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シスターアグネス笹川の後半生|秋田の聖母のご出現に対する迫害と十字架の生涯 なぜシスターが修道院を去らねばならなかったのか?

2024年08月31日 | お説教・霊的講話

シスター笹川の追悼ミサ(大阪)説教

トマス小野田圭志神父 2024年8月23日(金)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
私たちは、この前の聖母の被昇天の祝日に天に召されたシスターアグネス笹川の追悼ミサを行っています。

シスターアグネスは、秋田の湯沢台にある聖体奉仕会で、1973年の7月6日、8月3日、それから、10月13日の三回にわたって、木彫りの聖母像から、全人類に関わる重大なメッセージを受けました。今日はそのメッセージについて一緒に黙想いたしましょう。

黙想の前に・・・これが本当であるということを確認するかのように、木像の聖母像からは1975年1月4日から1981年9月15日まで101回の涙が流れました。この涙の現象は客観的事実として多くの人々が目撃しました。

湯沢台の聖体奉仕会の創立者であり、新潟司教区の教区長であったヨハネ伊藤庄治郎司教様自身も、涙をご覧になりました。また、わたしに洗礼を授けてくださった聖アンナ藤枝教会のヨゼフ・マリ・ジャック神父様も、ご覧になりました。藤枝の信者さんたちを連れて、秋田に巡礼に行った時、皆でその涙の現象を目撃しています。

秋田の聖母に関する出来事については、シスター笹川のことを個人的によく知っていた伊藤司教様、つまり、これを公式に調査した伊藤司教さまが、当時の新潟教区長として1984年4月22日に、司教書簡をもって、秋田の聖母に関する超自然的な性格を確認しました。そして、秋田の聖母に巡礼を行うこと、また秋田の聖母を公(おおや)けに崇敬することを認可しました。

【秋田の聖母の出来事】
言ってみると、秋田の聖母の出来事というのは、ちょうどグァダルーペのマリアさまと比較できるかもしれません。1531年にグァダルーペの聖母が、アステカ文化を受けて育ったファン・ディエゴに御出現なさって、ご自分が天主の御母であることまた私たちの霊的な母であるということをお示しになったように、同じく日本でも1973年マリアさまは、日本人のアグネス笹川を通して、ご自分が天主の御母であり私たちの母であり特にイエズス・キリストとともにわたしたちの罪を贖う者、共贖者であるということを示されました。

ちょうどグァダルーペのマリアさまが、ファン・ディエゴの着ていたみすぼらしいティルマという服にご自分のお姿を写されたように、秋田のマリアさまも木彫りの像を通してご自分のメッセージをわたしたちに与えようとお望みになりました。

【メッセージの内容】
では、メッセージはどんな内容だったのでしょうか? すこし黙想いたしましょう。

〔聖母マリア様からの最初のお告げ〕
1973年7月6日の最初のメッセージでは、マリアさまはご自分が愛する母であるとして、母として、シスターに語りかけます。そして三回のメッセージの時につねにマリアさまは、母として、シスターに語りかけます。

「わたしの娘よ、わたしの修練女よ。」
と呼びかけて、
「ここの一人一人が、わたしのかけがえのない娘です。」
と、おっしゃいます。
そして、優しい母として、シスターの寛大さを高く評価して労(いた)わります。そして慰めて励まします。
「すべてを捨てて、よく従ってくれました。
耳の不自由は苦しいですか。
きっと治りますよ。
忍耐してください。
最後の試練ですよ。
手の傷は痛みますか。」

何と優しいお母様でしょう。
でも、マリア様はさらにシスターに、「償い」のために祈るようにと求めます。
「人々の償いのために祈ってください。
…聖体奉仕会の祈りを心して祈っていますか。
さあ、一緒に唱えましょう。」

こういって、伊藤司教様の作った聖体奉仕会の祈りを、シスターと一緒にマリアさまは唱えます。その時にマリアさまは、司教様の祈りに少し訂正の言葉をいい付け加えます。

どうやって祈ったかというと、
「御聖体のうちに"まことに"にましますイエズスの聖心(みこころ)よ、一瞬の休みもなく、全世界の祭壇の上にいけにえとなられ、御父を賛美し、み国の来たらんことをこいねがう至聖なる聖心(みこころ)に心を合わせ、わが身も心も全くおんみに捧げ奉(たてまつ)る。願わくは、わがこのつたなき捧げを受けとり、御父の光栄と霊魂の救いのために、聖旨(みむね)のままに使用し給わんことをこいねがい奉る。幸いなる御母よ、おんみの御子より引き離すを許し給わざれ。おんみのものとして守り給え。アーメン」。

このお祈りを一緒に唱えた後、マリアさまは特に「教皇さま、司教さま、司祭たちのために」たくさん祈るように求めます。なんとおっしゃったかというと、こうです。

「教皇、司教、司祭のためにたくさん祈ってください。あなたは、洗礼を受けてから今日まで、教皇、司教、司祭のために祈りを忘れないで、よく唱えてくれましたね。これからもたくさん、たくさん唱えてください。」

〔聖母マリア様からの第2のお告げ〕
一か月の後、8月3日初金曜日、マリアさまは第二のお告げを与えます。やはり母として、シスター笹川に「全てをつくして主を愛しているか」という第一の最大の掟を思いださせます。そしてもしも主を愛しているのならば、マリアさまの言葉を聞くようにと命じます。

「わたしの娘よ、わたしの修練女よ。
主を愛し奉っていますか。
主をお愛しするなら、わたしの話を聞きなさい。」

それから、ご自分がいまから重大なメッセージを伝えるといいながら、こうおっしゃいます。
「これは大事なことです。そしてあなたの長上に告げなさい。世の多くの人々は、主を悲しませております。わたしは主を慰める者を望んでおります。天の御父のお怒りをやわらげるために、罪びとや忘恩者に代わって苦しみ、貧しさをもってこれを償う霊魂を、御子とともに望んでおります。」

さらに、御父がこの世に対して怒り給うていることに、言及されます。
でもマリアさまは「御子とともに、何度も何度も御父の怒りを和らげるように努めてきました。そして十字架の苦しみ また御血を御父に示して、御父をお慰めする霊魂たち、至愛なる霊魂、その犠牲者となる集まりをささげてきた・・・」とおっしゃいます。そして「何とか怒りを引き止めようとされてきた」とおっしゃいます。そしてマリアさまはこう締めくくります。

「祈り、苦行、貧しさ、勇気ある犠牲的行為は、御父のお怒りをやわらげることができます。あなたの会にも、わたしはそれを望んでおります。貧しさを尊び、貧しさの中にあって、多くの人々の忘恩、侮辱の償いのために、改心して祈ってください。」などなど。

そして
「熱心をもってひたすらに聖主(みあるじ)をお慰めするために祈ってください」。

〔聖母マリア様からの第3のお告げ〕
10月13日、ファチマの最後の御出現の日に、太陽の奇跡の記念日にはマリアさまは最後のメッセージを与えます。「愛するわたしの娘よ、これからわたしの話すことをよく聞きなさい。そして、あなたの長上に告げなさい。」

そしてマリアさまはなんとおっしゃたかというと、
「もしも人々が悔い改めないなら、御父は、全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。そのとき御父は、大洪水よりも重い、いままでにない罰を下されるに違いありません。火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう。よい人も悪い人と共に、司祭も信者とともに死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。」

しかしマリアさまはわたしたちに武器があることを教えてくれます。
「その時あなたたちに残る武器は、ロザリオと、御子の残された印だけです。
毎日ロザリオの祈りを唱えてください。
ロザリオの祈りをもって、司教、司祭のために祈ってください。」

マリアさまは教会の中に混乱があることを、信仰の危機が起こることを、お話しになります。
「悪魔の働きが、教会の中にまで入り込み、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するでしょう。わたしを敬う司祭は、同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。祭壇や教会が荒らされて、教会は妥協する者でいっぱいになり、悪魔の誘惑によって、多くの司祭、修道者がやめるでしょう。特に悪魔は、御父に捧げられた霊魂に働きかけております。たくさんの霊魂が失われることがわたしの悲しみです。これ以上罪が続くなら、もはや罪のゆるしはなくなるでしょう。」

最後にこうも言います。
「…… ロザリオの祈りをたくさん唱えてください。迫っている災難から助けることができるのは、わたしだけです。わたしに寄りすがる者は、助けられるでしょう」

マリアさまのこの最後の訴えを、わたしたちはよく心に留めることにいたしましょう。

【迫害】
では、皆さんは、こう疑問に思われるかもしれません。マリアさまのメッセージは伊藤司教さまによって認められた。では、なぜ、シスター笹川は、秋田の修道院ではなくて、熊本で亡くなられたのでしょうか? なぜ修道院に留まることができなかったのでしょうか?

はい、確かにヨハネ伊藤庄治郎司教 (1928-2005)様 は、1984年に秋田の聖母を司教書簡によって公式に公認しました。しかしその一年後に、1985年3月9日には、フランシスコ佐藤敬一司教様が新潟の教区長に任命されます。ところがこの佐藤司教様は、聖体奉仕会が教区の信心会としてのピア・ウニオという一団体ではなく、教皇権を持ったもっと位の高い格の高い修道会として認可されるということを望んだようです。

そこで1987年3月17日、佐藤司教様はまず、安田神父様の聖体奉仕会での指導司祭としての任を解きます。そして、修道院からでていくように書簡で命令します。安田神父様は修道会を指導してきた方で、そして秋田のマリアさまの出来事を非常に深く信じてそして支持してサポートしてきた方ですが、1か月後、秋田の湯沢台を発って、静岡県の浜松にある聖霊修道女会の修道院に引っ越しされます。

またその後、1998年8月22日には、佐藤司教様は、聖体奉仕会にやって来て、シスター笹川に聖体奉仕会の修道院から出て行って別のところに住むように、命令されます。なぜかというと、佐藤司教様の説明によれば、秋田の聖体奉仕会が教皇権の修道会に格上げされるためには御出現と一体化してはいけない、と思われたようだからです。ですから、まず安田神父様の「秋田の聖母」の本の出版や販売を禁じます。そして、マリアさまの涙を拭きとった脱脂綿も、焼き捨てるように処分するように指示されたとのことです【幸いに、涙を拭きとった脱脂綿はいまでも聖体奉仕会に保存されています。2005年1月6日、佐藤司教様は、手術の際に医者が体内に置き忘れた脱脂綿が化膿して亡くなりになったと伺っています】。

そして秋田の聖体奉仕会では、マリアさまの御出現についてあまり話をしないように、とされました。ですから、それまでは秋田の聖体奉仕会のシスターたちは、マリアさまの涙のビデオを皆に見せたりとか、あるいはメッセージの話もしたりとかしていたのですけれども、それらについては語ろうとしなくなり、そして、世界中からの巡礼者を歓迎することも控えるようになっていきました。

新しい教区長の佐藤司教様が、聖体奉仕会からシスター笹川に出ていくようにといわれたその直後に その同じ日のその直後に、偶然、ある宮城県の角田市にあるカトリックの老人ホームの施設を運営していた方が、シスターにたまたま電話を掛けたのです。そこから、こういう話があった…ここを出なければならないという話があって、シスター笹川は、宮城県のこの老人施設に引っ越すことになりました。そして、司教様がここを出て行くようにと命じられた一か月後、9月15日に聖体奉仕会を去って、こちらに引っ越します。

その時に、シスターは一人ではなくて、一緒にいたシスター杉岡も一緒に移り住みました。このシスター杉岡は、私たちのこの大阪の聖堂で熱心に通っておられた吉崎さんのお姉さんです。ですからわたしたちは秋田のシスター笹川とはとても深い縁があります。

また司教様の指導によって、一部のシスターたちは安田神父様の本を処分して、秋田では販売しないようになりました。

2002年には、シスターアグネスは、その老人施設から、千葉の八街市にある甥っ子さんの家に引っ越しされました。そして、シスター杉岡たちも一緒に引っ越しされました。
【笹川シスターは佐藤司教様より、あなたは親、兄妹の所に住んではいけないと言われて、その命令を守るため、カトリック信者の、親戚を頼って八街に来ました。八街の親戚の家には、杉岡シスターのと共同生活をするために家を探しているわずかな期間だけ(3ヶ月位)親戚の家に身を寄せていました。共同生活をしていましたが指導司祭が亡くなり聖体奉仕会の命を受けて熊本の会員の元に行きました。】

その後いろいろな話はありますが【2013年11月22日、安田神父様が97歳で亡くなり】、シスターアグネスは2014年5月に熊本に引っ越しされました。いろいろな天主の御摂理によって シスターは修道会を出ざるを得なくなりまして、十字架の苦しい生活を続けなければなりませんでした。これについては、また後に、機会があればお話しをしたいと思います。

【天主の御旨】
ではいったい、これはいったいなぜマリアさまは、「迫っている災難から助けることができるのはわたしだけです」とおっしゃったのでしょうか。

なにか「わたしだけです」というのは、マリアさまが傲慢になっているんじゃないか、と誤解するかもしれません。

そうではなくて、‟迫っている災難から助けることができるのはマリアさまだけ”というのは、これは‟天主三位一体が、その聖なるみ旨によって、聖母だけが迫っている災難から助けるお恵みを分配することができるように、お望みになられている”からです。これは、マリアさまが傲慢なのでなくて、三位一体がそう望んでいるからです。

ですから、マリアさまは、わたしたちにそのことを教えてくださっているのです。

なぜかというと、三位一体は、マリアさまを通してわたしたちにイエズス・キリストを与えようとお望みになりました。マリアさまはキリストの神秘体である頭(かしら)をわたしたちに与えた方です。そして、わたしたちはその頭につながる体です。聖ベルナルドは、マリアさまはキリストと私たちをつなぐ首であると言っています。つまり、もしもイエズス様からのお恵みがわたしたちのところに来るならば、必ず首を通してでなければ、わたしたちのもとには来ない、マリアさまを通してでなければ、イエズス・キリストはわたしたちに与えられなかった、だから、今後も、どのようなお恵みも、イエズス・キリストのお恵みであれば、マリアさまを通すのでなければ与えられない。

ステラの福者イサアクという人は、キリストは教会なしに罪を赦すことはない、といっています。なぜかというと、キリストは教会を通して告解の秘跡あるいは洗礼の秘跡を与えるからです。同じように、聖母は天主なしに聖寵を分配することがないけれども、しかし、天主はマリアさま無しに聖寵をお恵みを分配することは欲していないということができる、といいます。

ですから教会のすべての教えは、「マリアさまはすべてのお恵みを、わたしたちに、イエズス・キリストから与える」「マリアさまを通して、与えられる」とおっしゃっています。

ですから、コルベ神父様がおっしゃることは、まさにそのとおりです――「天主は、あわれみの全秩序を御身に委ねることを望まれた」と。そして「聖母の御手を通して、イエズスの至聖なる聖心からすべての聖寵はわたしたちのもとにたどりつく」――そのとおりです。

マリアさまだけがわたしたちを救うことができます。これこそが天主のお望みです。このことを、秋田の聖母は、わたしたちに最後のメッセージで伝えてくださいました。

シスター笹川の帰天を機会に、わたしたちは秋田のマリアさまのメッセージを、心して黙想することにいたしましょう。

そしてシスター笹川のように犠牲の霊魂となることは難しいかもしれませんが、しかし、わたしたちのできるかぎり、マリアさまの御憐れみとお恵みの取次によって、わたしたちも日々の祈り・犠牲・生活を、世の人々の回心のためにお捧げいたしましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。



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