました。その例として、今日では当然のこと、賞賛すべきこととされている国家の無宗教主義や、アシジやアスタナの平和的エキュメニズム、また多くの委員会、司教たちのシノドス、ドイツ教会の「シノドスの道」などの議会主義について考えることができるかもしれません。
これらのことはすべて、ほとんど誰もが当然のことと思っている仮定から生じています。その仮定とは、第二バチカン公会議が公会議としての権威を主張することができ、その権威の前にして、信者はすべての判断を停止しなければならず、たとえ教義的形式ではなく「司牧的」形式であったとしても、聖なる牧者たちによって不可謬的に表明されたキリストのご意志に謙虚に頭を下げるとされている、というものです。しかし、そうではありません。なぜなら、聖なる牧者たちは、公会議を破壊転覆的に利用することを目的とした巨大な陰謀に欺かれているかもしれないからです。
第二バチカン公会議において世界レベルで起こったことは、1786年にピストイアのシノドスにおいて地域レベルで起こりました。このとき、スキピオーネ・デ・リッチ司教が教区のシノドスを招集して合法的に行使できた権限を、詐欺的に(in fraudem legis)、つまり教会のあらゆる法を主宰し指示する理(ratio)に反して行使したとして、ピオ六世が完全に無効と宣言しました。[1]なぜなら、教会における権威は、そのかしらである私たちの主に属するものであり、主は、聖伝の枠組みの中でのみ、ペトロとその正当な後継者に代理の形でその権威をお与えになっているからです。したがって、1789年にフランス王政に対してフリーメーソンが同様の方法で組織し、近代主義者のスーネンス枢機卿が公会議で実現したと賞賛した革命を押し付けるために、異端者の集会が教会の中で本当のクーデターを組織できたと仮定することは、不謹慎な仮説ではありません。このことは、教会に対するキリストによる天主の援助の確実性と矛盾しません。地獄の門が〈教会に勝てぬ〉(non prævalebunt)とは、紛争、迫害、背教がないことを約束するのではなく、〈地獄の門〉が小羊の花嫁に対して激しい戦いを仕掛ける際、キリストの教会の破壊に成功することはないことを保証するものなのです。教会は、永遠の大司祭【キリスト】が命じたとおりにとどまる限り、敗北することはありません。さらに、教皇の不可謬権に対する聖霊の特別な援助は、例えば司牧的公会議の教令を承認する場合のように、教皇に不可謬権を行使する意向がない場合、問題になることはありません。理論的な観点から言えば、公会議の〈破壊転覆的かつ悪意ある利用〉は可能です。また、聖書が語っている〈偽キリスト(pseudochristi)や偽預言者(pseudoprophetæ)〉(マルコ13章22節)は、公会議の教父たちのほとんどを含む選ばれた者たち自身を、そして彼らと共に多くの聖職者と信者さえをも、欺くことができるからです。
したがって、明らかなように、もし第二バチカン公会議が、異端の教理とプロテスタント化した典礼を押し付けるために、その権威と権威を持っていることとを不正に(fraudulently)利用した道具であったとすれば、遅かれ早かれ、聖なる正統な教皇が玉座に戻ることによって、ピストイアの偽公会議(Conciliabolo)のように、公会議を非合法、無効、存在せずと宣言して、この状況を解決することが期待できます。そして、もし改革された典礼が表現しているものが、第二バチカン公会議の中に含まれていた教義上の誤謬や教会論的アプローチ、〈簡潔に言えば〉(in nuce)、「公布された後になって初めて作者がその破壊的範囲を明らかにするつもりだった誤謬」であるのなら、ドン・アルクイン・リードが主張したいように、いかなる「司牧的」理由をもってしても、そのもっともらしくて曖昧で〈異端を助長する〉(favens hæresim)典礼、つまり天主の聖なる民への影響が完全に破壊的となったものを維持していくことを正当化することはできません。したがって、ノブス・オルド(Novus Ordo)とは、いかなる修正にも値せず、いかなる「改革の改革」にも値するものではありません。そうではなく、「カトリック典礼」に対してノブル・オルドが持つ救いがたい異質性の結果として、つまり「ノブス・オルドが、自らが唯一の表現であるとおこがましくも主張しているようなローマ典礼様式」に対する異質性、また「教会の不変の教理」に関する異質性の故に、ノブル・オルドはただ単に禁止して廃止するしかないものです。「聖パウロが主張するように、嘘には反論しなければなりませんが、その罠にはまった人々は、彼らを救い、彼らが失わないようにしなければなりません」とドン・アルクインは書いています。しかし、啓示された真理や、礼拝という最高の行為における至聖なる三位一体の名誉に害を与えてはなりません。なぜなら、司牧性を過度に重視すると、聖なる行為の中心に天主を置いて礼拝の沈黙の中で天主の御前にひれ伏すべきときに、その中心に人間を置くことになってしまうからです。
ベネディクト十六世が考案した〈連続性の解釈法〉(hermeneutic of continuity)の支持者を驚かせるかもしれませんが、トリエント・ミサを第二バチカン公会議に対する耐え難い脅威とみなすベルゴリオ【フランシスコ】は、今回だけは完全に正しいと私は信じています。なぜなら、そのトリエント・ミサは、同じローマ典礼の二つの形式の間で平和的に共存しようとする試みを否定するほどカトリック的であるからです。実際、アンブロジオ典礼、リヨン典礼、モサラベ典礼、そしてドミニコ会典礼や似た典礼の最小限の変形版といった古代の由緒ある典礼を限られた例外として、ローマ教会の唯一の声――〈一致して一つの声で賛美を言いながら〉(una voce dicentes)――を表さなければならない典礼に、〈通常形式の〉モンティーニ【パウロ六世】の形式と〈特別形式の〉トリエントの形式を考えることができるというのは不合理です。繰り返しますが、「トラディティオーニス・クストーデス」の著者は、聖ピオ五世のミサが完璧な祈りの表現であるカトリック教会の宗教に対して、ノブス・オルドが、「公会議の教会」の宗教という別の宗教の礼拝表現であることをよく知っているのです。ベルゴリオには、聖伝の系譜と第二バチカン公会議の系譜の間の不一致を解決しようという願望はありません。それどころか、カトリック教会に取って代わり、かろうじて(そして嫌々ながら)その名を保っている「公会議の教会」から、聖職者であれ信者であれ、聖伝のカトリック信者を排除するために、分断を挑発するという考えが働いているのです。サンタマルタ館が望む離教とは、ドイツの諸教区の異端的な〈シノドスの道〉の離教ではなく、ベルゴリオの挑発により、彼の宮廷のスキャンダルにより、その不謹慎で分裂的な宣言(こちらとこちら)により、憤慨した聖伝のカトリック信者の離教なのです。これを得るために、ベルゴリオは、自分が無条件に支持している第二バチカン公会議が定めた原則を、極限にまで実行することをためらわないでしょう。つまり、ノブス・オルドを公会議後のローマ典礼の唯一の形式とみなし、公会議の教義的な構造とは完全に異質のものとして、古代のローマ典礼の挙行を一貫して廃止するでしょう。
そして、二つの異質な、実際には対立する教会論的ビジョンの間に和解の可能性がないことは、まさに真実であり、どんな反論もできません。一方が生き残って他方が屈服するか、一方が屈服して他方が生き残るかのどちらかです。ヴェトゥス・オルド【古いミサ】とノブス・オルド【新しいミサ】が共存するというキメラは、不可能で、人工的で、詐欺的です。なぜなら、使徒継承のミサで司式司祭が完璧に行うことは、その司祭に、教会が望むことを、自然に、そして不可謬的に行わせるからです。一方、改革されたミサで集会の座長が行うことは、たとえその中で聖なる犠牲が有効に実現されるとしても、ほとんど常に儀式自体によって認められた可変部分に影響されるからです。ですから、新しいミサの持つ公会議的な母体を構成しているのは、まさにこの点なのです。つまり流動性です。言い換えると完全に異なる「団体」の必要性にも適応できることです。つまり新しいミサは、全実体変化を信じて、定められたひざまずきでそれを表明する司祭によっても捧げられるし、また意味変化(transignification)【聖体の実体が変わるのではなく「意味」が変わるだけだという主張】しか信じないで信者の手にご聖体を授ける司祭によっても、捧げられるのです。
したがって、ごく近い将来、聖なる教会を解体し、「公会議前の【典礼を好む】」カトリック信者が集団で教会脱出を引き起こすために使徒的権威を濫用している人々が、古代のミサの挙行を制限するだけでなく、それを完全に禁止することを躊躇しないとしても、私は驚かないでしょう。なぜなら、その禁止には、真、善、美に対するセクト的憎悪が要約されており、これが、彼らの偶像である第二バチカン公会議の第一総会以来、近代主義者の陰謀を動かしてきたからです。忘れないでいただきたいのは、この狂信的で専制的なアプローチに矛盾しないように、トリエント・ミサはパウロ六世の「ミサーレ・ロマーヌム」(Missale Romanum)の公布によって実質的に(casually)廃止されたこと、また、そのミサを捧げ続けた人々は文字通り迫害され、追放され、失意のうちに死に追いやられ、新しい典礼様式の葬儀で葬られた――あたかも決定的に忘れ去られるべき過去に対して、みじめな勝利の封印をするかのように――ことです。また当時は、教会法の厳しさを制限する司牧的動機に誰も関心を持ちませんでした。それはちょうど今日、聖職者や信者が特に愛着を示す古代の典礼の挙行を認めるよう多くの司教を説得できる司牧的動機に誰も関心がないのと同じです。
ベネディクト十六世の融和的な試みは、〈古いミサの使用〉(Usus Antiquior)の自由化という一時的な効果においては賞賛に値しますが、まさに「スンモールム・ポンティフィクム」(Summorum Pontificum)のジンテーゼを、トリエントのテーゼとブニーニ【新しいミサを作った作者】のアンチテーゼに適用できるという幻想から生じたために、失敗する運命にありました。ヘーゲル思想に影響を受けたその哲学的ビジョンは、カトリックか否かという教会(そしてミサの)の本質のために成功しませんでした。教会やミサは、聖伝にしっかりと根を下ろすと同時に世俗化したメンタリティーの波に揺さぶられる、ということはあり得ないのです。
この理由で、使徒継承のミサ【聖伝のミサ】を、ドン・リードが「キリストの教会の一部であるその正当な複数性の表現」と考えているのを読んで、私は大いに落胆しています。なぜなら、声の複数性ということは、調和と金切り声の騒音が同時に存在することではなく、全体的な交響的統一の中で正当に表現されるものだからです。ここには、できるだけ早く明確にしなければならない誤解があります。その誤解は、"自分たちのために寛容さを求め、同時に、正反対の原則を持つ人々にも同じ寛容さを与えるような人々の臆病で平穏な反対意見"によって癒されるのではなく、それよりはむしろ、多分に、ミュラー枢機卿が最近の講演で正しく指摘したように、"教会のかしらであるキリストの意志に反して、神秘体を多国籍企業のように支配できると思い込んで、自分たちの意志を押しつけることができると考える人々の非寛容で苛立たしい行動"を直視することによって癒されることでしょう。
しかし、よく考えてみると、今日起こっていること、そして近い将来起こるであろうことは、過去に確立された前提の論理的帰結にほかなりません。多かれ少なかれゆっくりとした長い一連の何歩かの後の次の一歩であり、その一歩一歩については多くの人々に黙殺されてきており、その一歩一歩が脅迫によって受け入れられてきたのです。なぜなら、トリエント・ミサを習慣的に捧げながらも、時折ノブス・オルドを捧げ続ける人々――私が述べているのは、脅迫を受けた司祭のことではなく、自分で決めることができた司祭、選ぶ自由があった司祭のことです――はすでにその原則に屈し、どちらか一方を同等に、まるで――まさに――同じ典礼の特別形式と通常形式のように、捧げることを受け入れているからです。そして、このことは、パンデミックの脅威におびえて大多数の人々が黙って受け入れた、制限の押し付けや基本的権利の侵害を含む、世俗の領域において同様の手法で起こったことではないでしょうか? そのような状況下でも、動機は異なりますが、同様の目的で、市民は脅迫されてきたのです。「ワクチンを受けなければ、仕事も旅行もレストランにも行けないぞ」と。そして、これが権力の濫用であることを知りながら、どれだけの人が従ったのでしょうか? 合意形成の操作システムは、それを採用する人々が同じ敵の陣営からやって来て、同じ蛇【悪魔】に導かれているとき、まったく異なるものだと思いますか? クラウス・シュワブの世界経済フォーラムが考案した「グレート・リセット」計画は、ベルゴリオのセクトが設定したものとは異なる目的を持っていると思いますか? その脅迫は、健康についてのものではなく、むしろ教理的なものです。公会議の教会で権利を持つためには、第二バチカン公会議とノブス・オルド・ミサだけを受け入れるよう求められるでしょう。聖伝主義者は、「ワクチン反対派」と呼ばれる人々と同様に、狂信者の烙印を押されることになるでしょう。
ローマが世界のすべての教会で古代のミサを挙行することを禁止すれば、キリストの教会と公会議の教会という二人の主人に仕えるようなことができると信じていた人々は、彼ら以前の公会議の教父たちに起こったように、自分たちが欺かれていたことに気づくでしょう。その時点で、彼らは、避けることができると自分を欺いて信じていた選択をしなければならなくなります。それは、主に従うために不法な命令に背くか、さもなければ、天主の役務者としての義務を果たせないまま暴君の意志に頭を下げるかのどちらかを迫られるという選択です。自らの司祭職に忠実だったごく少数の兄弟の司祭――彼らが、詐欺と脅迫を予見していたという理由だけで、不従順あるいは融通の利かない者とされていた時――彼らを支援することを避けてきた者たちは、良心の糾明において、この選択のことを考えますように。
ここでの問題は、モンティーニ【パウロ六世】のミサを考案したファリザイ派的偽善を隠そうとして、祭服やグレゴリオ聖歌を使って、新しいミサを昔のミサのように「着飾らせる」ことではありません。第二奉献文(Prex eucharistica II)をやめたり、東を向いて(ad orientem)ミサを捧げたりすることでもありません。戦いは、トリエント・ミサにおける天主中心のビジョンと、第二バチカン公会議以後の偽のミサにおける人間中心のビジョンと間にある存在論的違いに関するものです。
これは、キリストとサタンの戦いにほかなりません。私たちの信仰の中心であり、天主なるご聖体の王が降り立ち給う玉座であり、汚れなき小羊のいけにえが血を流さない形で更新されるカルワリオである、ミサのための戦いなのです。ミサは、晩餐会でも、コンサートでも、奇抜さを誇示するためのショーでも、異端者のための説教壇でもありません。また、ミサは集会を開くための演壇でもありません。
それは戦いです。キリストに忠実な司祭たち、破門され離教者とみなされる司祭たちの地下活動において、霊的に強められる戦いです。他方では、それぞれの教会内では、改革された典礼とともに、不忠実、誤謬、偽善が勝利しています。そしてまた不在です。天主の不在、聖なる司祭の不在、善き忠実な霊魂の不在です。私がローマにおける聖ペトロの司教座の祝日の説教(こちら)で述べたように、椅子(カテドラ)と祭壇の間の一致の不在、つまり、牧者たちの神聖な権威と、キリストの模範に従って真っ先にゴルゴタに登り、群れのために自分を犠牲にする覚悟を持つという彼らの存在理由そのものの間の一致の不在です。自分の司祭職についてのこの神秘的なビジョンを拒否する者は誰でも、祭壇、犠牲、十字架だけから来る承認を得ることなしに、自分の権威を行使することに行き着くのです。
もしこういったことが、枢機卿会(Sacred College)と司教団の沈黙が目立つ中で、ベルゴリオが自分の圧倒的な力を主張するために望むことであるならば、ねがわくはベルゴリオが、主への愛と自分自身の霊魂の救いのために進んで戦おうと望んでいる多くの善き霊魂たちからの確固たる決定的な反対に直面することを知りますように。彼らは、教会と世界の運命にとって非常に恐ろしい瞬間において、反キリストが新世界秩序の指導者として現れるのを促進するかのように、永続する犠牲【聖伝のミサ】を取り消そうと望む人々に屈しないことを決意しているからです。
主が神殿での荒らす者【荒廃】のいとわしいものについて語られた福音の恐ろしい言葉(マテオ24章15節)の意味を、私たちはまもなく理解するでしょう。それは、ミサという宝が禁止され、祭壇がはぎ取られ、教会が閉鎖され、典礼の儀式が地下に潜るかのように追いやられるのを見るという、いとわしき恐怖です。これこそ荒らす者のいとわしいものです。つまり、使徒継承のミサ【聖伝のミサ】の終焉です。
304年1月21日、13歳のアグネスが殉教に至ったとき、信者や司祭の多くはディオクレティアヌスの迫害の下で信仰を棄てました。一人の少女が、処刑人の前での忠実と剛毅の模範として私たちに与えられたというのに、私たちは、公会議のセクトの排斥を恐れなければならないのでしょうか? 彼女の英雄的な忠実は、聖アンブロシウスと聖ダマススによって賞賛されました。私たちは、たとえふさわしくなくても、キリストに属していることを証しする試練に備えながら、将来、確実に教会の賞賛に値するようになれますように。
+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ
2023年1月21日
Sanctæ Agnetis Virginis et Martyris
童貞殉教者聖アグネスの祝日
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[1]フランス革命の3年前、ピストイアのシノドスは、第二バチカン公会議で見られるような近代主義の誤謬を大きく先取りした異端的教理をいくつか打ち立てた。それは、「敬虔な信心への嫌悪」「恩寵の教理と予定説が何世紀にもわたる誤って解釈されてきたため古代の純粋さに戻るべきだという主張」「典礼での俗語の採用および大きな声で唱える多くの祈りの採用」「脇祭壇や祭壇での聖遺物や花の使用の禁止、聖書にない聖人像の禁止」「信者が聖体拝領をしないミサの合法性についての遠回しの否定」「聖変化の定義における不適切な用語の使用」です。ピオ六世はこれらの誤謬にこう応えています。「ペトロの声が沈黙し、その椅子の中で永遠に生き続け、司式し、求める者に信仰の真理を提供するようなことが決してありませんように」(聖クリュソロゴス、エウティケスへの手紙)。
イタリア語版
https://www.stilumcuriae.com/il-filo-a-cui-e-appeso-il-concilio-mons-vigano