https://sspx.org/en/news-events/news/our-new-superior-general-offers-his-most-profound-thoughts-life-sspx-46254
【要約】 ダヴィデ・パリャラーニ神父は、聖ピオ十世会総長に就任して以来初めてアメリカを訪問した。総長はウィノナで開かれた修道院長の会議と、それに加えて聖トマス・アクィナス神学校での会合の期間中に公式訪問するためだけの予定だったが、アンジェルス・プレスは、総長にとって英語では初めてとなるインタビューで、いくつか質問を行うことができた。
[インタビュア] あなたは英語圏では、総長として最近選ばれた以外には、あまり知られていないと思います。自己紹介をしていただけますか?
[パリャラーニ神父] 実際のところ、それは英語圏の国々だけの問題ではないと思っています。例えば、数週間前パリで、ある司祭が私に名前を尋ねました。「私が新しい総長です」と自分で言うのは、いつも少し恥ずかしい気がします。ですから、私は少し恥ずかしかったのですが、彼も同じように恥ずかしかったのでしょう。そうですね、実際のところ、私は司祭としてイタリアで、あるいは極東のシンガポールで三年間、最近では、はるか南のアルゼンチンで昨年七月までのほぼ七年間を過ごしました。
[インタビュア] あなたは、聖ピオ十世会の四代目の総長です。2019年に、聖伝にとって試練となるもの、また良き機会となるものは何でしょうか?
[パリャラーニ神父] 私たちの良き機会や任務と同様に、私たちの義務は、私たちが持っている宝を守ること、その宝が利益をもたらすがゆえにそれに感謝することであり、その宝とは私たちの信仰、聖なるミサのことです。この宝は私たちにとって、サマリアの女の生ける水のように、生ける宝だということが重要だと私は思います。このことは非常に重要です。私が思うには、私たちはこの宝に対して、祈りの生活によって、熱意に満ちた、霊的な熱意に満ちた生活によって、感謝することがもっともっと必要です。そうです、おそらく、一度しばしの間、再点火することが必要です。今年は再点火する機会となり得ます。聖ピオ十世会の五十周年の準備をしていますから、霊的生活において、この宝に対するこの愛着、この深い愛着に再点火する必要があります。
[インタビュア] あなたが総長に選ばれてから、八カ月になります。多くの旅をなさいましたか?
[パリャラーニ神父] そうですね、実際のところ、それほど多くは旅をしていません。総長は、聖ピオ十世会のさまざまな必要性に対応できるようにするために、また総長と話をしたいと願っているさまざまな司祭や管区長が会えるようにするために、出来る限り本部にとどまるというのが、総会の望み、全管区長の望みなのです。私の義務は、創立者ルフェーブル大司教の精神に忠実であるという義務です。私の第一の義務は、(状況が非常に異なっていても)創立者が聖ピオ十世会に委託した精神や教えを守るために、全力を尽くすことです。
[インタビュア] あなたが公表することのできる成長のしるしがありますか? 例えば、聖ピオ十世会の新しい修道院や新しいミッションですが?
[パリャラーニ神父] まさに今、成長のしるしが至るところにあります。アメリカだけでなく、世界の至るところにです! それは一方では祝福のしるしであり、それによって私たちは祝福されています。過去数年で、教会の危機について知りつつあるカトリック信徒は増え続け、彼らは、その原因についても同様に少しずつ知りつつあります。ですから、このことは私たちにとって全く興味深いポイントですから、私たちはそれを追求しなければなりません。私たちは彼らを助けなければなりません。しかし同時に、私たちは至るところへ行くことはできません。私たちは至るところへ行くことはできません。私たちは聖ピオ十世会の司祭たちの世話をする必要があります。また、私たちには依然として召命がありますが、聖ピオ十世会の司祭は、落ち着いて生活する時間を必要とし、団体生活を共にする時間を必要とします。この生活は、私たちの憲章(会則)および義務の重要な一部なのです。ですから、御摂理が私たちをお呼びになるところへ行くのに全力を尽くしますが、それと同時にまず第一に、私たちは聖ピオ十世会の司祭たちの世話をしなければならないということを忘れることはできません。
[インタビュア] 元神学校校長として、特に現代世界における神学校と召命の重要性についてお話しいただけますか?
[パリャラーニ神父] 私たちの神学校は、聖ピオ十世会の心臓部です。聖ピオ十世会は、神学校の上に打ち立てられており、神学校があるがゆえに存在しています。ですから、同じように教会が必要としているのは、聖なる司祭たち以外の何者でもありません。ですから、教会に奉仕するための、[他の]よりよい方法を見いだすことは不可能です。神学校を通じて、私たちは普遍教会の目的のために協力しているのです。それは、トリエント公会議の素晴らしい直感、ルフェーブル大司教の素晴らしい直感です。ですから、この素晴らしい司祭職の理想が衰えれば衰えるほど、失われれば失われるほど、私たちの使命でもあるこの任務に対する私たちの忠実さが重要であると、私にはさらに思えてくるのです。
[インタビュア] あなたにとって、今日の聖伝のカトリック信徒の家族のために中心となる関心事は何でしょうか?
[パリャラーニ神父] 中心となる関心事、今日のカトリック信徒の家族に関する中心となる関心事は、司祭として私たちが持っているものと同じであり、それは子どもたちの霊魂です。この世は、子どもたちを欺くために全力を尽くしています。ですから、すべての両親は、私たちも関心を持っているように、そのことについて関心を持つべきです。私たちは両親と一緒になって子どもたちに教えなければならないと私は思います。また、両親は司祭と一緒になって子どもたちに教えなければなりません。自己否定や純潔、貞潔、愛徳といった、子どもたちが他では聞くことのできないすべての徳を教えてください。しかし、もし家族の中で、家庭で、教区で、子どもたちがその教えを受けるだけでなく、両親や司祭が、自分たちが教えることを生きていることに子どもたちが気づくならば、うまくいくでしょう。浸透作用のように働くのであり、もし本当に両親が聖人たちをつくり、準備するとのこの素晴らしい理想を持っているとするならば、天主の恩寵によって、それはうまくいくでしょう。またしかし、家庭において子どもたちが両親に、十字架の香りである犠牲の精神があると気づくならば、それはうまくいくでしょう。
[インタビュア] 教皇庁エクレジア・デイ委員会に関するニュースについて何かお話しいただけますか?
[パリャラーニ神父] はい、取りあえず、長いコメントを出すことができると私は思います。でも、それはあまり賢明ではないでしょう。しかし、私は、エクレジア・デイ委員会に関する最新の自発教令には興味を引くものがあると思っています。その教令が、今でもそこに、未解決の、未解決の(outstanding)議題として存在する中心議題は、教理上の議題だと強調したのです。このことは本当です。この教理上の扱い、教理上の問題であり、それは聖ピオ十世会にかかわる問題です。その意味において、この見通しにおいて、物事はさらに明らかになり、私たちにとって、彼らにとって、またすべての人にとって、さらに明らかになりつつあると私は思います。しかし、エクレジア・デイ委員会傘下のさまざまな団体の将来がどうなっていくのかについて、最初に考えるのは私たちの仕事ではないと、私は思います。私たちは彼らのために祈ります。私たちが彼らを助けることができるのであれば、そうします。しかし、将来については、それ以上のことを言わないのが賢明だと私は思います。そのうち分かるでしょう。そのうちはっきりするでしょう。ですから、私たちは、いつものように、最後は御摂理にお任せすることになるでしょう。
[インタビュア] 時には、世界と教会のどちらもおかしくなっているように思えることがあります。今日の聖伝のカトリック信徒に対して、希望や励ましになるお言葉を少しいただけますか?
[パリャラーニ神父] 今日の私たちの信徒にとって、そして司祭にとってさえも主要な危険は、落胆することです。ですから、状況が希望のないものになっているという印象を皆さんが持てば持つほど、勝利の瞬間がさらに近づいているのだということを、私たちそして彼らに思い起こさせる時だと、私は思っています。聖ピオ十世は、人々を励ますために、このことをいつも言っていました。真理の凱旋の瞬間がやって来るとき、闇の深さ、現在の闇の深さは、真理の輝きに役立つのです。この超自然的な見方を保つことが私たちにとって重要です。今日起こっていることは何であれ、さらに深遠な、さらに偉大な、さらに輝きを増す、さらに超自然的な教会および真理の凱旋を見せるために、天主によって使われることでしょう。
[インタビュア] 祈りと資金による支援に加えて、平信徒が司祭をその任務において援助する最上の方法は、あなたは何だと思われますか?
[パリャラーニ神父] そうですね、教会は一つの家族であり、一つの大きな家族です。教会のわざの一つとしての聖ピオ十世会も同様に一つの家族、大きな家族です。家族の中ではすべてのものを共有します。信徒が司祭とすべてのものを共有する最上の方法は、司祭に道徳的な支援をすること(心の支えとなること)、喜びや関心事を共有することです。なぜなら、司祭の喜びや関心事は、私たちの主の喜びや関心事であるからです。この近しさが、素晴らしい理想的な信徒と司祭の一致を成し遂げる最上の方法です。
[インタビュア] アメリカ管区についての印象は、これまでのところ、いかがですか?
[パリャラーニ神父] アメリカは、到着するや否や、アットホームな雰囲気になる国々の一つです。私が最も印象深いことは信徒の数の多さですが、さらに印象深いのは彼らの素朴さと寛大さです。ここアメリカでは、司祭の中にも同じ素朴さと寛大さがあると思います。信徒が見せるものは、司祭が彼らに教えていることを反映したものだと思います。
[インタビュア] あなたは、さまざまな国やミッションで多くの年月を過ごしてこられました。あなたのお気に入りのお話を一つか二つ、使徒的な活動の中から教えていただけますか?
[パリャラーニ神父] そうですね、私が司祭になってから、司祭である年月で、全般的に言って私が最も印象を受けたことは、さまざまな国で、さまざまな状況で活動してきたという事実そのものです。ミッションにおいて、あるいは管区長や神学校校長として、アジア、南アメリカ、イタリアといったさまざまな国で、天主の恩寵が常に働いているさまざまな状況で、普遍的なあるルールによればどこであってもです。もちろん、私が何も新しいことを言ってはいないということは分かっています。しかし、個人的にこの経験をすれば、印象深くなるでしょう。このことは、福音が、福音の法が、秘蹟が、教会がすべての人のためにあること、また互いに非常に異なっている人々の間に一致をつくり出すことのできるもの以外の何物でもないものが存在することの証明です。これは本当に驚くべきことです。自然に基礎を置くなら、これは説明できません。天主のみわざ、天主の恩寵が背後にあるのです。 そうです、私は個人的に何度か経験しました。解決法を見いだすのに苦労し、解決法を見いだすのに骨の折れる難しい状況の前では、解決法は出てきません。私が心配するのをやめて、すべてを天主のご意志にお任せした後になって、解決法が出てくるのです。そうするのは、常に簡単というわけではありませんが、私は何度も経験しました。それは十字架の法であり、私の考えでは、天主に全面的な信頼を置くという法だと思います。
Angelus Press - sspx.org - 03/21/2019
新総長、聖ピオ十世会の生活について、その最も深遠な考えを表明
2019年3月20日 聖ピオ十世会アメリカ管区
2019年3月20日 聖ピオ十世会アメリカ管区
【要約】 ダヴィデ・パリャラーニ神父は、聖ピオ十世会総長に就任して以来初めてアメリカを訪問した。総長はウィノナで開かれた修道院長の会議と、それに加えて聖トマス・アクィナス神学校での会合の期間中に公式訪問するためだけの予定だったが、アンジェルス・プレスは、総長にとって英語では初めてとなるインタビューで、いくつか質問を行うことができた。
[インタビュア] あなたは英語圏では、総長として最近選ばれた以外には、あまり知られていないと思います。自己紹介をしていただけますか?
[パリャラーニ神父] 実際のところ、それは英語圏の国々だけの問題ではないと思っています。例えば、数週間前パリで、ある司祭が私に名前を尋ねました。「私が新しい総長です」と自分で言うのは、いつも少し恥ずかしい気がします。ですから、私は少し恥ずかしかったのですが、彼も同じように恥ずかしかったのでしょう。そうですね、実際のところ、私は司祭としてイタリアで、あるいは極東のシンガポールで三年間、最近では、はるか南のアルゼンチンで昨年七月までのほぼ七年間を過ごしました。
[インタビュア] あなたは、聖ピオ十世会の四代目の総長です。2019年に、聖伝にとって試練となるもの、また良き機会となるものは何でしょうか?
[パリャラーニ神父] 私たちの良き機会や任務と同様に、私たちの義務は、私たちが持っている宝を守ること、その宝が利益をもたらすがゆえにそれに感謝することであり、その宝とは私たちの信仰、聖なるミサのことです。この宝は私たちにとって、サマリアの女の生ける水のように、生ける宝だということが重要だと私は思います。このことは非常に重要です。私が思うには、私たちはこの宝に対して、祈りの生活によって、熱意に満ちた、霊的な熱意に満ちた生活によって、感謝することがもっともっと必要です。そうです、おそらく、一度しばしの間、再点火することが必要です。今年は再点火する機会となり得ます。聖ピオ十世会の五十周年の準備をしていますから、霊的生活において、この宝に対するこの愛着、この深い愛着に再点火する必要があります。
[インタビュア] あなたが総長に選ばれてから、八カ月になります。多くの旅をなさいましたか?
[パリャラーニ神父] そうですね、実際のところ、それほど多くは旅をしていません。総長は、聖ピオ十世会のさまざまな必要性に対応できるようにするために、また総長と話をしたいと願っているさまざまな司祭や管区長が会えるようにするために、出来る限り本部にとどまるというのが、総会の望み、全管区長の望みなのです。私の義務は、創立者ルフェーブル大司教の精神に忠実であるという義務です。私の第一の義務は、(状況が非常に異なっていても)創立者が聖ピオ十世会に委託した精神や教えを守るために、全力を尽くすことです。
[インタビュア] あなたが公表することのできる成長のしるしがありますか? 例えば、聖ピオ十世会の新しい修道院や新しいミッションですが?
[パリャラーニ神父] まさに今、成長のしるしが至るところにあります。アメリカだけでなく、世界の至るところにです! それは一方では祝福のしるしであり、それによって私たちは祝福されています。過去数年で、教会の危機について知りつつあるカトリック信徒は増え続け、彼らは、その原因についても同様に少しずつ知りつつあります。ですから、このことは私たちにとって全く興味深いポイントですから、私たちはそれを追求しなければなりません。私たちは彼らを助けなければなりません。しかし同時に、私たちは至るところへ行くことはできません。私たちは至るところへ行くことはできません。私たちは聖ピオ十世会の司祭たちの世話をする必要があります。また、私たちには依然として召命がありますが、聖ピオ十世会の司祭は、落ち着いて生活する時間を必要とし、団体生活を共にする時間を必要とします。この生活は、私たちの憲章(会則)および義務の重要な一部なのです。ですから、御摂理が私たちをお呼びになるところへ行くのに全力を尽くしますが、それと同時にまず第一に、私たちは聖ピオ十世会の司祭たちの世話をしなければならないということを忘れることはできません。
[インタビュア] 元神学校校長として、特に現代世界における神学校と召命の重要性についてお話しいただけますか?
[パリャラーニ神父] 私たちの神学校は、聖ピオ十世会の心臓部です。聖ピオ十世会は、神学校の上に打ち立てられており、神学校があるがゆえに存在しています。ですから、同じように教会が必要としているのは、聖なる司祭たち以外の何者でもありません。ですから、教会に奉仕するための、[他の]よりよい方法を見いだすことは不可能です。神学校を通じて、私たちは普遍教会の目的のために協力しているのです。それは、トリエント公会議の素晴らしい直感、ルフェーブル大司教の素晴らしい直感です。ですから、この素晴らしい司祭職の理想が衰えれば衰えるほど、失われれば失われるほど、私たちの使命でもあるこの任務に対する私たちの忠実さが重要であると、私にはさらに思えてくるのです。
[インタビュア] あなたにとって、今日の聖伝のカトリック信徒の家族のために中心となる関心事は何でしょうか?
[パリャラーニ神父] 中心となる関心事、今日のカトリック信徒の家族に関する中心となる関心事は、司祭として私たちが持っているものと同じであり、それは子どもたちの霊魂です。この世は、子どもたちを欺くために全力を尽くしています。ですから、すべての両親は、私たちも関心を持っているように、そのことについて関心を持つべきです。私たちは両親と一緒になって子どもたちに教えなければならないと私は思います。また、両親は司祭と一緒になって子どもたちに教えなければなりません。自己否定や純潔、貞潔、愛徳といった、子どもたちが他では聞くことのできないすべての徳を教えてください。しかし、もし家族の中で、家庭で、教区で、子どもたちがその教えを受けるだけでなく、両親や司祭が、自分たちが教えることを生きていることに子どもたちが気づくならば、うまくいくでしょう。浸透作用のように働くのであり、もし本当に両親が聖人たちをつくり、準備するとのこの素晴らしい理想を持っているとするならば、天主の恩寵によって、それはうまくいくでしょう。またしかし、家庭において子どもたちが両親に、十字架の香りである犠牲の精神があると気づくならば、それはうまくいくでしょう。
[インタビュア] 教皇庁エクレジア・デイ委員会に関するニュースについて何かお話しいただけますか?
[パリャラーニ神父] はい、取りあえず、長いコメントを出すことができると私は思います。でも、それはあまり賢明ではないでしょう。しかし、私は、エクレジア・デイ委員会に関する最新の自発教令には興味を引くものがあると思っています。その教令が、今でもそこに、未解決の、未解決の(outstanding)議題として存在する中心議題は、教理上の議題だと強調したのです。このことは本当です。この教理上の扱い、教理上の問題であり、それは聖ピオ十世会にかかわる問題です。その意味において、この見通しにおいて、物事はさらに明らかになり、私たちにとって、彼らにとって、またすべての人にとって、さらに明らかになりつつあると私は思います。しかし、エクレジア・デイ委員会傘下のさまざまな団体の将来がどうなっていくのかについて、最初に考えるのは私たちの仕事ではないと、私は思います。私たちは彼らのために祈ります。私たちが彼らを助けることができるのであれば、そうします。しかし、将来については、それ以上のことを言わないのが賢明だと私は思います。そのうち分かるでしょう。そのうちはっきりするでしょう。ですから、私たちは、いつものように、最後は御摂理にお任せすることになるでしょう。
[インタビュア] 時には、世界と教会のどちらもおかしくなっているように思えることがあります。今日の聖伝のカトリック信徒に対して、希望や励ましになるお言葉を少しいただけますか?
[パリャラーニ神父] 今日の私たちの信徒にとって、そして司祭にとってさえも主要な危険は、落胆することです。ですから、状況が希望のないものになっているという印象を皆さんが持てば持つほど、勝利の瞬間がさらに近づいているのだということを、私たちそして彼らに思い起こさせる時だと、私は思っています。聖ピオ十世は、人々を励ますために、このことをいつも言っていました。真理の凱旋の瞬間がやって来るとき、闇の深さ、現在の闇の深さは、真理の輝きに役立つのです。この超自然的な見方を保つことが私たちにとって重要です。今日起こっていることは何であれ、さらに深遠な、さらに偉大な、さらに輝きを増す、さらに超自然的な教会および真理の凱旋を見せるために、天主によって使われることでしょう。
[インタビュア] 祈りと資金による支援に加えて、平信徒が司祭をその任務において援助する最上の方法は、あなたは何だと思われますか?
[パリャラーニ神父] そうですね、教会は一つの家族であり、一つの大きな家族です。教会のわざの一つとしての聖ピオ十世会も同様に一つの家族、大きな家族です。家族の中ではすべてのものを共有します。信徒が司祭とすべてのものを共有する最上の方法は、司祭に道徳的な支援をすること(心の支えとなること)、喜びや関心事を共有することです。なぜなら、司祭の喜びや関心事は、私たちの主の喜びや関心事であるからです。この近しさが、素晴らしい理想的な信徒と司祭の一致を成し遂げる最上の方法です。
[インタビュア] アメリカ管区についての印象は、これまでのところ、いかがですか?
[パリャラーニ神父] アメリカは、到着するや否や、アットホームな雰囲気になる国々の一つです。私が最も印象深いことは信徒の数の多さですが、さらに印象深いのは彼らの素朴さと寛大さです。ここアメリカでは、司祭の中にも同じ素朴さと寛大さがあると思います。信徒が見せるものは、司祭が彼らに教えていることを反映したものだと思います。
[インタビュア] あなたは、さまざまな国やミッションで多くの年月を過ごしてこられました。あなたのお気に入りのお話を一つか二つ、使徒的な活動の中から教えていただけますか?
[パリャラーニ神父] そうですね、私が司祭になってから、司祭である年月で、全般的に言って私が最も印象を受けたことは、さまざまな国で、さまざまな状況で活動してきたという事実そのものです。ミッションにおいて、あるいは管区長や神学校校長として、アジア、南アメリカ、イタリアといったさまざまな国で、天主の恩寵が常に働いているさまざまな状況で、普遍的なあるルールによればどこであってもです。もちろん、私が何も新しいことを言ってはいないということは分かっています。しかし、個人的にこの経験をすれば、印象深くなるでしょう。このことは、福音が、福音の法が、秘蹟が、教会がすべての人のためにあること、また互いに非常に異なっている人々の間に一致をつくり出すことのできるもの以外の何物でもないものが存在することの証明です。これは本当に驚くべきことです。自然に基礎を置くなら、これは説明できません。天主のみわざ、天主の恩寵が背後にあるのです。 そうです、私は個人的に何度か経験しました。解決法を見いだすのに苦労し、解決法を見いだすのに骨の折れる難しい状況の前では、解決法は出てきません。私が心配するのをやめて、すべてを天主のご意志にお任せした後になって、解決法が出てくるのです。そうするのは、常に簡単というわけではありませんが、私は何度も経験しました。それは十字架の法であり、私の考えでは、天主に全面的な信頼を置くという法だと思います。
Angelus Press - sspx.org - 03/21/2019