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復活祭は旧約の「過越の祭り」の完成:復活の神秘を掘り下げて、聖母が新しい契約の櫃であることを黙想する

2022年05月11日 | お説教・霊的講話

2022年4月30日(土)童貞女シエナの聖カタリナのミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(修道院)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

今日はシエナの聖カタリナの祝日です。本来ならばこの聖女についてとても興味深い黙想をするべきです。ドミニコ会の第三会、そしてフランスのアヴィニョンにいた教皇様に非常に強い口調で「腐っている枢機卿たちは破門してしまいなさい。教皇様はローマに来なければなりません」と諭して、そしてこの聖女のおかげで、教皇様がローマに戻ることができるようになった方です。

しかし今日は、復活祭を祝ったばかりのことですし、マリア様の土曜日でもあるので、マリア様の神秘についてぜひ黙想を続けることを提案します。

マリア様が第二のエワということは、知っている人は知っています。ところで、カトリックがマリア様の神秘を語ると、よくプロテスタント人からこのように言われます。「マリア様についてはほとんど聖書に書かれていないではないか。聖母の被昇天とか、新約聖書のどこにあるのか。」すると私たちはそのような人たちに「マリア様のことは聖書に全て書かれている」と、「新約聖書だけではなくて、旧約聖書も見なければならない」と言わなければなりません。

何故かというと、初代のカトリック信者は旧約聖書をよく知っていて、その理解の上で全てを理解していたからです。もちろん、イエズス様が第二のアダムであるということはよく知っていました。聖パウロがこれを教えています。第二のアダムがあるのならば第二のエワはどうでょうか?初代のキリスト者たちは第二のエワについても理解していたはずです。

イエズス様が救い主が、私たちを救いの約束の地に、約束の天の国に、私たちを罪の状態から解放させて下さる、ということを知っていました。旧約の預言が全てこの方において成就されるということを知っていました。たとえば復活祭は、旧約の「過越の祭り」の完成です。

今日は特に、復活の神秘を深く掘り下げて「マリア様が新しい契約の櫃である」ということを少し黙想しましょう。

さて、過越の祭りというのは、ヤーウェからモーゼに命令が下り、そして「エジプトの奴隷状態からお前たちを解放するから、だから一歳の子羊を屠って、その血を家の門に塗って、そしてそれを食べて、その後でエジプトを脱出せよ。もしもその血が塗られている所では、破壊の天使はそのまま通り過ぎるけれども、もしも塗られていないならば、すべての長男を殺す。」そのようになりました。

そしてその過越を食べた後に、彼らはエジプトを全て脱出します。脱出のその時には海がありました。紅い海、紅海というその海を直前に見ると、エジプトの最高の軍隊が馬車とを持って武器を持って、イスラエルの人たちに迫ってきました。するとモーゼはアーロンの杖を持って、海を真っ二つに分けて、その中を、壁のようになった海の中を歩いて行きます。

そしてイスラエルの人たちが全て渡り終わった時に、「さぁ、終わった」と杖を引くと、その後を追っていたエジプトの大軍は海の中に沈没して、溺れてしまって全滅します。

その後でモーゼは、シナイの山で天主の十戒の二つの石の板を受けます。

またヤーウェから啓示を受けて、モーゼは契約の櫃を作ります。この契約の櫃の中に、契約の櫃はアカシアの木で作られて、黄金で覆われていて、純金は神性(天主の本性)を象徴していました。ケルビムが天主を礼拝していて、「ここにこそ天主が、ここにまします」ということの現存のしるしでした。そして天主様のヤーウェの栄光が、御稜威が、雲のように輝き、そして昼は雲のように、夜は火となって民を照らして、その御稜威(みいつ)の神々しさが、その契約の櫃を覆っていました。聖書には「主の栄光の雲が契約の櫃を全て覆い、主の御稜威が輝きモーゼは契約の櫃に近づくことができなかった」とあります。その契約の櫃の中には天主の十戒の二つの石板、そして天から降ってイスラエルの民を養ったマンナのパン、それからアーロンの杖、これが三つが保管されていました。

ところで、この契約の櫃はいつもイスラエルの人にとって最も大切なものであって、もしもペリシテ人か何かと戦う時には、その契約の櫃を先頭に戦いました。この契約の櫃があれば敵は全滅しました。これがないと負けてしまいます。

ある時、この契約の櫃が牛に当たって、そしてその契約の櫃が倒れそうになった時があります。その時にウザという人が、それが倒れないように手で触れて、それを止めるのですけれども、「手に触れてはならない契約の櫃を触れたので、その場で彼は亡くなってしまいます。死亡してしまいます。それを見たダビド王は、本当は自分の家に来てもらおうと思ったのですけれども、「主の契約の櫃が私の家に来るとは何ということだろうか。とてもできない」として、別の人に、オベド・エドムという人の家に三ヶ月留まるようにしました。

すると、この彼が大きな祝福を受けて、ヤーウェから大きな祝福を受けるので、それを見て「あぁ、じゃあ私も」と言ってダビド王は、その契約の櫃を自分の街にエルサレムに受ける時があります。するとその契約の櫃を受けてダビドは非常に喜んで、喜び踊りました、契約の櫃の前で。そして喜びの叫びを上げた、と聖書に書かれています。

時代がさらに下って、バビロニアがイスラエルを攻撃して、そしてバビロン捕囚といわれている占領される時が来る時に、預言者エレミヤはその直前にヤーウェから啓示を受けて、この契約の櫃が冒瀆を受けないように、モーゼが約束の地を見た山、すなわちネボ山に、その山の洞窟に隠すことにしました(後マカベ2:4-10)。

ところがそしてお供に来た者が、それを後で見つけようと思って隠した所に印をしたのですが、ところが印を後で見ようとすると、エレミヤが叱って、いや、将来、主の憐れみの時が来る。憐みを受けるまで契約の櫃の隠された場所は知られずにとどまるだろう、しかしその憐れみの時が来ると、主の御稜威はあらわれて雲が現れるだろう。この契約の櫃に主の栄光の影が覆い、いと高き者の力(ちから)のかげが覆って、そしてまたこれが、契約の櫃が現れるだろう。だからその憐れみの時を待たなければならない、と説明します。そしてどこにあるか分からなくなりました。

なぜこのようなことを話したかというと、初代の信者はこれらのことをよく知っていたのです。旧約の過ぎ越しや契約の櫃について良く知っていました。あわれみの時の到来を待望していました。

イエズス・キリストの当時、エルサレムの神殿の至聖所に大司祭が入っても、中は空っぽだったのです。契約の櫃がまた現れるのを待っていたのです。

ところでイエズス様の過越、復活の最後の晩餐、そして御復活のことを見ると、「これこそ新しい過越であって、新しい脱出、奴隷状態からの解放である」ということを彼らはよく理解できました。

洗礼の水を通って、イエズス様の御血によって赤く染められた、その御血の功徳による洗礼の水を通って、私たちは悪魔の奴隷状態から解放された。そして洗礼の水によって罪と悪魔は全て滅ぼされてしまった。そしてその洗礼を受けた後には、私たちは石ではなくて聖霊によって私たちの心には天主の愛の掟が刻み込まれている。そして毎日、イエズス・キリストの御体である御聖体によって養われて、約束された天まで私たちは巡礼をしている。

では一体、その憐れみの時が来たのだろうか?では一体、その私たちを約束の地まで導く契約の櫃は一体現れたのかどうか?

現れた。何故かというと、マリア様が大天使聖ガブリエルの御告げを受けた時に「私は男を知らないのですが、どうしてそんなことになるのですか?」とたずねると「聖霊があなたにくだり、いと高きものの力のかげがあなたをおおうのです。」という答えがあったからです。

このマリア様が御告げを受けたその時に、大天使から、「エリザベトも子供を、石女と言われたにもかかわらず、もう今身ごもって六ヶ月経っている」ということを聞いて、その直後に、「仰せの如く私になりますように」と言います。その瞬間、イエズス様は天主の御言葉は、マリア様の御胎内に宿り、マリア様は新しい契約の櫃となったのではないのでしょうか。

マリア様の中には、将来私たちの御聖体となるべき、新しいマンナとなるべきイエズス・キリストが宿されましたし、マリア様は聖霊と一致した浄配でありますし、そして大司祭アーロンに変わる永遠の大司祭イエズス・キリストが御胎内に宿られたからです。

その証拠に、マリア様が聖エリザベトの所に行くと、エリザベトは「主のおん母が私を訪問してくださったのですか!これほどのことが、どうして私にめぐまれたのでしょう!」と言って、それをマリア様の訪問を受けた洗者聖ヨハネは胎内で喜び踊ったとあり、また聖エリザベトも大きな声で喜びの叫びを出した、といいます。聖母はそこに三か月とどまります。これは、旧約のダビドの前兆の実現ではないでしょうか。

聖ヨハネは、モーゼによって私たちは律法を与えられたけれども、私たちはイエズス・キリストによって恵みに次ぐ恵みを受けた、と福音に書いています。教父たちは聖ヨハネの福音を読んだ時にこう言いました。イエズス・キリストこそ来たるべき第二のモーゼであって、私たちを解放するべき方だった、と。

また聖ヨハネは黙示録に「天では天主の神殿がひらけ、その中に契約の櫃が見え、いなずま、声、かみなり、地震がおこり、大きな雹が降った。それから、壮大なしるしが天にあらわれた。太陽に包まれた婦人があり、その足の下に月があり、その頭に十二の星の冠をいただいていた。」(黙示録11:19&12:1)と天にある契約の櫃について書いています。

初代のキリスト教信者たちは、マリア様こそ来たるべき契約の櫃であったこと、その内にイエズス・キリストがいつも託されて留まり、そして私たちの先頭に立って戦って下さって、天国まで復活まで私たちを導く、新しい契約の櫃、天にある天主の神殿の中の新約の契約の櫃であることを理解していました。

では5月、聖母の聖なる月を迎える前に、マリア様への信心をますます燃え立てることに致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。



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1 コメント

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「来世の父なるイエズス」 (ヨハネ)
2022-05-12 11:30:46
イエズスの御名の連祷に「来世の父なるイエズス」と書かれています。この意味が分かりませんでしたが、 第二のアダムのイエズス様が、 第二のエワのマリア様に「婦人よ、これがあなたの子だ」とおっしゃったとき、私たちはマリア様の子となりました。イエズス様の、この一言でマリア様の子になったので、イエズス様は来世の父でもあるということなのですね。
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