緊急・備忘録
日本サッカー界の父と呼ばれたドイツ人指導者のデットマール・クラマー(Dettmar Cramer:2005年第1回日本サッカー殿堂入り)さんが、17日に90歳で亡くなった。
R.I.P.
緊急・備忘録
日本サッカー界の父と呼ばれたドイツ人指導者のデットマール・クラマー(Dettmar Cramer:2005年第1回日本サッカー殿堂入り)さんが、17日に90歳で亡くなった。
R.I.P.
月、カゼ?
火、微熱&微頭痛
水、体温37.3℃、頭痛。
木、Got better than Wednesday!
金、特になし。
体調すぐれず。生徒たちに申し訳ない。
明日から秋の五連休。静養しよう。
僕が年齢を重ねる。生徒たちも同じ。
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この仕事について30年を超える。僕とご縁(なんらかのかかわり)のできた人がどれほどの数か、考えるとおそろしくなる。それは増えることがあっても、減ることがないだろう。縁切られ状態もないわけではないだろうが、かかわりがあったことには違いない。僕は現在の勤務ことが六つ目。これまでにもいろいろなことがあった。
3校目に転勤した当初のことだった。ある科目が抜群にできる生徒の存在が職員室で話題になった。〇〇クンという生徒だった。教科担当によれば、ちょっと「でき」が違うとのこと。
しばらくして〇〇クンの保護者(母親)が、県立高校の先生ということが、なんとなく聞こえてきた。〇〇クンの苗字を見て、同姓の人を思い出した。
6月、三者面談で登校してきた保護者の姿を見かけた。間違いなく初任校で同学年を担当した先輩だった。先輩が担任で僕がそのクラスの副担任だったのだ。
卒業式まで、〇〇クンの授業は担当にはならなかった。僕は進路指導部担当だったけど、接触することもなかった。
卒業式の日、先輩が〇〇クンと挨拶に来た。
『〇〇さん。(さすがに僕をニックネームでは呼ばなかった。)
『先輩、息子さん卒業おめでとうごさいます。
『ありがとう。
(がっちり握手)
・・・ちょっと昔話。
(〇〇クンが僕を見て...)
『センセ、僕のこと知ってたんですか。
『ウン...
4校目、これも転勤した当初だった。掃除当番の時に、ある生徒がこんなことを言ってきた。
『全英連参加者センセ!!!
『なんですか?
『お母さんが、〇〇高校で先生に英語を教えてもらったって。
『・・・
4校目は初任校と同じ旧学区にある。生徒たちの保護者に、自分と縁のある人がいるとは思っていたが、やっぱりという感じだった。
『お母さん、何年生まれ?
『〇〇年です。
間違いなく、初任校で初担任の時の生徒の年齢だった。初任校は、いわゆる問題多発校。卒業までにかなりの生徒が退学した。僕に声をかけてきた生徒の母親が卒業したかどうか、母親の旧姓を尋ねなかったので、わからない。
過日、文化祭の一般公開日のこと。保護者が僕を訪ねてきた。最初の学校で初めて3年生担任をした時の生徒だった。昨年、子どもが勤務校に入学したとのこと。3月末、人事異動が新聞の埼玉版に出た時、僕の名前を見つけたという。三者面談や運動会で学校に来た時、僕を探したらしい。
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ある学校で同僚だった先生の義理の息子が、その次の勤務校に居たこともある。さすがに元同僚の子どもと同僚になったことはまだない。でも、調べたらどこかにすでに存在しているかもしれない。
僕が最初に担任をした生徒の年齢は、もうすぐ50台。次とその次が40台。子どもが高校生になってもおかしくはない。それでも、僕は異動をくり返している。僕が担任としてかかわった元生徒たちも人生の節目節目で引っ越しもしている。なかなか出会うことはない。
こういう再会(や情報)はうれしいものだが、同時に感傷的でもある。目の前に何十年分の年月というもの差しを突きつけられて、「年齢を重ねたことを思い知れ(残りの人生はこれくらいだ)」感があるからだ。でも、まあ、いいか。元気で生きていてくれているならば。
●一部脚色を含みます。