Of Elements, and an Angelic sprite, 素顔と本懐
英二24歳3月
第84話 整音 act.8-side story「陽はまた昇る」
豪奢だけれどシンプル、好みだ。
「ふうん?」
見まわしながら不思議になる。
こんな部屋があるとは意外だ、他の場所とは空気が違う?
知らなかった屋敷の一室ぐるり眺めて、寄りそう愛犬の耳なでながら訊いた。
「中森さん、こんな部屋この家にあったんだ?」
やわらかな白とダークブラウンにグリーン系、この色調が他の部屋と違う。
穏やかな明るい空間にロマンスグレイの笑顔は言った。
「去年の春からございます、わかりますか英二さん?」
出題して優しい瞳が笑っている。
その意味すぐ解かって、ため息ひとつ微笑んだ。
「俺が分籍したときか、」
「はい、」
うなずいてチャコールグレーのニット姿がカーテン引く。
生成色さらり艶やかに開いて、見おろした庭の風景に瞬いた。
「裏庭も変えたんだ?」
緑まだ浅い庭、石段が築かれてある。
階段まじえて植込が青い、初めて見た風景に家宰が微笑んだ。
「緑が生えそろえば小さな丘のようになります、山荘にいると感じて頂ければ、」
緑、丘、山荘。
並べられた言葉たちに伝わって、ほっと息つき笑った。
「俺が山好きだから合わせてくれたんだ?ありがとう中森さん、」
「気に入られましたか?」
訊いてくれる眼ざしは温かい。
また部屋ぐるり見渡して英二は素直にうなずいた。
「こういう感じ好きだよ、のんびりできる、」
「そうですか、よかった、」
ロマンスグレイ頷かせ笑ってくれる。
いつもながら落ちついた優しい笑顔は鞄を置き、そして告げた。
「このお部屋は克憲様が指図されました、庭もです、」
どういうこと?
「…祖父が?」
あの祖父がこんな細やかなことを?
意外で見つめた真中、深い明るい瞳が肯いてくれた。
「前に申し上げた通りです、英二さんが宮田から分籍されたなら帰られる場所になりたいと仰いました。克憲様は孤独をよくご存知の方です、」
告げられる言葉に鼓動そっと疼く。
その痛み左肩の傷ごと抱いて、佇んだ部屋に深い声は続けた。
「分籍されたことは英二さんの意志です、その理由が先ほどのお手紙で私にもよくわかりました。それでも私は克憲様と同じ孤独を心配しますよ?」
何を言いたいのかもう解かる。
それでも唇から本音こぼれた。
「…花と、ブナを見せてあげたいんだ、」
約束を果たしたい、どうしても。
願いごと窓にもたれて昔なじみへ微笑んだ。
「北岳草って花があるんだ、この国で二番目に高い山でしか咲かない白い花だよ、」
あの花を君に見せたい、その瞬間の隣にいたい。
「氷河の上に咲く花なんだけどさ、世界でただ一ヶ所そこだけに咲くんだ。だからどうしても周太に見せてあげたい、」
君にあの花を見せたい、唯それだけで自分はあの現場に臨んだ。
唯ひとつ願う唯一の花に穏かな瞳が笑ってくれた。
「お約束されたんですね?その方と、」
「うん、約束は絶対に守りたいんだ、」
肯いた窓辺、春浅い緑がガラスに映る。
つくられた丘の梢に花芽がふくらむ、植えこまれた草も若芽やわらかい。
あと3ヶ月であの花も咲くだろうか?一度だけ見た記憶に深い声が訊いた。
「ブナは奥多摩のですか?」
「いや、長野だよ、」
答えて銀嶺のラストシーン映りこむ。
あの瞬間なにを願ったか、その想い声になった。
「雪崩に呑まれる瞬間に見たんだ、俺たちを守ってくれた切株は芽が生えてた、」
ちいさな芽、それでも確かに青かった。
あの芽吹きに信じて今ここにいる、そんな事実へ家宰ため息吐いた。
「なるほど…雪崩に巻きこまれたから英二さん、こんなに傷だらけなんですね、」
呆れた、困った、驚いた。
感情いくつか浮んで消える、その眼ざしに笑いかけた。
「この程度で助かったのは切株のお蔭だよ?あのブナが盾になってくれたから生き残れたんだ、」
もし直撃していたら、自分は間違いなく死んでいた。
その実感は左腹の傷に疼く、ひび割れた肋骨に衝撃が解かる。
外れかけた左肩まだ軋む、セラックの塊に直撃された痣もきっと大きい。
捩られた左足は雪崩の勢いが解かる、あの濁流に攫われたら怪我だけじゃ済まされない。
「英二さん…それでも山に行かれたいですか?今も、」
ほら家宰がため息を吐く、これが当り前の反応だろう。
もう解りきっているまま肚底から笑った。
「行きたいよ、俺はずっと山で生きたい、」
山で生きたい、あの世界で。
左肩甲骨も左足首も腫れあがる、左脇腹じくり痛覚きしむ。
額の左端は裂傷、頬骨も雪の礫に撃たれた痕が疼く、そして左手小指の感覚まだ戻らない。
いま体半分どこも痛くて、それでも臨みたい銀嶺の夢へきれいに笑った。
「山では俺が俺でいられるんだ、なんにもない俺だけで空に立ちたいんだよ?八千峰の空も俺は必ず行く、」
青と白、銀色、それから紺青きらめく夜と朱色まばゆい暁の光。
それだけの世界に生きていたい、立ちたい、もう離せない願い微笑んだ。
「だから俺は山を守る今の仕事に誇りをもってる、そういう俺だからブナの切株が救けてくれたと想うんだ、だから周太に見せたいよ?」
山に生きる自分、だからブナの切株が救ってくれた。
そうして今ここにある時間を深い瞳が微笑んだ。
「それなのに英二さん、克憲様の立場を継がれるんですか?山から離れて、」
その選択ほんとうに正しい?
問いかける眼ざしは嘘も見透かす、だから正直に我儘を笑った。
「山からは絶対に離れないよ?祖父の立場を継いでも山は辞めない、」
あの世界から離れて、どうして生きられる?
もうできない、そんな自分に笑った前で深い瞳ほころんだ。
「良かった…こんなに夢中で、」
良かった、そう言ってくれる。
言葉たち向きあう窓辺、告げてくれた人に笑いかけた。
「こんな俺が夢中になれるってことに、安心してる?」
「はい、安心しています、」
微笑んで頷いてくれるトーン温かい。
穏やかな深い瞳まっすぐ見つめて、そして言ってくれた。
「英二さんは人形のようでした、姿は美しいけれど心は冷えて何事も投げやりで。そんな英二さんが情熱を生きようとされている、」
情熱、そんな言葉あまり遣わないだろう?
けれどロマンスグレイの微笑はごく自然に告げた。
「絶対に離れたくない仕事は男の本懐です、情熱に生きることは男の夢です、どちらも手に入れたなら決して離さないでほしいと願います、」
本懐、夢、願い。
そんな言葉の眼ざしが自分を見つめる。
逸らさない直截の瞳は自分を映して、そして言った。
「それは恋愛も同じだと想います、でも傍にいるだけ傷つける恋もあると知ってください。彼は傷ついていませんか?」
ほら、こんなふう直言してくれる。
こういう相手だから想いひとつ声になった。
「いっぱい傷つけてるよ?でも周太の笑顔はきれいなんだ、」
あの笑顔に逢いたい、今すぐに。
「あの現場でも長野の病院でもきれいで…俺なんかにあんな貌してくれるから、だから俺、逢いたいよ?」
逢いたい、君に逢いたい。
幾度もう君を泣かせたろう、困らせて怒らせて、哀しませたろう?
それでも君は笑ってくれた、銀嶺の死線すら君だけを見つめて幸せだった、その本音に笑った。
「男同士で恋愛して何になるんだろうって俺も考えたよ、こんな俺でも何度も悩んだんだ、だけど周太より幸せな瞬間って俺はわからない、」
わからない、唯ひとつ幸せはそれしか知らない。
それでも見つけた想いそのまま声になった。
「誰かの傍にいるなら周太の隣がいい、それ以外で俺が幸せになれるのは山しかないんだ、」
あのひとの隣、それが自分の居場所。
そう想ってしまった、それでも遠く離されて時は過ぎて今、こんな本音しか出てこない。
ただ正直なまま声になった想いに深い瞳はしずかに笑ってくれた。
「わかりました、」
落ちついた深い声がうなずいてくれる。
これはただ確認だろうか、それとも肯定だろうか?
どちらと見定める真中でチャコールグレイのニット姿は扉ひとつ指さした。
「バスルームの支度ができています、包帯のお手伝いしましょうか?」
やわらかな深い声が提案してくれる。
この言い方も尊重は優しくて、変わらない信頼と笑いかけた。
「中森さん、俺が包帯法も得意だって情報あった?」
山岳救助隊員として救急法を磨いた、それを知っているから押しつけない。
そんな気遣いやわらかな提案の人は朗らかに言ってくれた。
「警察学校でも現場でも優秀だと伺っています、すばらしいことです、」
「ありがとう、風呂のあとに肩だけ手伝ってくれると助かるよ、」
応えながらシャツのボタンを外しだす。
その右手は痛みもない、無事だった右半身に笑いかけた。
「中森さん、右だけ助かってるのは何でだと想う?」
なぜ右半身だけ無事なのか?
この男なら解かっても言わないかもしれない、その謙譲の瞳は微笑んだ。
「雪崩のとき右を下側にされていたのでしょうか、」
「そうだよ、でもそれだけじゃない、」
応えてシャツの袖から右腕を抜く。
胴ぐるり巻きつく包帯は白い、同じ白おおう左肩も脱ぎながら幸せに笑った。
「たぶん天使が護ってくれたんだ、右側に抱えてたから、」
君を抱きしめていたから無傷だ。
その温もり辿らす右腕に深い声がおだやかに言った。
「天使はあなたの中にもいますよ、きっとね?」
(to be continued)
【引用詩文:John Donne「HOLY SONNETS:DIVINE MEDITATIONS」】
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