木簡というものがある。
紙が貴重品であった昔、紙に書く前に木簡に下書きをして、文をまとめるために使われた。
奈良県の遺跡から、平安時代の木簡が出てきたそうで、当時の役人の仕事ぶりがわかるものだそうだ。毎日新聞(11月8日)によると、「平安初期の上司あて公文書の下書」らしい。
役人の名前は、「伊福部連豊足」。。。いふくべむらじとよたり?
記事によれば、病気で自分の馬(上司からいただいたもの?)の面倒が見られなくなってしまい、何とかしてくれとお願いしているそうである。
奈良県香芝市教委によれば、「都以外から出土した木簡で、これほど個人の細かい身辺事情を書いたものは珍しい」らしい。
平安時代ということは、794年以降の話しということになる。現在の京都に都が置かれ、奈良は、「都以外」と言うことになる。都鄙で言えば、後者(田舎扱いはできないかもしれないけど、都以外)である。でも、行政機関の末端はちゃんとあったわけだ。この木簡は、役所の出先機関か貴族の荘園の管理事務所とみられる井戸から見つかった。
達筆で、形式通りに書かれ、同じ内容を書き並べて推敲(すいこう)もしていた。
達筆・・・ 形式通り・・・ 上司に当てて公文書だから、今だったら、起案書とか稟議書と言ったものと同じかな。いずれにしても形式はある。1000年以上前から、お役所スタイルの文書があったのか。。。
伊福部連豊足さん、いまごろ草葉の陰で驚いているかな。