2020年8月23日(主日)聖霊降臨後第12主日
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父(大阪)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆さん、今日、福音でイエズス様は、エルサレムからイエリコに下ろうとする人が、その道の途中盗賊に襲われて、半死半生になったという例え話をされました。
このエルサレムというのは、平和の町、平和の投影(ヴィジョン)という意味で、聖アウグスティヌスによると、「イエルザレムからイエリコにくだろうとするある人」というのは、天主の幸せの状態(イエルサレム)から落ちてしまった人類を意味している、と言います。この人は「くだろうとする」のであって、人間はますます堕落しつつある、という事を意味している、と指摘しています。
このエルサレムからイエリコへと、下の方に下がって行った様子がまさに、21世紀の私たちであるかのようです。
そしてエキュメニズムとか、あるいは共産主義、あるいは不信仰、あるいは疑いなど、私たちの信仰の土台をゆるがせにするような毒に、あるいは悪魔からの攻撃によって倒れて、半死半生になってしまって、そして聖なるもの、御聖体に対する信心、聖母に対する深い信心、不可謬の不変の信仰を求めているにも関わらず与えられない。
それら美しい今まで与えられていたものが全て奪われてしまっている、そして息絶え絶えに、傷だらけになって、助けを求める。
しかし司祭も、教会に働く人たちは、それを、傷付いている信仰を求めているにも関わらずそれが与えられずに、飢えているにも関わらずそれが満たされない。
イエズス様への愛に渇いているにも関わらず水が与えられない霊魂を見て、素知らぬ、見ないかのように通ってしまっているかのようです。
そしてそれを見て、他の方々も、「従順だ」という名前で、「しばらくすれば、教会は良くなる」とか、「きっとこれは一時的なものだ。ちょっと待てば良い」等と、おそらく考えたのか、言ったのか。教会は、ますます悪くなるばかり。
そして霊魂たちはますます傷付いて、信仰を失って、霊的に死なんとするばかりでした、世界中で。
しかし天主様は、良きサマリア人であるイエズス様は、この時に、別の良きサマリア人を、フランスの大司教、ルフェーブル大司教を送って下さって下さいました。
そして自分の義務ではなかったにも関わらず、これを、このような霊魂たちを世話するように、「聖伝」のブドウ酒と、「カトリックの聖伝の信仰」の油とを聖化し、そして神学校を建て、修道院を創り、教会を造り、そしてその司祭たちには、「お前たちは、この霊魂たちの世話をするように」と命じられました。聖ピオ十世会を立てられました。教会によって認可されて、聖ピオ十世会と。
そしてそのおかげで、私たちは、霊的に、「助かった!あぁ、何と良きサマリア人が与えられた事か」と、感謝しています。
そして今日、皆さんに第二特別献金をお願いするのは、まさにこの良きサマリア人のルフェーブル大司教様の業が続けられて、多くの聖なる司祭が誕生して、そして世界中に派遣されて、霊的に苦しむ、困っている私たちを助ける司祭が、聖なる司祭がますます与えられるように、という寛大なご理解を皆様に感謝致します。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。