Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

愛するM君、セデヴァカンティズムの誤りの核心は、個人の考えで教皇を教皇でないと判断することにあります

2019年09月26日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛するM君、

 君が、数年前、セデヴァカンティズムのウェブ・サイトの長編論文を読んでいたとき私は直接、君と会って、或いは電話で、なぜセデヴァカンティズムが誤っているかを説明しました。

 セデヴァカンティズムの誤りの核心は、個人の考えで教皇を教皇でないと判断することにあります。

 君は、その時、セデヴァカンティズムの説明は長いが、私の説明は短いという理由で信じようとしませんでした。今度は「長々と且つ空しくセデヴァカンティズムの長編論駁」と言っています。

 君は、教皇が誤りを教えたことがないと間違って主張しました。そこで、証拠を出して、引用し、しかも猜疑心の強い君のためにインターネットのリンクも探しだして、君の間違いをしてきました。

 カトリック教会には、かつて異端を教えた教皇らがいましたが、彼らは教皇不可謬権を行使せずに誤りを教えました。

 第一バチカン公会議の教皇不可謬性の教義決定の時、これらが大きな問題になり、カトリック教会は教皇不可謬権の意味を正確に議論しています。

 これ対する、君の答えは、全く知性的でも誠実でもありませんでした。根拠もなく「無意識に虚偽に基づいた主張を組み立てている」という断言だけです。

 つまり、反論になっていません。自分の主張を繰り返すだけです。そして根拠もなく他人を誠実でないと取り扱っているだけです。

 聖母よ、M君を憐れみ給え!彼はその成すところを知らざるが故に!


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
知識は信仰ではない (P)
2019-10-07 20:29:15
ファティマもラ・サレットも聖母は人類の救霊の危機を平凡で小さな子供達に託しました。
聖ペトロも学識の薄い平凡な漁師でキリストを3回も否んだのにイエズス・キリストから天国の鍵を渡されました。

サタンが天主に反旗を翻し地獄に落とされたのは傲慢からです。
自分達より劣る人間を愛する天主を自分達の王では無いと認め無かった。
人間は知識を得て自分が賢い優れていると思った瞬間からサタンの誘惑が始まります。
そして地獄に引きずり込む為に様々な理由と言い訳を吹き込んで教会に行かない様に聖伝を攻撃する様に洗脳します。
信仰があれば天国に入る為には洗礼を授かり罪の償いを果たし臨終の時に聖性の状態にあるという非常にシンプルで単純明解な事であるのも知っているはずです。
そこには陰謀論も噂も教会法もメッセージも必要ありません。

知識が信仰を深めるのでは無く謙遜が信仰を高めるのじゃないでしょうか?
知識を得れば得るほど重くなった頭を垂れる謙遜こそが信仰なのではないでしょうか?

カトリック教会が非常に困難な時代ですが真理である聖伝に引き寄せられるのは当たり前の事で特別な事ではありません。
もし聖母やイエズス・キリストから特別のお恵みで招かれたのだとしたら、それはあなたがカトリック教会にとって特別な人間という事ではなく、特別なお恵みを必要としている霊魂だと思いませんか?

ああイエズスよ、我等の罪を赦し給え
我等を地獄の火より護り給え
また全ての霊魂、ことに天主の御憐れみを最も必要とする霊魂を天国に導き給え
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。