暗闇に浮かび上がった人物が語ります。『私はアルフレッド・ヒッチコックです。今まで沢山のサスペンス映画をお送りしてきた。だが今日は少し違う。異は事実にあり。これは実際にあった物語である。私が今までに作ったどの恐怖映画より奇なることがあるのだ。』
暗闇に浮かび上がった人物が語ります。『私はアルフレッド・ヒッチコックです。今まで沢山のサスペンス映画をお送りしてきた。だが今日は少し違う。異は事実にあり。これは実際にあった物語である。私が今までに作ったどの恐怖映画より奇なることがあるのだ。』
日本では明治維新を成し遂げたその頃、英国紳士のクラブで「80日間で世界を一周してここに戻る」、と全資産を賭けたフォッグは万事に器用な使用人を連れて出発しますが、スタートから土砂崩れで鉄道が使えず急遽気球に変えました。
手引き書片手に1万メートルまで上昇、アルプスだって楽々越えます。カメラワークが素晴らしく、フランスの森や河、お城、なだらかに広がる畑、夕日など、観光ガイドの様相です。まだ世界が狭かった私にはそこはかとなく夢が広がりました。
インドの横断では鉄道が途切れて象に乗ることも。ここで殉死させられる姫君を助け、道連れがひとり増えます。
サンフランシスコに到着。まだ英国優位の時代ですが、新天地には新しいエネルギーが弾けています。
西から東へ大陸横断鉄道に乗ります。途中でのハプニングも見もの。原住民との協和と対立が続きます。
騎兵隊の力を借りて危機から脱出したものの、ニューヨークへの汽車は既に発車して取り残されます。気になるのは時間のみ。が、捨て置かれた荷馬車に目を付け改造します。どこまでもプラス志向!
イギリスへの客船は既に出航していて、もう予定日到着はアウト。そこで大金をはたいて小さな商船の行き先をリバプールへ変更させます。燃料が途中で切れますが、知恵の結集で乗り越え、めでたくリバプールに着きます。が、ここで銀行強盗に間違えられ留置場で足留め。完全に送れてしまいました。敗北。全財産を失うことに・・・。
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この後に、1都3県に来月7日まで緊急事態宣言が発令されました。ひと月で減少傾向に向かうのか、他県は必要ないのか・・・。住民には「午後8時以降の不要不急の外出の自粛」を求めていますが、これでいいのか・・・。
明日は検診だからアルコールは控えました。正当なデータを出すためには飲んだ方がいいのかも・・・。でも数字は少しでもいい方が・・・。健気な我慢です。
学生時代には読むべき本として、信者のいかんを問わず必ず「聖書」が含まれていました。何度も手にしましたが、数ページも行かないうちにギブアップ。そんな私に阿刀田高さんの本は画期的でした。
睡魔との戦いに助けられるハエの逸話。出発間際に見物人から提供してもらい計量器の壁にガムで張りつけた化粧用のより軽量の手鏡、それが日光を反射して、居眠りしていたリンドバーグの目を覚まさせ危機を回避するというはらはらドキドキの手に汗握る場面も出てきます。
リンドバーグから93年経った今、世界の飛行場にはコロナ禍で飛べなくなった精鋭の飛行機がずらーりと並んでいます。
晴れた今日、矢車菊が凛と咲きました。
チドリグサも高貴な色を誇っています。お気に入りの花で、毎年あちこちで芽を出して咲き誇ります。ヒエンソウとも呼ばれこちらの呼び方がすっきりしているかな。
廊下の照明でよく撮れなかったから、下はネットでお借りしましたものです。
ストーリーは、近年評価の高くなった「芳ケ江国際ピアノコンクール」に挑む4人の若者の情熱と魂をかけた青春群像です。
妻子をもつ社会人の明石は、年齢制限28歳で最後の挑戦です。ピアノを専業にする者たちが持ち得ない生活者の音楽を自分は持っているという強い思いで不屈の努力をしています。
ジュリアードで学んだ自他ともに認める貴公子・マサル。幼ななじみで天才少女・亜夜の後姿を追いかけてピアノを続けていました。
★★★追記
10月4日放送 NHK Eテレ 「ららら♪クラシック」は「蜜蜂と遠雷」の音楽についてでした。俳優とピアニスト、作曲家の努力が垣間見えて面白かったです。再放送のチャンスもあります。
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妹から誘われて『日日是好日』を見てきました。9月に亡くなられた希林さんの最後の作品です。
どこにでもいそうな女子大生二人が茶道の武田先生とかかわりを持つことから話が静かに展開していきます。その二人が武田先生の家を初めて訪問したときに、引き戸の奥から、親しみのある「いらっしゃーい」と言う声と懐かしい顔が現れたときに「希林さんはまだ生きている!」と反射的に思ってしまいました。
未来が見えてこない女子大生の典子は家族団らんの会話の中のふとした展開で、同い年の女子大生のいとこ・美智子と茶道の師匠武田先生の元に通うことになります。
場面はほとんどが茶室で、袱紗の捌きかたから始まる茶道の細かい手ほどきになかなか馴染めず戸惑う二人です。それでも1週間、2週間、1か月と季節は繊細な色と音を違えながら確実に進んでいきます。会話は少なく四季よりも細かい24節季の表現が茶室いっぱいに実に美しく描かれています。
じゅらく壁の床の間の掛け軸の書、無駄をそぎ落として活けたお花、季節を象徴する和菓子、茶器など、見る側もスクリーンの隅々まで、細かいところまで目に留めておきたいと、目を皿にして集中して観ます。茶室の持っている雰囲気とたたずまいは凝縮された日本文化そのものですから。
典子は細かい手順や所作にその意味を問いただしますが、武田先生はやんわりと「初めに形を作っておいて、後から心が入るもの」とたしなめられます。映画では表千家でしたが、流派は違っても典子と同じ年齢・同じ立ち位置でお茶を習っていたころを思い出し、典子の気持ちに同化している自分がいました
水を注ぐときの音とお湯を注ぐときの音の違い、梅雨の雨音と時雨の雨音の違いなど自然を肌で感じることもさりげなく教えられ、神経が研ぎ澄まされて少しずつ何かが変わっていきます。掛け軸の「滝」の文字にすざましく流れ落ちる滝の音も景色も見えるようになりました。
若い二人は婚約者の裏切り、就職試験の失敗、父親の死、会社勤めの失望・・・と様々な岐路に立ちます。しかしお茶の道を淡々と歩きながらも、いつしか武田先生の包容力と人間味のある人柄に救われ導かれていきます。
10歳で見たイタリア映画『道』がやっと理解できるようになったのも、いつの間にか心の中に占める茶道の位置が確かなものになっていったことの証でしょうか。
『世の中にはすぐわかるものと、すぐわからないものの二種類がある。すぐわからないものは長い時間をかけて、少しずつ分かってくる』という会話はこの映画のひとつのテーマだと思いました。
武田先生役は希林さんしかできない、典子役は黒木華さん以外には考えられないくらいに、時々滑稽さも交えて淡々と進みながら濃密さを感じさせる演技力が、この映画を特別なものにしているのだと思いました。
5か月ほど前にやはり希林さん出演の『モリのいる場所』を見ていたので、改めていぶし銀のような存在の大きさ素晴らしさに感銘を受けました。ストーリー以前に希林さんの存在感が大きくて、いつの日かこのような素晴らしい女優さんが現れることを望んでいます。
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日本シリーズ第5戦でソフトバンクが5-4で勝ち王手をかけました。日本シリーズらしく両チームとも大活躍です。
近くの大学の秋季市民講座が始まりました。ドイツ語学科の先生と学生が選んだ映画を、先生方の解説も交えて上映、その後質問、感想のやりとり、アンケートがあります。
映画館とは違った楽しみおもしろみがあり、夜間にも関わらず人気の高い講座です。講座料無料、近くに住む者の特権です。
最初にドイツの1960年代の学生運動やその頃の社会的思想が説明されました。’68年頃は日本でも学園が荒れました。
舞台は今のベルリン。青年ヤンとピーターは格差社会に反発し、自分たちの理想を描き「エデュケーターズ」と称して秘密の活動を行っていました。
それは金持ちの留守宅に忍び込み、家具などの贅沢品を引っ掻き回し『贅沢は終わりだ』と警告文を残して立ち去るもので、市中で取りざたされている怪事件です。 「物盗り」は大義にもとるとの信条で絶対盗みをせず、人も傷つけません。富裕層ばかりが優遇される現体制への痛烈な反抗だったのです。
ピーターの恋人ユールが富豪ハーデンベルグの車に追突して100万ユーロの保償を抱えたことから、彼女を巻き込んで3人だけの「僕ら」の革命が始まります。
ピーターの留守にヤンとユールはハーデンベルグの邸宅に忍び込み室内を引っ掻き回し成功したかにみえたその時に警報装置が!慌てて逃げ出しその場を切り抜けましたが、ユールが携帯電話を落としていたのに気づいたことから、ストーリーはサスペンス風に。
夜を待って再びハーデンベルグの屋敷に忍び込み携帯は発見しましたが、その時彼が長旅から戻ってきて鉢合わせ。息詰まる攻防の末ハーデンベルグが脳しんとうを起こしました。
ピーターの助けも借りてハーデンベルグを誘拐同然に連れ出して、ユールの親戚のチロルの山小屋で奇妙な共同生活を始めます。
共同生活の中でわかったことは、今は年収300万ユーロのハーデンベルグも、1968年学生運動のバリバリの活動家。しかし今はその富を肯定する側です。 三人の若者の苦い三角関係はもつれ込みますが、最後はピーターは理想と友情を優先させ落着させます。
そんな中の議論の末、ハーデンベルグは警察通報はしない、車の賠償も取り消すということで、彼を解放して家に帰すことにしました。
その後暫くして、重装備の警察官が三人のアパートに押し入りますがもぬけのカラ。すでに他の場所に移動していました。ハーデンベルグは約束を破り、やはり最後は警察に通報したのですが、それにも時間差があるのは苦渋のハーデンベルグの意図かも。
ラストシーンは、地中海の明るい日射しの中で、イタリアらしくマリンカラーのジャケットをはおり、3人は豪華なヨットで海に滑り出します。そのヨットはハーデンベルグ所有のものでした。
映画の途中に、ヨーロッパ中を網羅している地中海の通信施設を破壊して打撃を与える計画が出てきて、それが伏線になって多分その通信施設に向かったのでしょうか・・・。
ヨットの中のテーブルにハーデンベルグの写真入りの証明書がちらっと映ったのは、この計画にはハーデンベルグの意志も入っていたのか・・・。 ハーデンベルグの昔の思想と今の姿の両方に激しく揺れ動く心・・・が見てとれます。
現代社会の緻密さから考えれば、この青年たちの理想もやり方も先が見えていて幼稚とも言えます。 ’68年の闘争は数年で消えた記憶があり、その活動が今の若者には憧れとして映ったのかも知れません。
自由主義経済の中で「変わる、変える」ことの理想が実現できたかどうか・・・は、あのヨットの行き先だけが知っているのかな。日本でも60年代の活動家が経済界のトップになったりしています。
シンプルな輪郭線と美しい配色で平板に塗られた、写実以上に、本物以上にネコの存在感を与える絵、熊谷守一「猫」1965年。一度目にして以来ずっと脳裏に焼き付いている絵です。
その熊谷守一氏の晩年の静かな日常が、味わい深く、ユーモラスに描かれている『モリのいる場所』が上映されています。
展覧会場の3個の白い物体と柄のとれた包丁の絵。それを不思議そうに見つめる品のいい老人の「この絵は何才の子が描いたのですか?」という問いかけ・・・。林与一さんの役作りは完璧でした。そう、あの懐かしい昭和天皇のありし日のお姿がよみがえりました。
冒頭のこのシーンが守一氏(モリ)の絵の全てを物語っていました。映画の素晴らしい導入に感じ入りました。
塀に囲まれた雑木と草花と小さな池と平屋のある空間が「モリのいる場所」。決して広くはない庭を散策するのが日課で、30年間家から出ることのなかったモリの人生のすべてです。
著名人であるため朝から訪問客が絶えず、飄々と自分の世界に生きるモリに代わり応対するのは妻とお手伝いさん。この3人の会話の間の取り方、動作の間の取り方に静かな感動と面白味が広がります。
時流に無頓着なモリの言葉に「ああ、そうですかぁ~」と返す妻。決して無視するのでもなく、軽視するのでもなく、受け流すのでもなく、正面からキッと受け止めるのでもなく、50年を共にした夫婦の間にしか通じない独特のイントネーションの台詞が実に絶妙です。この台詞は樹木さんしか演じられないかもしれません。私もいつかこんな風に「ああ、そうですかぁ」と言えるようになりたいな・・・。言えないだろうな・・・。
随所にユーモラスな会話や動作が出てきて、見るものの心をほんわかと明るくしてくれますが、それは守一氏の絵にも通じるものだと思いました。ムダを削いで削いで単純化した絵には、どこかユーモラスで温かさを残しているのです。
空気のような透明感のある夫婦の佇まいには、艱難を乗り越えた50年の夫婦の、得も言われぬ人生の味わいがそこはかとなく広がります。
平日の映画館内はシニア族が多く、時折こぼれる笑い声に、自分達の人生を重ね合わせて共感し、共有できることに安心します。
山崎努と樹木希林の表情としぐさと会話があれば、ストーリーはなくてもそれだけで満足できる映画です。脇を固める俳優の演技の見事さもあると思いますが、本当に飽きさせない映画でした。
熊谷家の訪問者たちの会話の中に、当時のテレビの人気者の名前や時勢がうかがえて、温かい昭和がほのぼのとよみがえり親しみを感じます。
淡々と展開する熊谷家の夏の一日が、見る者の心にじんわりとふんわりと感動を広げてくれる秀逸な映画でした。
近くの大学の市民講座、ドイツ語学科の「映像にみるヨーロッパ」の今期最初は『嘘つきヤコブ』でした。1974年に制作された東ドイツの映画です。
「DEFA70周年 知られざる東ドイツ映画」特集が、全国的に美術館、大学などで取り上げられ、静かな話題を呼びました。その中の一つがアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた『嘘つきヤコブ』です。
《あらすじ》
第二次世界大戦中のポーランド、ユダヤ人ゲットーの中。ヤコブはひょんなことからナチスの見張り所から聞こえてきたラジオで、ロシア軍が数十キロの所まで侵攻し、ドイツ軍が苦戦していることを耳にします。
その衝撃のニュースを、ヤコブは「隠し持っている禁制のラジオで聞いた」と嘘をつき仲間のひとりにこっそり教えました。強制収容所への移送の恐怖と絶望の中にいる人たちにとり、ロシア軍が助けに来てくれていることは一条の光、希望に繋がり、あっという間に皆の知るところとなってしまいました。
皆はニュースの続きを聞きたがります。ヤコブはラジオを持っていると嘘をついたことに戸惑いを覚えます。最初の嘘が次の嘘を、また次の嘘を呼び起こし、ヤコブの苦しい作り話はどんどん広がっていき、皆を喜ばせ希望を持たせることになりました。
しかし、皆は事態が進まないことでヤコブに不信感を持ち始めました。それと時を同じくして、ナチスはユダヤ人に全員集合の張り紙を出します。このことは他ならぬ恐れていた強制収容所移送を意味しました。
ゲットーの不安の中での希望の嘘、この嘘がよかったのか、悪かったのか・・・。
暗い移送車の中から見る真っ青な空と白い雲。それはヤコブが可愛がっている孤児のリサに話してやった童話の中の景色と同じでした。
何も知らない純真なリサは、その光景を見て大喜びします。移送車は大人達の絶望の塊を乗せて収容所に向かって、事務的に機械的にただひた走ります。つらい映画でした。
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スマホからの投稿は、画面の不用意なタッチで3度も消えました。その都度新しく書き直して・・・。長い文章はパソコンの方がいいのですが、手元で投稿できる便利さの魅力は大きいものです。
27日で上映が終わるというので雨の中を行ってきました。アカデミー賞をはじめ数々の主演男優賞をものにし、何よりも同メイクアップ&ヘアスタイリング賞を獲得した辻一弘氏も話題を呼びました。
チラシにもあるように「英国一型破りな男が、ダンケルクの戦いを制し、歴史を変えた」「ヒトラーから世界を救った男」「『嫌われ者』から『伝説のリーダー』となったチャーチルの、真実の物語」の文字からも映画の内容が想像できました。
時は、第二次世界大戦初期の1940年5月9日。ナチスドイツはヨーロッパへの侵略を深め、仏のダンケルクでは連合軍40万人が窮地に陥っていました。イギリスにもその脅威が迫っており、不信任のチェンバレン首相からチャーチル首相に変わります。
チャーチルの手腕にヨーロッパの運命がかかります。ナチスと和平交渉を進めようとする宥和派と徹底抗戦を推し進めようとするチャーチルは対立します。
首相就任からダンケルクの戦いまでの4週間の息づまるような政治家たちの駆け引き。孤独なチャーチルの苦悩、イギリスの苦悩が日付を追って展開していきます。はらはら、ドキドキの感動の物語です。
ラストシーンの4分間のチャーチルの議会演説は凄味と絶対にナチスに負けないという信念がありました。あの場面だけでも主演男優賞が取れるかも・・・。
数年前にパリを自由に歩き回った時に、アレクサンドル3世橋からプチ・パレに向かったその一角で、太っちょチャーチルの銅像に夫が気づきました。右足を前に出して杖をついて歩く姿・・・。
その台座には『We shall never surrender』(私たちは決して降伏しない)という言葉が彫り込まれていました。
チャーチルの銅像がパリにある理由、そしてその台座の言葉はイギリス議会での演説の一部分だったことが今回の映画でわかりました。映画が4年ぶりの謎解きをしてくれました。