My world’s both parts, 居場所ふたつ
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第84話 整音 act.10-side story「陽はまた昇る」
厚みの重さ掌が抱く、ページ繰って香ほの甘い。
すこし古びた匂いは懐かしむ、それは幼い日だろうか夏だろうか?
『本読ませて、』
穏やかな声が告げてページ繰る、その指すこし小さな手。
木洩陽のベンチに黒髪クセっ毛きらきら光る、あの横顔が好きだった。
緑あわい木蔭の輪郭やわらかな時間、あの長い睫の翳ずっと見惚れる自由が恋しい。
「…周太、今なにしてる?」
唇こぼれた名前ただページ繰る。
呼んでも聞えるはずがない、それでも俤ひとつ追いかける安楽椅子の時間まどろむ。
読みながらも眠れる時間、こんな空気どれくらいぶりか解らないまま足もとの愛犬は温かい。
「ヴァイゼ、どうしたらいいだろな?」
呼びかけて茶色の瞳が見あげてくれる。
やさしい眼ざし深く自分を仰ぐ、静かな想いに扉ノックされた。
「英二さん、昼食いつでもどうぞ?」
「ありがとう、中森さんちょっと来てくれる?」
応えてページすこし戻らせる。
古材かすかに軋んで開かれて、ネクタイの衿もと端正なニット姿は来てくれた。
「失礼します、傷が痛みますか?」
気遣ってくれる声、こんなふう自分をいつも考えてくれる。
その穏やかな声に安楽椅子から一冊、微笑んで一頁さしだした。
「これ、中森さんはどう解釈する?」
この有能な男は何想うだろう?
そんな一頁に深い瞳ほがらかに笑った。
「パスカルの『パンセ』ですね、懐かしい、」
活字に笑って視線はしらす、その笑顔が若い。
もう銀髪になってしまった横顔、それでも瑞々しい眼ざしに笑いかけた。
「中森さんは似てるな、」
今気がついた、ちょっと似ているかもしれない?
想ったまま声にした真中でロマンスグレイが微笑んだ。
「どなたとですか?」
「誰だと想う?」
笑いかけ立ちあがって脇腹ずきり痛覚が奔る。
それでも肩の痛みは薄れた、癒えてゆく感覚と尋ねた。
「輪倉さんの資料ある?昼食べながら読みたいけど、」
もう「支度」とっくに出来ているだろう。
それだけ有能な家宰は本しずかに閉じ微笑んだ。
「ございます、顕子様の動向も読まれますか?」
先回りきちんとしている。
その意志と意図すこし廻らせ笑った。
「祖母のレポートから読むよ、でもマンションの中は解からなかったろ?」
祖母の住む家は「堅固」だ?
もう解かって訊いた先、穏やかな瞳は可笑しそうに笑った。
「はい、管理人の方は有能な女性ですね?」
「ナニーとしても家庭教師としても有能だよ、」
応えながら歩きだす隣、黒い尻尾ふっさりついてくる。
愛犬の温もりふれながら廊下に出て、甘辛い香に笑いかけた。
「良い匂いだな、鳥の照焼きとか?」
「英二さんお好きでしょう?」
穏やかな声が笑ってくれる、その言葉に瞳ひとつ瞬いた。
「中森さん、俺の好きなもの憶えてるんだ?」
こんなこと意外だ、もう遠い時間なのに?
たぶん「普通」ならありふれた記憶に家宰が微笑んだ。
「憶えていますよ、一切れで一膳召しあがられましたから、」
ただ一切れの記憶、それでも憶えてくれている。
食事の好みなどありふれた記憶だろう、けれど自分には稀で笑った。
「よく憶えてくれてるね、六年も前の話だろ?」
「そうですね、英二さんが高校三年生の頃ですから、」
うなずいてくれる眼ざしは優しい。
その瞳まっすぐこちら見て深い声は言った。
「私には六年もついこの間に想えます、齢をとるほど時の流れは速いのです、」
窓ふる光の廊下、穏やかに声が透る。
すこし微笑んだロマンスグレイは銀色きらめく、もう積ってしまった時間に微笑んだ。
「ごめん中森さん、俺もっと早く帰ってくれば良かったな?」
この家宰も齢をとる、そんなことも自分は忘れていた。
こんな自分は薄情なのだろう、けれど優しい瞳は笑ってくれた。
「時間が必要なこともあります、でも後悔してくださるならその分お帰りください、」
帰っておいで、そう今でも告げてくれる。
ただ時経ても変わらない笑顔に想い声にした。
「ありがとう、ほんとにごめん、」
ほんとうに謝りたい、だって自分は忘れていた。
そんな本音を昔なじみの瞳が微笑んだ。
「六年の時間が必要だったのでしょう?恨んで遠退かれたことも仕方ないことです、謝る必要はありません、」
六年、その時間どれだけ何を想ったろう?
もう返らない時の流れに歩む廊下、ガラスの木洩陽に口開いた。
「いま気づいたよ、中森さんがくれた時間を周太にもらってた、」
なぜ惹かれたのか?
その理由ひとつ今やっと解かる。
まだ欠片に過ぎない想いの底、見つけた本音そっと笑った。
「飯の好みとか、好きなもの言わないでも解かってくれるの俺は嬉しいんだ、帰ってこいって本気で言ってくれることも、」
あの笑顔もそうだった、警察学校もその後も。
『…せまい、詰めて?』
狭い寮のちいさなベッド、いつも声は素っ気なかった。
それでも毎晩いつも扉を開けてくれた、あの小さな空間は自分の楽園だった。
だから離れたくなくて追いかけて無理やり抱いてしまった、その本音に静かな声が微笑んだ。
「肉じゃがもありますよ、ごはんもたくさん炊きましたからお好きなだけどうぞ?」
なにげない言葉、けれど記憶そっと敲かれる。
『おいしいって言ってたから…ごはんもたくさん炊いたよ?』
ほら笑顔ひとつ懐かしい。
あの笑顔は今も咲いているだろうか?
―周太の飯、食べたいな、
心裡もう呟いて本音あらためて思い知る、こんな自分は覚悟など出来ていない。
それでも今ここに帰ってきてしまった、ただ選んだ現実に微笑んで階段を下りた。
(to be continued)
【引用詩文:John Donne「HOLY SONNETS:DIVINE MEDITATIONS」】
【引用資料:Blaise Pascal『Pensees』/『世界の名著24パスカル』訳:前田陽一・由木康
英二の行方↓ちょっと気になったら
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英二24歳3月
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第84話 整音 act.10-side story「陽はまた昇る」
厚みの重さ掌が抱く、ページ繰って香ほの甘い。
すこし古びた匂いは懐かしむ、それは幼い日だろうか夏だろうか?
『本読ませて、』
穏やかな声が告げてページ繰る、その指すこし小さな手。
木洩陽のベンチに黒髪クセっ毛きらきら光る、あの横顔が好きだった。
緑あわい木蔭の輪郭やわらかな時間、あの長い睫の翳ずっと見惚れる自由が恋しい。
「…周太、今なにしてる?」
唇こぼれた名前ただページ繰る。
呼んでも聞えるはずがない、それでも俤ひとつ追いかける安楽椅子の時間まどろむ。
読みながらも眠れる時間、こんな空気どれくらいぶりか解らないまま足もとの愛犬は温かい。
「ヴァイゼ、どうしたらいいだろな?」
呼びかけて茶色の瞳が見あげてくれる。
やさしい眼ざし深く自分を仰ぐ、静かな想いに扉ノックされた。
「英二さん、昼食いつでもどうぞ?」
「ありがとう、中森さんちょっと来てくれる?」
応えてページすこし戻らせる。
古材かすかに軋んで開かれて、ネクタイの衿もと端正なニット姿は来てくれた。
「失礼します、傷が痛みますか?」
気遣ってくれる声、こんなふう自分をいつも考えてくれる。
その穏やかな声に安楽椅子から一冊、微笑んで一頁さしだした。
「これ、中森さんはどう解釈する?」
この有能な男は何想うだろう?
そんな一頁に深い瞳ほがらかに笑った。
「パスカルの『パンセ』ですね、懐かしい、」
活字に笑って視線はしらす、その笑顔が若い。
もう銀髪になってしまった横顔、それでも瑞々しい眼ざしに笑いかけた。
「中森さんは似てるな、」
今気がついた、ちょっと似ているかもしれない?
想ったまま声にした真中でロマンスグレイが微笑んだ。
「どなたとですか?」
「誰だと想う?」
笑いかけ立ちあがって脇腹ずきり痛覚が奔る。
それでも肩の痛みは薄れた、癒えてゆく感覚と尋ねた。
「輪倉さんの資料ある?昼食べながら読みたいけど、」
もう「支度」とっくに出来ているだろう。
それだけ有能な家宰は本しずかに閉じ微笑んだ。
「ございます、顕子様の動向も読まれますか?」
先回りきちんとしている。
その意志と意図すこし廻らせ笑った。
「祖母のレポートから読むよ、でもマンションの中は解からなかったろ?」
祖母の住む家は「堅固」だ?
もう解かって訊いた先、穏やかな瞳は可笑しそうに笑った。
「はい、管理人の方は有能な女性ですね?」
「ナニーとしても家庭教師としても有能だよ、」
応えながら歩きだす隣、黒い尻尾ふっさりついてくる。
愛犬の温もりふれながら廊下に出て、甘辛い香に笑いかけた。
「良い匂いだな、鳥の照焼きとか?」
「英二さんお好きでしょう?」
穏やかな声が笑ってくれる、その言葉に瞳ひとつ瞬いた。
「中森さん、俺の好きなもの憶えてるんだ?」
こんなこと意外だ、もう遠い時間なのに?
たぶん「普通」ならありふれた記憶に家宰が微笑んだ。
「憶えていますよ、一切れで一膳召しあがられましたから、」
ただ一切れの記憶、それでも憶えてくれている。
食事の好みなどありふれた記憶だろう、けれど自分には稀で笑った。
「よく憶えてくれてるね、六年も前の話だろ?」
「そうですね、英二さんが高校三年生の頃ですから、」
うなずいてくれる眼ざしは優しい。
その瞳まっすぐこちら見て深い声は言った。
「私には六年もついこの間に想えます、齢をとるほど時の流れは速いのです、」
窓ふる光の廊下、穏やかに声が透る。
すこし微笑んだロマンスグレイは銀色きらめく、もう積ってしまった時間に微笑んだ。
「ごめん中森さん、俺もっと早く帰ってくれば良かったな?」
この家宰も齢をとる、そんなことも自分は忘れていた。
こんな自分は薄情なのだろう、けれど優しい瞳は笑ってくれた。
「時間が必要なこともあります、でも後悔してくださるならその分お帰りください、」
帰っておいで、そう今でも告げてくれる。
ただ時経ても変わらない笑顔に想い声にした。
「ありがとう、ほんとにごめん、」
ほんとうに謝りたい、だって自分は忘れていた。
そんな本音を昔なじみの瞳が微笑んだ。
「六年の時間が必要だったのでしょう?恨んで遠退かれたことも仕方ないことです、謝る必要はありません、」
六年、その時間どれだけ何を想ったろう?
もう返らない時の流れに歩む廊下、ガラスの木洩陽に口開いた。
「いま気づいたよ、中森さんがくれた時間を周太にもらってた、」
なぜ惹かれたのか?
その理由ひとつ今やっと解かる。
まだ欠片に過ぎない想いの底、見つけた本音そっと笑った。
「飯の好みとか、好きなもの言わないでも解かってくれるの俺は嬉しいんだ、帰ってこいって本気で言ってくれることも、」
あの笑顔もそうだった、警察学校もその後も。
『…せまい、詰めて?』
狭い寮のちいさなベッド、いつも声は素っ気なかった。
それでも毎晩いつも扉を開けてくれた、あの小さな空間は自分の楽園だった。
だから離れたくなくて追いかけて無理やり抱いてしまった、その本音に静かな声が微笑んだ。
「肉じゃがもありますよ、ごはんもたくさん炊きましたからお好きなだけどうぞ?」
なにげない言葉、けれど記憶そっと敲かれる。
『おいしいって言ってたから…ごはんもたくさん炊いたよ?』
ほら笑顔ひとつ懐かしい。
あの笑顔は今も咲いているだろうか?
―周太の飯、食べたいな、
心裡もう呟いて本音あらためて思い知る、こんな自分は覚悟など出来ていない。
それでも今ここに帰ってきてしまった、ただ選んだ現実に微笑んで階段を下りた。
(to be continued)
【引用詩文:John Donne「HOLY SONNETS:DIVINE MEDITATIONS」】
【引用資料:Blaise Pascal『Pensees』/『世界の名著24パスカル』訳:前田陽一・由木康
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