Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

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ベルナール・フェレー司教とのインタビュー。聖ピオ十世会、ミサ、「トラディティオーニス・クストーデス」について(第1部)

2022年03月14日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

ベルナール・フェレー司教とのインタビュー。聖ピオ十世会、ミサ、「トラディティオーニス・クストーデス」について(第1部)

Interview with Bishop Bernard Fellay on SSPX, the Mass, Traditionis Custodes - Part 1

2022年2月17日 聖ピオ十世会米国管区

このインタビューの第1部では、聖ピオ十世会の総長の職を24年間務めたベルナール・フェレー司教が、さまざまなテーマについて、ルイス・ロマン氏の質問に答えています。そのテーマは、1988年の司教聖別、離教、非常事態、危機の時代における教会法の大切さ、ミサに関する聖ピオ五世の教書、新しいミサ、ベネディクト十六世の「スンモールム・ポンティフィクム」(Summorum Pontificum)、教皇フランシスコの「トラディティオーニス・クストーデス」(Traditionis Custodes)です。

ルイス・ロマン氏は、YouTubeとすべてのポッドキャストプラットフォームで、二つの番組のプロデューサー兼ホストを務めています。彼の番組では、福音を伝え、カトリック信仰の美しさと豊かさを、時事ニュースの分析、インタビューなどを交えて掘り下げています。

この翻訳とインタビュー映像のテキストには、編集上の調整が加えられていますが、会話のスタイルは全体的に維持されています。

【ロマン氏】司教様、本日は聖ピオ十世会について、世界中の多くの人々が抱いている疑問を解消するためにお時間をいただき、感謝申し上げたいと思います。私たちの申し出をお引き受けいただき、ありがとうございます。

【フェレー司教】はい、もちろんです。喜んで。

【ロマン氏】ありがたいことです。今日、最初にお聞きしたい質問は、どのようにして司祭としての召命を発見なさったのか、ということです。どのようにして、私たちの主は、司教様にそれを見せてくださったのでしょうか?

【フェレー司教】この話には紆余曲折がありました。一瞬のことではありません。幼少期から青年期にかけて、いろいろな場面で召命が見えてきたのです。7歳のとき、13歳のとき、それははっきりしていました。その後は…完全に消えたとは言いませんけれども、最初のようにはいきませんでした。その後、17歳のとき…そのときから、とてもはっきりしたのです。

ルフェーブル大司教

【ロマン氏】マルセル・ルフェーブル大司教と交流がおありだったそうですね。大司教は司教様の人生や召命にどのような影響を与えたのでしょうか? また、どのような方だったのでしょうか?

【フェレー司教】大司教が直接、私の召命の原因になったとは思いません。しかし、私がエコンに住んでいたことは知っておいてください。今、エコンといえば、ルフェーブル大司教が1970年に開いた神学校のことをいいます。でも、私は1962年からエコンに住んでいたのです。

エコンは、聖ベルナルド修道会の所有地で、そこには大きな犬がいました。ここにはすべてがあったのです。6軒の家と、発電所がありました。私がそこに住んでいたのは、それが理由でした。その後、ルフェーブル大司教が来られた時、私の父は大司教のお手伝いをしました。すべてが自然に進んでいきました。ルフェーブル大司教とは子どもの頃に知り合いました。その後、私はそこで神学校の養成教育を受けました。

私が神学校に入学した1977年、ルフェーブル大司教は神学校の校長でした。私は神学校の1年目をルフェーブル大司教のもとで学びました。その後、ベルナール・ティシエ・ド・マルレ司教(当時はティシエ神父)が校長になりました。ルフェーブル大司教はスイスの別の場所にある聖ピオ十世会の管理センター(本部)へ行きました。聖ピオ十世会が成長し始めたため、二つ(神学校と本部)を一緒にしておくのはよくなかったのでしょう。

その後、司祭に叙階された1982年に、私は会計長に任命されました。ルフェーブル大司教が住んでいた家(本部)に行きました。1年間、私は大司教のすぐ近くに住み、大司教を間近に見ました。大司教のことを、どう言い表しましょうか?

大司教の人生とその負っていた責任を見れば、重要な人物であることが分かるでしょう。大司教は、教皇によって全フランス語圏アフリカの教皇使節に任命されたのですから。この責任者のとき、大司教は自ら少なくとも24、おそらくは35もの教区を設立しました(確認していただけますか)。それを行ったのは大司教なのです。大司教は、教皇ピオ十二世から最も信頼されていた人物です。

教皇ヨハネ二十三世が選出されると、状況は少し変化しました。フランス司教団の影響もあって、大司教はフランスの小さな教区に任命されました。司教たちは、大司教のことが好きではなかったのです。しかし、それも6カ月間だけでした。その後、大司教は、最大の宣教修道会である聖霊修道会の総長に任命されました。

大司教が第二バチカン公会議の準備作業のすべてに参加することになったのは、大司教だったからというわけではなく、聖霊修道会の総長だったからです。大司教はその準備のすべてを間近で見たのです。その最初の準備の後、大司教は懸念されるものを見始めました。しかし、大司教は公会議に関して非常に熱心で希望を抱いていました。

しかし、その後、少しずつ、オリジナルの準備文書に代わる新しい文書が良くないもの、混乱を招くものであることが、大司教には分かり始めました。省略や曖昧さがあったのです。そのアプローチにおいても、つまずきを与えるもので、革命的でした。

公会議の冒頭で、最初の仕事の一つは、さまざまな委員会の委員の選出でした。リベラル派はこの選出に干渉し、選出を遅らせて、委員の名簿を変更させました。彼らは、2年間の準備作業、すべての準備文書、つまり草案(schema)を、簡単に拒否しました。唯一残ったのは、典礼に関するものだけでした。

ルフェーブル大司教は、そのすべてを見たのです。私たちにそのすべてを見ていく時間があるかどうか分かりませんが、おそらく後で…。

【ロマン氏】はい。もちろんです。

【フェレー司教】…教会の心を見る。そして、原理によって結果を見る。今日、例えば、大司教が、教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者(confused Catholics)のために書いた本(「教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへの公開書簡」)を見てください。1970年代に大司教が書いた本です。これは、今日のために今日、読むことができる本です。とても高度な視点から、とても正確に、要点を押さえて書かれています。

【ロマン氏】もちろんです。予言的です。

【フェレー司教】素晴らしい本です。本当に素晴らしい本です。では、私たちはどうすればいいのでしょうか? 大司教は、一方では教会の人、他方では非常に謙虚な人でした。大司教は、誰もが話しかけやすい方でした。大司教は誰にでも親切でした。

神学校で休暇中に、小教区の人々がルフェーブル大司教を招待しようとしたことがありました。彼らは何度も何度も探しました。そして、ついに大司教を見つけることができたのです。お皿を洗っているところでした。

【ロマン氏】すごい。司教なのに? 素晴らしい。

【フェレー司教】大司教はとても良い方でした。大司教の周りには、愛徳のオーラが漂っていました。大司教の司教標語は「Credidimus Caritati」(私たちは天主の愛を信じた)でした。それが大司教の人生の標語でした。大司教は、みんなを助けるために、いつもそこにおられたのです。素晴らしい方でした。

【ロマン氏】そうです。私は最近、本を読んでいたのですが --- これはあらかじめ質問する予定だったリストには載っていないものです --- ルフェーブル大司教はどんな人だったのか、ということを考えながら読んでいました。大司教様は宣教師でした。今おっしゃったように、30以上の教区に福音を伝えるという賜物を天主から授かりました。教会の誰もがこれをできるわけではありません。教皇は大司教をアフリカに配置し、そこでは今日でもキリスト教が大きく発展してきています、今日に至るまで。その一因はルフェーブル大司教にあると言えると思います。

大司教は愛徳を伝える方でした。聖トマス・アクィナスは、愛徳の最大の証しは、キリストを人々に与えることである、と言っています。大司教は、その偉大な模範でした。

【フェレー司教】そうです、大司教は本当にこのような人でした。よく覚えているのは、夕食会で大司教を見た男性が、「普通、戦争に参加した人はそれを反映するものだ」と言ったことです。戦争に行った人は、最後には頑なになり、優しさはすべてなくなります。彼は、ルフェーブル大司教にはそれが全く見られないと言ったのです。大司教の柔和さは本当に明らかでした。

1988年の司教聖別

【ロマン氏】さて、少し議論を呼ぶ質問をしたいと思います。ルフェーブル大司教は、司教様と他の3人を司教に聖別しました。その結果は、大司教の「破門」と、1988年のその日に聖別された全員の「破門」でした。司教様が司教に聖別されたこと、そしてこの結果について、個人的に何か言えることはおありですか?

【フェレー司教】私自身のことはお話しいたしません。私は一番若いので逃げようとしました。【破門という】そのような嘘があることをよく知っていたのです。司教聖別は、みんなのためにしなければならなかったし、他人のために自分を犠牲にしなければならなかったのです。

大司教の行動は、ねたみによるものではないことを理解してください。「私は自分だけのことをするつもりです」と言う行動ではないのです。違います。それは、ただひたすら、教会のためでした。どうしてそう言えるのでしょうか? 大司教は、出来事とその元になった原理について、非常に、非常に純化された理解を持っていました。

大司教が理解していたのは、私たちが、教会にとって非常に困難な時代に生きているということです。それはなぜでしょうか? 公会議のせいで外部の誤謬が入り込んだ上に、改革でさらにそれが進んだからです。カトリック的でない原理が教会に入り込んだのです。

大司教は、決して自分の意志を通そうとはしませんでした。大司教は、そのことが非常に重大なことであると理解していたので、天主様にしるしを求めたのです。大司教は、二つのしるしを受けたと思うと言われました。一つ目はアッシジでした。

アッシジで何が起こったのでしょうか? キリストの代理者である教皇が、世界のすべての宗教の指導者たちを、平和のための会合に招待しました…平和を祈るために、ですよ。それは全く受け入れられないことです! なぜでしょうか? 私たちの主は天主です。この世に来られ、ご托身になり、ご自分が教会とお呼びになる一つの宗教を創立された天主です。それは天主の教会です!

教会はいつも言ってきました…それはただ…天主へ行く道は一つしかない、と。その道は私たちの主です! 私たちの主はご自分の教会を作られました。主の教会はキリストの神秘体です。教会とは何でしょうか? それは、私たちの主と主の教会です。なぜなら、主の教会はキリストの神秘体だからです。

教会とは何でしょうか? それは、洗礼を受けた人々の霊魂を一つの体に一体化なさった私たちの主です。それが、私たちが真の教会と呼ぶ教会です。理解しなければならないのは、ピオ十二世までの教皇によれば、他の宗教について話すときは、他の宗教を偽の宗教と呼ぶ、ということです。すべては偽物なのです!

それがプロテスタントであれ、聖公会であれ、正教会であれ、それらは偽の宗教と呼ばれています。なぜでしょうか? なぜなら、彼らは、自分たちが提供することのできない終末を提供すると言い張るからです。私たちを天国に連れて行くことができる唯一の宗教は、その手段を持っている唯一の宗教は、カトリック教会です。

ですから、カトリック教会の指導者が偽の宗教を招待するのを見ることは、その諸宗教が、私たちの主のところに行けると主張しない宗教であっても、それは冒涜なのです…どうしてこんなことが可能になるのでしょうか? つまずきです! 信じられません! すべての人を欺いているのです! これらの宗教の信者はみな、自分たちが招待されるのなら、自分たちには価値があると思ってしまいます。

二つ目のしるしは、もっと難しく、もっと神学的なものですが、大司教にとっては、もっと重要なもので、それはローマとの話し合いの時にありました。私たちは常にローマと議論をしてきました。私がよく覚えているのは、1984年か1985年ごろのことです。

大司教は、ラッツィンガー枢機卿と議論していました。聖ピオ十世会が、大司教が、信教の自由の問題に関して疑問を示していることに、枢機卿は同意していました。それが、私たちがやっていたことです。その2年後、1987年の初めに、ルフェーブル大司教はその返事を受け取りました。

その返事の中で、ローマは、「はい、信教の自由は新しいものです」と認めたのです。しかし、カトリック教会に新しいものはありません。教会が持っているもの、教会が守っているもの、それは最後の使徒の死で終わる啓示の遺産です。新しいものは何もないのです。

「Nihil novi nisi quod alicuius est」という有名な言い方があります。訳すと「他者のもの以外は、新しいものは何もない」で「教会には新しいものはなにもありえず、もしも新しいものが入り込んだとしたらそれは教会に属するものではなく、教会以外の別物に属することだ」という意味です。教会には、受け継がれたもの、すでに持っているもの以外には何もないのです。また、第一バチカン公会議は、聖霊は聖ペトロと後継者に、新しい霊感や新しい思想を約束してはいない…いや、そのための不可謬権や助力は約束されていない、とはっきり言っているのです。聖霊は、二つのことを約束しておられます。それは、信仰の遺産を絶えず保存することと、それを忠実に伝達することです。

ですから、彼らが新しいもの、この立場における、つまり信教の自由という観点における新しいものがあることを知っていると言うことは、大司教にとって、それは受け入れられない、と言う理由だったのです。

このことは、説明する必要があります。多くの人は、私たちが信教の自由と言うとき、洗礼を強制してはいけないという意味だと思っています。私たちはその意味には、完全に同意します。洗礼は自由な行為であり、教会はその自由を望んでいます。私たちが信教の自由と言うとき、そのことを話しているのではありません。

それよりも、国家と教会の関係についての問題の方が、もっと大事です。これは別のことです。単純化すれば、こう言えるでしょう。つまり、私たちの主は天主である、主は万物の創造主である。コロサイ人への書簡の冒頭で、このことが言われています。

これは何の意味でしょうか? 主はすべての被造物の創造主である。すべての被造物には必要性、自分の持つ使命からの義務、創造主である天主から受ける義務がある。そして、これは個人という観点からだけでなく、社会としての観点から来るものでもある。人間社会は完全に私たちの主に依存している。そして、この依存は、人間社会の法を私たちの主に従わせることで表現される。つまり、自然法に、天主の法に従わせることで。国家は、それらに反する法を作ることはできない、ということです。

もっと正確に言えば、レオ十二世は、教会が常に国家の自然の権威を認めてきたと言いました。たしかに、一国の国民はその政治機構を組織し、その指導者を指名します。しかし、権力と権威は常に天主から来るのです。

すべての大統領、すべての王は、その権力の行使について、彼らの審判者である私たちの主に対して答える義務・釈明する義務があります。トランプも、バイデンも、みんな…天主から受けた権力で何をしたのかについてです。これがすべてを語っています。でも今日、そのことを誰も言いません。

今日、教会は、「いえいえ。私たちが国家の側に求めるのは、自由だけです」と言うことで満足しています。それ以上は言わないのです。いえいえ、そんなことはあり得ません。教会と国家という二つの社会は、もちろん完全で区別されたものであり、混ざり合うものではありません。しかし、天主様は両方の同じ天主です。しかも、国家の成員でもある教会の成員は、天国に行くというただ一つの目的しか持っていないのです。だから、天国に行くための法に従わなければならないのです。

国家が、罪となることを許すような、天主の法に反する法を作った瞬間に、その法は天国に行く妨げになります。このような国家は、地獄、この世の地獄にその姿を変えます。このすべてが重要です。

ルフェーブル大司教は、ローマからのその声明を読み、「ノー」と言いました。それが意味するのは、教会には、なにか行動を起こすべきような危険があるということです。だから何かをしなければならない、ということです。しかし、最初にすべきことは、ローマと話をすることでした。私たちには司教が必要だ、と伝えるのです。大司教は、単独で全てを行ったわけではありません、違います。

その結果、1年にわたる話し合いが行われ、最終的に、ローマは聖ピオ十世会に一人の司教を与えることに、おおよそ同意したのです。聖ピオ十世会の司教という考えは、これらのテキストから来るものです。つまり、聖ピオ十世会で奉仕する補佐司教です。聖ピオ十世会での奉仕を委任されたカトリック司教のことです。

これは重要なことです。私たちは、非常に困難な時代に聖別されました。私たちは、裁治権が欲しいのではなく、ただ奉仕するためだけにここにいるのです。ローマは、私たちが離教者でないと認めたのですから、これは極めて重要なポイントです。私たちは、持っていない権力を持とうと主張することはありません。

その後、私たちがどのように活動しているかを説明する必要があるでしょう。しかし、これは極めて重要です。私たちは、【カトリック教会とは別の】並立する教会を設立するようなことはしていません。私たちはカトリック信者なのです。それだけです。話はこれで終わりです。

【ロマン氏】分かりました。では個人的な質問です。司教様は29歳のときに司教に聖別されましたが…。

【フェレー司教】(笑い)いいえ、30歳です!

【ロマン氏】(笑い)分かりました、30歳です。なぜ29歳と読みまちがえたのか分かりません。若くして聖別されたその日、どのようにお感じになりましたか? その翌日、司教様は「破門」されました。正式にはどうお感じになったのですか。とても強いお気持ちだったではと、想像するのですが…。

【フェレー司教】このように言いましょう。教会の状況についての認識、何かをする必要があるという認識があまりにも強かったので、「破門」は何ともありませんでした。

カストリヨン枢機卿と連絡を取ってから、かなりたって、2000年頃、つまり12年後に、枢機卿は私にこう言われました。「あのぅ、教皇ヨハネ・パウロ二世は聖ピオ十世会との関係を修復したがっています」。私は枢機卿にこう言いました。「願わくは、それは私にとってうれしいことです。しかし、私たちには問題があります。それは、私たちがあなたたちを信用していないということです」。

「私たちは、あなたたちが聖ペトロ兄弟会をどのように扱われたかを見たばかりです。「交わり」のうちにある彼らがどのように扱われてきたかを見てきました。私たちは彼らよりも「もっと悪い」とされています。であれば…いや、私たちは確信が持てないのです。そのため、私たちはしるしが欲しいのです。言葉ではありません。私たちが信頼を回復することのできるような明確で効果的なしるしです」。

私たちは二つのことをお願いしました。一つ目は、世界中のすべての司祭に、トリエント・ミサを捧げる権利があることを伝えてほしいということです。二つ目は、枢機卿にこのように説明したのですが、破門に関することです。「破門」とはちょうどアヒルの首の水滴のように何の影響も与えないのです。しかし、司教の方々は、それを使って聖ピオ十世会の仕事を妨害しています。ですから、取り去ってください、と。

本当に、ちょうどアヒルの首の水滴のように何の影響も与えないという表現がぴったりだと思います。そうです、あるとされてはいるのですが、なんの意味もありません。しかし「あなたは破門されている!」だからミサを捧げるのを禁止されている、というのは、もちろん納得がいきません。でも、どう言えばいいんでしょう。お分かりになるでしょうが、得たもの【司教聖別】に対して支払った代償【「破門」のレッテル】は、小さなものでした。緊急必要性は、これまでずっと教会にあり、今でもあります。それはいつも同じです。時期によっては、少し違った形があるでしょう。しかし、基本はいつも同じです。あなたの質問にお答えできたでしょうか…。

なぜ破門なのか?

【ロマン氏】十分にお答えいただきました。時代が大司教に、すべきことをする理由を与えたのです。私は、司教様がすでに多かれ少なかれお答えになっていることをお尋ねしたいのですが、おそらく司教様は、それをさらに明確にすることがおできになるでしょう。ルフェーブル大司教は、正確にはなぜ「破門」されたのでしょうか? 異端でしょうか? 離教でしょうか? その理由は何でしょうか?

【フェレー司教】それは、非常に興味深い質問です。1917年の教会法、つまり最初のローマ教会法では、教皇の委任なしに司教を聖別した場合、破門はなく、聖職停止しかありませんでした。

自分の持っていない権力を使ったために、聖職停止になったわけです。教皇しか、司教を指名できませんから。また、破門ではなく、聖職停職だけしかありませんでした。その行為が破門になるのは、1983年の新しい教会法になってからです。

これは、中国の歴史上の偶発的な出来事から来ています。1950年、中国国家は自分たちの教会を作ろうと望みました。彼らは、カトリック信者を強制的に「愛国協会」と呼ばれる教会に統合させました。中国で、この離教に加わったカトリック司教たちが司教を聖別し、この離教が、ローマからの分離という真の離教だったのです。

司教を作ったからではなく、独立した教会を設立したこと、つまり離教的行為に対して破門を受けたのです。人々が(教皇の委任を受けずに)司教を聖別することが離教的行為であるという考えを持ったのは、この歴史的な出来事があったからです。

また、教会法の条文は離教的行為について述べているのであって、離教について述べているのではありません。しかし、大司教は聖別式の説教の中で、離教の意向はなかったと非常にうまく説明しています。私たちは教皇の権力を認め、すべてのことにおいて、教皇に従うことができるのです。ただ、救いを危うくするような行為がある場合だけは、私たちは教皇に従いません。

しかし、特定の行為においては、教皇の権力を拒否することはあります。それは、自分の子どもに、「さあ、盗みに行け!」と言う父親と同じことです。もし子どもが父親に「ノー」と言ったとしても、それは父親の権威を認めないということではありません。この命令に「ノー」と言うのは、全く違うことです。

この行為(司教聖別)が離教を成立させるのに十分であるかのように言い張ることは、そんなことをローマは一度も言っていませんが、間違いです。枢機卿でさえも、離教ではないと言った人が何人かいます。しかし、公式文書には、(聖ピオ十世会の司祭が)全員破門されたと思わせるものはなく、司教たちだけが「破門」され、その「破門」はその後解除されたのであり、それがすべてです。離教の話は一切ありません。その後、ローマ側との話し合いで、彼らは私たちが離教者でないと納得したのです。

【ロマン氏】その通りです。はっきりさせるために、ルフェーブル大司教、司教様、教会は、何か【離教】が起こったとは、言うことができませんし、言ったこともありません。司教様は教会の教理について何も間違ったことは言っておられませんし、異端を広めてもおられません。でも、人々は、司教様が新しい神学を確立したと考えているのです。

【フェレー司教】いえいえ、絶対に違います。【新しい神学などありません。】

【ロマン氏】ローマの許可のない司教聖別があっただけですね。

【フェレー司教】そうです。このことは、文字通り教会法に書かれています。その後2009年に…。

【ロマン氏】はい、それが次の質問でした。お許しください、司教様。

【フェレー司教】いいえ、どうぞ

聖ピオ十世会の聖職者の地位

【ロマン氏】教皇ベネディクト十六世は、司教様を含む4人の司教の破門を解除しました。司教たちの教会法上の状況は…、これが正しいかどうか私には分かりませんが、ある記事から引用しましたので、間違っていたら訂正してください…、聖ピオ十世会の聖職者たちと同じ、すなわち「聖職」(divinis)が停止された状態です。これが、私が司教様にお話ししたかったことです。多くの人々が聖ピオ十世会に対してこの言葉を使うからです。

これは、教皇ベネディクト十六世が世界の司教たちに送った手紙の中で、なぜそのようなことをしたのかを説明するために言ったことです。「教理上の問題が解明されるまでは、聖ピオ十世会は教会においていかなる教会法上の地位も有しません。たとえ彼らが教会法上の制裁から解放されたとしても、教会においていかなる合法的な聖務も行使することはできません」。

これが何を意味するのか、司教様にお尋ねします。聖ピオ十世会で行っているミサや秘跡は有効ですか? そして、それらは合法的な秘跡なのでしょうか?

【フェレー司教】いやいや、それは非常に重要なポイントです。しかし、その質問が理解できるようにお答えするために、私は具体的な方法でその問題に迫りたいと思います。

それはなぜでしょうか? これらの法はすべて規律の法(disciplinary law)です。社会としての教会には、社会の良き秩序のためにこれらの法が必要です。どの社会でもそうですが、社会をどのように組織するかなどを説明するために、かなりの数の法あります。それは良いことです。

規律の法の文字通りの適用が害を及ぼす可能性がある状況もあります。それは非常に特殊な状況です。このことを、ある例で検証してみましょう。

それは、交通信号の例です。赤信号があります。通常、赤信号では止まります。法で決まっていますから。赤信号では止まらなければなりません。しかし国家は、問題なく通過できる特定の車両があることも知っています。特定の音を出す必要があるかもしれませんが、通過します。赤信号でも通過します。なぜでしょうか? それは、もっと大きな善が問題になっているからです。

別の例は、火事です。家が燃えているとします。その火事に対処する責任を負う、公的な立場にある人々は消防士です。当たり前のことです、彼らは消防士なのですから。しかし、消防士が間に合わなかったとします。すると、できる人なら誰でも、その火を止めるためにできることをする義務があります。

そこがポイントです。法は「だめ、だめ! 消防士だけが責任を負っています!」と言います。しかし、もしも火事の時に、消防士がいなければ、事態は、別の状況に変わります。

公会議後の教会の状況を見ると、少しそれに似ています。教会の状況を全体的に見れば、教会の状況は、いわゆる「非常事態」であることが理解できるでしょう。

ニューオーリンズのハリケーン・カトリーナが、すべてを破壊したのと少し似ています。水がやって来て…警察が…消防士が…病院が…誰もそれ以上できません。すべてが麻痺しています。その時は、ニューオーリンズの人々一人一人が行動を起こし、自分のできる範囲で、救われることができます。

こんなときに、通常の法を適用してもうまくいかないことは、まったくはっきりしています。もっと高いところを見なければなりません。それが今起こっていることなのです。ルフェーブル大司教は最初から、存在しなければならない例外について話しています。

それを明らかにする例として、非常に興味深いものがあります。それは、死の危険です。教会の通常の法が言っているのは、例えばカトリックではない正教会の司祭には、秘跡に関するものについては誰も近づいてはいけないということです。この司祭は教会の外にいるのです。教会の外にいるのですが、真の司祭なのです。

しかし、同じ教会が、もし死の危険がある場合、つまり、路上で事故があり、誰かが死にかけていて、そこに正教会の司祭がいた場合、その死にかけている人は、霊魂の救いのために、離教者で司祭としての務めを果たすことを禁じられているその男性のところに行って、終油を与えてもらってよい、と言っているのです。それは完全に合法的なことです。

そして、その時に霊魂を救うために、教会は通常の時に必要な制限をすべて取り払います。しかし、今は普通ではありません。だから、制限などはみな、忘れてしまうのです。大切なのは霊魂を救うことなのです。

聖職者たちの怠慢が非常に強く、また非常に広範囲に及んでいますから、今日、肉体的ではなく、道徳的、霊的な死の危険があることを明確に示すために私たちが使うのが、この例です。

教皇ヨハネ・パウロ二世は、確か1981年だったと思いますが、「異端は善人の手によって教会全体に広まる」と述べています。異端はあらゆるところに広まります。しかし、異端は霊魂を殺します。殺すのです。ですから、人々が真理を受けることは、どんな状況でも非常に重要なことなのです。

また、これは秘跡についても言えることです。もはや「真の現存」を信じていない、ミサが真の犠牲であると信じていない司祭がたくさんいます。その人たちは、何をするのでしょうか? 彼らは霊魂たちに何を告げるのでしょうか?

そうなると、霊魂は死にます。霊魂は飢えています。恩寵に飢えていますが、霊魂はそれを受けませんし、受けてもごくわずかです。祭壇で司祭が行うことに完全につまずいてしまい、もうその司祭のところに行けない霊魂がいるのです。霊魂は孤立し、迷っているのです。

彼らは私たちのところに来て、助けを求めているのです。私たちは彼らを助けなければなりません。繰り返しになりますが、人は自分にできることをする必要があるのです。よろしい、教会の通常の法をすべて認めましょう。しかし、緊急事態が適用される状況があることを認めなければなりません。

【ロマン氏】その通りです。

【フェレー司教】また、ローマでの講演で、私は「善きサマリア人」の例を挙げました。私たちの主は言われます。怪我をした人がいます。レビ人がいます。司祭がいます。彼らはすべての権能を持っている人々です。彼らは何をするのでしょうか。通り過ぎます。自分たちには関係ない、と。助けるのはまったくの外国人です。彼は怪我人の世話をします。まさに、それが私たちのしていることです。

だから、今までずっと、私たちは自分でミッションを作らないと言ってきたのです。私たちは、私たちを求めてくる人のところに行くだけなのです。これは、聖ピオ十世会で起こるすべてのことの原理です。私たちはどこへも、どの国へも行くことを計画したことは一度もありません。常に依頼があり、それが本当かどうか、正しいかどうかを確認し、そして、私たちは可能な限りその場所に行くのです。

本当に、「教会で飢えて死ぬ人を助けなさい」を、全てに厳密に適用するのです。私たちは裁治権がないことをよく承知していますが、必要とする人々のところに行くのです。それはとても重要なことです。

それは、教会におけるミッションの問題とも結びついています。死の危険があるとき、第一の法は、すべてを支配する法は、霊魂の救いである、と教会が言っていますから、合法的なことなのです。

秩序を曲げているように見えるかもしれませんが、今日の教会が抱えている大きな秩序の乱れに対処するためには、秩序を曲げることが必要なのです。状況は破滅的です。ますます、今日の混乱は甚大です。そして、混乱はさらに悪化しています。

【ロマン氏】そうです。1980年に比べれば10万倍も悪化しています。

【フェレー司教】そうです、もちろんです。しかし、それは当然の結果なのです。私たちにとって、それは新しいものではありません。激しいものでもありませんし、重大なものでもありません、違います。それは、第二バチカン公会議の原理やその改革を、多かれ少なかれ規則的に適用しているだけなのです。それ以上ではありません。このことは、十分に何が起こっているかを説明しています。

聖ピオ十世会によって執行される秘跡

【ロマン氏】司教様、正しいかどうかお聞きしたいのですが、私が聞いたところでは、法律用語で言えば、司教様方の置かれた状況においては、ある意味で秘跡は有効ですが、許されない(illicit)方法で行われている、ということです。そう言うのは、正しいでしょうか?

【フェレー司教】いいえ、正しくありません。しかし、なぜでしょうか? それは非常に興味深い質問ですが、決定的に答えられていません。私は次のように説明します。

ローマは私たちがいるのを見て、私たちを知り、私たちと議論し、私たちを分析し、私たちの仕事を見て、その仕事が良いものだと知っています。私はこのことを、ローマの代表者である、エクレジア・デイ委員会の委員長であったカストリヨン枢機卿から直接聞いたのです。私たちが初めて会った時、4人の司教のうち3人が、枢機卿から、私たちの実が良いから、そこに聖霊がおられる、と言われました。枢機卿はそのようにおっしゃったのです。

グイド・ポッツォ大司教は最後に、最初はそうではなかったのですが、最後に、聖ピオ十世会には教会がこの危機から脱するのを助ける手段がある、と誰かにおっしゃったのです。これは非常に強力な言葉です。この状況を知っている人、私たちを見てきた人、そうおっしゃることのできる人なのです。

さて、これは、どういう意味でしょうか? 純粋に教会法上のレベルでは、イレギュラーです。不正規性(irregularity)が存在するように見えます。これは今使われている用語でイレギュラー「不正規」です。公式には認められていないのですから。そうです。それは事実です。

しかし同時に、現実的な意味で、教会は目をつむってそれを放置しているのです。信号が赤のとき警官が「通れ」と言うのと同じです。そういう状況なのです。実用的なアプローチではそれを決して説明できないことは明らかです。なぜなら、法の現実的、実用的な例外のようなものですから。

その例をいくつか挙げてみましょうか。たくさんありますから。材料は一つだけではありません。私たちの持っているローマとの実際的な関係が、あたかも私たちが通常の状況にあるかのように進んでいくことを示すものが非常にたくさんあります。

例えば、私は何度も、教会の問題に関する裁判官に任命されました。ある時、教理省から指名がありました。ある司祭が教理省に訴えたことに対して、教理省が私を指名したのです。私が完全に「非正規」だったとしたら、私がそんなことをすることはできないでしょう。しかし、ローマはそれをしたのです!

もう一つの例は、より正確でデリケートな、ローマに留保された譴責であり、この場合のローマは、内赦院(Penitentiary)と呼ばれるところです。罰則や譴責を伴う罪があり、より重大な罪に対する譴責のいくつかはローマに、教皇に【赦免が】留保されています。

例えば、ご聖体に対する罪、あるいは告解の秘密を破った司祭です。これらは非常に重大な罪であり、教会はこれらを譴責で罰するのです。そして、教皇以外の誰も譴責を赦免(適用)することはできません。

さて。しかし、実際にはどうなのでしょうか? 多くの場合、そのようなケースを見つけた司祭が答えを出すでしょう。しかし、それが有効であるためには、その司祭は1カ月以内にローマに連絡する必要があり、ローマがその答えを出すことになります。

しかし、今だから言えますが、私たちは20年前からこれを行っています。新しいことは何もありません。もっと昔もそうでした。その場合、誰かが罰を、譴責を受けます。私たちの司祭は赦しと償いを与え、ローマに、内赦院に手紙を書くのです。

すべてのケースで、ローマは私たちにこう答えました。「あなたがたはうまく行いました。あなたがたの赦免は合法(licit)です」。有効なだけでなく、合法とされたのです。時にはこうも言われました。「あなたがたの償いは正しかったのか、正しくなかったのか。この程度の重大性があれば、もっと与える必要があります」。しかし、毎回、この認証印(stamp)がありました、大丈夫でした。

告解についてのものもあります。公式には「彼らの告解は無効である」などと言われた時代もありました。でも、もっと深刻なケースでは? ローマからは? 告解という状況では、告解をした人物の名前は絶対に書きませんから、絶対に、ですからそれは秘密です。その後、ローマから書類を受け取ったら、破棄しなければなりません。すぐに破棄する義務があるのです。ですから、証拠がないのです。でも、実際にはそんなものなのです。

もう一つの例です。私たちの司祭叙階について、レーゲンスブルクの司教と問題がありました。この司教は毎年、今でも、抗議をしてくるのです。「あなたたちには司祭を叙階する権利はありません。ここは私の教区です。私が教区の責任者です。私の許可が必要です」。こんなことです。

さて、この問題を何度もローマに相談しました。ローマはこの司教に介入して「落ち着きなさい」と言ったのです。私は、その委員会のトップだったポッツォ大司教の手紙を持っています。「あなたがたは司教の許可を得ることなく司祭を叙階できます。(叙階について)司教に助言をするのが適切ですが、それは必要ではありません」。

もう一つの例です。私たちが助祭や司祭の叙階を行うたびに、ローマは私たちに、(叙階される者の)名簿を渡すように求めてきました。これはすべて、私たちの側がローマの権威を尊重することを意味し、相手【ローマ】側からは、この【私たちがローマの権威を】尊重していることを、【ローマが】受け入れたことを意味します。何故なら、彼らが権力を行使しているからです。彼らが「よろしい。名簿を提出しなさい」と言うのなら、それは何か意味のあること【聖ピオ十世会を活動を認めていること】です。

これは実務レベルでは、すべて慎み深く、冷静で、すべてこのようなことが、教皇フランシスコ以前に起こったていたことです。教皇フランシスコは、私たちに告解を聞く権能の委任(delegation)を与えてくださいました。ポッツォ大司教は、この委任は終油にも適用されると述べています。

教皇ベネディクトと教皇フランシスコの比較

【ロマン氏】これは後にする予定だった質問ですが、今答えることができると思います。教皇ベネディクトと教皇フランシスコの違いは何でしょうか? 教皇フランシスコは、世界中で無制限に告解を聞くという委任(delegation)を聖ピオ十世会に与えました。それは良い決断のように思います。それはどのような重要性を持っているのでしょうか? 何を示しているのでしょうか?

【フェレー司教】火事の例でお話しします。私たちは火を消そうとしているのです。さて、この教皇フランシスコの委任で何が起こるのでしょうか? それは、消防士の制服を受け取るようなものです。今、私たちは仕事をしているだけでなく、仕事は同じですが、制服も持っているのです。

【ロマン氏】その通りです。以前は許可を得なければなりませんでしたが、そうなのですか?

【フェレー司教】以前は、私がお話しした通りでした。ローマはそれを合法としました。他の人たちは「ノー」と言いました。しかし、最も重大なケースでは、私たちは常に許可を得ていました。そして、内赦院は教皇と非常に緊密に連携していることを知っておいてください。譴責を赦すのは教皇ですから、彼らはこれらのことを教皇に提示します。したがって、それは教皇の許可なのです。

【ロマン氏】非常に良いことです。このことからも、同じように分かります…というのは、私が人々を司教様たちのことについて述べるとき、彼らは私にこう言いました、「ああ、でも彼らは交わりにはいない」と。

【フェレー司教】そうです。交わりという考え方も…私はローマに抗議したんです。なぜなら、彼らは私たちが「完全な交わり」(full communion)にいないと言いましたし、今も言っているからです。私はポッツォ大司教に、「抗議します」と申し上げました。曖昧な言葉で遊んでいるからです。

なぜでしょうか? なぜなら、全カトリック信者のかしらが、ある人に対して、あなたは完全な交わりにいないと告げる場合、その人は(教会の)外にいるからです。

【ロマン氏】その通りです。

【フェレー司教】私は大司教に、「それが正しくないのはご存じでしょう。私たちが教会の中にいることはよくご存じでしょう」と言いました。でも、あなたはこの「完全な交わり」という用語を、新しい考え方で使っていますね。それは(第二バチカン)公会議以降に発展した考え方です。教会を「交わり」と見なす考え方です。

これは新しい用語です。新しい考え方です。それを彼らが使っているのです。ボス、高位聖職者、彼らの一部とでも言いましょう、でも一般的に【その新しい意味で使っています】。それは【今までの教会の】考え方ではありません。【教会の】考え方はいつも同じです。【今までの考え方によれば】完全な交わりにいないなら、外にいるのです。

私たちが教会の中にいることをよく知っていて理解している当局者たちがいます。しかし、そうです、イレギュラーなのです。非正規性はあるのです。彼らは、【そのイレギュラーであることを指して】この「完全な交わり」にいないという表現を使って、この非正規性について話しているのです。でも、非正規というのは、外という意味ではないのです! だから、この言葉を使うのは、ごまかしなのです。

【ロマン氏】もちろんです。教皇フランシスコと聖ピオ十世会の皆さんとの関係、これは、皆さんが教会の外にいるのではないことを人々に示すために私が使っているものです。そうでなければ、教皇フランシスコは皆さんに何かをくださることはないでしょう。

【フェレー司教】そうです、そうです。個人的に、教皇様にお会いしたとき、何度も招待されたとき、教皇様は直接、私にこう言われました。「私は皆さんを断罪しません」と。そしてさらに、「私が皆さんに関わろうとすると、私に問題を起こしてくる人たちとの間で、私は問題を抱えているのです。私は彼らにこう言います。『私は破門された人々やプロテスタントの人々に関わろうとしているんです。なぜ、あなたがたは私を悩ませるのですか? なぜ私はカトリック信者を助けられないのですか?』」と言われました。教皇様は、私にそのように言われました。

教皇様は続けて、こう言われました。「また、私は、あなたのグループの中で、人々があなたに問題を起こしていることを知っています!」。聖ピオ十世会の中には、このすべてに満足していない人々がいるのです。続けてこう言われました。「うーん…私には、圧力をかけるのは良いとは思えません。時間をかけて、ゆっくりと行うべきです」。ですから、それがおきています。私たちは、ゆっくりと行っています。

【ロマン氏】その通りです。では秘跡は合法なのですか? 洗礼は…。

【フェレー司教】私にとっては合法です。寛容という面からそれを説明できると思います。法に一致していない状況です。法に従いたい人は、「おい、だめだ! ちょっと待て! 信号は赤だぞ!」と言うでしょう。そうです、信号は赤なのです。

【ロマン氏】しかし、有効性についてはどうでしょうか? ミサを捧げるとき、キリストは現存されるのですか?

【フェレー司教】まったくはっきりしています。その通りです。

【ロマン氏】人々は私に尋ねてくるのです。なぜでしょうか?

【フェレー司教】なぜなら、簡単に言えば、有効性は、合法性を考慮しない要素によって決まるからです。秘跡が有効であるためには、正しい質料、形相、そして意向が必要なのです。この三つが存在すれば、秘跡は有効です。

恐ろしい例を挙げましょう。それは黒ミサです。黒ミサは恐ろしい冒涜ですが、司祭が必要です。黒ミサは有効です。それは有効です。それは、人が想像できる最悪の冒涜です。【合法性以外の】他の要素によって有効性のある場合があることを理解できます…。それは、はい、有効なのです。

司祭である人…例えば正教会の聖職者は、有効なミサを捧げます。しかし、正教会の司祭はカトリック教会の成員ではないので、そのミサは不法なものです。これは強盗のようなものです。彼らは、カトリック教会の秘跡を持ったまま教会を離れたのです。彼らの秘跡は、【もともとは】カトリック教会の秘跡なのです。

【ロマン氏】しかし、秘跡は天主のみわざです。だからこそ、キリストが働かれるのでしょうか?

【フェレー司教】そうです。問題は、その秘跡を受ける人々にとって、それが、効果があるかどうかという、効果性のレベルの話です。「ex opere operato」(為されたわざから=事効)の定義は、障害物を置く人々のためではなく、反対の要素を置かない人々のためのものです。離教者であること、教会の外にいることは、そのような障害物を置くことなのです。

【ロマン氏】そうです。それは重大です、非常に重大です。

このインタビューの第2部は、近日中に掲載予定です。

Conoce Ama Y Vive Tu Fe con Luis Roman - sspx.org - 02/17/2022
PRIMERA PARTE ENTREVISTA a Monseñor Bernard Fellay



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