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聖霊来たり給え!聖ピオ十世会日本 聖伝のミサ(トリエント・ミサ、ラテン語ミサ)の報告 SSPX JAPAN Latin Traditional Mass

2019年06月08日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!聖霊来たり給え!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 大阪では明日、聖霊降臨の主日(6月9日)に午後6時からミサがあります。アジア管区長のサマース神父様が来日されます。

 東京での次のミサは、6月23日(主日)です。その時には二人の赤ちゃんたちが洗礼を受ける予定です。

 東京では、7月7日(主日)にも、別の二人の子供たちが幼児洗礼を受ける予定です。

 7月は、私たちの愛する姉妹の一人のお母さんの出産予定日もあります。多くのお祈りをお願い申し上げる次第です。子供たちが多くなり、ますますカトリック教会らしくなり幸福です。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【報告】【東京】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

御昇天後の主日のミサとご聖体降福式をありがとうございました。

御昇天されたイエズス様のこと、来たるべき聖霊降臨の大祝日への準備の祈りの大切さ、そしてマリア様にどれほど聖霊をいただくためのその秘訣を学ばなければならないか教えていただきました。

天に挙げられたマリア様のように、いつも心の中にある三位一体の住まう天の国にいつも心を挙げていることができるようになりたいと思いました。

ミサの中で歌われる聖歌ですが、複数の旋律の調べが調和して響きとても綺麗でした。

グレゴリオ聖歌をカトリック教会の中で歌うことを禁止されてしまって途方に暮れてしまいましたと話される方に、時折出会います。長き世紀に渡って世界中で同じ曲同じ歌詞で歌われているということは、とても素晴らしいことだと思います。単に音楽的趣味とか芸術の一分野として日本に紹介されるのではなくて、カトリック信仰が表現されている祈りの聖歌としてもっと多くの方が歌えるようになることは、とても大切なことだと感じました。

聖ピオ十世会の聖伝のミサの中では、グレゴリオ聖歌が歌われています。伝統的なミサが捧げ続けられるためにどうしても必要なグレゴリオ聖歌が、子供たちの世代にも信仰と一緒に受け継がれて行きますよう、カトリック教会では守られなければと思いました。

それから、今回は特にマーチフォーライフのスペイン語の動画を作成しました。
スペイン語圏の信者さんは、来日している外国人の方々も昨年たくさんマーチフォーライフに参加してくださいましたが、今年も友達と一緒にマーチフォーライフを歩きますといってくださいました。

おもえば昨年の六月には、小野田神父様の銀祝いのためにたくさんの方々と聖伝のミサにあずかることができました。

一年後の今年東京では、フランスやアジア管区の本部から神父様たちが来日してくださって、荘厳ミサが予定されているとのこと、とても楽しみに思います。今回は侍者の集いで神父様が、荘厳ミサにおける侍者の仕え方なども含めて熱心にいろいろな説明をしてくださっていたご様子でした。またたくさんの方々とその荘厳ミサに与れますようにとお祈りいたします。

三位一体は私たちのもとに住まいを築いてくださるので、祈りと愛によってその準備ができるようにと励ましてくださいました。聖霊に一度も「ノー」と言ったことがないマリア様に倣うことがその秘訣と教えていただきました。聖霊降臨の大祝日を大切にして少しでもふさわしくむかえるために、マリア様に取次ぎを願い、祈りによって霊的な準備をしたいと思います。神父様いつもありがとうございます。

聖マリアの汚れなき御心のうちに

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

このところ、フランス革命のことを扱う動画や発表を学ぶ機会がありました。

日本では、フランス革命というとベルサイユのばらという漫画で一躍有名になったマリーアントワネット王妃がまず思い浮かばれます。彼女も、彼女の夫のルイ16世も妹君も一緒に断頭台の露と消されたことを思います。

日本での一般的イメージは「フランス革命によって民衆に自由がもたらされた」というものですが、それは現実とは異なるものであるとわかりました。

カトリック教会が第二バチカン公会議によってこれまでのその教会のあり方を変更しなければならないと思ったほどの変革が現代の社会のなかに起こったのだとしたら、その源はフランス革命から始まって世界中に飛び火してしまった「革命」にあるのだと気づかされるようになりました。

世界における現代の社会には、フランス革命を端とする「革命」による変革の結果があちらこちらであらわれているのだと感じるようになりました。そして、カトリック教会でも、急激に変貌した世俗社会に合せるようにカトリック教会のあり方の変更しようとした流れがあるように思います。そういったことを思えば、「フランス革命とはいったい何だったか」を学ぶことには意味があるのだと、感じられるようになりました。

今の信仰という概念は、現実社会のなかでの動きだけにしか注目されていなくて、洗礼によっていただいたはずの超自然の命の芽生えが育つ成聖の聖寵があたえられないまま、現実の社会と妥協してしまった精神によって押し潰されて、しまうかのように思えてなりませんでした。聖伝のミサの中でこそ与えられるその成聖の聖寵が、無視されてしまっていることに気づいた時、恐ろしさを感じてしまいました。信仰生活の危機がそこにあるということに気づかされたからです。

創造主が造られたこの世界は、もともと創造主に栄光が帰されるような社会となるように望まれて造られたものに違いありません。そこに反撃と反抗を起したので、創造主(その代理者)による統治が認められない社会へと作り替えようとする動きがずっと続いているのでしょう。でも、カトリック信仰をいただいた信者は、創造主に栄光を帰するような生活(社会)をこの地上にいる時から望む者となります。

社会の変化に合せてその要理を変えていく信仰は、もう普遍(カトリック)ではなく、天主への反抗(プロテスタント)になってしまうのではないでしょうか。

現代社会の根底に潜んでいる「革命」という思考を導いてしまった思想についても詳しく学ぶ機会がありますことを感謝いたします。最初は信仰生活と関係があるかもわからなくておりましたが、どうしてカトリック教会がこのようになっているのかを理解するための大切な土台の一つであると感じはじめています。それというのも、これまでとは違う視点で社会の動きをとらえ直そうとしている思想がフランスから日本に紹介されようとしていることに気づいたからかもしれません。

毎週の動画の公教要理講座の他に哲学講座などもご紹介いただいているビルコック神父様も、7月に来日されるとのこと、とても楽しみに思います。

貴重な機会をいただいていますことを、感謝申し上げます。

至聖なるイエズスの聖心我らを憐れみ給え
聖マリアの汚れなき御心我らのために祈り給え
ファチマの聖母我らのために祈り給え

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