exploitation 酷使
第74話 傍証act.2-side story「陽はまた昇る」
銀杏を植える、そんな庭から主の思想が解かってしまう。
いま黄金あわい大樹は秋の陽ゆれる、その木洩陽きらめいて葉を舞わす。
ひるがえる梢から落葉はふる、ただ明滅ゆれる風に閑静の佇まいは風格を崩さない。
あの葉ひとつ地に落ちる音さえ聞こえそうで、そんな静穏にネクタイ翻しながら英二は微笑んだ。
「は…相変わらずだな、ここは、」
つぶやいて見上げた門は高い、そして鎖される。
めぐらす煉瓦塀は上品で古風、けれど高すぎる壁は無駄なプライドのよう見苦しい。
ブロンズくすんだ門扉も高すぎて、それでも透かし彫りの向こう庭を見ながら通用口の暗証番号を押した。
たぶん番号は変わっていないだろうな?
そんな予想通りに開錠音かちり鳴って小さな扉を開く。
そこへ長身屈めて潜らせて、後ろ手に閉めると石畳から芝生へ踏みこんだ。
かさり、かさり、
落葉と芝生が靴の底に鳴る、けれどソール音は響かない。
通りの喧騒すらない静寂はすこしだけ山と似て、それでも無機質な視線がある。
そのお蔭で直に来訪も伝わるだろう、そんな思案に軽やかな足音ひとつ駆けてきて英二は口笛を吹いた。
ひゅーいっ
尾を引くよう一声、独特の響きへ足音が立ち止まる。
そのまま芝と銀杏を踏んでゆく、あわい黄金ふるなか黒い犬が行儀よく座りこんだ。
「久しぶりだな、」
笑いかけた先、ふっさりと尻尾ふって応えてくれる。
この犬とも4年は会っていない、それでも茶色の瞳すこし笑うよう寝ころんで大きな腹を見せてくれた。
「ありがとうヴァイゼ、」
笑いかけ屈みこんで腹撫でてやる。
ふわり黒い被毛は温かい、この温もりだけが訪問のとき楽しみだった。
「ヴァイゼは散歩とか行ったこと無いよな、ずっとこの庭だけで厭きないか?」
話しかけながら毛づくろいしてやる掌へ鼓動やわらかに触れてくる。
茶色の瞳そっと細めさす、その眼差しは十年近くこの庭だけしか見ていない。
そんな生活は大型犬にとって幸せなのだろうか?
「広くて綺麗でも同じ庭だけなんて俺は厭きるよ、ヴァイゼ?」
本音を笑いかけた向こう、落葉の音が聞えだす。
かさり立つ足音は4年前と変わらない、けれど構わず犬を撫でる木洩陽に声が笑った。
「相変わらずヴァイゼは英二に絶対服従だな、」
愉しげな深い透る声、だけど自分は嫌いだ。
この声を好きだと言う人間も多いのだろう、それでも自分は好きと想ったことが無い。
そんな素直な感想ごと立ち上がった足許へ大きな犬も姿勢なおらせ座ってくれる。
その鼻面そっと撫でて英二は屋敷の主へと微笑んだ。
「ご無沙汰しています、」
「4年ぶりか、噂だけは足繁く聴いておるがな、」
さらっと言ってくれる声は深く響いて高齢を見せない。
それ以上に言葉の意味が「権威」を示して心裡また反抗が起きたくなる。
そんな本音に仮面を被らす向こう、端正な銀髪の貌は気さくに笑ってスラックスの脚を踵返した。
「茶ぐらい飲んでいきなさい、4年分の爺不幸にはそれくらい良かろう?」
爺不幸、だなんて単語があるんだな?
そんな疑問すこし可笑しくて笑って頷いた。
「はい、御相伴します、」
「ふん?」
頷いた先でニットの背中が首傾げさす。
すこし意外だ、そう言いたげな気配に歩きだすと黒い犬も付いてくれる。
大きな三角の耳そばだてながら茶色い瞳は前を向く、そんな従順に老人は笑った。
「ヴァイゼの忠誠心は4年ぶりでも変わらんな、私にはこんなに付いて来ないぞ、」
忠誠心、その言葉に三角の耳かすかに動く。
僅かな動き、それでも犬の想い知れるまま英二は微笑んだ。
「忠誠心だけじゃありませんから、」
「ほう、」
短く頷いて深い声が笑う。
明るいトーンの落着いた声は耳に快い、けれど相手を量っている。
そんなふう解かるのは自分が「同類」だからだろう、そう知っているから嫌いだ。
『クセモノ悪魔なとこはソッチ似だね?』
そう今朝も光一は笑い飛ばしてくれた、あの言葉通りな相手が今この半歩前にいる。
半歩前、こんな距離感すら自分の本性を思い知らされるようで嫌いだ。
―このひとの血が俺に入ってるんだよな、母親ごしに、
独り心呟いて現実を呑みこます。
この男を嫌いだと自分が想う、その理由なんて解り過ぎている。
そんな理由たち以上に本当は「自分」だから嫌いだ、そう認める想い微笑んで久しい敷居を跨いだ。
「英二、テラスで良いか、」
「はい、」
問われて頷き返す足元を黒い犬は付いてきてくれる。
こんな様子も4年前と同じで、寄りそってくれる温もり微笑んだ向うスーツ姿が現れた。
「お久しぶりです、英二様、」
慇懃な声が佇んで半白の頭を下げる。
その仕草も4年前と変わらない、そんな無変化を見つめながら笑いかけた。
「俺に『様』なんて付けないで下さい、中森さん。すみませんが、ヴァイゼの足を拭いてもらえますか?」
「はい、かしこまりました、」
相変わらずの慇懃なトーンが頭下げて、けれど上げた瞳かすかに笑ってくれる。
そこにある茶目っ気のような明るさも前と同じで、少し息つけた想いに出されたスリッパへ履き替えた。
―こういう中森さんだから続いてるんだろうな、俺なら息詰まりそうだけど、
長年この家を取り仕切る男に素直な賞賛を見てしまう。
こんなこと自分には真似出来ない、だからこそ4年も無沙汰をしていた。
そんな間遠い場所は大理石の白から相変わらず冷たく見えて、広すぎる空間が寒々しい。
―こんな所で育ったから母さん、あんな冷たい貌になったのかな、
回廊を歩きながら冷たい美貌が映りこむ。
あの貌はこの屋敷で生まれて育った、その時間たちは23年分あるはずだろう。
けれど俤の温もりと似たものを自分には見つけられない、そんな想い隠したまま安楽椅子に腰下した。
「美貴子とも暫く会っていないのだろう、英二?」
陽だまりに向かいあって銀髪の笑顔が訊いてくる。
こんな問い方は「知っている」のだろう、その確認へ応えた。
「夏に顔出しました、」
「ふむ、警察官は忙しいのだろうが、」
訊いてくる眼差しは微笑んで、けれど愉しむよう計る。
本当は「なにを」訊きたいのか、言わせたいのか、答えて良いのか?
そんな質問ゲームの始まりに英二はストレートで微笑んだ。
「ご覧になった文句を聴かせてくれますか?」
ご覧になった、文句、
こんなふうに言えば話しだすだろう?
そういう相手だと解かっている、その理解通りに老人は唇ほころばせた。
「私の孫は制服が似合うと想ったよ、ポスターのモデルとして最高だ。ただし、階級章が気に入らんがな、」
制服は似合う、けれど階級章は気に入らない。
そう言われる意図はもう解かる、それでも黙って微笑んだ向こう祖父は続けた。
「警察官になったことは良い、まだ2年目で特進とやらをしたことも良いだろう、だがキャリアで警察庁に入れば今頃は警部だ、
警察官ならキャリアの道を選ぶべきだ、英二なら東大も国家一種も簡単だろうに?なぜ、司法修習を放棄してまで警視庁を選んだ?」
ほら、やっぱりこの質問をされた。
この事を問い質されることが解かるから4年間を無沙汰している、その空白に言葉ぶつけられた。
「検事なら司法試験で入庁だから私も東大じゃなくても構わんと思った、私が理事の大学だしな、英二の実績が大学の箔付になれば喜ばしい、
そう納得したから美貴子の言う通りに英二の内部進学を許したのだ、その期待通りに司法試験も優秀な成績で合格してくれた、それも2年生でだ。
だが修習の放棄までは納得できん、その理由を説明に来ると待っておったら警視庁に入ったじゃないか?なぜ英二がノンキャリアを選ぶ必要がある?」
入庁、東大、理事、実績、
こんな言葉たちに祖父への反発が熾きてしまう。
こういう所が検事だった祖父とは違い過ぎて、この落差また蔑みたくなる。
―本当のこと言ったら血圧キレるかもな、母さんの所為だってさ?
独り微笑んで安楽椅子の視界の端、ガラス越しから空を見る。
いま降りそそぐ陽光は明るい、その光に遠い山の空を見ながら微笑んだ。
「家を出たかった、それだけです、」
「ふん?」
短い応答、けれど祖父の瞳がこちら見てくる。
その眼差し微笑んで受けとめるまま深い響く声が尋ねた。
「あの家から独立したかった、だから司法修習を辞退して全寮制の警視庁に入ったという訳か?」
「はい、」
頷いて微笑んで視線ごと貌を崩さない。
いま仮面を自分は被っている、だからこそ崩せずいられる想いに重ねて訊かれた。
「山岳救助隊とやらに所属しているそうだな、最も危険な部署だとも聴いているが志願した理由は何だ?」
やっぱり警視庁にまで祖父の視聴覚は届くらしい?
こんな予想通りの現実に微笑んで、本音の15%だけ答えた。
「最も危険なら、特進のチャンスも一番多いですよね?」
こんな回答ならば祖父の好みに合うだろう?
そんな想いの通りに満足の貌が笑った。
「ノンキャリアから警視総監になった前例は無いが、英二なら可能性ゼロとも言えんだろうよ?地方警察から警察庁への登用システムは今もある、
志願者が減って形骸化しかかっておるが廃止されたわけでもない、警視庁から選抜されるくらい英二には容易いだろう、英二が望むというのならな、」
随分と買い被ってくれるんですね?
そう応えたくなって、けれど言葉にせず沈黙に蓄える。
いま祖父の言葉たちが告げる意味も理由も解かってしまう、それは的確だと知っている。
こういう祖父だから自分も利用するつもりで今日は来た、そんな意図から別の言葉を微笑んだ。
「警察のことも詳しいんですね、内務省では地方局だったと伺っていますが、」
内務省、
今はもう存在しない日本の行政機関のひとつ。
そこに携わっていた男だから今日も会いに来た、その意図へ老人は微笑んだ。
「当時は同じ省内だからな、警保局とは繋がりも無いことは無い、」
ほら、欲しかった回答が惹きだせた。
ぼかした回答、けれど匂わせる過去と現実が存在する。
この知識と経験と、それから人脈を喋らせるにはどうすれば良いだろう?
そんな思案と微笑む陽だまりへ扉が開き、スーツ姿と黒い犬が入って来た。
「失礼いたします、」
慇懃な礼ひとつ端正な仕草がテラスに卓を整える。
そこに並べられたグラスと注がれた淡い黄金が意外で、つい笑ってしまった。
「朝からワインですか?」
朝10時、まだ午前の茶の時刻だろう?
そんな刻限に注がれたアルコールの芳香へ銀髪の笑顔ほころんだ。
「私も九十になる、好きな酒を好きな時に飲まんと往生が悪くなりそうでな、」
往生が悪い、そんな言葉に年齢の現実は垣間見する。
そして想ってしまう、きっと「間に合った」自分は幸運なのだろう?
―この祖父が生きて居ることすら俺の勝利だ、
九十歳ならいつどこで逝去しても不思議はない。
けれど元内務省官僚の男は生きて前に座っている、この男が祖父であることは自分の幸運だ。
こんなふうに祖父の存在を幸運だと思ったことは無い、こんな初めてすら計算でしかない自分は酷薄だろう。
それでも面倒だと忌み避けて終わるよりも今、どんな目的だとしても酒酌み交わすならただ、幸福かもしれない。
(to be continued)
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第74話 傍証act.2-side story「陽はまた昇る」
銀杏を植える、そんな庭から主の思想が解かってしまう。
いま黄金あわい大樹は秋の陽ゆれる、その木洩陽きらめいて葉を舞わす。
ひるがえる梢から落葉はふる、ただ明滅ゆれる風に閑静の佇まいは風格を崩さない。
あの葉ひとつ地に落ちる音さえ聞こえそうで、そんな静穏にネクタイ翻しながら英二は微笑んだ。
「は…相変わらずだな、ここは、」
つぶやいて見上げた門は高い、そして鎖される。
めぐらす煉瓦塀は上品で古風、けれど高すぎる壁は無駄なプライドのよう見苦しい。
ブロンズくすんだ門扉も高すぎて、それでも透かし彫りの向こう庭を見ながら通用口の暗証番号を押した。
たぶん番号は変わっていないだろうな?
そんな予想通りに開錠音かちり鳴って小さな扉を開く。
そこへ長身屈めて潜らせて、後ろ手に閉めると石畳から芝生へ踏みこんだ。
かさり、かさり、
落葉と芝生が靴の底に鳴る、けれどソール音は響かない。
通りの喧騒すらない静寂はすこしだけ山と似て、それでも無機質な視線がある。
そのお蔭で直に来訪も伝わるだろう、そんな思案に軽やかな足音ひとつ駆けてきて英二は口笛を吹いた。
ひゅーいっ
尾を引くよう一声、独特の響きへ足音が立ち止まる。
そのまま芝と銀杏を踏んでゆく、あわい黄金ふるなか黒い犬が行儀よく座りこんだ。
「久しぶりだな、」
笑いかけた先、ふっさりと尻尾ふって応えてくれる。
この犬とも4年は会っていない、それでも茶色の瞳すこし笑うよう寝ころんで大きな腹を見せてくれた。
「ありがとうヴァイゼ、」
笑いかけ屈みこんで腹撫でてやる。
ふわり黒い被毛は温かい、この温もりだけが訪問のとき楽しみだった。
「ヴァイゼは散歩とか行ったこと無いよな、ずっとこの庭だけで厭きないか?」
話しかけながら毛づくろいしてやる掌へ鼓動やわらかに触れてくる。
茶色の瞳そっと細めさす、その眼差しは十年近くこの庭だけしか見ていない。
そんな生活は大型犬にとって幸せなのだろうか?
「広くて綺麗でも同じ庭だけなんて俺は厭きるよ、ヴァイゼ?」
本音を笑いかけた向こう、落葉の音が聞えだす。
かさり立つ足音は4年前と変わらない、けれど構わず犬を撫でる木洩陽に声が笑った。
「相変わらずヴァイゼは英二に絶対服従だな、」
愉しげな深い透る声、だけど自分は嫌いだ。
この声を好きだと言う人間も多いのだろう、それでも自分は好きと想ったことが無い。
そんな素直な感想ごと立ち上がった足許へ大きな犬も姿勢なおらせ座ってくれる。
その鼻面そっと撫でて英二は屋敷の主へと微笑んだ。
「ご無沙汰しています、」
「4年ぶりか、噂だけは足繁く聴いておるがな、」
さらっと言ってくれる声は深く響いて高齢を見せない。
それ以上に言葉の意味が「権威」を示して心裡また反抗が起きたくなる。
そんな本音に仮面を被らす向こう、端正な銀髪の貌は気さくに笑ってスラックスの脚を踵返した。
「茶ぐらい飲んでいきなさい、4年分の爺不幸にはそれくらい良かろう?」
爺不幸、だなんて単語があるんだな?
そんな疑問すこし可笑しくて笑って頷いた。
「はい、御相伴します、」
「ふん?」
頷いた先でニットの背中が首傾げさす。
すこし意外だ、そう言いたげな気配に歩きだすと黒い犬も付いてくれる。
大きな三角の耳そばだてながら茶色い瞳は前を向く、そんな従順に老人は笑った。
「ヴァイゼの忠誠心は4年ぶりでも変わらんな、私にはこんなに付いて来ないぞ、」
忠誠心、その言葉に三角の耳かすかに動く。
僅かな動き、それでも犬の想い知れるまま英二は微笑んだ。
「忠誠心だけじゃありませんから、」
「ほう、」
短く頷いて深い声が笑う。
明るいトーンの落着いた声は耳に快い、けれど相手を量っている。
そんなふう解かるのは自分が「同類」だからだろう、そう知っているから嫌いだ。
『クセモノ悪魔なとこはソッチ似だね?』
そう今朝も光一は笑い飛ばしてくれた、あの言葉通りな相手が今この半歩前にいる。
半歩前、こんな距離感すら自分の本性を思い知らされるようで嫌いだ。
―このひとの血が俺に入ってるんだよな、母親ごしに、
独り心呟いて現実を呑みこます。
この男を嫌いだと自分が想う、その理由なんて解り過ぎている。
そんな理由たち以上に本当は「自分」だから嫌いだ、そう認める想い微笑んで久しい敷居を跨いだ。
「英二、テラスで良いか、」
「はい、」
問われて頷き返す足元を黒い犬は付いてきてくれる。
こんな様子も4年前と同じで、寄りそってくれる温もり微笑んだ向うスーツ姿が現れた。
「お久しぶりです、英二様、」
慇懃な声が佇んで半白の頭を下げる。
その仕草も4年前と変わらない、そんな無変化を見つめながら笑いかけた。
「俺に『様』なんて付けないで下さい、中森さん。すみませんが、ヴァイゼの足を拭いてもらえますか?」
「はい、かしこまりました、」
相変わらずの慇懃なトーンが頭下げて、けれど上げた瞳かすかに笑ってくれる。
そこにある茶目っ気のような明るさも前と同じで、少し息つけた想いに出されたスリッパへ履き替えた。
―こういう中森さんだから続いてるんだろうな、俺なら息詰まりそうだけど、
長年この家を取り仕切る男に素直な賞賛を見てしまう。
こんなこと自分には真似出来ない、だからこそ4年も無沙汰をしていた。
そんな間遠い場所は大理石の白から相変わらず冷たく見えて、広すぎる空間が寒々しい。
―こんな所で育ったから母さん、あんな冷たい貌になったのかな、
回廊を歩きながら冷たい美貌が映りこむ。
あの貌はこの屋敷で生まれて育った、その時間たちは23年分あるはずだろう。
けれど俤の温もりと似たものを自分には見つけられない、そんな想い隠したまま安楽椅子に腰下した。
「美貴子とも暫く会っていないのだろう、英二?」
陽だまりに向かいあって銀髪の笑顔が訊いてくる。
こんな問い方は「知っている」のだろう、その確認へ応えた。
「夏に顔出しました、」
「ふむ、警察官は忙しいのだろうが、」
訊いてくる眼差しは微笑んで、けれど愉しむよう計る。
本当は「なにを」訊きたいのか、言わせたいのか、答えて良いのか?
そんな質問ゲームの始まりに英二はストレートで微笑んだ。
「ご覧になった文句を聴かせてくれますか?」
ご覧になった、文句、
こんなふうに言えば話しだすだろう?
そういう相手だと解かっている、その理解通りに老人は唇ほころばせた。
「私の孫は制服が似合うと想ったよ、ポスターのモデルとして最高だ。ただし、階級章が気に入らんがな、」
制服は似合う、けれど階級章は気に入らない。
そう言われる意図はもう解かる、それでも黙って微笑んだ向こう祖父は続けた。
「警察官になったことは良い、まだ2年目で特進とやらをしたことも良いだろう、だがキャリアで警察庁に入れば今頃は警部だ、
警察官ならキャリアの道を選ぶべきだ、英二なら東大も国家一種も簡単だろうに?なぜ、司法修習を放棄してまで警視庁を選んだ?」
ほら、やっぱりこの質問をされた。
この事を問い質されることが解かるから4年間を無沙汰している、その空白に言葉ぶつけられた。
「検事なら司法試験で入庁だから私も東大じゃなくても構わんと思った、私が理事の大学だしな、英二の実績が大学の箔付になれば喜ばしい、
そう納得したから美貴子の言う通りに英二の内部進学を許したのだ、その期待通りに司法試験も優秀な成績で合格してくれた、それも2年生でだ。
だが修習の放棄までは納得できん、その理由を説明に来ると待っておったら警視庁に入ったじゃないか?なぜ英二がノンキャリアを選ぶ必要がある?」
入庁、東大、理事、実績、
こんな言葉たちに祖父への反発が熾きてしまう。
こういう所が検事だった祖父とは違い過ぎて、この落差また蔑みたくなる。
―本当のこと言ったら血圧キレるかもな、母さんの所為だってさ?
独り微笑んで安楽椅子の視界の端、ガラス越しから空を見る。
いま降りそそぐ陽光は明るい、その光に遠い山の空を見ながら微笑んだ。
「家を出たかった、それだけです、」
「ふん?」
短い応答、けれど祖父の瞳がこちら見てくる。
その眼差し微笑んで受けとめるまま深い響く声が尋ねた。
「あの家から独立したかった、だから司法修習を辞退して全寮制の警視庁に入ったという訳か?」
「はい、」
頷いて微笑んで視線ごと貌を崩さない。
いま仮面を自分は被っている、だからこそ崩せずいられる想いに重ねて訊かれた。
「山岳救助隊とやらに所属しているそうだな、最も危険な部署だとも聴いているが志願した理由は何だ?」
やっぱり警視庁にまで祖父の視聴覚は届くらしい?
こんな予想通りの現実に微笑んで、本音の15%だけ答えた。
「最も危険なら、特進のチャンスも一番多いですよね?」
こんな回答ならば祖父の好みに合うだろう?
そんな想いの通りに満足の貌が笑った。
「ノンキャリアから警視総監になった前例は無いが、英二なら可能性ゼロとも言えんだろうよ?地方警察から警察庁への登用システムは今もある、
志願者が減って形骸化しかかっておるが廃止されたわけでもない、警視庁から選抜されるくらい英二には容易いだろう、英二が望むというのならな、」
随分と買い被ってくれるんですね?
そう応えたくなって、けれど言葉にせず沈黙に蓄える。
いま祖父の言葉たちが告げる意味も理由も解かってしまう、それは的確だと知っている。
こういう祖父だから自分も利用するつもりで今日は来た、そんな意図から別の言葉を微笑んだ。
「警察のことも詳しいんですね、内務省では地方局だったと伺っていますが、」
内務省、
今はもう存在しない日本の行政機関のひとつ。
そこに携わっていた男だから今日も会いに来た、その意図へ老人は微笑んだ。
「当時は同じ省内だからな、警保局とは繋がりも無いことは無い、」
ほら、欲しかった回答が惹きだせた。
ぼかした回答、けれど匂わせる過去と現実が存在する。
この知識と経験と、それから人脈を喋らせるにはどうすれば良いだろう?
そんな思案と微笑む陽だまりへ扉が開き、スーツ姿と黒い犬が入って来た。
「失礼いたします、」
慇懃な礼ひとつ端正な仕草がテラスに卓を整える。
そこに並べられたグラスと注がれた淡い黄金が意外で、つい笑ってしまった。
「朝からワインですか?」
朝10時、まだ午前の茶の時刻だろう?
そんな刻限に注がれたアルコールの芳香へ銀髪の笑顔ほころんだ。
「私も九十になる、好きな酒を好きな時に飲まんと往生が悪くなりそうでな、」
往生が悪い、そんな言葉に年齢の現実は垣間見する。
そして想ってしまう、きっと「間に合った」自分は幸運なのだろう?
―この祖父が生きて居ることすら俺の勝利だ、
九十歳ならいつどこで逝去しても不思議はない。
けれど元内務省官僚の男は生きて前に座っている、この男が祖父であることは自分の幸運だ。
こんなふうに祖父の存在を幸運だと思ったことは無い、こんな初めてすら計算でしかない自分は酷薄だろう。
それでも面倒だと忌み避けて終わるよりも今、どんな目的だとしても酒酌み交わすならただ、幸福かもしれない。
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