2019年9月7日(初土)聖母の汚れなき御心の随意ミサ
聖ピオ十世会司祭 小野田神父説教
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2019年9月7日、初土曜日のミサを行なっています、聖母の汚れなき御心の随意ミサです。
今日は月の最初の土曜日ですから、ミサの後に、その信心をする為に御聖体降福式を行ないましょう。御聖体を皆と一緒に礼拝致しましょう。
次のミサは、9月29日、大天使聖ミカエルの祝日です。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日は初土曜日で、マリア様の汚れなき御心の信心を行なう日ですが、特に明日はマリア様の御誕生日なので、一足先に、マリア様の御誕生について、
⑴何で一体、カトリック教会では、マリア様の御誕生日を祝うほど、マリア様は大切なのか?なぜ教会は、カトリック教会はマリア様を大切に思っているのか?一体、私たちにどんな関係があるのか?という事を黙想して、
⑵今日、では遷善の決心に何を考えたら良いか、という事を一緒に黙想致しましょう。
⑴聖書によると、新約聖書によると、マリア様の御告げ以前の事については、マリア様がどのように御誕生になったのか、という事は詳しく分かりません。しかし言い伝えられたところによると、マリア様のお父様は聖ヨアキム、マリア様のお母様は聖アンナ、二人は子供が無かったけれども、しかしとても信心深い、天主ヤーウェにいつも祈り、奉仕していた夫婦で、アブラハムとサラ、あるいはエルカナとアンナ、その他ヤコブとレベッカ、あるいはその他旧約時代のこの夫婦を更に超えた、熱心な、そして清い夫婦だった。
「おそらく新約聖書のルカの福音にある、『エリ』と言う名前が、『ヨアキム』の事だ」と、教父たちは言います。なぜかというと、『エリ』というのは、『エリアキム』の省略形だからです。エリアキムの中の『エリ』というのは、天主(エル)のことで、ヤーウェの別の言い方です。『エリアキム』というのは、「エル」が「ヤーウェ」に変わると、それが『ヨアキム』となる。だから『エリアキム』は、『ヨアキム』と同じ意味の名前だから、実は「エリ」(=エリアキム)はヨアキムの事なのだ、と教父たちは言うからです。
おそらく旧約聖書を見ると、その生まれるべき子供について、特別な任務を持ったものであれば、天主はヤーウェは、「その子供はどのような子であるか」という事を告げ知らせているので、おそらく聖ヨアキムと聖アンナも、この生まれるべき子供を身籠った時、マリア様が身籠った時に、おそらくどのような子供であるか、という事を知らされていたかもしれません。
そしてマリア様の名前を、『マリア』というのを決める時にも、特別な息吹が、特別に心を動かされて、「マリア様」という名前を付けたに違いありません。「ヘブライ語では“ミリアム”そして当時話されていたアラマイ語という言葉では“マリアム”という名前だ、そしてそれがマリア様だった」と。「意味は、『女主人』であり、『女王』であり、そして『女教師』である。」
「でもマリア様は実は、その名前の語源よりも、更に実際に、この世に創造主を、天主の聖子を、イエズス・キリストをお与えになる方として、更にこの王の母、天主の母となるべき方であったので、まさにこの『マリア』という名前は、相応しかった」と言います。
聖パウロによると、こう書かれています、「天主は世の創造以前から、キリストにおいて私たちを選び、愛によって、ご自分に聖であるもの、汚れないものとするために、み旨のままに、イエズス・キリストによって私たちをご自分の養子にしようと予定された。」
有名なエフェゾ人への手紙の最初です。
「主イエズス・キリストの父である天主をたたえよう。かれは、天上から、キリストにおいて、私たちを、霊のすべての祝福でみたされた。天主は世の創造以前から、キリストにおいて私たちを選び、愛によって、ご自分に聖であるもの、汚れないものとするために、み旨のままに、イエズス・キリストによって私たちをご自分の養子にしようと予定された。それは、愛する子によって、私たちに無償でさずけられた恩寵の光栄のほまれのためであった。」
ところで、もしも私たちの、罪を犯すような私たちが、罪人である私たちが、天主の子供として、永遠の昔から、天主の考えの中にあって、そのように定められたとしたら、天主は全くの自由意志を以て、何千何億何兆の色々な無限の可能性の中から、全能の力を以て、その全能の全知を以て、自由に、ある被造物を選びました。
永遠の昔から、この被造物を、たった一人の被造物を選んで、「この被造物こそが、天主三位一体の、天主聖父の特別の愛を受ける被造物だ」として、選ばれたのです。
そして、この全くの自由意志を以て選ばれたこの被造物から、被造物から、天主三位一体の聖子が生まれる事を望まれました。全くの自由意志を以て、自由に、永遠の昔から、この被造物に、聖霊は全く注がれて、「この被造物と一致合体しよう」と、「聖寵の満ち溢れを与えよう」と望まれました。
この特別に選ばれた被造物というのが、天主様が全く自由に選んだ方で、それが明日誕生日を祝う、マリア様です。
「永遠の昔から、私たちを天主の子供として、」聖パウロが言うには、「私たちを選んだ。」その自由を以て、天主はマリア様を特別な女性としてお選びになりました。聖子を全て与える方として、その方を選びました。
聖父・聖子・聖霊、三位一体全ては、この女性を、明日私たちが誕生日を祝うその女性を、特別に愛されて、特別の選みを与えました。
私たちは、永遠の昔から天主の子供として選ばれたとしても、残念ながら、どれほど罪を、あるいは天主の御旨に100%応える事ができなかった事が多かった事でしょうか。
天主からの与えられた務めを果たせなかったその代わりに、自分のやりたい事をしてしまった。天主を愛する事を、100%、全て尽くして、心を尽くして、力を尽くして、霊魂を尽くして、愛する事ができなかった。自分の利益の為に、あるいは自分の為に、天主への愛が純粋ではなかった。
あるいは残念ながら、与えられた時間や能力を、天主に対して罪を犯す為に使ってしまった。被造物を良く使う事ができなかったのみならず、天主を侮辱する為に使ってしまった。
そのような事を経験しますが、しかし、永遠の昔から選ばれたこの女性については、違っていました。マリア様は最初の瞬間から、全て聖寵に満ち溢れてる御方でした。旧約聖書の中には、はっきりと「マリア様」とは書かれていなくても、暗示的に、マリア様の事について書かれている所がたくさんあります。
例えば、時の始めにおいて、アダムとエヴァが罪を犯した時に、天主はある女性について予言をしました、「私は、(蛇)お前と女性の間に、ある女性の間に、敵対を置く。この女性は、お前の頭を踵で踏み砕くだろう」と予言しました。
この「女性」というのは、はっきりと聖書で名前を載せていませんが、聖母マリア様の事です。これは東方教会、西方教会の、2000年の伝統がそう指し示しています。
あるいは知恵の書で、例えば今日読んだ所、あるいはその他の所で、「永遠の昔から、天主の中において考えられていたものがある。」
教父たちは、教会の立派な学者たちは、「これはマリア様の事を意味している」と口を揃えて、声を揃えて言います。
聖書の旧約聖書の所には、多くの所には、暗示的に、マリア様の事が深く書かれていて、そして天主からの啓示として、暗示された啓示として、私たちに伝えられています。
マリア様はなぜ、それほどまで愛されたのでしょうか?
なぜかというと、天主の聖子イエズス・キリストを、御自分の胎内に宿す、生ける神殿となるべき方であったからです。イエズス・キリストの従順に従うべき、御母となるべき方であったからです。
もちろん天主は成人として、完成された人間としてこの世にいきなり現れる事もできました。しかし永遠の知恵を以て、そうではなく、女性から御生まれになる事を望みました。そしてこの女性が、天主の母として、イエズス・キリストを産み育てる方として、最高のものであるように、特別な準備と、御恵みを与えました。
預言で、聖書にも言われている通りです、「代々、私の事を幸いな者と言うでしょう。」あるいは今日、知恵の書で読まれたように、「私のこの記憶は、代々に渡る。」
ですから、使徒信経にもありますように、イエズス様は「童貞マリアより生まれ」とありますが、このイエズス様が、私たちの救い主が生まれたのは、まさにこの童貞女であり、同時に母であるマリア様の事であって、このマリア様から生まれる為に、天主は何をしたかというと、「そうしても良いですか?」と、聞く事さえしたのです。
大天使聖ガブリエルをお送りになって、そして、「めでたし、聖寵に充ち満てる御方、主は御身と共に在す…」そしてマリア様が、「一体これは何の挨拶だろう?」と考えている時に、「聖霊の力があなたに宿った。あなたから生まれるべき者は、偉大なる者であって、『天主のいと高き者の子』と呼ばれる。ダヴィドの末の王座を持つ者であって、その御国は終わる事がない。」
「あなたは、この子供を産む事に、同意するのか?しないのか?あなたが、『はい』と言えば、この世に救い主が与えられるし、しかしもしも断るならば、もうそれで終わりだ。」
マリア様は言います、「私は主の婢女です。主の女奴隷です。私は主の御旨のままに、御旨を果たす事だけを望んでいます。御言葉の通りに私になりますように。」
その瞬間、天主聖子はマリア様の御胎内に孕り、そして、救い主の母となりました。
ですから教父たちは言います、「マリア様は、肉体によって聖子を産んだのみならず、その同意によって、その愛によって、その従順によって、お産みになった。」
ですから教父たちによると、「天主は、人間となる為に人間の本性を盗んだのではなく、そうではなく、マリア様から特別な贈り物として、プレゼントとして、『使って下さい』と言われたので、それを受け取った。マリア様が『どうぞ』と言ったので、私たちは救い主を受ける事ができた。」
天主が私たちになさった、ものすごい御業が2つあります。1つは、人間を創った、この「天地の創造」と、第2は、私たちを贖った、「贖いの御業」です。
第1の創造の時に、天主はアダムを土の塵から創りました。そしてアダムが脱魂状態にいた時に、そのアダムから、第1の女性を創りました。
そして、このアダムとエヴァが犯した罪を償う為に、そして蛇の頭を砕く為にも、新しいアダムは、つまりイエズス・キリストは、新しいエヴァから生まれました。新しいエヴァ、マリア様が、祈りの脱魂状態、愛の脱魂状態にいる間に、そのエヴァの体から、第2の新しいアダムが造られる事を望まれました。
天主が第1のアダムを創った時に、その前に準備をしたのが、エデンの園でした。エデンの園には美しい花が咲いていて、木々があり、4つの川があり、生命の木と、そして善と悪を知る木があり、そしてその特別の庭において、アダムとエヴァが創られて、そしてアダムとエヴァの婚姻の神秘が祝われました。
ところで、贖いの神秘の為に、第2のアダム、新しいアダムを造る時には、天主は特別の、別の、秘密の、天主のみに知られる、第2のエデンの園を作りました。それがマリア様です。そしてマリア様の元において、イエズス様が、イエズス・キリストが造られました。この時には、人性と人間の本性と、天主の本性が合体する、という神秘的な婚姻が祝われました。
マリア様というエデンの園には、聖寵の充ち満てる川が流れて、そしてそれが、その「マリア様を通して、全世界に流されるように」と望まれました。
マリア様はちょうど、第1のアダムと第1のエヴァが、善と悪の知識の木の実を盗んで、罪を犯したのを償う為に、新しいアダムと新しいエヴァは、十字架の木に、イエズス・キリストという第2のエヴァの木の実を付けて、罪の償いをします。
罪の償いをしたその第2のアダム、つまり新しいアダムであるキリストが、十字架の上に付けられた時の言葉を聞いて下さい、今日福音で読みました、「子よ、全人類よ、汝の母を見よ。」
イエズス様は、贖い主として、第2のアダムとして、贖われた人類を創造する頭として、私たちに呼びかけています、「汝の母を見よ。」
「私たちは聖寵によって、新しい天主の命によって生きるべき、生まれるべき者であって、私たちの母は、マリア様だ」と教えています。
ですから教会は、マリア様の事を特別に祝っています。この御誕生を、私たちに与えられた特別の御恵みとして、もしもこの方がいなければ、生まれてこなければ、私たちに救いが与えられなかったその方として、そして第2のエヴァとして、イエズス・キリストと共に一緒に、十字架の下で、私たちの贖いの為に協力して下さった方として、この御誕生日を祝っています。
⑵では私たちは今日、どのような遷善の決心をすれば良いでしょうか?
私たちは、このような贖いの深い神秘を、まず讃美致しましょう。私たちの人間の知識や知恵をはるかに超える、天主の深いその知識の広さと、深さと、高さの前に、礼拝し、それを讃美致しましょう。そしてそのような深い神秘を以て、私たちを永遠の命へと導いて下さるその天主の愛に、私たちを深く愛して下さる愛に、感謝致しましょう。
マリア様は、私たちに対するイエズス様の愛を弱めるどころか、更に深めて下さいます、更に大きくして下さいます。そしてマリア様は私たちを、イエズス様に行く為に助けて下さいます。
今日は既に、マリア様の誕生日の御降誕の中に入って、そしてマリア様の汚れなき御心を讃美致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
聖ピオ十世会司祭 小野田神父説教
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2019年9月7日、初土曜日のミサを行なっています、聖母の汚れなき御心の随意ミサです。
今日は月の最初の土曜日ですから、ミサの後に、その信心をする為に御聖体降福式を行ないましょう。御聖体を皆と一緒に礼拝致しましょう。
次のミサは、9月29日、大天使聖ミカエルの祝日です。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日は初土曜日で、マリア様の汚れなき御心の信心を行なう日ですが、特に明日はマリア様の御誕生日なので、一足先に、マリア様の御誕生について、
⑴何で一体、カトリック教会では、マリア様の御誕生日を祝うほど、マリア様は大切なのか?なぜ教会は、カトリック教会はマリア様を大切に思っているのか?一体、私たちにどんな関係があるのか?という事を黙想して、
⑵今日、では遷善の決心に何を考えたら良いか、という事を一緒に黙想致しましょう。
⑴聖書によると、新約聖書によると、マリア様の御告げ以前の事については、マリア様がどのように御誕生になったのか、という事は詳しく分かりません。しかし言い伝えられたところによると、マリア様のお父様は聖ヨアキム、マリア様のお母様は聖アンナ、二人は子供が無かったけれども、しかしとても信心深い、天主ヤーウェにいつも祈り、奉仕していた夫婦で、アブラハムとサラ、あるいはエルカナとアンナ、その他ヤコブとレベッカ、あるいはその他旧約時代のこの夫婦を更に超えた、熱心な、そして清い夫婦だった。
「おそらく新約聖書のルカの福音にある、『エリ』と言う名前が、『ヨアキム』の事だ」と、教父たちは言います。なぜかというと、『エリ』というのは、『エリアキム』の省略形だからです。エリアキムの中の『エリ』というのは、天主(エル)のことで、ヤーウェの別の言い方です。『エリアキム』というのは、「エル」が「ヤーウェ」に変わると、それが『ヨアキム』となる。だから『エリアキム』は、『ヨアキム』と同じ意味の名前だから、実は「エリ」(=エリアキム)はヨアキムの事なのだ、と教父たちは言うからです。
おそらく旧約聖書を見ると、その生まれるべき子供について、特別な任務を持ったものであれば、天主はヤーウェは、「その子供はどのような子であるか」という事を告げ知らせているので、おそらく聖ヨアキムと聖アンナも、この生まれるべき子供を身籠った時、マリア様が身籠った時に、おそらくどのような子供であるか、という事を知らされていたかもしれません。
そしてマリア様の名前を、『マリア』というのを決める時にも、特別な息吹が、特別に心を動かされて、「マリア様」という名前を付けたに違いありません。「ヘブライ語では“ミリアム”そして当時話されていたアラマイ語という言葉では“マリアム”という名前だ、そしてそれがマリア様だった」と。「意味は、『女主人』であり、『女王』であり、そして『女教師』である。」
「でもマリア様は実は、その名前の語源よりも、更に実際に、この世に創造主を、天主の聖子を、イエズス・キリストをお与えになる方として、更にこの王の母、天主の母となるべき方であったので、まさにこの『マリア』という名前は、相応しかった」と言います。
聖パウロによると、こう書かれています、「天主は世の創造以前から、キリストにおいて私たちを選び、愛によって、ご自分に聖であるもの、汚れないものとするために、み旨のままに、イエズス・キリストによって私たちをご自分の養子にしようと予定された。」
有名なエフェゾ人への手紙の最初です。
「主イエズス・キリストの父である天主をたたえよう。かれは、天上から、キリストにおいて、私たちを、霊のすべての祝福でみたされた。天主は世の創造以前から、キリストにおいて私たちを選び、愛によって、ご自分に聖であるもの、汚れないものとするために、み旨のままに、イエズス・キリストによって私たちをご自分の養子にしようと予定された。それは、愛する子によって、私たちに無償でさずけられた恩寵の光栄のほまれのためであった。」
ところで、もしも私たちの、罪を犯すような私たちが、罪人である私たちが、天主の子供として、永遠の昔から、天主の考えの中にあって、そのように定められたとしたら、天主は全くの自由意志を以て、何千何億何兆の色々な無限の可能性の中から、全能の力を以て、その全能の全知を以て、自由に、ある被造物を選びました。
永遠の昔から、この被造物を、たった一人の被造物を選んで、「この被造物こそが、天主三位一体の、天主聖父の特別の愛を受ける被造物だ」として、選ばれたのです。
そして、この全くの自由意志を以て選ばれたこの被造物から、被造物から、天主三位一体の聖子が生まれる事を望まれました。全くの自由意志を以て、自由に、永遠の昔から、この被造物に、聖霊は全く注がれて、「この被造物と一致合体しよう」と、「聖寵の満ち溢れを与えよう」と望まれました。
この特別に選ばれた被造物というのが、天主様が全く自由に選んだ方で、それが明日誕生日を祝う、マリア様です。
「永遠の昔から、私たちを天主の子供として、」聖パウロが言うには、「私たちを選んだ。」その自由を以て、天主はマリア様を特別な女性としてお選びになりました。聖子を全て与える方として、その方を選びました。
聖父・聖子・聖霊、三位一体全ては、この女性を、明日私たちが誕生日を祝うその女性を、特別に愛されて、特別の選みを与えました。
私たちは、永遠の昔から天主の子供として選ばれたとしても、残念ながら、どれほど罪を、あるいは天主の御旨に100%応える事ができなかった事が多かった事でしょうか。
天主からの与えられた務めを果たせなかったその代わりに、自分のやりたい事をしてしまった。天主を愛する事を、100%、全て尽くして、心を尽くして、力を尽くして、霊魂を尽くして、愛する事ができなかった。自分の利益の為に、あるいは自分の為に、天主への愛が純粋ではなかった。
あるいは残念ながら、与えられた時間や能力を、天主に対して罪を犯す為に使ってしまった。被造物を良く使う事ができなかったのみならず、天主を侮辱する為に使ってしまった。
そのような事を経験しますが、しかし、永遠の昔から選ばれたこの女性については、違っていました。マリア様は最初の瞬間から、全て聖寵に満ち溢れてる御方でした。旧約聖書の中には、はっきりと「マリア様」とは書かれていなくても、暗示的に、マリア様の事について書かれている所がたくさんあります。
例えば、時の始めにおいて、アダムとエヴァが罪を犯した時に、天主はある女性について予言をしました、「私は、(蛇)お前と女性の間に、ある女性の間に、敵対を置く。この女性は、お前の頭を踵で踏み砕くだろう」と予言しました。
この「女性」というのは、はっきりと聖書で名前を載せていませんが、聖母マリア様の事です。これは東方教会、西方教会の、2000年の伝統がそう指し示しています。
あるいは知恵の書で、例えば今日読んだ所、あるいはその他の所で、「永遠の昔から、天主の中において考えられていたものがある。」
教父たちは、教会の立派な学者たちは、「これはマリア様の事を意味している」と口を揃えて、声を揃えて言います。
聖書の旧約聖書の所には、多くの所には、暗示的に、マリア様の事が深く書かれていて、そして天主からの啓示として、暗示された啓示として、私たちに伝えられています。
マリア様はなぜ、それほどまで愛されたのでしょうか?
なぜかというと、天主の聖子イエズス・キリストを、御自分の胎内に宿す、生ける神殿となるべき方であったからです。イエズス・キリストの従順に従うべき、御母となるべき方であったからです。
もちろん天主は成人として、完成された人間としてこの世にいきなり現れる事もできました。しかし永遠の知恵を以て、そうではなく、女性から御生まれになる事を望みました。そしてこの女性が、天主の母として、イエズス・キリストを産み育てる方として、最高のものであるように、特別な準備と、御恵みを与えました。
預言で、聖書にも言われている通りです、「代々、私の事を幸いな者と言うでしょう。」あるいは今日、知恵の書で読まれたように、「私のこの記憶は、代々に渡る。」
ですから、使徒信経にもありますように、イエズス様は「童貞マリアより生まれ」とありますが、このイエズス様が、私たちの救い主が生まれたのは、まさにこの童貞女であり、同時に母であるマリア様の事であって、このマリア様から生まれる為に、天主は何をしたかというと、「そうしても良いですか?」と、聞く事さえしたのです。
大天使聖ガブリエルをお送りになって、そして、「めでたし、聖寵に充ち満てる御方、主は御身と共に在す…」そしてマリア様が、「一体これは何の挨拶だろう?」と考えている時に、「聖霊の力があなたに宿った。あなたから生まれるべき者は、偉大なる者であって、『天主のいと高き者の子』と呼ばれる。ダヴィドの末の王座を持つ者であって、その御国は終わる事がない。」
「あなたは、この子供を産む事に、同意するのか?しないのか?あなたが、『はい』と言えば、この世に救い主が与えられるし、しかしもしも断るならば、もうそれで終わりだ。」
マリア様は言います、「私は主の婢女です。主の女奴隷です。私は主の御旨のままに、御旨を果たす事だけを望んでいます。御言葉の通りに私になりますように。」
その瞬間、天主聖子はマリア様の御胎内に孕り、そして、救い主の母となりました。
ですから教父たちは言います、「マリア様は、肉体によって聖子を産んだのみならず、その同意によって、その愛によって、その従順によって、お産みになった。」
ですから教父たちによると、「天主は、人間となる為に人間の本性を盗んだのではなく、そうではなく、マリア様から特別な贈り物として、プレゼントとして、『使って下さい』と言われたので、それを受け取った。マリア様が『どうぞ』と言ったので、私たちは救い主を受ける事ができた。」
天主が私たちになさった、ものすごい御業が2つあります。1つは、人間を創った、この「天地の創造」と、第2は、私たちを贖った、「贖いの御業」です。
第1の創造の時に、天主はアダムを土の塵から創りました。そしてアダムが脱魂状態にいた時に、そのアダムから、第1の女性を創りました。
そして、このアダムとエヴァが犯した罪を償う為に、そして蛇の頭を砕く為にも、新しいアダムは、つまりイエズス・キリストは、新しいエヴァから生まれました。新しいエヴァ、マリア様が、祈りの脱魂状態、愛の脱魂状態にいる間に、そのエヴァの体から、第2の新しいアダムが造られる事を望まれました。
天主が第1のアダムを創った時に、その前に準備をしたのが、エデンの園でした。エデンの園には美しい花が咲いていて、木々があり、4つの川があり、生命の木と、そして善と悪を知る木があり、そしてその特別の庭において、アダムとエヴァが創られて、そしてアダムとエヴァの婚姻の神秘が祝われました。
ところで、贖いの神秘の為に、第2のアダム、新しいアダムを造る時には、天主は特別の、別の、秘密の、天主のみに知られる、第2のエデンの園を作りました。それがマリア様です。そしてマリア様の元において、イエズス様が、イエズス・キリストが造られました。この時には、人性と人間の本性と、天主の本性が合体する、という神秘的な婚姻が祝われました。
マリア様というエデンの園には、聖寵の充ち満てる川が流れて、そしてそれが、その「マリア様を通して、全世界に流されるように」と望まれました。
マリア様はちょうど、第1のアダムと第1のエヴァが、善と悪の知識の木の実を盗んで、罪を犯したのを償う為に、新しいアダムと新しいエヴァは、十字架の木に、イエズス・キリストという第2のエヴァの木の実を付けて、罪の償いをします。
罪の償いをしたその第2のアダム、つまり新しいアダムであるキリストが、十字架の上に付けられた時の言葉を聞いて下さい、今日福音で読みました、「子よ、全人類よ、汝の母を見よ。」
イエズス様は、贖い主として、第2のアダムとして、贖われた人類を創造する頭として、私たちに呼びかけています、「汝の母を見よ。」
「私たちは聖寵によって、新しい天主の命によって生きるべき、生まれるべき者であって、私たちの母は、マリア様だ」と教えています。
ですから教会は、マリア様の事を特別に祝っています。この御誕生を、私たちに与えられた特別の御恵みとして、もしもこの方がいなければ、生まれてこなければ、私たちに救いが与えられなかったその方として、そして第2のエヴァとして、イエズス・キリストと共に一緒に、十字架の下で、私たちの贖いの為に協力して下さった方として、この御誕生日を祝っています。
⑵では私たちは今日、どのような遷善の決心をすれば良いでしょうか?
私たちは、このような贖いの深い神秘を、まず讃美致しましょう。私たちの人間の知識や知恵をはるかに超える、天主の深いその知識の広さと、深さと、高さの前に、礼拝し、それを讃美致しましょう。そしてそのような深い神秘を以て、私たちを永遠の命へと導いて下さるその天主の愛に、私たちを深く愛して下さる愛に、感謝致しましょう。
マリア様は、私たちに対するイエズス様の愛を弱めるどころか、更に深めて下さいます、更に大きくして下さいます。そしてマリア様は私たちを、イエズス様に行く為に助けて下さいます。
今日は既に、マリア様の誕生日の御降誕の中に入って、そしてマリア様の汚れなき御心を讃美致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。