新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

映画「アマデウス」

2017年12月09日 | 映画

近くの大学の今年最後の市民講座は映画「アマデウス」。宮廷作曲家サリエリとヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの映画です。ディレクターズカットの3時間版で、前後の解説を含めて4時間半、終わったのは5時半過ぎの夕闇どきでした。

モーツァルトと同時期に活躍したサリエリは、彼の天才的な才能を認めながらも次第に疎ましく思い始め対立もあります。
モーツァルトのハチャメチャな経済観念と弟子がつかない性格と新しい作曲への苦悩で次第に追い詰められ家庭生活も破綻状態。
モーツァルトの死を予感したサリエリは陰湿なはかりごとを巡らしました。モーツァルトに「レクイエム」を作曲させそれを自分の作曲として世に出すというものです。
衰弱したモーツアルトにはもう楽譜を書く体力がなく、サリエリが記述を手伝ううちに、再びモーツァルトの才能に驚愕します。この間の真に迫った二人の気迫あふれる作曲場面は心に迫るものがあります。
最後はモーツァルトの妻の機転でサリエリのもくろみはみごと失敗に終わりました。

サリエリの独白に、神は「凡庸な者に神の栄光をほんの少しだけでも分かち与えてやるよりも、自分が愛する者を破滅させる方を選んだ」という重たい言葉が何度か出てきます。そして、結局はサリエリはどうあがいても自分が忘却の縁に埋もれていく運命を受け止めなければならないのでした。

 

ストーリーはざっとこんなものですが、ウィーンでの音楽家の地位と生活、オペラを大衆のものにしようと挑戦するモーツァルトの苦悩など、ストーリーに合わせて最初から最後まですごい数の名曲演奏がばらまかれており、それが全体を壮大な映画にしています。
舞台となる大聖堂、宮廷、街並みなどの歴史的建造での大がかりなロケ、ウィーンの食の豪華さ、手を抜かない丹念な服装など、アカデミー賞の各賞を総なめしたことがよくわかります。

映画の中のモーツァルトが、ずっと前に読んだ文庫本のモーツアルト像と全くそぐわなくて、むしろ真逆でずっと違和感がありました。
行動に品がなく、子供っぽく、モーツァルトのあの苦悩のない、品格に満ちた素晴らしいメロディーとどうしてもそぐわなくて・・・。

ただ、最後の場面でモーツァルトが若くして亡くなり、亡きがらが淡々と墓地に向かう途中に流れたピアノコンチェルト第20番ニ短調第2楽章ロマンス、その澄み切った美しいメロディがエンドロールまで続いたのがせめてもの慰めで、自分なりにまた元のモーツァルト像に修正できてよかったです。

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フランス映画 「めぐり逢う朝」

2017年11月17日 | 映画

近くの大学の市民講座に、映像を通してヨーロッパ文化について考える映画会があります。今回は仏映画「めぐり逢う朝」1991年作でした。

       

「私の音楽は俗物だ。だが彼は音楽そのものだった。」という、宮廷音楽家のトップとなった年老いたマレの苦悩の回想から映画は始まります。マレもコロンブも実在した人物です。

『18世紀、古楽器ヴィオールの名匠と謳われたサント・コロンブは地方に隠遁、娘マドレーヌを側に置き、ただ一人演奏に没頭する生活を続けていた。そこへ潜り込み弟子となったマラン・マレは師と違い栄華を求め、破門されるが、なお娘を通じて師の技術を盗もうとする。宮廷音楽界の第一人者となっても師を越えられないと自覚する老マレの回想です』(YAHOO!映画の解説より)

コロンブがマレに「貴方の演奏は上手だ。世の人々に受け容れられるでしょう。だが音楽が聴こえない」。この台詞が映画を貫いている音楽とは何かという命題でしょう。
マレが楽団を指揮しながら表現に苦悩する時に、亡きコロンブを深く偲びながら回想し、やっと目指した音に出会えたその瞬間に冥界からコロンブ出てきます。
コロンブは「貴方に音楽を教えて良かった」と優しく軟らかい表情で言います。死者を思う心で演奏すること、それこそが音楽そのもので、やっとマレは真の音楽にたどり着き、師と弟子の心が一緒になったのです。

この映画には中世の音楽と絵画がさりげなく数多く使われています。例えば、ヴィオラ・ダ・ガンバともいわれるヴィオールは古楽器。少し音が小さいから優しさも感じます。弟子のマラン・マレは、宮廷のヴィオール奏者、指揮者としても成功をおさめ数多くの作曲をして、それが映画中にも使われています。

娘たちの台所での働き方や衣装、室内など、そこを切り取れば17世紀のオランダ風俗画を彷彿させるものがあり、今までに見た数多くの絵画がよみがえってきました。
妻の亡霊が出てきて卓上を挟んでコロンブと会話する、その大切な場所を画家に依頼して絵に描きとめます。そこに使われたのがボージャン「巻き菓子のある静物」です。映画の中世的な部屋の暗さとロウソクの灯かりはラ・トゥールの絵を思い起こさせるものでした。

音楽と絵画を何の違和感もなく取り入れてあるところに、映画の広がりと深さを感じました。とにかくカメラのアングルも、色彩も考えつくされた感がありました
こんな風に自分の今までの体験が巧く組み合わされている映画は、もうただ嬉しいばかりです。

       

1992年には、米のアカデミー賞に当たる仏のゼザール賞で7部門に及ぶ評価を得ています。音楽、絵画・・・、ヨーロッパの歴史の奥の深さと厚みに改めて感慨を深くしています。

解説のエレーヌ・ドゥ・グロート先生がとても素敵な方でした。美しい銀髪、真っ赤なブラウス、幅広の茶のベルト、濃いグレーベージュのスカートでカラーは3色に抑えてあります。やっぱりパリジェンヌかな。

余計なものを省いたファッションに知性が輝く美しい方でした。フランスだもの、やっぱりねー、ハイセンスです。

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『9000マイルの約束』 (ドイツ映画)

2015年07月09日 | 映画

市民にも開放されている福大ドイツ語学科の映画鑑賞会も今回が前期の最後の日です。前回に紹介されていたので心待ちにしていた映画でした。

実話に基づいたベストセラーの小説を完全映画化したもので、2001年制作、158分間。原作はヨゼフ・マーティン・バウアー。数々の映画賞を受けています。

  

第二次大戦後の1945年、ドイツ人中尉クレメンス・フォレルは戦犯としてシベリアに送られることになりました。
酷寒のシベリアを鉄道と徒歩で1年かけて東北へ。気の遠くなるような大陸の最果てはデジネフ岬でした。3000人いた捕虜も1200人余りに減り、環境に耐えられない捕虜は自然淘汰されることは計算済みの護送でした。

待っていたのは、残酷で劣悪な収容所生活と鉛の鉱山での命がけの強制労働。
しかしフォレルは出発時に誓った娘との約束「必ず帰る」を心の支えにこの人間性のかけらもないラーゲリに立ち向かって働きます。

2年経った頃、脱走を試みるも失敗に終わりカメリアフ中尉からの過酷な罰を受けますが、止むことない家族への熱い思いが再び危険な脱走を計画させます。それを知った診療所のドイツ人医師が自身のために用意した脱走計画をフォレルに託しました。逃亡の為の装備と生きるためのアドバイスも・・・。医師はこの時がんに侵されていたのです。

たった一人広大な雪原に放り出されたフォレルは、方位磁針と歩いた歩数で大まかな位置を計算しながらとにかく西へ向かって歩き、歩き、歩き続けました。寒さと、孤独と、飢えと、危険と戦いながら、不安におびえながら・・・。
途中で二人組の盗賊に出会って一緒に旅をしたり挙句の果ては殺されかけたり、オオカミに襲われたり・・・。そんな時に少数民族のシャーマンに助けられ温かい看護を受け、匿われながら回復に向かいました。

1951年夏にはやっと緑のモンゴル国境へ、52年夏にはボロボロになりながらもコーカサスへ到着。ここで偶然にもユダヤ人の地下組織の力添えで偽のパスポートを作成してもらい、どうにかソ連から脱出しペルシャ国境に到着しました。

成功に見えた大逃亡も、執拗に追いかけてきた収容所のカメリアフ中尉が先回りして策略をめぐらしていたので、ソ連のスパイ容疑が掛けられて逮捕されてしまいました。

本当の自分を証明できなかったら死刑が待っています。3年にも及ぶ逃避行が水泡に帰してしまいます。最後の頼みはアンカラ滞在の叔父に身分を証明してもらう事だけでした。

もう15年も会っていない叔父はフォレル本人を確認できないでいます。そこで持ち出された古いアルバムで子供の頃の記憶をたどった二人は、叔父と甥であることを確認し喜び抱き合いました。後は家族の待つドイツへ。

こうしてクリスマスの宵に教会で、娘と、妻と、信じられない再会を果たすことができました。おそよ人間のでき得る能力を超えた逃亡劇は、シベリアの雪とは対照的に優しく舞う雪の夜、美しい家族への愛で締めくくられました。

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映画の最後はハッピーエンドとはいえかなり重苦しい空気でした。日本人のシベリア抑留のことが重なって胸が痛みます。
旅でシベリアの上空を飛ぶ時、眼下の広大な雪の大地の美しさへの感動とは別に、何か落ち着かない物悲しさが胸をよぎるのは、あの冷たい無表情な大地が飲みこんだ数えきれない苦しみや悲話があるからでしょうか。

この日は前期講座の最後という事もあって、先生・学生・市民参加の打ち上げという事になりました。地下鉄で10分ほど行ったところに、ドイツ料理のお店「シュタット マインツ」がオープンしたということで。
 
   

久しぶりに学生気分に戻り若返りました。これから生きて行く若い人は輝いていてまぶしく感じられます。大学の近くに住んでいるというだけで、こんなチャンスに恵まれて感謝しています。 
このきめ細かな泡の出る注ぎ方もオーナー自身から教授されました。キンキンに冷えたグラスのビールはやはりおいしかったです。

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2月の映画館から「KANO 」 「マエストロ」

2015年02月12日 | 映画

『KANO』は日本統治下の台湾をテーマにした作品です。あちこちから情報が入っていたので公開を楽しみにしていました。(「KANO」をクリックすると公式ページの動画が見られます。)

結成して1年しか経っていない嘉儀農林学校の野球部は、1929年日本から迎えた鬼監督のもとで急速に力をつけていき、その2年後ついに台湾代表として甲子園大会に出場するまでに成長していきます。まさに「男を泣かせる」感動の物語です。
実話を元にしており、鬼監督とはかつて松山商業の監督として鳴らした近藤兵太郎。長瀬正敏が演じます。

日本、台湾原住民、漢民族の混合チームは、はじけるエネルギーと実直なまでの闘志と子弟愛で実に涙と笑いの成長ぶりを見せてくれます。野球が好きで好きでたまらない・・・、この気持ちが万遍なく表されています。

初出場の甲子園大会では、なんと中京商業との決勝戦進出へ!この息をのむ点の取り合いが緻密に撮影されていて、まさに感動のシーンです。
蘇選手がアジア人として初めてフェンスに打球を当てて、係員があわててチョークで印をつけに走るシーンもありました。
呉投手の指は血みどろ、壮絶な戦いの結果は準優勝に終わります。ちなみに、投手の呉選手はこの後早大進学。長嶋茂雄選手に破られるまでの東京6大学通算本塁打記録所持者だったということがエンドロールで流れました。

また劇中でもう一人の呉選手は、後に台湾初の日本プロ野球選手に。巨人・阪神で主力選手として「人間機関車」と呼ばれて1995年に野球殿堂入りしたということです。

この快挙と時を同じくして台湾の農業の発展に力をそそいだ八田与一博士(大沢たかお)のダム建設の完成が重なり、二重の喜びと栄誉に国民は歓喜をもって迎えるところで終わります。嘉儀農林は、この後3度も甲子園出場を果たします。
コメントの投稿により後で調べたら、嘉義農林はこの1931年を契機として野球強豪校になり、5勝5敗の戦績を上げたということでした。1931夏、'33夏、'35春、夏、’36夏に出場しています)


台湾の近代史の中で重要な役割を果たした日本の陽の部分を、痛快なテンポと明るさで描いた映画です。映画評論家は★★★★をつけています。


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「マエストロ」 笑ったり泣いたり、まさに役者が本当に演奏していると思える感動のオーケストラの物語です。(「マエストロ」をクリックすると公式HPへ飛びます)

若きヴァイオリニスト香坂(松坂桃李)の元に届いたのは解散した名門オーケストラ再結成の知らせ。集まってきたのは他のオケからも受け入れられなかった「負け組」の団員達。プラス、新人のアマチュアフルート奏者のあまね(miwa)。
自信を無くした団員たちは音合わせもそろわず、気になるのは出演料のことばかり。そこに現れた作業着の素性不明の指揮者天道(西田敏行)。
指揮棒代わりにトンカチを振り回し、自分勝手に進めるやり方に団員たちの反発が・・・。
しかし天道は隠れている団員の個々の能力を引き出し、彼が導く音の深さに団員は次第に引き込まれていきます。しかし香坂だけは天道と父の隠された過去を知り反発を強めていきます。

かなりの紆余曲折の後、2日間の復活コンサートが行われることになりました。初日は満席のスタンディングオベイションの内に大成功に終わります。が、2日目の会場は空っぽ・・・。そこには天道が仕組んだ本当の秘密が隠されていました。
あとわずかな命しか残されていない妻に贈るレクイエムのために貸切にして、妻も求めていた最高の音を出させるためでした。

その時に、香坂は母が残した言葉「世界で一番美しいものは音楽」と、父の楽譜に残された「松籟」という言葉に突き動かされて、ずっと求め続けた音、弓の元から先まで全部ひと弓で使い切った天上に吸い込まれるような音を紡ぎ出し、本当の音を見つけました。
指揮棒を振る天道と目を合わせた時に、それまでの不安や迷いが消えてすべてを理解した香坂がいました。

この時の演目が「運命」「未完成」。キャストの動きと音が全く同化し、本物のオケと思ってしまうくらいに息を詰め身を乗り出したほどの感動の演奏でした。今でもあの演奏は実際にキャストの人たちが奏でたものという思いから逃れられません。
天道の指揮ぶりが見事です。手の動きと表情、音の導き方、会話のテンポの良さ・・・には、指揮指導があったにせよ抜群の音感がないととてもできない役です。

指揮指導は佐渡裕氏、エンディングテーマは辻井伸行氏。
クライマックスの「運命」「未完成」は佐渡氏の指揮によるベルリン交響楽団の演奏です。生の演奏にはない迫力が見られるのも撮影のカメラアングルのうまさでしょう。

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スイス映画 『マルタのやさしい刺繍』

2014年10月06日 | 映画

秋の福岡大学市民カレッジがまた始まりました。今回はドイツ語学科主催で、映像にみるヨーロッパ文化『マルタのやさしい刺繍』。映画が始まる前に解説があり、ドイツ語が分からなくても字幕があるし、映画館で見るよりもちょっとアカデミックな雰囲気に浸れ、無料です。大学院生によるスイスの言語分布図の解説もありました。

2006年スイスの観客動員数NO.1、2007年アカデミー賞外国語映画賞。主人公のシュテファニー・グラーザーは88歳、2007年スイス映画賞主演女優賞にノミネートされるなど高い評価を得ている映画です。

箱庭のように美しいスイスの小さな村での話。夫に先立たれた80歳のマルタは何もする気がないままに沈み込んだ日々を送っていました。彼女には3人の親友がいます。

ある日彼女に、昔の仕立ての腕を見込んで合唱団旗の制作話が持ち込まれます。
親友と一緒に街の生地屋さんで布地を選ぶうちに、かつての夢であった「パリで自分で仕立てたランジェリーのショップを開く」という夢が忽然と甦ります。スイスの美しいレースを使ったり、丁寧に一針ずつ刺繍をした手作りのランジェリー。そこに再び夢と希望を見出したのです。

しかし、保守的な村ではそんな夢も破廉恥行為と圧力がかり妨害がなされ、開店は困難を極めます。親友たちのサポートにも足並みが乱れますが、それぞれが年齢とは関係なく自分の夢に向かって動き出したことで、再び4人一致したマルタの大応援団ができ、お店は力強く回り始めました。

小さな村は親子の確執、高齢化社会、伝統とハイテク、不倫、男女の愛憎、
友情などいろいろ問題を内包しています。各個人が勇気を持ってそれと向き合うことで
とるべき姿勢を見出し、最後にはすべてが融和した形で、あたかもスイスの美しい緑と空気のように澄みきった結果で終わりました。

映画のスタートは、やる気のないマルタを囲んだ4人のトランプの場面ですが、ラストシーンでは丘の上でのトランプは3人です。
一番の理解者であったリージが心臓麻痺で亡くなったのです。この超ど派手な中年女性は心に深い傷を持つ身でしたが、周りの中傷にもめげず全面的にマルタの夢をバックアップしました。
仲間が3人になってもリージの心が確かに息づいている美しいラストシーンでした。

大学主催の映画会というだけあって、アンケートに感想を書き込み、参加者の意見交換が1時間ほどありました。終わったのは9時でしたが、爽快感満足感のある映画会でした。
次回は何と解説付きの『第九』第4楽章の鑑賞会です。

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大学主催「市民カレッジ」・・・・映画『善き人のためのソナタ』

2013年11月14日 | 映画

ほど近いところに学生数2万人の巨大な大学があります。次々に新しいお洒落な建物に建て替わり、常に「増殖」している生き物のようです。
その大学の運営方針として、地域住民とのコミュニケーションをはかるべく有料無料の「市民カレッジ」が企画されています。

今回は、3か月間の「映像にみるヨーロッパ文化」に参加して、10月11月で4本の映画を観ました。レジメが準備されており、教授の解説があってから映画が始まります。
我が家には関係なかった大学ですが、若い人たちであふれるキャンパスを歩くのは実に快適で、この雰囲気が好きで毎回の映画鑑賞会を楽しみにしています。

先ずは開始前に学食で腹ごしらえ。快適な空間で快適な料金で老夫婦は「学生」を追体験しています。400円しなかったカツカレー。
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『善き人のためのソナタ』  壁崩壊直前、盗聴と密告により体制を維持していた東ドイツが舞台。
社会主義の敵を暴くことだけに使命を感じているシュタージのヴィースラーの任務は、著名な作家ドライマンを24時間体制で盗聴すること。しかしドライマンの人間的な生活を盗聴するうちに任務への疑いが生じ始めます。・・・・・・・
壁崩壊後に、ドライマンは初めて監視されていたことを聞かされ愕然とします。シュタージ博物館で見つけた自分の監視記録の報告書。しかし途中から内容が事実と異なり始めたことに気づき暗号名「HGW XX7」の存在を知ります。それにより自分が救われたことを知ったドライマンは、HGW XX7(ヴィースラー)を探し出します。しかし背中を丸めカートを引いて配る郵便配達の姿をただ遠くから見つめるだけでしたが、この時ある思いが胸を貫きました。
それから2年後、ヴィースラーは本屋でドライマンの本を見つけます。本の扉には「HGW XX7に感謝をこめて捧げる」と献呈の文字が記されていました。かつて完全に対立する関係だった二人が、本という形を通して融和が完成したのです。ホッと胸を打つ瞬間でした。1冊の本の存在が、直接に対面しなくてもお互いの心と心を繋ぐ・・・、素晴らしいことです。心を打たれるラストシーンでした。



『魔笛』  オペラの舞台を映像化したもの。いくつかのパートに分割して、教授によるモーツァルトの楽譜の分析、見どころの解説、物語の展開の説明があってから映画に移ります。素人には実に丁寧でわかり易く、「オペラってこんなに楽しかったのー?」と思ってしまいました。
馴染のある夜の女王のアリアでは、あのコロラトゥーラの場面で女王がアップされ、その表情が迫ってきて舞台よりも迫力がありました。


『サラの鍵』  フランスのユダヤ人迫害は、ナチにより強制されたものでなく、フランス警察や憲兵の積極的な協力がありました。1995年、シラク大統領はホロコーストにおけるフランス国家の責任を認めました。フランス人には「時効の無い負債」があったのです。胸をつくストーリーでした。
時は1942年、パリで一斉検挙を受けた少女サラはとっさに弟を納戸に隠し鍵をかけてしまいます。両親とは離れ離れ、サラは鍵を持ったまま収容所に送られます。ここから物語が始まるのです。


『ロングエンゲージメント』  第1次大戦中にフランスで、銃で自分の手を打ち抜くなど除隊を狙った行為をした5人の兵が処刑を受け、武器も食料もないままに仏・独の中間地点に放置されます。当然それは死を意味します。その中に生き残った者がある…という噂から物語が展開していきます。
足に障害を持つマチルドは、婚約者マネクを含む5人は処刑されたことを告げられます。しかし処刑の事実に食い違いがあることを見出して、不屈の精神でマネク探しが始まります。消えた婚約者を探しての長い道のり・・・・。
記憶を失い名前も変わっているマネクをやっと見つけ、会いに行く瞬間が実に象徴的でした。石段をゆっくりと一段ずつ上って、逆光の戸口に立ったマチルドの後ろ姿。ワイエスの絵にあったような芸術的な印象的な場面です。その先には緑の庭の真ん中にマネクが座っていました。愛情と信念を持ってついに探しだした婚約者。これがまさにタイトルの『ロング・エンゲイジメント』の「長い婚約」なのでした。

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映画 『25年目の弦楽四重奏』

2013年07月24日 | 映画

遅い夜の時間にcannellaさんのブログでこの映画の素晴らしい内容を知りました。ぜひ観たいと調べてみると、26日までミニシアター・KBCシネマで上映中。間に合ってラッキーとばかりに、12時間後には映画館の中に・・・。 

四重奏、カルテット・・・。弦楽器の4人のメンバーとメンバーの一人娘が繰り広げる複雑で緊張感のある人間ドラマです。市中のどこにでもあるような愛、不倫、嫉妬、仲間意識とライバル意識、親と子の心のずれが、あるきっかけで4人の音楽家に一度に噴出すると・・・、というストリーになっています。

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カルテット《フーガ》のメンバーは、第一ヴァイオリンのダニエル、第二のロバート、ビオラのジュリエット、チェロのピーター。師匠格のピーターは、親子ほど年齢もかけ離れており、フーガの精神的拠り所でもあります。
ジュリエットの亡き母とピーターは昔は仕事仲間。母に先立たれたジュリエットはピーター夫妻の深い愛情の元で成長し、ヴァイオリンに打ち込みます。
ロバートとジュリエットは夫婦。その一人娘がヴァイオリン奏者を目指すアレクサンドラで、その才能を伸ばすためにダニエルに指導を頼みます。ダニエルとジュリエットはかつて愛し合った仲でした。5人の人物相関図はざっとこんなものです。



カルテット《フーガ》結成25年目のコンサートの練習中に、リーダー格のピーターがパーキンソン病に侵されていることが発覚、引退を表明しました。
メンバーに衝撃と動揺が走り、そこからいろいろな不満や葛藤や感情が噴出し、連帯が一気に悪化してしまいます。

ジュリエットは親同様のピーターがいないカルテットは考えられないこと、ロバートが第1ヴァイオリンを弾きたがっていることやフーガがダニエルの思うとおりに進んできたことへ不満、ダニエルがロバートは第1ヴァイオリンは無理だと言ったこと、ジュリエットも夫の才能を認めていないことなど、どうしようもなくバラバラになり始めます。
そんな中で憔悴したロバートは一夜の不倫に・・・。ジュリエットの怒りは収まらず、とうとう家から追い出し、悪化に歯止めがかからなくなってきました。


 そんな不協和音の中での練習中、ロバートは精確無比のダニエルに譜面を見ない演奏を提案、「情熱を解き放せ」と指摘しますが、お互いの音楽論は反発のまま。

娘アレクサンドラがダニエルにヴァイオリンの指導を受けるうちに、二人は真剣に愛し合う仲になります。それを母のジュリエットが知ると、娘と母親は激しくぶつかり合い罵り合い、あげくはアレクサンドラが子供の頃からいだいていた母への不平不満をぶちまけます。


ピーターの家での練習中に、娘とダニエルの仲をしった父親のロバートは、ダニエルと楽器や家具を投げ合い掴み合っての大ゲンカ。ダニエルもこの愛は逃したくないと必死に抵抗します。「音楽に敬意を払え」と怒ったピーターはみんなを追い出しました。
しかし、ある日、アレクサンドラは母親のインタヴュー番組を見てその愛情に気づき、ダニエルとの決別を決心します。

最年長のピーターは、いずれは自分が最初にこの楽団を抜けると思っていたのが、現実に自分が抜ける事で起こった破壊状態に、深く傷つき、深く悲しみ、亡き妻の美しいアリアを聴きながらこの現状をみつめます。


演奏会の日、ダニエルは椅子に座ると静かに譜面を閉じました。以前ロバートが指摘していたことです。それを見て、先ずロバートが、そしてジュリエットの閉ざした心が溶け出し、四人の目と心が合い、自然に美しい演奏が始まりました。

演奏が最高頂にさしかかった時に、突然ピーターの手が止まります。そして、静かに立ち上がると、「 休みなく演奏続ける “アタッカ” に、自分はついていけなくなりました。今までありがとう。自分の後はニナ・リーが引き継いでくれます」と、観客の最大の拍手の中で静かに舞台を去っていきました。3人のメンバーにも、もうあわてない音楽家の精神が戻っていました。

交代したニナの素晴らしいチェロで四重奏が続行されていきます。ひずみが生じ始めた《フーガ》は、ピーターが用意した筋書きに沿って、新しいメンバーとのハーモニーの中に25年目の演奏を再出発させたのです。

ストーリーとしてはこんなものですが、その間に入る演奏、アリア、メトロポリタン美術館に出てくる名画、雪景色のセントラルパークなど心にしっかり届くものがあり、実にすばらしい映画でした。

才能あるダニエルがなぜソリストにならなかったのかの問いに、「2,3回リハーサルするだけの仲間でなく、ずっと一緒に音楽を続けていく仲間が欲しかったから」と答えるダニエル。彼のみならず、カルテットを組む音楽家の心のうちを見たようでとても心を打ちました。


ベテラン俳優の楽器の使い方には全く違和感がなく、メロディーと完全に一致していて、さすがアカデミー賞受賞の名優たちといわれる所以です。相当に練習もしたそうです。
しかし、新しいメンバーに加わったニナ・リーは本物のチェリストで、弾きかたが全く違っていました。カメラを意識する俳優と、音を意識する音楽家の違いでしょうか。

 

この日の入場券は、ポイントがたまって「ただ」で入場できました。こんなすばらしい映画に申し訳ない気持ちもありますが、やっぱりタダは嬉しいですね~。

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『スラムドッグ$ミリオネア』

2009年04月26日 | 映画

2009年アカデミー賞8部門受賞の「スラムドッグ$ミリオネア」を観てきました。冒頭から猥雑極まりないムンバイのスラム街、その迷路を駆け抜ける少年たちのエネルギーと生命力、息詰まるようなクイズ番組、警察での過酷な拷問の取り調べ、離れ離れになった同じ境遇の少女への純粋な愛情、兄弟の離反と融和・・・。

チラシには、『世界最大のクイズショーで、残り一問まで辿り着いたスラムの少年。間違えれば、一文無し。正解すれば、番組史上最高額の賞金を手に入れる。<スラムの負け犬>がすべてをかけて出した、人選の“ファイナル・アンサー”は―?』と書かれています。実際に映画を見てその結果を確かめてください。

エンドクレジットでのプラットホームでのダンスの場面。暗かったジャマールの打って変った生き生き、きびきびした動きは最高に素晴らしかったともいます。この最終章への導き方が観た後の印象をさわやかに印象づけました。

Img_4399ボストン・グローブ紙のコメントに『今晩どんなことがあっても中止して、この映画を見に行くべきだ!』とありましたが、映画もレストランも、と両方が可能に。予定通り「最後の晩餐」に行くことができました。

なぜ「最後」かというと、そのレストラン、ヌーベル文雅は、ゴールデンウィークの終わりとともに閉店するからです。味も盛り付けもセンスがあり、福岡では一番気にいっているフレンチのレストランでよく利用しました。最初にいつも美しいエルメスの皿がおいてあり、ナプキンが乗っています。ウィークデイの夜でも次々にお客が入ってきて、こんなに惜しまれているのに、とても残念です。

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Itigo_003地面ばかりを見て草取りをしていたら、青い実がたくさん落ちています。「?、何の実?」と見上げたら、何と真っ赤なサクランボがたくさんなっていてびっくり!

昨年もそうだったけど、すっかり忘れていました。10年くらいの木でしたが、見栄えもよくなく、実りもなかったので、枝葉を切り落とし幹だけを残していたのです。

そのことに生命の危機を感じたのか、昨年から幹にしがみつくように実をつけるようになりました。300g足らずですが、ルビーのような甘酸っぱいサクランボの収穫ができました。

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「エディット・ピアフ」 & 「ミス・ポター」

2007年10月27日 | 映画

今日と明日は全くのフリータイム。何かしないと「損」とばかりに、てきぱきと家事を済ませて映画館へ。

観たのは、話題のエディット・ピアフ

貧困と劣悪な環境の中で育ったピアフの子供時代。そんな中で娼婦と心を通わすしんみりとした場面や、やっと愛する人を見つけてそのときだけは素直な美しい表情に戻ることもあるピアフ。全体に流れる声量のある歌唱力は心を揺さぶるすばらしいものでした。

薬物中毒、病気で体はぼろぼろ。あまり品位を感じさせない特徴のある歩き方、独特の話しぶり、顔を背けたくなるほどの見事なまでの老け具合、その体当たりの演技はほんとにすごみがあって、本物を知らない私はそれにピアフそのものを感じてしまいました。

それでも全体を通して、泣き喚く、怒鳴り散らす、わめき散らすとなんだかとても疲れる映画でした。レヴューを見ると、4★+5★が81%。評価は高いのです。観終わって涙が止まらなかったという人もいるし、私は到底愛は理解できない女なんでしょうか??

やっぱり「ミス・ポター」にすればよかったかな・・・と、鑑賞後のなんとも説明のつかないこの気持ち。そこで、「よし、午後のボランティアが済んだら口直しに観に行こう。」と、また同じ映画館に夕方舞い戻りました。

071026pita_010_2ミス・ポターは、「ピーターラビット」の生みの親の感動的な物語です。こちらの評価は、4★+5★は87%でした。

20世紀初頭のイギリス。世はヴィクトリア朝。上流階級に育つビアトリクス・ポターは、子供時代に美しい湖水地方で経験した動物との出会いを絵に描き、それに物語をつけて本を出版します。

封建的な母親は、女性が仕事を持つこと、自立することを理解してくれず、上流階級との結婚しか考えてくれません。本の創作過程で出会った印刷所の編集者ノーマンと恋に落ちても、身分の違いを理由に許そうとしません。

3ヶ月間恋人と離れて暮らしてみて、真の愛かどうかを確かめるという親の提案を受け入れ、湖水地方とロンドンに離れて暮らすことに。そんなときにあっという間に恋人は、肺炎がもとで亡くなってしまいます。

絵も描けなく、部屋からも出られなくなったポターは、印税で湖水地方に自分の家を買い求め、固い覚悟で家を出ます。美しい自然は、やがてポターの心を回復させ、開発の憂き目にあっている周りの土地を買い求め、農地と農民を守ります。

(ここからは字幕だけ)数年後、このとき相談相手になってくれた弁護士ヒーリスと2度目の恋に落ち結婚。さらに農地、土地を買い続け自然保護活動に専念し、手に入れた4000エーカーの土地は、遺産としてナショナル・トラストに寄贈され、彼女が残した本とともに永久に保護されることになりました。

ストーリーも美しいなら、湖水地方の自然も美しく、当時の衣装も、建物の内部も丁寧に再現されていて、人間の魂の結末も美しく、観たあとの感動も美しいものでした。(詳しくお知りになりたい方は、上の「ミス・ポター」をクリックしてください。Storyが見られます。)

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映画と 黒糖梅酒と お弁当

2007年10月12日 | 映画

今日は主婦には嬉しい12時間のフリータイム。夕食の準備なし!そうだ、映画を見ようということで、いつものKBCシネマへ。2本も「はしご」してしまいました。

大統領暗殺(2006/イギリス/93分)

Photo_2 「大統領暗殺、2007年10月19日アメリ中部時間20時13分――。」現役の大統領にそんな仮定が許されていいの・・・?というようなショッキングなタイトルです。

賛否両論ある中でやっぱり見てきました。制作のどこまでが真実でどこまでが虚構か分からないほどのドキュメンタリー「風」映画です。詳しいストーリーは上記のタイトルをクリックしてもらえば見ることが出来ます。

大統領の巧みな演説がどう作られるのか、厳重な身辺警護、FBIの捜査はどんな風に行われるのか、狙撃犯をどんな風に絞り込んでいくのか、アラブ人への差別を払拭できない捜査、9.11の重い過去が沈殿している現実、イラク帰還兵・・・と見るところはたくさんあります。評論家の評価は60点どまりです。でもブッシュ政権が何をなしてきたかを考えるにはいい映画でした。

私の小さなピアニスト(2006/韓国/108分)

Photo_3小さな町で小さな音楽教室を開くピアノ教師ジス。ある日偶然にも憎ったらしいほどの腕白少年キョンミンに出会い彼の絶対音感に気づきます。あわよくば、孤児同然の彼を教育しコンクールに優勝させ、そこで落ちこぼれピアノ教師の名を返上・・・というストーリーを描くのだが・・・。エゴが本当の愛情に変わっていく過程はかなり感動的です。最後にはあちこちで涙を流している気配が・・・。あとは公式ホームページを見てください。流れる音楽も素敵ですよ。

映画の中には美しいトロイメライが流れ、クライマックスシーンでは、韓国新進気鋭のピアニスト、ジュリアス=ジョンウォン・キムがラフマニノフ『ピアノ協奏曲第2番』を、重厚なホールで演奏するのが見事です。子役の10歳の少年シン・ウジェは、実際に7歳でピアノを始めて9ヶ月目にコンクール一位に輝いた天才少年だそうです。

071012sake_004外にでればもう7時で真っ暗。どこで食事をしようかと思いめぐらすうちに頭を掠めたのが、やっと封印をといた黒糖梅酒。そうだ、デパ地下のお弁当を買って帰ろう!ということで、おばんざいのお弁当と黒糖梅酒の遅いひとり夕ご飯でした。2本の映画もお弁当も★★★★でした~。

黒糖梅酒は、青梅1キロと黒砂糖500グラムとホワイトリカー1.8リットルでつくった梅酒です。黒砂糖の色と味とコク。リカー特有の味も気になりません。少し水で割って氷を浮かべると美しいのですが、秋の夜はストレートで。肴は筑後名産のはやの甘露煮です。

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映画 『サン・ジャックへの道』

2007年06月24日 | 映画

070623sannthiago4,5ヶ月前に予告編を見て、絶対に見逃すまいと思っていたのが『サン・ジャックへの道』です。だいぶ待たされました。映画館はKBCシネマ。ここは質の高いアート系作品を数多く上映することで有名です。ポイントカードのスタンプも満杯になって、今回は無料で観ることができました。(写真は、映画館のチラシからお借りしました。)

テレビ番組で見た世界遺産のサンティアゴ・デ・コンポステーラ。その長ーい巡礼の道と、終着のカテドラルが大変印象的でした。天井からロープでぶら下げた巨大な香炉を、堂内の天井に届くほど左右に揺さぶり、そのたびに白い煙が充満する・・・という儀式です。リュック一つに2か月分の必需品を詰め、ただひたすら歩く、歩く、歩く。その光景がずっと心に残っていました。これはそれを舞台にした映画です。『笑と涙で現代人のストレスを吹き飛ばすハートウォーミングな人間賛歌の誕生』という折り紙つきです。

とにかく、楽しくて、面白くて、おかしみがあって、悲しくて、感動があって、世界遺産の景色が美しくて、そして最後には希望があって、そんなものをがうまく交じり合った素晴らしい映画です。ガイドを含めて9人の巡礼者の組み合わせも最高で、それぞれが主役。特に3兄弟の演技のうまさは、感動もの。きっと、映画賞、取るだろうなー。私がよく観る会話の少ないフランス映画と違って、よくしゃべる、しゃべる、しゃべる!テンポが速くて軽快なリズム感があります。

言いたいことがいっぱいで、書きれないのでチラシの中から引用します。そして公式のホームページサン・ジャクへの道も見てください。

『聖地サンティアゴ(サン・ジャック)まで1500kmもの巡礼路を一緒に歩くこと。それが遺産相続の条件と知らされて、無神論者の上に歩くことなど大嫌い、仲も険悪な3兄弟が、物欲の炎を燃やしつつはるかなる旅路の第一歩を踏み出した。2ヶ月もかかる長旅の連れとなるのは、母親のためにイスラムのメッカへ行くと思い込んでいるアラブ系少年やわけありな女性など個性的な面々。それぞれの事情を背負って歩き始めた彼らを待っているものは・・・?』

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『 The Queen 』

2007年04月27日 | 映画

Queen_1このチラシと、キャッチフレーズ『世界中が泣いたその日、たった一人涙を見せなかった人がいた』にひきつけられて『クィーン』を観て来ました。

10年前のダイアナ妃の衝撃的な事故死。それに対してエリザベス女王は、民間人となったダイアナには必要ないとコメントを出さず無視した結果になりました。国民的な絶大な人気を誇るダイアナに対する侮辱だと民衆の不信感は増大します。タブロイド版も批判的な記事を書き立て、国民と王室が離れていくことにブレア首相は危機感を募らせました。

窮地に追いこまれた苦悩の女王を救い、国民との和解に力を注いだのが、首相に当選したばかりのブレア首相でした。

事故から1週間、国民から思いもしない怒りをぶつけられた女王の苦悩と人間性、意外に家庭的な王室の日常、女王の威厳、元首としての立場など、ロイヤルファミリーの内側が映し出されてたいへん興味深い映画でした。

2007年、アカデミー賞主演女優賞を受賞したヘレン・ミレンは、さすが、完全に「エリザベス女王」になりきっていました。威厳と品位とプライド、そして公には見せない人間性をこれほど見事に演じられるということがすごいことだと思います。

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蒼き狼――地果て海尽きるまで

2007年03月22日 | 映画

Tingisu_kataroguモンゴル国が、チンギス・ハーンによる統一から800周年ということでとかく話題になっています。昨年は、「日本におけるモンゴル年」でした。日本とモンゴルの合作映画も作られました。総工費30億円、4か月のオール・モンゴルロケ。さっそく「蒼き狼 地果て海尽きるまで」を観て来ました。

今、日経新聞に堺屋太一氏の『世界を造った男 チンギス・ハーン』が連載されています。堺屋氏は、チンギス・ハーンが勢力を拡大していく過程に、経済面からも切り込んで、ここはとても興味深く、今までのチンギス像、勢力拡大とは違う面が語られています。

井上靖氏の『蒼き狼』は、チンギスが広大な帝国を作っていく原動力を「青き狼のモンゴルの血」の証明だとし、その精神を昇華させた武力、政治、人事、家族の愛と憎の葛藤を描いた、簡潔で美しい文体の作品です。人をかみ殺す「狼」の物語が、井上氏特有の表現で格調高い文学作品になっているような気がします。

チンギスも長子ジュチも、その父親が誰か定かでなく苦悩しますが、モンゴル人であることを証明するのはただひとつ、「狼たれ。」ということでした。この父子の葛藤と苦悩は、「華麗なる一族」にも似ていると思いました。そういえば、山崎豊子さんは、毎日新聞で井上靖氏の部下だったんですよね。

この映画の原作は、てっきり井上靖氏と思っていたら、森村誠一氏でした。森村氏の本は読んではいませんが、大体似ていると思います。境屋氏、井上氏、それに司馬遼太郎氏の短編『戈壁の匈奴』を読んで3つのイメージを膨らませていくと面白とおもいます。そういえば、これは角川映画でした。随分お金がかかっていますから…。ちなみに「戈壁」は「ゴビ」と読むんだそうです。

映画評はいろいろあるようですが、私はモンゴルの草原の暮らし、服装、戦い、大地の距離感が今ひとつ実感として捉えられなかったので、27000人のエキストラを使ったというこの壮大な映画を、ぜひ見たいと思っていました。母ホエルン役の若村麻由美さんが好演、ジュチの苦悩、弟カサルのひかえめな役もよかったと思います。モンゴルの草原のイメージが少しつかめました。

Img_2042夫の誕生日だったので、食事をしたレストランで、こんな素敵なデザートのサービスがありました。糸のようなアメ細工にミントの葉を散らしたおしゃれなデザートです。心は、いくつになってもメルヘンの世界に遊ぶようです。

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映画 『不都合な真実』

2007年02月11日 | 映画

Resize0007_1夫の友人からの情報で、アメリカ・ドキュメンタリー映画『不都合な真実を観てきました。自称「一瞬間だけ大統領になった男」・ゴア元副大統領が、温暖化で傷ついた地球を救うために、世界中をスライド講演して回り、地球の危機を訴えた真に迫るドキュメンタリー映画です。

息子の生死をさまよう事故に直面して考え方が激変し、学生時代から持っていた環境問題を、さらに熱心な活動に展開していく様子が描かれています。温暖化で、氷河や永久凍土や北極の氷もとけ始め、それが地球にどんな影響と危機をもたらすか・・・を、真に自分の言葉として、科学的に、衝撃的に、感動的に、グラフやCGを使ってわかりやすく説明したすばらしい傑作です。役者の言葉としてでなく、真に自分の言葉として訴える姿には、主演男優賞もとれそうな感じです。

私のつたない感想より、パンフレットの中のアメリカの新聞の評を書いておきます。

「今年1本観るとしたら…『不都合な真実』を絶対に観るべき。あなたの一生を変えるはずだ!」The Insider

「素晴らしい!傑作のドキュメンタリー。とにかく面白い!」Newsweek

「驚くほど興奮した!」New York Daily News

「『不都合な真実』は確実にアカデミー賞にノミネートされるだろう。」New York Post

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映画 『敬愛なるベートーヴェン』

2006年12月14日 | 映画

日本では12月は「第九」の季節。そんな時期にピッタリの映画情報を友人から得て、早速見てきました。

Photo_2 タイトルは『敬愛なるベートーヴェン』。(写真は映画のパンフレットです) ベートーヴェンの「第九」誕生と、耳の聴こえない彼を支えた一人の女性の物語です。

「第九」の初演を間近に控え、精神的にも追い詰められたベートーヴェンのもとに、優秀な音楽院生アンナが写譜のためにやってきます。彼を尊敬し、彼の音楽を心から愛した若く美しい女性音楽家です。写譜師が女性であったことに激怒した彼も、次第にその才能を認め、必要とし、師弟としてすざましいばかりの創作活動に入ります。

『第九』初演の日、耳の聴こえない指揮者ベートーヴェンのために、アンナはオーケストラの楽器の陰で、彼に向かって指揮のリードを取りながら『第九』を見事大成功に導きました。演奏が終わっても音の聴こえないベートーヴェンには、熱狂的な拍手の嵐に気がつきません。その時アンナが歩み寄り、彼を観客席に振り向かせたシーンは圧巻でした。

全篇に彼作曲の音楽が流れて、偉大な芸術家、孤独な芸術家の狂気と苦悩を描いた激しく、そして心を揺さぶる映画です。男女、師弟、肉親、そして神への愛を音楽の中に究極的に高め、そこに昇華したような清澄さも感じました。まさに「歓喜」の音楽です。

実際には、ベートーヴェンがこの曲を他人に指揮させることをどうしても承知せず、指揮者ウムラウフが彼を助けるために、二人で指揮台に立つことになったとか本で読んだことがあります。

ベートーヴェンには、史実上3人の写譜師がいて、3人目が明らかになっていません。この映画では、3人目に若く才能ある女性作曲家アンナを登場させ、「第九」の誕生に深く関わりを持たせた壮絶な音楽ドラマとなっています。

余談: これより一月ほど前、日経新聞の文化欄に『写譜師』としての柳田達郎氏の寄稿文が載りました。そのときに初めて『写譜師』という言葉を知り感動したものです。『作曲家が作った音楽とは別に、写譜自体に美の世界がある』とは柳田氏の信念です。音楽の流れや和声を理解して写譜に臨むと、正しい音が見えてくるというのは、柳田氏自身がバリトン歌手として活動をした経歴の持ち主だからでしょう。

『演奏家の目と心を理解』した写譜師の仕事に支えられているのは、演奏家ばかりでなく聴衆もだということがよく分かりました。コンピューター入力の楽譜でなく、手書きの美しい楽譜。近年は写譜職人が激減していると聞くと、ちょっと切ない気がします。

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