Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

ベルナール・フェレー司教とのインタビュー(第2部)。聖ピオ十世会、ミサ、「トラディティオーニス・クストーデス」について

2022年03月14日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

ベルナール・フェレー司教とのインタビュー(第2部)。聖ピオ十世会、ミサ、「トラディティオーニス・クストーデス」について

Interview with Bishop Bernard Fellay on SSPX, the Mass, Traditionis Custodes - Part 2

2022年2月21日 FSSPX.NEWS

インタビューの第1部では、聖ピオ十世会の総長の職を24年間務めたベルナルド・フェレー司教が、ルイス・ロマン氏の質問に答えています。インタビューの第1部は、こちらでご覧いただけます

ルイス・ロマン氏は、YouTubeやすべてのポッドキャストプラットフォームで、二つの番組のプロデューサー兼ホストを務めています。彼の番組では、福音を伝え、カトリック信仰の美しさと豊かさを、時事ニュースの分析、インタビューなどを交えて掘り下げています。

この翻訳とインタビュー映像のテキストには、編集上の調整が加えられていますが、会話のスタイルは全体的に維持されています。

【ロマン氏】インタビューの第2部では、もう少し典礼に焦点を当てていきます。聖ピオ十世会がなぜ新しいミサを捧げないのか、その理由を説明します。多くの人にとって、新しいミサがあると聞くのは、つまずきです。今日は、そのことについても詳しくお話しします。厳密に言えば、なぜ二つのミサがあるのでしょうか? なぜ聖ピオ十世会は、新しいミサを捧げないのでしょうか? パウロ六世が公布した新しい典礼の問題点は何でしょうか?

さらに、「スンモールム・ポンティフィクム」(Summorum Pontificum)について、また、改革後に置かれてきた、あらゆる種類の禁止事項から、聖伝のミサがどれほど完全に解放されているか、そして、これらの対話に聖ピオ十世会がどのように関与したかを話します。そして、「トラディティオーニス・クストーデス」(Traditionis Custodes)と、聖伝のミサに対する教皇フランシスコの実際の立場がどんなものかについて話します。

聖ピオ十世会は教皇と司教を認めているのか?

【ロマン氏】聖ピオ十世会の皆さんは、今の教皇を認めていらっしゃいますか、教皇フランシスコを認めていらっしゃいますか、それとも教皇座空位論者なのでしょうか?

【フェレー司教】いいえ、教皇座空位論者では絶対にありません。私たちは教皇と地元の司教を認め、また、教皇フランシスコと「una cum」【典文の「共に」】、私たちが捧げるすべてのミサで認めています。その前は、教皇ベネディクト十六世と、さらにその前は、教皇ヨハネ・パウロ二世と…。私たちは教皇の名前を唱え、彼を教皇として認め、また地元の司教をも認めています。

【ロマン氏】地元の司教ですか? 素晴らしい。すごい。アタナシウス・シュナイダー司教とお話ししたとき、私が知らないことをたくさん教えてくださったのを覚えています。彼は聖ピオ十世会についてたくさん語ってくださいました。彼らは現在の危機の現実を認識しているが、教会に忠実である、ということを。素晴らしい。

【フェレー司教】そうです。そして、可能な場合は、もちろん、地元の司教と協力します。なぜいけないのでしょうか? 今、例えば結婚の問題については、私たちは必ずしもそうするのが好きだったわけではありませんでしたが、そのために地元の司教と、さらに緊密な連絡を取らざるを得なくなっています。約90~95%のケースでうまくいっています。

【ロマン氏】それはすごいことです。

【フェレー司教】改善されました。司教の方々は、私たちのことを知るようになり、私たちも司教の方々を知るようになり、うまくいっています。完全にではありませんが、うまくいっています。私にとっては進歩です。

聖ピオ十世会で主日の義務を果たすことはできるか

【ロマン氏】何と素晴らしいことでしょうか。素晴らしいです。司教様にお尋ねします。聖ピオ十世会のチャペルに毎週来ていないカトリック教徒は、たとえば、他の国から来ているとか…あるいは、その人が違ったところでミサに与りたい、と言う場合…その人は、聖ピオ十世会のいずれかのチャペルで、主日の義務を果たすことができますか?

【フェレー司教】(ほほ笑み)私にとって答えは明らかです。

【ロマン氏】(笑い)ええ、分かっています。でも、お尋ねしたいのです。彼らがそれを望んでいますから。

【フェレー司教】はい、はい、もちろんです。その点を証明することができます。教皇様が聖ピオ十世会に告解を聞く権利を与えてくださるのなら、同時に「彼らは正規ではない」「彼らはイレギュラーである」と言うとは想像できないでしょう。非正規の(イレギュラーの)人が、それと同時に告解を聞くことはできません。

告解を聞く権利を与えるということは、今や、天主はご存知です、これらの不正規性に関する問題が解決されたことを示しています。ですから、告解を聞くことができれば、同時にミサを捧げ、ご聖体を与えることができるのです。全部一緒なのです。

さらに、これは笑いをさそうことですが、結婚についての委任(delegation)が明確に言っているのは、聖ピオ十世会の結婚である以上、結婚を祝福する司祭は聖ピオ十世会の司祭であるということです。たとえ教区の小教区教会で結婚式が行われたとしても、それを祝福する司祭は聖ピオ十世会の司祭なのです。もし私たちが非正規だったとしたら、結婚式が禁止されていたとしたら、どうして同時に、私たちがそれらの結婚を祝福すると言えるのでしょうか?

これらは、法的なレベルでは十分に明確とはいえないデリケートな問題なのです。そうです。なぜでしょうか? なぜかというと、私たちは、多くの問題を抱えた非常に深刻な状況にあり、その問題に、教会の非常に深遠な意向、善を見据えた教会の意向を見るからです。善とは何でしょうか? 霊魂の救いです。

教皇フランシスコは、謁見の際、私に、告解を聞くための特権を与えると言われたとき、教皇は2度、3度、「霊魂の救いのためです」と言われました。霊魂の救いという、それ以上の主張はありません。教皇はそう主張しておられます。

教皇はまた、「私はそれを永久に与えます」とも言っておられました(笑)。教皇は、これを何度も言っておられました。公式のテキストとは一致しませんが、教皇の意向をよく表しています。

【ロマン氏】そうですね。教皇のために、たくさん祈らなければなりません。私はみんなに、教皇のために、たくさん祈らなければいけないと言っています。

【フェレー司教】何かがうまくいくたびに、そのことから教会全体がその恩恵を受けるのです。教皇のために祈るのは、とても大切なことです。怒ることはできますが、いつまでも怒っていてはいけません。前に進まなければなりません。聖パウロは、「善をもって悪に打ち勝て」と言っています。

「聖ピオ十世会は古いミサを好む」

【ロマン氏】アーメン、アーメン(その通りです)。司教様、私は人々から質問を受けますから、今お聞きしたいことがあります。これまでお話ししてきた中で、典礼の話がまだでした。

こんなことを言う人々について、聖ピオ十世会の皆さんは何と言われますか。「ああ、そうですか。聖ピオ十世会は(間違った言い方で)古いミサを好むのですね」と。聖伝のミサ、あるいは、カトリックのミサ、全時代のミサと言ってもいいでしょう。私の質問は、なぜ皆さんは、新しいミサを捧げないのか、ということです。

【フェレー司教】ピンからキリまでとでも言いましょうか、さまざまな答えがあります。最も深淵なものではありませんが、誰もが理解できる非常に簡単な答えは、私が大統領を迎えようとするとき、黄金のトランペット、あるいは二流、三流のトランペットが使えるとしたら、三流のトランペットを使うことは大統領に失礼に当たるでしょう。最高のものを使わなければなりません。

さて、ミサの典礼は、天主に栄光を捧げるための最も貴重なものです。最高のものを使わなければならないのです! 劣るものを使うのは失礼です。この議論は最も深いものではありませんが、誰にでも理解できるものです。

もっと真剣な答えはこうです。彼らがこの新しいミサを作ったとき、作った人はブニーニ大司教でした。そしてブニーニは公に、こう発言しました(1964年の「オッセルバトーレ・ロマーノ」(L'Osservatore Romano)に掲載されました)。「祈りは、あらゆる人の障害物になってはならない」。

したがって、当然、その結果はどうなるのでしょうか? 「私たちは、分かれた兄弟にとって障害物となる疑いのあるものをすべて、ミサから取り除きます」です。したがって、典型的にカトリック的なもの、つまりプロテスタントが拒否するものをすべてミサから取り除くと、彼は非常に明確に述べたのです。

それが彼のしたことです。新しいミサはミサであること、有効であるためには十分ですが、あまりカトリック的ではありません。彼らは、カトリック的なものを取り除いたのです。プロテスタントは、ミサの中の三つか四つの教義を否定したということを知っておいてください。その教義を取り除くことは、非常に深刻なことです。それは人々を見捨て、信仰を失う方向へ人々を押しやることになります。

今、多くのそんな人がいます。本当に多くの人が、御聖体における「真の現存」を信じていません。なぜでしょうか? なぜなら、このミサにおける振る舞い方は、私たちの主にふさわしい敬意を払っていないからです。最終的には、信仰を失うのです! 私には分かりませんが、いったいどれだけ多くの司祭が、「真の現存」への信仰を失ったことでしょうか!

私は覚えていますが、約3年前にドイツのトリーア教区で、80%のカトリック司祭が、もう「真の現存」を信じていないことが調査で明らかになりました。ベルギーのある教区では、ある司祭が、教区全体で「真の現存」を信じている司祭は3人だと私たちに言いました。

一般的に言えば、もっと信じている人がいると思っています。しかし、これは深刻なこと、非常に深刻なことです。また、宗教をエキュメニカルに考えると、それぞれの人が、プロテスタント信者として、聖公会信者として救われる、と考えることができるのは、まったく明らかです。違います! そんなことはありません。

このミサで導入されたこれらの信じ込みは、すべて非常に微妙なものです。それは省略によって罪を犯しているのです。【異端】思想が明確に述べられているわけではありません。肯定的・断言的に述べられているわけでもありません。読んでみれば、書かれていないと思うでしょう。そうです、ないのです。つまり【正統信仰が】省かれているのです。存在しないことにしているのです。

最も重要な要素は、まず犠牲の概念、次に司祭を思い起こさせるもの、カトリックの司祭、ミサを唱える司祭が絶対に必要であること、その次に「真の現存」です。これらは、主要なポイントと呼べるものです。それから4番目に言えるのは、ミサは十字架上の私たちの主の犠牲と同一であるという教義です。

これらの現実は陰に隠れていて、日光の中では今は見ることができません。ミサとは何かと人々に尋ねると、パーティーだ、宴会だ、などと答えるでしょう。しかし、誰がカルワリオだと言うのでしょう。私のために死んでくださる私たちの主をそこに目の前にしているのに。それは忘れ去られているのです。だから、こういう理由で、私たちは新しいミサを捧げないのです。

【ロマン氏】ありがとうございます。いいえ、司教様、私はここ(フロリダ)の聖ピオ十世会の司祭の一人に、私は新しいミサの環境で生まれたと話しました。私は新しいミサの侍者もしていました。司教様が言われるように、新しいミサにおいて省かれているものは深刻ですね。少なくとも、私が幼い頃は、まだ少しは敬意がありました。私たちの主を、舌の上で受けたのです。

今、祭壇では、平信徒が祭服をつけずに、手で主を受けていますね。同じノブス・オルド、新しいミサでも、その弊害を目にすることができるほどです。最初に行われた重大な害は、怪物へと変わっています。今、パンデミック以来私たちが経験している困難を経て、さらに悪化しています。

【フェレー司教】そうです。新しいミサが導入されたとき、プロテスタントの人々が貢献したことはご存じでしょう。それは信じられないことです。新しいミサに協力した6人のプロテスタントの牧師がいました。そのうちの一人、マックス・テュリアンは、「これでプロテスタントもローマ・ミサ典礼書でプロテスタントの礼拝を行うことができる。神学的に可能だ」と言いました。

つまり、このミサは、プロテスタントの神学に一致しているということです。もう一人、メッツ(Metz)という人は、「今、ミサでは犠牲の概念が反映されないため、プロテスタントは安心することができる!」と言っています。明らかではないでしょうか?

【ロマン氏】悲しいことです。私は時々、彼ら(新しいミサの創作者)を好意的に解釈して、彼らの意向は、より多くの人々をカトリックに導くことだと信じることがあります。しかし、違います。いったい何年、50~60年も、私たちは新しいミサが引き起こした惨状を目の当たりにしてきたことでしょうか?

【フェレー司教】教会は空っぽになりました。

「スンモールム・ポンティフィクム」の影響

【ロマン氏】そして、カトリック信者は、教会を捨てたのです。それが一番の損害です。長くなってしまったので、そろそろ終わりにしたいと思います。しかし、教皇ベネディクト十六世と「スンモールム・ポンティフィクム」、そしてそれがもたらした影響について少し話をするまでは、終わりたくありません。

私は、「スンモールム・ポンティフィクム」の影響を見ました。「スンモールム・ポンティフィクム」のおかげで、私たちは聖伝のミサを知ることができました。聖ペトロ兄弟会は大きく成長しました。しかし、私は司教様のご意見をお聞きしたかったのです。人々は知らないかもしれませんが、「スンモールム・ポンティフィクム」は、司教様が教皇ベネディクト十六世と交わした多くの会話の結果であることを私は知っています。聖ピオ十世会が教会のためにした良いこと、そのことについて少しお話しいただけますか?

【フェレー司教】私は、一緒に作用した二つのことがあると考えています。一方では、私たちの要請です。私たちはこのテキストを要求しました。私たちは、すべての司祭が聖伝のミサを唱えることができるようにとお願いしました。

1982年に教皇庁で、枢機卿たちの間で議論があったことを、私たちは伝聞ではなく確実に知っています。この会議の結果、枢機卿たちは、「私たちは、典礼的にも神学的にも、(聖伝の)ミサが廃止されたと言うための論拠がない」と言ったのです。

1982年、これらの枢機卿たちは、聖伝のミサが廃止されていないことを知っていました。聖伝のミサは廃止されておらず、神学的にも教会法的にも、そのように言う論拠はないのです。さて、それが基礎となります。それを踏まえて、私たちは(ベネディクト十六世に)要望を出しました。

他方で、教皇ベネディクト十六世は教皇になる前、著書や論文で、典礼改革は教会の荒廃の原因の一つであったと言うほど、典礼改革を嘆いておられました。そこで、教皇になると、是正を図ろうと望んだのです。

それは改革の改革と呼ばれましたが、もっと深く見ていくと、「エクレジア・デイ」(Ecclesia Dei)の2011年4月30日付の公式覚書(ノート)に書いてあるのが分かります。このノートは、この自発教令について解説をしているものです。このノートはほとんど知られていませんが、一読の価値があります。

なぜでしょうか? なぜなら、ここでは教皇の自発教令は普遍的な法であると言われているからです。それは聖ピオ十世会のようなグループだけを考えているのではなく、いや、すべての人のため、すべてのカトリック教徒のためなのです。公布者である教皇の意向は、聖伝のミサ、聖伝の典礼にあずかることを、すべてのカトリック教徒に与えることです。「すべての」です。

したがって、ミサだけでなく、すべての聖伝の礼拝との接触をすべての人に再確立しようという教皇ベネディクト十六世の意向があるのです。

その後、このノートは、ミサ典礼書についてだけでなく、すべての司祭はミサ典礼書だけでなく、聖務日課書も使う自由があると語っていることに注目すべきです。司祭は聖務日課書を問題なく使うことができます。司祭は問題なく儀式書を使うことができます。司教は司教儀式書を使うことができます。

ただ、教区の神学校では、叙階式に司教儀式書を使ってはいけないという制約があります。制約はこれだけです。それ以外のものは、すべて司教が使用できます。ノートは、「司教儀式書」(Ceremoniale Episcoporum)というほとんど知られていない書物にも言及しています。

しかし、その典礼の書物のすべてが、文字通り、言及されているのです。教会のすべての人が、そのレベルに応じて、この典礼を利用することができるのです。つまり、「これは過去を嘆き悲しむ人々のためのものだ」というだけではないのです。いやいや、もっと深い意向があるのです。

教皇ベネディクト十六世は、典礼改革が引き起こした災難を目の当たりにし、その償いをしたいと望み、(聖伝の典礼が)戻ってくることを望んでいるのです。彼は、千年以上にわたって教会を聖化してきたこれらの儀式によって、戻るための道を示したいと望んでいるのです。

それは、信仰を高め、霊魂を養い、勇気と聖徳を与え、完全に狂ってしまったこの世界で前進する力を与えてくれる、確かな聖化の手段です。このことは非常に明確です。私にとって、教皇ベネディクト十六世の意向は最も明確なものです。

彼は司教たちのこと、結果のことを考えたのでしょう。ですから問題のある言葉を少し変えました。しかし、その意向は非常に明確です。この覚書(ノート)は本当に読まなければなりません。

教皇フランシスコは「トラディティオーニス・クストーデス」で何を求めているのか?

【ロマン氏】素晴らしい。そうですね。私も読みましたが、とても良い内容です。「スンモールム・ポンティフィクム」は、それを必要としていた教会にとって、新鮮な空気のようなものでした。さて、最近、教皇フランシスコは、「トラディティオーニス・クストーデス」(Traditionis Custodes)という自発教令を発表しました。

「トラディティオーニス・クストーデス」について教えていただけますか? それは基本的に事態を逆転させるものなのでしょうか? 事態を以前のように変えてしまうものでしょうか? また、この文書に付随するノートについては、どう思われますか?

【フェレー司教】はい…私はこれをあまり良いとは思いません。教皇の立場と正確に一致しているかどうかは分かりません。その可能性はあります…私がこれらの文章の中でブエノスアイレス大司教【教皇フランシスコ】を見ているような部分はあります。しかし、事態を起こしたのは…彼(教皇フランシスコ)なのか、それとも彼に鋭く圧力をかけた周囲の人々なのか…私には分かりません。でも、このレベルでは答えはないし、何も推論できません。

テキストがあり、テキストは客観的です。そこには、信じられないような厳しさ、教会の精神ではない厳しい残酷さがあり、馬鹿げた論拠が付随しています。それは典礼の一致について語っています。しかし、新しいミサで分裂が導入されたことを知っておかなければなりません。

【新しいミサでは】二つのミサがまったく同じであることはありません。この新しいミサを司式するところでは、同じミサを行う二つの小教区はありません! 教会の一致について話すこと、そして他の典礼についてはどうでしょうか? 教会にはたくさんの典礼があります。典礼の一致に問題があったことは一度もありません。

では、なぜ典礼の一致の名の下に、最も古い典礼、最も高貴なもの、最も聖化するものは、廃止されるべきでしょうか? いいえ! そんなことは馬鹿げています。しかも、まったく不当です!  教皇フランシスコの文書には、このような問題があるということも忘れてはならないと思います。

さらに、他にも、私たちが使ってきたものがあります。それは、教書「クオ・プリームム」(Quo Primum)の「特別許可」(indult)と呼ばれるものです。聖ピオ五世が、ローマ典礼を復興させたときのことです。そのため、その典礼はピオ五世の典礼と呼ばれていますが、聖ピオ五世のものではなく、もっと古いものなのですが…そのとき、教皇は、ローマで捧げられていた最も古い、修正されていない典礼を見つけるよう委員会に依頼したのです。

ですから、この典礼は4世紀か5世紀のもので、想像以上に古いものなのです。さて、この典礼を再導入するにあたって、まず教皇聖ピオ五世は、当時の新しい典礼を廃止したのです。しかし、200年以上たった古い典礼は残すべきだとも言っています。この典礼を捧げても、時の終わりまで司祭は罰せられないと述べたのです。

それは、いわゆる「特別許可」です。これは、各司祭が世の終わりまで、罰せられることを恐れず、この(聖伝の)ミサを捧げることができる許可、保護なのです。それはすべての時代を通じて続くものです。それは廃止されることはあり得ません。それは与えられたのです。

「スンモールム・ポンティフィクム」で教皇ベネディクトは、(聖伝の)ミサは廃止されなかった、と言っています。新しい自発教令は、それを廃止していません。それはできないのです!

【ロマン氏】そうです、そのような権力はありません。私は、司教様がそう言ってくれて嬉しかったです。だから、教皇フランシスコが教会を助けてくれるように祈らなければなりません。あの文書が出たとき、(聖伝の)ミサを捧げることができるとまだ書いてあるにもかかわらず、私はとても苦しみました。彼もそれを見ているのです。

【フェレー司教】教皇はどう言われたのでしょうか? このテキストはよく理解できません。また、本当に教皇からの言葉なのかどうかも疑問です。そうだと言う人もいれば、違うと言う人もいます。私には違和感(malaise)が残ります。

教皇から来ている可能性はあります。公式にはそのように発表されているのですから、そう受け止めなければなりません。でも、普段のやり方とは違います。教皇の原則の一つで、教皇自身が私に言われたことですが、時間は空間の上にある、ということです。ここに完全な矛盾があります。

時間と空間は何を意味するのでしょうか。教皇は、思想が広まるには時間が必要であり、無理に広めても全く意味がないと説明されました。もし無理に強制するなら、それが空間と呼ばれるものです。それは矛盾と分裂を生み出します。そしてここでは、まさにそれが起こっているのです。

だから、違和感があるんです。しかし、繰り返しになりますが、それが教皇からではないとは言えません。教皇から来たと発表されているため、そうだとするのですが、私には矛盾が見えます。

シュナイダー司教の文章も読みましたが、この矛盾を指摘しています。そうです。矛盾した文章だから、そう定義することができます。だから、教会の一致の源泉にはなりません。

【ロマン氏】もちろんです。1970年代、1980年代にあったようではないので、少し驚いています。しかし、多くの司教は、ありがたいことに、自分の教区で【自発教令に沿った】変更を行いませんでした。大多数です。非常に急進的な人はそうしましたが、そうでない人が非常に多かったのです。大多数の司教が教皇に行動を求めたという、この文書に付随したノートと、少し矛盾しています。

【フェレー司教】そのこと【大多数の司教が教皇に聖伝のミサを制限する行動を求めたということ】は、事実ではありません。

「エクレジア・デイ」の共同体についてどう考えるか?

【ロマン氏】はい、そうではないと思いました。もしそうだとしたら、その後、彼らはそれを進めていたでしょうから。質問してみましょう。今、聖ペトロ兄弟会、王たるキリスト会、エクレジア・デイの共同体とは違う複数のグループがありますが、彼らは司教様と同じ状況にあるのでしょうか?

【フェレー司教】彼らは決断を下さなければなりません。私たちは、彼らがどのような決断を下すのかを見ることになるでしょう。

【ロマン氏】そうですね。司教様は彼らにどのような助言をなさいますか?

【フェレー司教】宝は彼らに託されたのです。それを失ってはなりません。それがこの件に関する私のアドバイスです。その宝は自分たちのためのものではなく、教会のためのものなのです。

聖ピオ十世会の将来と聖伝

【ロマン氏】アーメン、アーメン(その通りです)。そしてもう一つ、より個人的な質問です。もし将来、ローマが許可を出さなかったら…司教様がずっと年を取られたとき、私たちを守ってくれる他の司教たちとともに、ずっと長生きしていただきたいのですが…もし聖ピオ十世会にもっと司教が必要なときが来たら、司教様は以前と同じことをなさいますか?

【フェレー司教】私たちは、ルフェーブル大司教のときと全く同じように行動します。ですから、緊急性、必要性が生じたとき、そのとき、私たちは同じように行動するでしょう。ローマに要請するのです。その後、ローマの反応次第で、天主さまが何を示してくださるかを見ることになるでしょう。

それは、もう一つの扉であり、おそらく数年後にもっと目に見えるようになるかもしれません。近い将来、カトリック教会の司教たちが、公の場でも私たちをバックアップしてくださることを、私は排除しません。それはありうることです。もしそうなれば、私たちの司教を聖別する必要性が相対化されるかもしれません。

未来は天主の御手に委ねられているのであって、私たちの手に委ねられているのではないのですよ。私たちにとって、重要なのは、事態がどのように展開するか、毎日見守ることです。天主のみ旨と天主の御摂理が、どのように事態を展開させていくかを見ることです。常に御摂理に沿い、決して先回りしないことが大司教の原則でした。

【ロマン氏】アーメン(その通りです)。

【フェレー司教】決断しなければならないときはいつでも、重大な決断であっても、その瞬間に、最も平和的で、慎重で、明確な決断をするために、天主さまは大司教にすべてをお与えになりました。いつでもです。

以前は疑い、疑問、曖昧さ…でも、その瞬間にすべてが明らかになりました。将来についての質問、司教についての質問も、同じことです。天主さまを信頼してください。天主は決して私たちをお見捨てにはなりません。決してです。

天主さまが、自然ではない驚くべき方法で、霊魂を助けておられることを、私は毎日見ています。天主さまは、あらゆるものを利用なさいます。天主は、まず普通の手段によって霊魂をお助けになります。しかし、それで十分でない場合は、目を見張らせるほどの手段でお助けになります。

ルフェーブル大司教は(ダカールで)大聖堂を(夢で)見ました。彼は、天主がどのようにして自分に聖ピオ十世会を設立するように導かれたかを見たのです。これは実際に奇跡と呼べるでしょう。彼はそれを見たのです。これらは天主からのものです。OK、天主は十字架を許しておられます。はい、もちろん、十字架も矛盾も何もかもです。しかし、最後に、天主は物事に方向をお与えになるのです。

それは、霊魂が天主さまを愛するならば、霊魂が天主さまに助けを、恩寵を求めるならば、天主さまは決してこの恩寵を拒まれないというのが、カトリックの基本原理です。決して拒まれません。それは不可能です。約束なさったのですから。

【ロマン氏】アーメン(その通りです)。最後のメッセージをお願いします。この動画を見ている司祭たち、司教たちにも、この世と教会のこの危機の時代について何か言いたいことはおありですか?

【フェレー司教】私にとって最も大切なことは、彼らには、その義務を果たす地位による恩寵があると、強く信じて疑わないことです。支払わなければならないものは支払わなければなりません。彼らはこの恩寵を持っており、この恩寵に頼らなければなりません。天主は使命をお与えになるとき、その使命を果たすための手段をすべて、お与えになります。

今日の世界は困難です。今日の教会の状況は混乱しています。そのため、とても困難なのです。ですから、恩寵はこの時代と同じレベル、この時代に応じたレベルになるのです。そのため、天主の御前で自分の義務を果たすためには、この恩寵を頼りにしなければならないのです。

【ロマン氏】アーメン(その通りです)。素晴らしい。他に何か付け加えることはおありですか?

【フェレー司教】皆さん全員を祝福します。

【ロマン氏】司教様、ありがとうございます。

Part 1 of this interview >>

Conoce Ama Y Vive Tu Fe con Luis Roman - sspx.org - 02/21/2022



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。