アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、2021年3月28日は枝の主日です。
「テレワーク」方式ではありますが、皆様にYouTubeで「枝の主日の説教」の動画をご紹介いたします。
この動画が気に入ったら、お友達にもご紹介くださいね。
天主様の祝福が豊にありますように!
トマス小野田圭志神父
アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、2021年3月28日は枝の主日です。
「テレワーク」方式ではありますが、皆様にYouTubeで「枝の主日の説教」の動画をご紹介いたします。
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天主様の祝福が豊にありますように!
トマス小野田圭志神父
神父様、主人と二人で枝の主日の御ミサに与るお恵みを頂きました。
ありがとうございました。
このコロナ禍で持病もあり、立場的にも恐れの為に行く事ができないでいたのですが、たった一度の聖伝の御ミサでたくさんの霊的なお恵みを頂いたことを感じています。
3回のヨゼフ様のノベナをこのためにもお捧げしておりましたので、主人がミサに行くと言ってくれたことには驚きだけでなく、ヨゼフ様の寛大なお取り次ぎの力に畏敬の気持ちを強くいたしました。
ますます聖ヨゼフ様が多くの信徒に讃えられますようにと願います。
あと、ミサに与る大人の方、親御さんやお子様を連れていらっしゃる方にお願いがあります。
枝の主日は東京は児童館をお借りして、でしたが、御ミサ中に小さいお子様だけで玄関外にいらしゃいました。どうぞお連れの方が付いていてあげて下さい。
昔、わたしの勤務した職場でも、目を離した短い時間に、お子様の行方が分からなくなるという事件がありました。
起きてからでは悔やんでも悔やみきれないことです。
子供は活発で言う通りにはならない、できないものですから、御ミサに与る事はもちろん大切ですが、他の方にご迷惑をかけないよう、子供を躾ける、御ミサは静寂を守る等のマナーを教え、時には会場外にご一緒に居て見守ることがよろしいのではないでしょうか?
放置なさるのは決して良くありませんし、危険です。
お子様も教えると必ず大きくなるにつけ、御ミサの意味が分かり親に習います。
また、児童館の2階に待機されている親子の方、下にいますととても足音が響いています。
さほど跳ねたり、走ったりしているわけではないからと思われるからでしょうか?一度注意をしても神聖なミサ中に足音が響いていました。
それも特にも聖変化中でしたので…。
コメントが長くなり、すみません。
私は頻繁に御ミサに与る事はできない環境ですが、特に東京の信徒の皆様にも以上の点いくつかお考えいただけたらと思いお願い致します。
おっしゃることはごもっともです。よく分かります。私もそう思います。ですが、お子さんを連れて来ている親御さんは、できる限りの努力をして御自身はミサに与り、お子さんたちのことも精一杯気にかけてはいても、限界がありますよね。イタリアでは、ミサ中でもご婦人方が周りのお子さんたちの相手をしているそうです。本当かどうか知りませんが、周りの人が小さなお子さんを連れてくる親御さんのサポートをすることは、とてもいいかなと思います。私も、そのようなお子さんたちがいたら、できる範囲で親御さんの支援をしないといけませんね。小さなお子さんは親御さんだけが面倒を見るのではなく、側にいる大人たちもできる範囲で面倒を見たらいいのでは。隣人を自分と同じように愛しなさい、というのがイエズス様の教えですから。
コメントに返信くださり、嬉しく思います。
わたしもヨハネさんのお考えのような支え合いがある事を望みます。
まわりの大人たちが、また年長の子供たちが、お互いに親や兄弟のようにサポートできたら本当にいいですね。
ますます人と人の繋がりが希薄にされつつある世の中ですが、わたしたちはミサを通してキリストに倣う小さな群れとなりますように願います。
子供を思いのままに躾けるのはとても難しいしとても疲れることだと思います。親御さんもお子様も聖なる御ミサに共に与れた方が霊的にも良いと思いますから、マリア様に祈りつつ、親御さんが気疲れしてしまったりそれによって来れなくなってしまったりしないよう、みんなで見守り助けましょう!(*^^)
大きな教会には泣き部屋があり、幼児と親御さんはそこでミサに与るようになっていますが、曙町会館には泣き部屋がありません。その代わりになるのが、じじばばネットワークだと思います(私もじじなので)。そういうものがないと、子連れで来る若夫婦は辛いですよね。若夫婦は自分たちで全部しなくてもよくて、周りのじじばばの助けを利用できるようにしたらいいのではないでしょうか。
october2020様の書き込みは、私たちが考えなければいけないことを教えてくれたと思います。感謝です。私も小さな息子、娘の二人を教会に一人で連れて行っていたときは、大変でした。泣き部屋があったので、助かりましたけど。
子供ってどうしたいか聞かれると『愛がないんだ』とか思い込んだり、つまりどうして欲しいかを親が言い表すことで親の愛を計ったり、結構ものの感じ方においては一人前なものです。
何はともあれ、お召しがあれば「必ず」自ら進んでごミサに預かりたいと望むようになると思います。そのためにご両親やお友達がご家庭に置いて本当に真剣に祈って宗教心や信仰心をいつも心から望んであげて欲しいと思います。(元子どもとして思う)。どんなふうに愛を伝えるかを親というのは常に子どもから実は試されていて、本当にかわいそうですね、親っていうのは大変ですね。
個人的にはギャ〜って騒ぐ子供と一緒にミサにずっと預かって来たので(何しろ今時ですので)、それでもいいです。(昔はそれはなかったそうですね)。
でも子供にとってちっとも有り難くないのであれ騒いでしまうのでしょう。当たり前と言えば当たり前かなって思います。
こんな事を言ってはなんですが、無資格の人に子供の面倒を見させる場合には行政が問題視することを考えた方がいいと思います。たぶん日本でも。例えこちらのごミサであっても。。。。。わたしの知る外国ではもうそんな感じです。緊迫した雰囲気があります。やはり身内か親が注意を向けて差し上げるしかないのでは?