萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第64話 富岳act.1―another,side story「陽はまた昇る」

2013-04-22 23:10:13 | 陽はまた昇るanother,side story
真相たどる道、



第64話 富岳act.1―another,side story「陽はまた昇る」

I don’t drink coffee I’ll take tea my dear
I like my toast done on one side
As you can hear it in my accent when I talk
I’m an Englishman in New York

See me walking down Fifth Avenue
A walking cane here at my side
I take it everywhere I walk
I’m an Englishman in New York
I’m an alien, I’m a legal alien …

If “manners maketh man” as someone said
Then he’s the hero of the day
It takes a man to suffer ignorance and smile
Be yourself no matter what they say

I’m an alien, I’m a legal alien…

……

Ipodのイヤホンから旋律を聴く部屋は、まだ薄暗い。
デスクライトの明りだけが照らす空間、ファイルとペンと救急セットを鞄に入れていく。
小さな紅錦の守袋も鞄に納めてクロゼットから私服を出す、その手に取ったシャツを周太はそっと抱きしめた。

―この服も、英二が買ってくれた、

半袖シャツもスラックスも、ベルトも靴も鞄も、すべて英二が贈ってくれた。
こんなふう気がつけば英二の好みは鏤められて自分の日常を整え包んでくれる。
その品たちはどれも買ってくれた日の記憶と幸せが温かい、そして懐かしくて切ない。

―…周太と木と空が同時に見えるよ…また膝枕してね、家のベンチでもしてほしいな

海外遠征訓練に発つ前に言われた言葉が懐かしい。
いつもの公園のベンチで二人、久しぶりに座って寛いだとき初めて膝枕をした。
膝に広げた文庫本をあの長い指は取り上げて、代わりにダークブラウンの髪ゆらし頭を載せた。
そうして笑ってくれた綺麗な瞳は今も鼓動やわらかに掴んでしまう、その甘い傷みの分だけ自分が言ってしまった言葉が痛い。

「してあげたい、あの花が真白に咲いた時とか、きっと気持いいよ?」

また膝枕をして?そう願われた答えに「あの花が咲いた時」と言ってしまった。
あの花は「雪山」という名の山茶花で実家の庭に咲く、そして花が真白に披くのは秋11月。
けれど11月に自分はどこに居るのか?そう想ったら約束なんて出来るはずが無い。

「…ごめんね、英二、」

ぽつり、ひとりごと零れてシャツを抱きしめる。
もう瞳の奥が熱くなりかけて、それでも瞬きひとつに鎮めると周太は微笑んだ。
今日は立哨応援に行った代わりに休暇になった、この予想外の平日休みを有効利用したい。
だから泣くよりも今するべき事がある、それが夢と約束が叶う可能性を実現へと近づかせてくれる。
いま泣かない勇気に微笑んで周太は愛しい記憶ごと着替えると、机の抽斗から一冊の本を丁寧に取りだした。

『La chronique de la maison』 Susumu Yuhara

フランス文学者だった祖父の遺作唯一の小説。
これ以外は研究論文か評論文ばかりで、この推理小説だけが祖父の肉声に近いよう想ってしまう。
それはどんな聲だろう?そんな思案と美しい紺青色の表紙を捲ると、ブルーブラック鮮やかな筆跡が目に映った。

“Je te donne la recherche” 探し物を君に贈る

このメッセージを祖父が宛てたのは、祖父の息子である父だ。
けれど父はこの本も母校の図書館に寄贈してしまった、その真意はまだ解らない。
そして祖父は「何」を探し物と呼んでいる?

“recherche”

普通に邦訳するなら「研究」だろう、けれど推理小説であると考えたなら意訳して「探し物」の方が通りやすい。
それとも祖父は研究者であり父も英文学者を目指していたことを想うと「研究」の意味もあるのかもしれない。
いったい探し物とは、研究とは、何を示すのだろう?それを父は意味を理解していたのだろうか?
そして意味が解って手放したのか、意味を知らずに手放したのか、この理解差で父の意志は異なる。

もし「探し物」の正体を知って手放したのなら、父は探し物を隠したかったことになる。
もし知らずに手放したのなら父は、祖父が伝えたかった意図を理解できずにいた。
知っていたのか、知らなかったのか?それは父の進路と関係するかもしれない。

「探し物のヒントが小説の中にある、ってことだよね…」

ひとりごとに見つめる見開きから、かすかに重厚で甘い香と古紙の匂いが懐かしい。
この香は実家の書斎と同じ気配、そして万年筆の筆跡あざやかなブルーブラックも書斎のインクと同じもの。
きっと祖父も父と同じメーカーの万年筆とインクを愛用していた、そんな親子の繋がりに自分も温められる。
この温もりには祖父と父の傷みも息づいているだろう、その31年前の現実を想いながら周太は鞄に本を入れた。
そして振向いた窓はカーテンの彼方、光あわく染めあげ辰の到来を告げてくれる。

今日は8月の最終週、もう9月がそこまで近づく。
9月になれば英二がこの第七機動隊に異動してくる、それは素直に嬉しい。
山岳救助レンジャーと銃器対策レンジャーとで所属は異なる、それでも同じ七機として同僚になれる。
けれど、9月になれば自分は「テスト入隊」の命令が下されるだろう。

―だけど1週間は同僚で居られるよね、

実質1週間、それが与えられる時間だろう。
その1週間が最後になるかもしれない、そんな覚悟はとっくに出来ている。
テスト入隊が終わって、1週間の身辺整理が与えられて、そしてあの場所へ異動するだろう。
それまでに祖父の “recherche” は少しでも見つけられるのだろうか?

それとも、あの場所へ立ったときに初めて “recherche”は見つかる?

「ん…そんなの変だよね?」

ぽつり独り言に微笑んで自分の考えに軽く首を振る。
誰もが立派な学者だと言う祖父が「あの場所」にどんな足跡を残すと言うのだろう?
きっと自分の考えすぎ、そう微笑んで周太は携帯電話を開くと大好きな名前宛てにメールを作った。

T o  :宮田英二
subject:奥多摩に行きます
本 文 :おはようございます、富士の天気はどうですか?
     今日は休みになったので吉村先生に会いに行きます、質問があるんだ。夕方には帰ります。

きっと英二がメールを読めるのは富士下山後だろう。
そのとき驚くかもしれない、そして少しはガッカリしてくれるだろうか?

「…逢いたかったって想って拗ねてくれるかな、」

ひとりごと本音が零れて頬が熱くなってくる、きっともう赤いだろう。
気恥ずかしさごと送信ボタンを押して携帯電話をポケットにしまうと、廊下に出た。
すこし早いけれど食堂は開くだろう、そう思った通りに朝食のトレイを受けとれて周太は食卓に着いた。
箸をとる窓はもう空が青い、今日は晴れて暑くなりそうだ?そんな予想と食事を始めた向かいに白い手がトレイを置いた。

「おはよ、ゆ・は・ら・くん、」

おどけたトーンの聴き慣れた声に顔をあげると、底抜けに明るい目が笑ってくれる。
予想外に現われた幼馴染で上官でもある男に周太は背筋伸ばして微笑んだ。

「おはようございます、国村さん。いつもより早いですね、」
「まあね、セッカクの休みだから早起きしちゃったね、」

からり笑って醤油差しに白い指を伸ばす。
その悪戯っ子な笑顔と言われた言葉に周太は質問した。

「国村さん今日、お休みなんですか?」
「そ、異動して初休暇だよ。昨夜に決めたんだけどさ、そういえば言ってなかったね?」

透明なテノールが楽しげに言いながら無垢の瞳が笑いかける。
その瞳に周太も微笑んで今日の予定を告げた。

「俺も今日は休みなんです、言いそびれてたけど。だから久しぶりに吉村先生のところへお邪魔します、昨夜連絡とれたので、」
「へえ?青梅署に行くんだ、そっか、」

綺麗な瞳ひとつ瞬かせ、ハムエッグを口にしながら笑ってくれる。
すこし思案するよう周太を見つめながら咀嚼して、飲みこむと光一は朗らかに言った。

「うん、俺も一緒に行くよ。そろそろ車取りに行きたいし、久しぶりに古巣見学したいからね、」
「え、」

予想外の返答に驚いて周太は箸を止めた。
けれどよく考えたら予想外でも無いだろう、思い直しながら尋ねてみた。

「今日はえ…宮田は富士山に行ってるから留守ですけど、でも青梅署に行くんですか?」
「俺が用事があるのってね、奥多摩だったら宮田以外にもアレコレあるよね?」

可笑しそうに笑って光一は箸を伸ばし、周太の皿から里芋の煮っころがし一つ摘みあげた。
そのまま口へ運んでしまった幼馴染が可笑しくて、なんだか嬉しくて周太は笑ってしまった。

「国村さん、そんなにお腹空いてるんですか?俺のまで食べちゃうなんて、」
「腹も減ってるけどね、湯原くんの膳を戴くってやってみたかったんだよ、誰かさんが居たら無理だしさ、」

飄々と笑って答えてくれる、その明るい笑顔に楽しくなる。
こんなふう笑ってくれるなら惣菜一つくらい惜しくない、そんな想い微笑んだ周太にテノールはすこし低めた声で提案をくれた。

「ってことだからね、今日は一緒に奥多摩へ帰ろ?行きは電車だけど、帰りは俺の四駆に乗って来られるしね、」

光一と一緒に電車に乗る、そんな提案はなんだか新鮮だ。
それも楽しい気持ちになって周太は幼馴染へ素直に頷いた。

「はい、じゃあ今日はお願いします、」





【引用歌詞:STING「Englishman in New York」】


(to be continued)


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soliloquy 花残月―another,side story「陽はまた昇る」

2013-04-21 01:48:12 | soliloquy 陽はまた昇る
足元の花、陽だまりにて



soliloquy 花残月―another,side story「陽はまた昇る」

ふと立ち止まる道の片隅、植込の根元に薄紅いろ咲いている。

もう花の季は過ぎ去ってゆく、それでも地と接する境に桜は咲いている。
こんな所からも花開くんだ?そんな発見が嬉しくて周太はしゃがみこんだ。

―きれいだね、もう春も終わりなのに偉いね、

心裡ひとり笑いかけ小さな花を見つめて言祝ぐ。
見あげる梢には緑あわい葉が繁らせて、もう薄紅色は残りも少ない。
それでも根元の花はあざやかな色に咲く、そこに凛々とした実直がまぶしい。

梢の花は見上げられる花、けれど根元に咲く花は仰がれる事など無いだろう。
黒い木肌に抱かれて目立たぬ小さな花、その一輪にこそ心惹かれて一輪の為に立ち止まる。
もし梢に花咲けば仰がれ褒められるだろう、でも豊かな花枝の一輪を一輪の花として見るだろうか?

―きっと足元の花の方が見つめて貰えるね、

きっとそう、足元の目立たぬ花の方が多分、たった一人には見つめて貰えるはず。
きっと梢の花は大勢の人に仰がれ見られるだろう、その人数は多いけれど唯一輪を見つめるのではない。
大勢に仰がれても「唯一輪」では無い花か、誰に気づかれなくても唯ひとりに見つめられる一輪の花なのか?
そんな姿に自分の想う相手と自分自身との生立ちが重ねられて、過ぎ去り戻せない時の記憶から哀切は温かい。





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第64話 富嶽act.6―side story「陽はまた昇る」

2013-04-20 14:46:48 | 陽はまた昇るside story
承継、この背に誇りを、



第64話 富嶽act.6―side story「陽はまた昇る」

黒い玄武岩質の天辺は、蒼穹の雲ゆるやかに奔りゆく。
シーズンを終えた霊峰は浄域に姿を戻し、無人の茫漠が風となって凪ぐ。
厳冬期の白魔も銀竜ここにいない、けれど高く澄んだ音が響くよう静謐が髪をゆらせて吹きぬける。

―神の世界だ、

響く感覚が今立つ場所の真実を告げてゆく。
白銀まばゆい冬富士の壮麗とは別の貌、けれど玄黒の砂岩に聳える荘厳は息を奪う。
足元から過らす薄雲は渺漠と虚空へ抜ける今、自分と天が近い。

「…すごい、」

ため息こぼれた想いに微笑んで、あたりをゆっくり見まわしていく。
雪の無い山頂には磐を積んだ岩屋が並び、この山を祀る浅間社の奥宮も鎮座する。
けれど閉山された今は誰もいない、静寂だけの棲まう高度三千の世界は無謬の風だけが訪う。

「どうだい、雪山も良いが岩山も悪くないだろう?」

静かなる風に深い声が笑う、そのトーンは愉しげに温かい。
この声と共に登ってこられた喜びに英二は綺麗に笑いかけた。

「はい、火山なんだって実感が出来ます、」
「あははっ、そうだなあ、富士は火山だったなあ、」

日焼顔ほころばせ相槌してくれる、その笑顔は明るく息の乱れも少ない。
これなら御鉢周りも出来るだろう、そんな見当に微笑んだ英二に後藤は言ってくれた。

「ありがとうよ、俺の馬鹿な真似に付合ってくれて。宮田と話しながら登れたお蔭で良い山行だった、満足で下界に戻れるよ、」

もうこれで充分だ、そんな笑顔が笑いかけてくれる。
いま笑っていても後藤は自身に限界を気付いた、その判断は尊重すべきだろう。
けれど自分はまだ終わらせるつもりはない、英二はその場に片膝ついてザックを開いた。

「後藤さん、これから俺の訓練に付合って下さいね、」

言葉と笑いかけながらザイルを取出してゆく。
その手元を見て深い瞳ひとつ瞬かせ、可笑しそうに後藤は訊いてくれた。

「こんなところでザイルかい?」
「はい、ザイルです、」

笑って答えながら英二はザイル両端を2mずつ余らせループに束ねた。
このループ状ザイルを二つに分けると後藤を見上げ、提案と微笑んだ。

「後藤さん、ザイルループの搬送訓練をお願いします。暫くやっていないので復習させて下さい、コースはお鉢周り一周3kmです、」

自分の背に後藤を担いで山頂を廻る。
これなら後藤の体力消耗を押えられ肺への負担も軽いだろう。
けれど最高の山ヤが自分に背負われて母国最高峰を廻ることを、好しとしてくれるだろか?

―こんな申し出は怒られても仕方ない、でも無理なく山頂の全てを楽しんでもらいたいんだ、

後藤の富士登頂は今日を最後にしたくない、そして「今」も存分に楽しんでほしい。
この二つの望みを叶えたくて自分なりに出した結論が搬送訓練だった。
ただ背負うのは後藤のプライドに申し訳ない、けれど訓練なら?
そう考えた提案に救助隊副隊長は笑ってくれた。

「まさに負うた子に負われるってヤツだなあ?おまえさんの背中なら喜んで背負われたいよ、いいかい?」
「はい、」

提案を受けいれられて嬉しい、微笑んで英二はループの片方を後藤の両脚に通した。
もう片方を自分の両肩に潜らせて、後藤の背中でエイトノットを作りザイルの端を肩から身体の前に回す。
その末端の途中を後藤の脇下あたりでループの下を潜らせ引き出し、小さな輪を作りザイル端を通して自分の前に出す。
そのまま自分の腹部でクロスさせた末端部を後藤の大腿に回して、ザイルと脚の間にタオルを挟みこむと自分の腰で本結びした。

「後藤さん、ザイルの締め具合はいかがですか、キツイ所とかありますか?」
「ちょうど良いよ、速いし巧いもんだ、」

日焼顔ほころばせ笑ってくれる、その笑顔に「合格」を見て嬉しい。
こうした技術を光一と後藤から教わってきて今がある、感謝に微笑んで英二は立ち上がった。

「今からスタートします、タイム計測お願いして良いですか?」
「おう、高度計もセットしたよ。足元が冬とはまた違う滑りやすさがあるから、気をつけてな?」

朗らかに深い声が笑ってくれるトーンが温かで嬉しくなる。
こういう後藤だから背負っても夢を叶えてあげたい、その望みに英二は一歩を踏み出し微笑んだ。

「はい、慎重に行きます。一周したらコーヒー淹れますね、インスタントだしぬるめで申し訳ないですけど、」
「ぬるいのも山頂の名物みたいなもんだ、楽しみだよ、」

嬉しそうな相槌が笑って背負われてくれる、その胸部の呼吸が背中越しに伝わらす。
こうして背負っていれば後藤の状態も触覚から解かりやすく、微妙な変化にも気づきやすい。
今の状態なら問題は無いだろう、そんな判断と一緒に英二は富士山火口の縁を進んだ。
久須志神社と4軒の閉じられた山小屋を見ながら時計回りに歩き成就岳に登る。
拓けた見晴に東を望みながら行く、その遥か彼方へ俤を想ってしまう。

―周太、ここに連れてきてあげたいよ。雲より高い世界を見せてあげたい、

今、第七機動隊舎にいる周太と自分の標高差は3,700m以上。
遥かな高度差からも想ってしまう俤は、この場所を見たら何を考えるのだろう?
その言葉を聞いてみたい、その瞳が映す世界と想いを一番近くから見つめてみたい。
そんな願いごと踏みしめる玄武岩質の道は茫漠とした隆起に聳えて威厳の風が流れゆく。

―この世界は静かで綺麗だよ、でも周太は花や木が無い世界は寂しいって思うかな、

いつも周太は植物を慈しむ。
警察官として勤めながらも樹木医に学ぶほど周太は植物の世界に憧れ生きている。
余暇には公園で木蔭のベンチに本を開き、自宅に帰った時には豊かな森を映した庭を手入れする。
周太が守る樹木たちは美しい花ほころばせ実を結ぶ、同じよう周太の母も家庭菜園や花壇を見事に作りあげる。
草木を愛する母子の横顔はいつも幸せに温かい、そんな二人を自分は愛して逢いたくて、帰り寛ぎたいと願っている。
けれどこの森林限界を超えてゆく世界に自分は惹きつけられ、憧れ、その同じ心を持つ山ヤを今も背負って砂礫の道に躍動を喜ぶ。

―周太、俺と周太は正反対の生き方をしているのかもしれないな?でも、愛してるんだ、

草木の消える世界を求めて登り、けれど樹木に生きる人を自分は愛している。
こんな自分の心にはさっき歩いた富士の中道、森林限界に奔る天地の際が思案するよう映りこむ。
富士五合目から廻らす黒と緑の世界二つに分ける道、そこを辿って見た大沢崩れの崩落音が記憶から問う。

遥かな蒼穹へ昇らす砂岩の道、そこへ憧れて草木は天へ梢を伸ばす?
豊穣の生命あふれる緑深き森、その寛容なる懐へ抱かれたくて山は崩れゆく?

玄武岩の高峰と深緑に広がらす樹海と、夏富士に二つの世界は交錯する。
そこを歩く想いには「山」が抱く二つの貌を見るようで、敬虔という想いに浸される。
こんな想いを冬富士の白銀では見られないだろう、そう気づいた背中から深い声が笑ってくれた。

「なあ、冬富士の白一色も良いが夏富士の茶と緑の二色も良いもんだろう?」

まるで自分の心を見透かしたよう?
そんな台詞が可笑しくて何か嬉しくて、英二は素直に笑った。

「はい、正反対の世界が同じ道で繋がってるって面白いです、砂と岩の山頂と森の山麓と、」
「はっはあ、正反対の世界か?なるほどなあ、」

楽しげな声が背中で笑ってくれる、その呼吸と心拍にほっとする。
こんなふう大笑い出来るほど後藤の肺はまだ健やかだ、その安心に微笑んだ英二に深い声が教えてくれた。

「そうだなあ、森と岩石の天辺は正反対の世界だな。だがな、麓の森が富士の土台を根っこに抱いて支えるから山が崩れないんだよ。
さっきの大沢崩れもそうだ、草が無い部分が崩れとったろう?支えの無い砂岩質の山は脆いもんだ、だから森林限界が上ってきたのかもな、」

富士の森林限界が上ってきた、その台詞に英二は振向いた。
肩越しに深い瞳は愉しげに英二を見、可笑しそうに微笑んだ。

「ほい、もう剣ヶ峰を登りきるぞ?あの天辺で続きは話すからな、足元に気を付けてくれよ、」
「はい、」

素直に応えて注意を戻し、富士最高点へと馬の背を登りきる。
日本最高峰富士剣ヶ峰、そう記す石碑の傍ら英二は後藤を背から下した。

「はっはあ、おまえさんに背負われてこの国最高峰に来れようとはなあ?ありがとうよ、」

明るい日焼顔ほころばせてくれる後藤は、いつもより少し呼吸が深い。
やはり標高3,700からの気圧は今の後藤には厳しい、そう見とりながらも英二は微笑んだ。

「俺の方こそ、ありがとうございます。この山で後藤さんを背負わせてもらえるなんて、俺には大逸れてます、」
「いやいや、俺の方こそ大逸れた願いを叶えてもらったよ、」

愉快に深い瞳を笑ませて後藤はウェアの内ポケットに手を入れた。
そこから透明なカードケースを取出すと、英二へ差出し最高の山ヤは微笑んだ。

「俺の家族写真だよ、女房と娘と、息子だ、」

写真のなか若い後藤の笑顔に寄りそう色白の清楚な笑顔と、日焼の元気な少女と真白い肌の赤ん坊が笑っている。
その赤ん坊はどこか後藤と似ていて、けれど母親似の透けるほど白い肌は儚さが切なく運命がもう兆して見える。
こんなふうに早逝の人はどこか透明感が儚いのだろうか?そんな想い抱きながらも英二は明るく微笑んだ。

「ハンサムですね、息子さん。紫乃さん可愛いです、元気いっぱいって感じで、」
「だろう?どうだ、俺の子供たちは可愛くって女房は美人だろ?」

嬉しそうに笑ってくれる後藤の瞳は明るくて、その明るさに愛惜と幸福が輝いている。
この写真の笑顔はもう2つ亡くなってしまった、その哀しみより温もりを言祝ぎたくて英二は笑った。

「はい、ほんとに幸せそうで羨ましいです、」

羨ましい、それが自分の率直な感想だ。
こんなふう両親が笑ってくれる写真なんて自分には無い、そして哀しみも無かった。
未知の幸福と哀切がいま掌の写真に笑っている、その羨望と哀しみに微笑んだ肩を大きな掌がそっと掴んだ。

「おまえさんなら望んだ分だけ幸せになれるよ、大丈夫だ、」

大丈夫だ、

そう告げた深い声の言葉の温もりに瞳の奥が熱くなる。
どうして今こんなにも響くのか解らないほど泣きたい、けれど泣きたくない。
そんな本音と意地の葛藤が心臓を軋ませ喉が詰まる、その全て呑みこんで英二は微笑んだ。

「ありがとうございます、」
「こっちこそありがとうよ、だがな、今は無理に笑わんでも良いぞ?」

笑いかけて後藤は測候所の傍らに腰をおろした。
そして英二を見上げた深い目は大らかに微笑んだ。

「なあ宮田、せっかく富士の天辺に来たんだ、俺に父親ゴッコをさせてくれないかい?」
「え…?」

どういう意味だろう?
そう見つめた英二に日焼顔は笑って、照れ臭げに言ってくれた。

「岳志は俺と山に登ったことは無いよ、でもなあ、同じように目が綺麗で色白の宮田が登ってる姿を見るとな、岳志そっくりだって想えてなあ。
おまえさんの両親には申し訳ないんだがな、岳志が生まれ変わって宮田になって、奥多摩に帰って来たんじゃないかって想っちまうんだよ、俺は、」

もしも自分が後藤の息子だったら、どんなに幸せだったろう?
そう何度も想ったのは自分の方だ、それを後藤も同じよう本気で想ってくれている?
そんな想いと見つめる先で深い瞳は大らかに笑って、いつものトーンで話してくれた。

「吉村もな、宮田のことを自分の息子みたいに想ってるよ。おまえさんは確かに顔立ちもクライミングスタイルも雅樹くんと似てるな。
だけどな、俺から見たら雅樹くんと全くの別人だよ。優しいがプライドが高い分だけ本当は我儘だ、だから緻密な努力で人も事も動かすよ。
おまえさんは光一のお目付け役だがな、本当は光一を振り回しているのは宮田の方だ。そういう所が俺と似てるなって、よく想うんだよ、」

自分と後藤が似ている、そう言われることは初めてだ。
すこし驚いたまま英二は笑いかけた。

「確かに俺は計算高い癖があります、でも後藤さんも同じタイプなのは意外です、」
「そうだろうよ?まあ、齢の甲ってやつだな、」

からり笑って答えてくれる、その笑顔は深く温かい。
こんな貌で笑われるから信じたくなる、この想いごと英二は後藤の隣に座り笑った。

「俺は自分の意志で山岳救助隊を選びました、でも後藤さんが俺を選んで、光一のパートナーにする為に仕向けたと考えても納得出来ます、」
「だろう?その通りだよ、向いているって思ったからなあ、」

向いている、そんな言葉で笑う瞳が明るい企みに閃かす。
その眼差しが英二に笑ってくれながら後藤は話しだした。

「前にも話したがな、俺は光一のザイルパートナーと補佐役になれる男を探していたんだ。でも光一がああいう性格だろう?
あいつは誰とでも仲良く出来るが肚の底から信頼する相手は少ないよ、俺が知ってる限り雅樹くん以外には美代ちゃんだけだった。
この二人は光一と生まれた時から信頼関係を築いた相手だ、その信頼にプラス共犯者になれる相手を光一の補佐役に欲しかったんだ、」

雅樹と美代、この二人は光一にとって別格の存在だろう。
それとはまた違う関係「共犯者」を後藤は探していた、その意図に深い声が微笑んだ。

「アンザイレンパートナーだけなら雅樹くんのような純粋一辺倒の男が良いよ、でも警察社会で補佐役なら強かな狡さが無いとダメだ。
一筋縄じゃいかない賢さと無欲な野心と、けれど山への純粋な情熱がある男がいちばん良い。この条件を考えて身上書を閲覧してなあ、
そうしたら1人だけ無欲な野心家になれそうな男を見つけられたよ、しかもなあ、その男の担当教官は運よく俺の知り合いだったんだ、」

無欲な野心家、

そんな言葉に後藤が自分の何から判断したのか解る。
その確認をしたくて英二は口を開いた。

「祖父の経歴と、俺の体力測定から判断したんですか?」
「そうだよ、あと採用試験のスコアもな、」

日焼顔ほころばせ後藤はポケットから箱を取出した。
慣れた片手でキャラメル一粒を口に放り込み、英二にも箱を差出しながら教えてくれた。

「宮田次長検事は清廉潔白な方だ、まさに無欲な野心家の見本だよ。で、おまえさんの写真を見たら雰囲気も似ているからな。
きっと祖父さん譲りの冷静な熱血があるって感じたよ、採用試験のスコアを見たら優秀で納得出来た。だから出身大学の落差に驚いてな、
能力は高いのに大学が低いなら鬱屈があるって思ったよ、その鬱屈を山に向けさせたら純粋な情熱になるって考えてなあ、俺は見学に行ったよ、」

語られる後藤の意図に「参った」と微笑んでしまう。
そこまで自分のことを理解して探してくれた、その降参と感謝ごとキャラメルを口に入れて英二は笑った。

「後藤さん、俺の見学にまでいらしてたんですか?」
「おう、講師で警学に行ったとき初任教養のおまえさんを見たよ。どこか中途半端で鬱屈してる貌だったなあ、」

言いながら後藤は可笑しそうに笑ってくれる。
いま笑って言われたことに困りながら英二は微笑んだ。

「あの頃は俺、自分が何をしたいのか見えていなかったんです。母親から逃げたくて全寮制の職種を選んだのが志望動機ですし、
あとは司法の現実を最前線で見てやろうって漠然とした目的しかありませんでした、後藤さんの観察と予想どおりに俺は動いています、」

幼い頃から目指した世界は母の妨害に潰された。
それを自分は認めたくなかった「母に自分が潰された」など思いたくない。
そんな「現実」を認めたくなくて逃げたくて、母の束縛ごと妨害された過去も捨てたかった。
だからこそ以前の自分には言えなかった真意を今、この最高峰で言葉に出来た隣から深い声は愉快に笑った。

「そうか、俺は宮田のおふくろさんに感謝せんといかんなあ。宮田が警察官になってくれんと俺は、今頃どうして良いか困ってたろうよ、」

自分が今ここにいる、それを後藤は感謝で笑ってくれる。
この今が嬉しい、そう想うごと母への悔しさが薄れて楽になる。そんな想いに後藤は言ってくれた。

「本当に俺はな、おまえさんが居なかったら困っていたよ?光一のことも任せられて山岳警察のことも引継げる相手なんて容易く居ないんだ、
だから俺は想ってしまうんだよ、そういう会い難い存在だからこそ余計にな、おまえさんに息子の姿も重ねて期待もして、山に引張りこんだんだ、」

逝った息子への期待が自分を「山」に導いてくれた。
それを今この場所で聴かせて貰えて嬉しい、その本音正直に英二は綺麗に笑った。

「後藤さん、俺の方こそ父親との理想を後藤さんに見ています。息子としてなら尚更、警察と山との両方で期待されたら嬉しいですよ、」
「そうかい、やっぱりなんだか似てるなあ、おまえさんは、」

可笑しそうに笑ってくれる、その息遣いが少し深くなる。
そろそろ先へ行く方が良いだろう、そんな判断に立ち上がりかけた英二に後藤は微笑んだ。

「宮田、本当はおまえさん、今は泣きたいことで一杯なんじゃあないかい?だったら俺の前でな、今ここで泣いてくれんか、」

どうして後藤はそんなことを言うのだろう?
その意図を知りたくて見つめた先、大らかに稀代の山ヤは笑ってくれた。

「さっきも言ってくれたな、おまえさんは色んなもんを背負って俺と登ってくれてるって。でも他にも沢山背負ってるんだろう?
だってなあ、周太くんの為に願い出た異動の時がもう近づいてるんだ。それは湯原の辿ってしまった道と戦う時が近いって事だろう?
それが軽く無いって位は俺も解っとるよ、その事情を俺に話せないとしてもな、我慢してる涙を吐きだすくらいなら俺でも良いだろう?」

馨の辿ってしまった「50年の束縛」の道は何も話せない。
その道の原点は今も登山ザックのなか救急用具に隠して、隠された罪ごと背負っている。
この秘密は誰の為にも明かせない、それでも明かせぬままに後藤は共に背負うと言ってくれる。

―こんなこと言ってくれる人が父親なら本当に幸せだ、そうでしょう、岳志さん?

いま写真で会ったばかりの相手にその幸運を羨んでしまう。
もし自分が岳志ならなんと答えるだろう?そんな想いごと英二は微笑んだ。

「この国の一番高い場所で、この国最高の山ヤの警察官の隣で泣くなんて贅沢ですね。でも、それ以上の贅沢をさせてくれませんか?」

笑いかけながら内ポケットに手を入れて、ひとつの箱を英二は取だした。
そのパッケージを開いて箱の隅を軽く叩き、煙草一本を後藤へ向けて微笑んだ。

「俺たちは今この国の誰より高い場所にいます、だから今、この国で最高の一服を一緒にする贅沢をさせてくれませんか?」

標高3,776m 富士山頂剣ヶ峰の一服。
それを山ヤとして警察官として最高の先輩と愉しみたい。

そう願いながらも今の現実は肺気腫を患う後藤にとって喫煙は禁忌でいる。
けれど後藤の願いは今が最期のチャンスかもしれない、だからこそ今この願いは贅沢すぎるだろう。
それでも後藤の願いに選択を委ねて笑いかける真中で、深い瞳は幸せそうに笑ってくれた。

「あっはっは、こりゃあ泣くよりも我儘な贅沢だなあ?でも俺もその贅沢はしたかったんだよ、」

笑って答えながら日焼けの指に煙草一本を受けとると、いつものライターを出してくれる。
いぶし銀のくすんだ艶に富士の太陽を煌めかせ、かちり、軽やかな音に炎は煙草の先へ灯された。
こなれた仕草でひとつ燻らせ後藤は笑い、英二へと宝物のライターを差し出してくれた。

「ほい、ライターどうぞ、」
「ありがとうございます、」

微笑んで受け取って、同じよう咥え煙草に火を灯す。
この火には後藤とその妻の喜びも哀しみも明るい、そんな想い微笑んで英二はライターを返した。

「本当に良いライターですね、掌にしっくりなじんで、」
「だろう?贈り主もそんな感じの女だったよ、」

答えながら熟練の山ヤは微笑んで、その掌に愛妻の想いとライターを握りしめ紫煙をのんびり燻らせた。
煙草の横顔は穏やかに明るく落着いている、どこにも病の影は見えない明るさに微笑んで英二は空を見上げた。









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お知らせ他、

2013-04-17 23:15:15 | お知らせ他
明日明後日



こんばんわ、春たけなわな神奈川です。

短編「暁光の歌4」加筆校正が終わりました、明広の手記が一部載っています。
このあと第64話「富嶽6」校正をします、そして今夜中に「暁光の歌5」UPの予定です。

明日・明後日ですがネット環境が今一つな場所へ行きます。
小説は予約投稿していけます、が、コメント・メールを頂いた場合のお返事が困難です。
おそらく明後日4/19の夜になりますが、頂いたら必ず返信いたしますので良かったら声かけて下さいね。

ここんとこ本篇の進みが遅いのは英二の心境変化シーンだから考え込んでいます。
先へ早く!という方、申し訳なくすみませんが根気よくお待ちください、笑
第64話「富嶽」が終わると周太サイドですが、そこから展開が速まるかと。

取り急ぎ、



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灯華、花ゆく道へ

2013-04-17 20:38:00 | 創作・現代 追憶は青く
この記憶の数だけ愛を、



灯華、花ゆく道へ

黄色、白、うす紫、紫紺に赤紫と青。

屈みこんだ万緑叢中は、豊かな色彩の花が咲き誇る。
小さな野花は気づかれない、けれど指ひとつに手折ると特別な一輪に見える。

―ちゃんと萼もめしべもおしべもあるんだな、

小さな花に構造の名前を見つめて楽しくなる。
5mmや1cmほどの小さくて目立たない姿、けれど花は花だ。

野すみれの紫紺、壺すみれの薄紫、からす豌豆の赤紫と翠の葉。
野ばらの白、草苺の赤い実。金鳳花、なずな、白詰草、それから青い勿忘草。

丁寧に一輪ずつ手折って束にしていく野花は、明るい晩春の光に彩り輝いてゆく。
名前も知らない花もある、けれど向きあって見ると造形も色も手ざわりも皆それぞれ美しい。
こういう姿を見せたくて草叢から花を摘む、そんな背中に足音近づいて明朗な声が笑った。

「また花摘んでんの?」
「うん、ほら、」

摘んだ花を片手に見せて笑いかける。
その先で大きな目は楽しげに笑って隣にしゃがみこんだ。

「へえ、今日もキレイだね。いつもより花多いけど、ばあちゃん来てるの?」
「あたり、おまえアレ作ってよ、」

アレは自分では巧く出来ない、だから頼みたい。
そう笑いかけた自分に幼馴染は気さくに頷いてくれた。

「イイよ、長いの作ってやるね、」

気さくで優しい笑顔ほころばせ立ち上がると、半ズボンの脚は草叢を歩き白詰草を摘んでくれる。
これで土産がひとつ増える、良かったと笑って花を探す指先は陽だまりに温かい。
もう草の根元からも地熱が微かにくゆらす、こんなふう春が来たと想う。

―なんて言っても春を見たのって、まだ6回目ってことだ?

自分の年齢を季節に数え、なんだか笑いたくなる。
そして祖母との春の数がどれだけ違うのか考えかけて、白詰草の花束へ訊いてみた。

「あのさ、70って6よりどんだけ多い?」
「64だよ、オマエんとこの祖母ちゃんって70歳なわけ?」

答えと質問で顔上げて運動靴の足が戻ってくる。
傍らに胡坐かいてくれる友達へ、いま気がついた自分の勘違いを正直に答えた。

「いや、71だ。65歳の時に生まれたって、さっき言ってたから、」
「ふうん、おまえの祖母ちゃん見た目若いな、」

笑いながら隣は白詰草を編んでゆく。
素早い指先の動きに花は長く連なりだす、その魔法を眺めながら口を開いた。

「よく若いって言われてるよ、畑仕事とかで体動かすせいかなって言ってた、」
「なるほどね、田舎のひとって元気って言うもんな、」
「あとは茶を飲むからかもな、茶って昔は薬だったらしいし、」
「へえ、茶って薬だったんだ?おまえ良く知ってるね、」

他愛ない会話をしながらも手は白詰草を摘み、隣が編んでゆく。
もう50cmほどになる花鎖は端正に花と葉が並んで、野花の純朴が美しい。
いつもながらの器用な指先に感心してしまう、そう思ったままの賞賛と笑いかけた。

「ホント巧いよな、なんかコツとかってあるわけ?」
「きっちり締めるんだよ、ココんとことか。一緒にやってみ、」

言われて素直に隣へ胡坐かき、手許の白詰草を摘んでみる。
傍らの巧みな手を眺めながら真似始めて、けれど声が跳んできた。

「花なんかで遊んでんのかよ、変なやつら、」

台詞と声で誰だか解かる、そして足音の方向で予想がつく。
その予想が面白くて声の方を見た視界、嘲笑の顔がつんのめった。

「うわっ、」

ほら、ひっかかった。

予想通りの展開に笑ってしまう。
つい唇の端をあげた向こう、草叢に突っ伏した背中が起きあがる。
その悔しそうな顔に小首傾げた隣、呆れ半分の笑い声が質問してきた。

「やっぱりオマエ、草の罠作ってたんだ?」

この問いには無言で答えよう?
ただ笑って花を片手に立ち上がると、隣も一緒に立ってくれる。
そのまま原っぱを後にして二人、アスファルトを歩きだすと提案した。

「このまま一緒にウチに行こ?デッカイたこ焼き食えるよ、」
「それ、おまえの祖母ちゃんいつも買ってきてくれるやつだろ?」
「そ、うまいって一度言ったからさ、いつも買ってきてくれんだよね、」

他愛ない会話に歩いていく道、あちこちの塀から葉桜の緑ゆれる。
かすかな甘い深い香に風がふく、そこに草の息吹らしい匂いが夏の距離を教えてくれる。

―夏休み、ばあちゃん家に行ったら土用干しの手伝いだな、

きっと今年も梅干し作るんだろうな?そんな思案に見上げた塀にはもう、青梅の実が優しい。




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花の色は移り、

2013-04-16 18:47:12 | 雑談
春の陽透ける、そして季は 



こんばんわ、青空の美しかった神奈川です。
ゆるやかな風に、名残の桜が空高く吹いていきました。
こういう日に、なんだか懐かしい春の時間をあれこれ想っては、いわゆる惜春の想いです。

写真は鬱金桜です、あわい萌黄色の八重桜になります。
一重咲でもっと黄色が強いレモンイエローの木もあるそうです。
これが咲くと春も酣、藤の花や躑躅も咲いて豊麗な晩春の色彩あふれます。
そういう花々でも自分がナンダカ好きなのは、山桜と野すみれと山吹です。

先日ちょっと田舎に行った時、祖母が昔語りしてくれました。
幼いころの自分は、歩いている道端の野花を摘んでは母や祖母に見せていたそうです。
言われて見れば記憶が確かにありますが、記憶にはオマケがついていて花だけが目的ではなかったなと。
原っぱの草を結んで罠を作るのに凝っていたんですよね、当時。そのとき見つけた花を母たちの土産にしていました。
祖母の記憶が美しい部分だけなことは幸いです。笑

昨夜UP第64話「富嶽5」と短編連載「暁光の歌3」加筆校正が終わりました。
今夜は「富嶽6」と短篇をUPする予定です。

新学期・新年度が始まり忙しい時期ですが、どうか心身とも風邪など気を付けて下さいね。








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第64話 富嶽act.5―side story「陽はまた昇る」

2013-04-15 22:47:38 | 陽はまた昇るside story
真実と真想、その言伝 



第64話 富嶽act.5―side story「陽はまた昇る」

「なあ宮田、周太くんと宮田のことを俺がなぜ驚かないでいられるのか、解かるかい?」

深い声の問いかけが、登山靴の跫に響く。
いま自分が考えていたことを言葉にされる、そんな予感に口が鎖される。
自分と周太のことを後藤が擬える相手は誰なのか?そんなことは限定的すぎて気づけてしまう。

―俺が聴いて良いのか解らない、何より今ここで話すなんて、そんなのまるで、

心ひとり呟く想いが今、途惑いに泣きたくなる。
光一と雅樹の真実は秘密に護ってあげたい、その願いが聴きたくないと耳を塞ぐ。
なによりも今、ここで後藤が語ろうとする意図が解かってしまう、それが哀しくて苦しい。
こんな想いに16年前の生き証人が語りだす、そんな瞬間へ黙りこんだ英二に篤実な山ヤは微笑んだ。

「やっぱり解ってるんだな、おまえさん。ありがとうよ、」

ありがとう、ただそう告げて後藤は山頂を見上げた。
その横顔は大らかなまま沈黙する、そんな静かな時間へふたり登ってゆく。
一歩ずつフラットに踏み出す登山靴に富士の素肌が鳴る、この砂岩質の荒涼は遥か天へ昇ってゆく。

ざぐっ、ざぐっ…

跫だけが響く山道は、夏の喧騒を終えた閉山の静寂に佇む。
ゆるやかな風は髪を梳いてゆく、そして山を駈け下り中道を越えて森ゆらす。
いま来た道が眼下に広がり豊穣の森は彼方へ遠くなる、そうして一歩ずつ頂へ近づく。
そんな静かな道行きに告げられかけた言葉が廻る、それを告げかけた男の裡が想われて溜息こぼれた。

「…後藤さん、今、全部を話そうってしないでください、」

ため息に本音こぼれて、瞳から熱が墜ちてゆく。
もう人前で泣かないと決めていた、それでも今ここで泣きたい。
ここで今、この男にだけは涙を見せてしまいたい。そんな本音に英二は微笑んだ。

「今なんでも急いで話そうって後藤さんにされたら俺、辛いです。だって俺は今、本当はとんでもない事をしていますよね?
昨日の検診で肺気腫だってもう解かった所じゃないですか、本当は三千メートルの標高なんて危ないって解ってるじゃないですか?
そんな時に全部を話そうとされたら、今日が最後だって言われているみたいです。そんな遺言みたいなこと今、俺にしないで下さい、」

危ない、その危険を承知で自分は登頂を希う。
この希求が孕む責任と覚悟と、そして願いに涙ひとつ綺麗に笑いかけた。

「いま俺は後藤さんの命と山ヤのプライドを背負っています、娘さんの気持も背負っています、吉村先生の気持だって背負ってるんです。
警視庁山岳会のこともです、救急救命士の資格をとる事だってそうです、光一の未来もです、全部が後藤さんの命と山ヤの力に掛かっています。
どれも俺には大切です、だから自分が背負いたくて今も登っています、危険も覚悟しています、でも最後じゃないって信じてるから出来るんです、」

どんなに危険だとしても、絶対に今を最後になんてしない。
その意志に微笑んで英二は敬愛する山ヤに言った。

「後藤さん、俺、雅樹さんの作った資料のコピーを頂いたんです。肺気腫の手術のことや予後や、リハビリの事が書いてあります。
どうしたら手術後にも高い山に登れるのか、その可能性を雅樹さんは研究してレポートを纏めてあるんです。それを俺、勉強します。
吉村先生も同じことを考えています、後藤さんが今までと同じに登れる可能性を作るために今、先生も調べているところです、だから…っ」

涙ごと詰まる声を呑んで、深呼吸ひとつで英二は微笑んだ。
どうか自分の希望をこの山ヤにも一緒に見てほしい、そう願うまま綺麗に笑いかけた。

「だから後藤さん、今日も無事に登って無事に帰りましょう。全員無事に帰還しろって、いつも後藤さん仰ってるじゃないですか?」

全員無事に帰還だぞ?

そう言って遭難救助の現場に送りだしてくれる笑顔は、いつも希望をくれる。
あの希望を今日も後藤は抱いているのか確かめたい、そう笑いかけた英二に山ヤは言ってくれた。

「すまんなあ、宮田。おまえさんに俺はつい甘えてしまうんだよ、でも、これじゃあ丸投げみたいでいかんなあ?」

からり笑ってくれる日焼顔はいつものよう明るくて、悲壮感の欠片も無い。
それでも深い覚悟はそこにある、それが解かるからこそ告げた本音に後藤は応えてくれた。

「俺は今、本当に安心しきってるんだよ。俺が居なくても宮田がなんとかしてくれるだろうってな、まあ、ご隠居気分があるんだよ。
宮田は警察も山もまだ2年目だ、短い期間だがな、期待に全部応えてくれてるだろう?だからこの先も大丈夫って信じてしまってるよ、
だからつい丸投げで任しちまうんだな、山岳会のことも救助隊のことも。だから今もな、遺言ってツモリじゃないんだって解かってくれるかい?」

話すことは遺言じゃない、自分も諦めてはいない、そう後藤は告げてくれる。
その言葉が素直に嬉しくて英二は笑って頷いた。

「はい、ありがとうございます。すみませんでした、俺、変なこと言ったりして、」
「あははっ、変なことじゃないよ、おまえさんが心配するのは当たり前だ。色々と気を遣わせて悪いなあ、」

可笑しそうに笑いながら歩いてくれる、その呼吸と胸部の変化に目を走らせる。
もう三千の標高を越えた、その荷重に心配が起きるけれどまだ支障は無さそうでいる。
このまま山頂まで行けたら良い、そんな願いにクライマーウォッチの高度計を見ながら祈った。

―どうか馨さんも力を貸して下さい、こんなこと周太には怒られるかもしれないけど、

周太には怒られるかもしれない、こんな無茶なことは。

今日が最後じゃないと自分も後藤本人も信じている、けれど人間なんて一秒後も解らない。
あと一歩標高を上がれば急変するかもしれない、そのとき自分だけの処置では当然限度があると解っている。
そして標高三千からの救助要請なんてすぐには応えてもらえない、そのリスクを知りながら自分も後藤も山頂へ向かっている。
後藤の娘も吉村医師もリスクを解かっているのに今、後藤が望む通りに登らせて無事に帰ると信じて自分に託してくれた。
光一だって全て解っている、きっと今頃は第七機動隊舎から祈ってくれているだろう、登頂と無事を願って信じている。
そうして信じる分だけ全員が覚悟して自分に背負わせてくれた、それを誇らしいと想うから今も登ってゆく。
こんな全てをこんな自分が背負うことは無茶だと解っている、それを周太なら本気で心配して怒るだろう。

―ごめんな周太、でも俺だって後藤さんと同じ選択をするよ?だから俺は全部背負いたいって想うんだ、ただ一緒に登りたいんだ、

ただ後藤と今を一緒に登りたい、たとえこれが最後になってリスクを背負うとしても後悔しない。
もし今ここで諦めていない後藤を下山させたら後悔する、それしか自分には解らないから登るしかない。
だから一歩ずつ一緒に笑って最高峰の点を見上げている、それを自分の伴侶は解かってくれるだろうか?

―周太、こんな大事なこと何も言わないで勝手して、ごめん。でも本当に俺、何の計算も無く後藤さんと一緒に山頂を踏みたいんだ、

ごめん、そう心で謝りながら一歩ずつ登ってゆく。
今日は後藤と夏富士を登る、それしか周太には話していない、後藤の体調を話すことは出来ないから。
それでもいつか今日の本当の意味を笑って話せるだろうか?そう信じて月を映した玄武岩の山を登っていく。

『噴煙や雲がよくかかるのは薬を焼いた煙が月に還ろうと昇るからだって伝説があるんだ』

さっき後藤が教えてくれた伝説が、いま登る背を押してくれる。
不老不死の妙薬を抱く霊峰富士、その物語を真実と信じ伝えてきた気持が今なら解かる。
こんなふうに大切なひとの生命を祈りたくて、その生きる力を享けとりたくて人は富士へ登って来た。
そんな気持を裏付けるかのようこの山には祠が多く祀られる、こうした祈りを一年前の自分は未だ知らなかった。

そんなことは迷信だ、お伽話だ?
そんなふう嘲笑う気持が自分にはあった、けれど今は違う。
こうして人々が信じて祈ろうとすることは、山に想いを懸ける願いは、この自分のなかにもある。
この想いのまま素直に登り、山頂を仰ぎ見て英二は母なる最高峰へと願いを声無く告げた。

―富士の山、聴いてくれますか?俺が信じていなかった分だけ今、後藤さんに願いを叶えさせて下さい。俺を山ヤにしてくれた人だから、

後藤が居なかったら自分は今頃、一般の警察官だった。
山岳経験がゼロに等しかった自分だった、それでも後藤が山岳救助隊に自分を呼んだ。
周太の滑落事故から山岳救助隊を知った自分は、救急法とトレーニングセンターのクライミングを努力した。
そんな自分を遠野教官は見て機動救助技能検定を勧め取得させてくれた、それだけの実績しか当時の自分には無い。
そういう自分を警視庁山岳会のエースで次期会長を嘱望される光一のパートナーに後藤が選んだ、そして自分は山ヤになれた。

―この人のお蔭で俺は貴女に登れています。もし俺の頬の傷が貴女の祝福だと言うのなら、今、後藤さんに祝福を下さい、お願いします、

どうか山、自分の祈りを聴き届け許してほしい。
そしてもう1人に祈りたい、自分にその資格があるのか解らなくても、祈らせて欲しい。

―雅樹さん、後藤さんの体を護って下さい、願いを叶えて下さい、

心が叫ぶよう俤を見つめて、それでも顔は笑って後藤と登っている。
いま瞬間へ登りつめていく後藤の横顔に微笑んで、英二は願いを続けた。

―俺があなたに願いを言える資格なんて本当はありません、光一を傷つけた俺はあなたに憎まれて当然です、それを今は解っています。
  それでも信じて下さい、俺の山ヤとして生きる時間の全ては光一をビレイヤーとして支えるためと約束します、一生を懸けるから願いを今、

懺悔と願いを一歩に籠めて足を運び、英二は山頂を仰いだ。
夜の明けた空は青く輝いて白雲をひるがす、そこに霊峰は佇んで自分を見下ろす。
踏み出す足を雄渾の素肌さらして山は受け留めてくれる、いま近づく頂点に蒼いウェアの俤が心へ映る。
自分と似ている顔立ち、けれど全く違う魂を抱く男が自分に微笑む。その微笑を見つめ登らす隣から後藤が笑った。

「宮田、3月の雪崩の時は本当にありがとうよ、」
「え、」

意外な「ありがとう」に驚いてしまう、あの遭難事故になぜ感謝を言われるのだろう?
不思議で見つめた思いの真中で、稀代の山ヤは大らかに笑ってくれた。

「あのとき光一はな、自分だけで救助に行くって言い張ったろう?それを俺が許可したのはな、あいつの後悔を癒してやりたかったんだ。
光一はな、雅樹くんの遭難死を自分に責めてきたんだよ。でも雅樹くんと似てる宮田を自力で救助出来た、それが光一の傷を少し癒せたんだ。
だからあいつ、自分の両親の墓参りにも、雅樹くんの墓参りにも宮田のこと連れて行ったろう?おまえさんは光一にとって救いでもあるからだよ、」

自分が光一を癒した、そんな言葉に呆然が見つめてしまう。
本当は自分こそが光一の傷を深くした、光一の真実を気づかぬまま踏み躙ってしまった。
この哀しみが喉を突きあげそうになる、それでも、言ったところで誰が何を救われると言うのだろう?

―誰も楽になれない、俺が自己満足するだけだ…すみません、雅樹さん、

光一との夜を後悔なんて欠片も出来ない、あの時間に自分は幸せだったから。
あの貌が見られて嬉しかった、香も温度も快楽も全て美しくて愛しい、だからこそ尚更に光一を護りたいと願う。
けれどこの幸福感は自分だけの独りよがりだと解っている、もう光一は二度と自分と恋愛に抱きあうことは望まない。
それでも、ひと時でも必要だと求めて貰えた事が嬉しくて、こんなふう想ったことは初めてで、だから自分の本音が解かる。

―光一、雅樹さんには敵わないけど俺だって本気でおまえを愛してるよ、だから秘密も嘘も抱けるよ、おまえを護る為になら、

ほら、もうとっくに覚悟なんか自分にも坐っている。
それを改めて気づける瞬間に深く息吐いて、英二は敬愛する山ヤに微笑んだ。

「ありがとうございます、でも後藤さん?俺は全く雅樹さんには敵いません、そう解るから俺は雅樹さんに嫉妬しながら憧れてます、」
「ははっ、おまえさんらしい考え方だなあ、」

可笑しそうに笑って後藤は軽やかに登ってゆく。
その足取りに喜びを見つめて微笑んでしまう、その想いに後藤は言ってくれた。

「今の言葉を雅樹くんが聞いたらな、真赤に恥ずかしがって笑うだろうよ?そういう純粋な雅樹くんだから光一は純粋に惚れぬいてるんだ、」

さらり、真実を告げて思慮の瞳が笑ってくれる。
間髪もない鮮やかな告白に心が響く、そこに後藤の真情が誰にも温かい。
雅樹が自分の言葉を笑ってくれる、そう伝えられ解かされる懺悔から英二は笑った。

「雅樹さんが純粋って解ります、光一の目って本当に純粋で明るいから、」
「だろう?あいつの目はな、いつも雅樹くんを見つめて育ってるんだ。佳い男を視てきたから、あんな佳い目になったんだろうよ、」

いつものよう深い声は朗らかなまま、早逝を悼む想いと賛辞を明るく語る。
きっと後藤にとっての雅樹は息子とも似た存在だった、そう想うまま英二は1つの名前に微笑んだ。

「後藤さんの息子さん、岳志さんもきれいな目をされているんでしょう?」

生後一週間だけを共に過ごした後藤の息子、岳志。
たった一週間、それでも一週間を後藤は愛する息子の時間を抱けた。
その早逝を哀しむよりも誕生の喜びを今、この霊峰を辿る道の記憶に贈ってあげたい。

―どんなに短くても岳志さんが生きたことは真実なんだ、その幸せな記憶を今、この山で話させてあげたい、

どうか息子の自慢話を心ゆくまでしてほしい。
それが父子共に登りたかった夢を少しでも後藤に近づけてくれるだろう。
そう願って笑いかける先で深い目は三十年前の瞬間を映し、幸せに笑ってくれた。

「ああ、岳志は佳い目をしてるよ。紫乃の目は俺に似てるがな、岳志は女房と似て大きな可愛い目だよ、目の他は俺似だって言われるがな、」

俺と息子は似ているんだ、そんな言葉が誇らしく笑ってくれる。
こんなふうに親から笑ってもらえたら子供は幸せだろう、いま幸せな笑顔へと英二は微笑んだ。

「紫乃さんは目の外はあまり後藤さんと似てないですね、背は同じように高いけど、」
「だろう?あいつは女房と似てるんだよ、性格も華奢な感じもな。まあ肌はちょっと俺に似て黒いが結構美人だろう?」

語りながら細める瞳が優しくて、こんな貌に後藤の子供たちへの愛情が解かる。
こういう貌が後藤は温かい、嬉しくて英二は素直に相槌を打った。

「はい、綺麗な方ですね、」
「あっはっは、こんどその台詞、紫乃に直接おまえさんから言ってやってくれんか?きっと喜ぶよ、」

大らかな笑い声を上げてくれる元気に嬉しくなる。
いま閉山中の富士は五合目の山小屋しか開かず静寂に佇む、ただ吹いてゆく薄雲に声はめぐって温かい。
いつのまにか9合目を過ぎて山頂直下にさしかかる、それでも笑い声をあげるほど順調な様子が嬉しい。

―これなら後藤さん、御鉢周りも出来るかもしれない、

思案しながら隣の様子を観察し、一歩ずつ登ってゆく。
八合目過ぎからペースを落としても後藤の足取りは普通より速い、その胸元も正常な呼吸でいる。
もう40年近い山の経験値が体調に合せたコントロールは正しい、そう解る姿に今改めて賞賛を笑いかけた。

「後藤さん、胸突き八丁でも順調ですね、」
「おう、俺も伊達に長く登っちゃいないからなあ、疲れにくいコツがあるんだよ、」

明るく笑って答えてくれる貌に楽観が明るます。
やはり警視庁山岳会のトップだけはある、この見上げる想いに鳥居を潜ると空気が変った。







(to be continued)


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春眠、光に微睡み

2013-04-14 23:41:34 | お知らせ他
卯月の光に、



こんばんわ、富士山はまだ雪が残っていますね。
けれど下界は八重桜に山吹、藤の花と春の色彩が鮮やかです。
山でも満開の黄色ほこらす山吹は野趣と優雅あふれて、金色の光に充ちていました。

いま第64話「富嶽4」加筆校正中です、あと5割は書き増します。
短篇連載「春陽、光と花」もほぼ終わっています。

で、今、相当眠いです。
実は昨夜はちょっと忙しくて完徹でした、で、今日は出かけたので流石にね。笑
寝落ちしそうな勢いですが、日付変わる頃に短編の草稿UP出来たら良いなあと。

取り急ぎ、

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第64話 富嶽act.4―side story「陽はまた昇る」

2013-04-14 06:48:59 | 陽はまた昇るside story
茫漠の風、悠久より



第64話 富嶽act.4―side story「陽はまた昇る」

がらり、また岩ひとつ墜ちて断崖を駈けてゆく。

大いなる砂岩の肌に壁が切れ落ちる、そこに磐音は絶間ない。
大沢崩れ、その名の如くに富士の肌は大きく抉られて断面は屏風のよう聳え立つ。
その縁から岩が崩れては斜面を駈け下る、その岩石ひとつずつがまるで生きている。

「…すごい、」

ため息こぼれた言葉に振りかえる、その下界へ降りる視野に緑織りなす森は広がらす。
そして瞳を頂の方へ向ければ岩奔る玄武岩の斜面は天に伸び、はるか彼方に蒼穹と山は向かい合う。
荒涼の砂岩の世界は幼い日に見た図鑑の一頁、月世界の姿と似てこの場所が母国の山であることが不思議になる。
けれど背後には豊穣の森が無尽の生命を抱きながら広やかな裾野をひいてゆく、この二つの世界の狭間に今、立っている。

天地の境、神と人間の境界線の道。

そう謳われる場所なのだと今、佇む実感から深く湧き起こる。
氷雪が覆う冬富士は神の領域とだけ想う、けれど夏富士は世界の際である感覚が深い。
どこか月の世界を映したような大沢崩れと砂岩の斜面を仰ぎ、英二は隣に立つ山ヤへ笑いかけた。

「後藤さん、夏の富士は月と似ていませんか?」
「ふん、そうだなあ、月と富士は似ていても不思議は無いだろうなあ、」

頷いて笑ってくれる、その言葉に不思議になる。
どうして月と富士の相似に「不思議は無い」のだろう?
その思案に佇んだ英二に後藤は笑いかけてくれた。

「ははっ、不思議そうな顔してるなあ、宮田?ちょいと落石がおっかないから下がろうよ、」

深い声が愉快に笑って大沢崩れから踵を返す。
もう一般ハイカーは入らない閉山後の富士は夜明の刻限に鎮まり、ただ風が吹く。
かすかな風音へ崩落する岩石を聞きながら天地の際を歩いてゆく、この静かな道に後藤は教えてくれた。

「富士山はな、かぐや姫の舞台でもあるんだよ。でな、二つと無いって意味で不思議のフと漢数字の2で『不二』っても書くんだ、」
「かぐや姫って、あの月に還る話ですか?竹取物語っていう、」

その話なら絵本や教科書でも読んでいる。
そんな記憶と尋ねた向こう、山の名ガイドは笑って頷いた。

「その話だよ、あのお姫さんは輝く夜の姫って書いて輝夜姫って言うんだがな、まさに月を表現したような名前だろう?
でな、育て親の爺さんと婆さんに不老不死の薬を渡してから月に還ったんだ。でもな、その薬を爺さん達は焼いてしまうんだよ。
その場所がこの山の天辺と言われていてなあ、噴煙や雲がよくかかるのは薬を焼いた煙が月に還ろうと昇るからだって伝説があるんだ、」

月と富士の山、その関わる物語に英二は空を見上げた。
ゆるやかな風かすめるよう雲はあわく天を駈ける、あの雲が妙薬の煙なら幾星霜を燃える炎だろう?
こんな伝説も似つかわしい山の遥かな時間を想いながら英二は、山の語り部に笑いかけた。

「それなら富士の雲や噴煙には、不老不死の薬がふくまれているってことですね、」

その妙薬が後藤にも効く、そう信じて頂上へ登りたい。
そんな願いと笑いかけた先、山ヤは大らかな笑顔で応えてくれた。

「そういうことになるなあ、こんな伝説があるくらい富士は信仰の山ってことだなあ、」

信仰の山、そう称される山は日本だけではなく世界にある。
そこに先月は立った記憶を英二は口にした

「マッターホルンにも山頂に十字架がありますよね、」
「あれはブロッケン現象がな、神の降臨に見えたせいだっても言うな、」

神の降臨、そんな言葉にアルプスの記憶が瞳を披く。
あの銀嶺に向きあう日々に自分が見つめたのは、光一と雅樹への憧憬と嫉妬だった。

―二人が一緒に登った世界はきっと綺麗だったろうな、神がいるって想う位に、

光一の背中を追って氷壁を登攀する、その軌跡にはいつも雅樹がいた。
あのとき触れたハーケンの温度を想いながら、英二は右手を示し後藤に微笑んだ。

「後藤さん、俺も神の降臨を見たのかもしれません。マッターホルンでもアイガーでも、光一が撃ちこんだハーケンは冷たくなかったから、」

光一が撃った支点のハーケンは自分が抜く時も凍っていなかった。
どちらの北壁も蒼い影のなか低温に凍てつき息も白かった、それでもハーケンは温かだった。
あの不思議を想い微笑んだ英二を深い瞳は見つめて、穏やかに後藤は頷き笑った。

「おまえさん、光一の送別会の時も吉村に言ってくれてたな、雅樹くんが一緒に登っていたって。それが今言った神の降臨ってことかい?」
「はい、なんか俺にとって雅樹さんって神さまみたいな感じもあるから、」

素直な想いに笑って、ひとつ認められた本音に自由になる。
16年前に亡くなった男、それでも今こうして自分の心に様々な想いを照らしだす。
そんな心を知るように隣ゆく山ヤは大らかに笑ってくれた。

「そうだなあ、雅樹くんは確かにな、ちょっと神々しいところがあったよ。祭の舞人や笛方をしていた所為かもしれんな、」

そんなことも雅樹はしていたんだ?
そう驚きながらも納得できる、あの警察医診察室の写真の笑顔には相応しい。
また知らなかった事実を教えられて憧憬が身近になる、その距離感が嬉しくて英二は尋ねた。

「その祭って、光一の家が持ってるっていう神社のですか?」
「ああ、その神社のだよ。国村の家が敷地を所有してるんだがな、あの辺りの山神さんなんだよ。御嶽神社とはまた別で大切らしい、」

答えてくれる後藤も出身は山形で、警視庁任官後から奥多摩に居を構えている。
以来30年以上を暮して来た親しみを笑って後藤は教えてくれた。

「なんでも吉村のおふくろさんが元は神職の家の出らしくてな、それで孫の雅樹くんが祭のときは色んな役目も継いでやってたんだよ。
雅樹くんの舞姿はそりゃあ綺麗だったよ、横笛も随分と巧くてなあ。そういうのも光一は雅樹くんから教わってるよ、あいつも巧いもんだ、」

山神の神官を務めて山の祭を行う、そんな一面は雅樹にも光一にも相応しい。
こうした光一の一面は納得しながらも不思議になる、そんな想いに英二は尋ねてみた。

「そういうの光一と雅樹さんは似合いますね、でも俺、このことは光一から聴いていなかったです、」
「光一のやつ、なんとなく照れくさいんじゃないのかい?あの神社さんは本当に地元のモンって感じで観光客も呼ばんしな、田舎じゃある事だよ、」

田舎じゃある事、そういう事を都会育ちの自分は何もまだ解っていない。
それでも記憶にある一日を思い出して英二は訊いてみた。

「そういえば4月に白い紙を下げた綱が町に張ってあった日がありました、光一も休みで。秋と正月の頃もあったと思うんですけど、」
「ああ、それが祭の時だな。神社は山の上だから知らんと祭があるって気づかんだろうなあ、お囃子は聞えたりするがね、」

ふたり話しながら来た道を戻ってゆく、その背後に岩音は駈け下り崩れゆく。
本当に大沢崩れの名にふさわしい、そんな感心と笑いながら吉田口登山道に戻った。

「さて、こっから頂上まで3時間で行けるかい?」

愉しげに問いかけて後藤は日焼顔ほころばす。
そのタイムに軽く首傾げ英二は笑いかけた。

「はい、無理せず八合目からペースを落とすつもりで行きましょう、」
「おう、そうするよ、」

素直に頷いて山頂への道を後藤は踏みだした。
その足取りは軽やかに楽しげで病気を欠片も感じさせない。
けれど昨日も聴いた吉村医師の言葉はストレートに現実を投げかけた。

『ただし、頂上の御鉢巡りは難しい。富士の酸素分圧は今の後藤さんに厳しいはずです、』

昨日、後藤は吉村医師の病院で検診を受けてきた。
その結果はあまり芳しくは無い、たぶん来月の検査入院で現実は確定となるだろう。

―だからこそ吉村先生も今のうちにって判断したんだ、娘さんも、

後藤の娘、紫乃は助産師として医学知識がある。
それでも父を送りだした彼女の決意を今朝に見つめて、山ヤの家族の想いを知った。

―…父はまだ何も話してくれていません、でも様子を見ていれば解かります、胸がどこか悪いのでしょう?
  この一ヶ月、今日の富士を父は本当に楽しみにしていました。どうか出来る限り願いを叶えてやってください、

きっと紫乃は父親の病状も解っている、それでも吉村医師と英二を信じて父親の意志を尊重した。
そんな娘だと解かりながら後藤も富士に昇ってゆく、そんな父娘の覚悟たちへ約束したい。

―必ず無事に登って一緒に帰るんだ、今日を後藤さんの最後の登頂なんかしない、

このシンプルな願いが山岳救助隊には必要だと教えてくれたのも後藤だった。
大切な相手がいる人間は救助隊に向いている、そう教えて自分を励ましてくれた。
山も応急処置の現場も初めてで経験不足、そんな自分を後藤は抜擢して光一のパートナーに選んだ。
そうして与えられた全てにどれだけの恩を報いたら届くのだろう?この自問に砂岩を踏みしめた脳裡へ記憶の声が笑った。

『おまえ、ここの女神に気に入られてるね、』

春4月、この山に登ったとき光一が笑ってくれた言葉。
その証拠なのだと英二の掌に舞いこんだ富士桜に笑い、頬の傷痕を「富士の竜の爪痕」だと言祝いだ。
あの言葉を信じるのなら今こうして後藤と登ってゆく自分の祈りも富士は叶えてくれるだろうか?

―富士の山、どうか後藤さんを天辺に昇らせてください。できるなら御鉢巡りも何もかも、全てやらせてあげて下さい、

心祈りながら足を運び、そっと指先に頬ふれてみる。
ふれる肌には何の傷痕も触らない、けれど微かな熱が一閃を描く。
この場所が冬富士の氷に刻まれた痕だろう、そう見当に触れる隣から後藤が尋ねた。

「おい、おまえさんの頬んとこ赤い糸みたいな傷があるぞ?さっきまで無かったのに、いつのまに怪我したんだい?」
「あ、これは冬富士の時のです。普段は見えないんですけど、風呂とかで体が温まると浮いてくるみたいで、」

笑って答えながら砂利の道を登ってゆく、その足元に砂岩が軋む。
ゆるやかな風に登山ジャケット吹かせながら、後藤は愉しげに笑ってくれた。

「ははあ、それが最高峰の竜の爪痕ってヤツだな?光一が前に話していたよ、宮田の頬には最高峰の女神のキスがあるってな、」

最高峰の女神のキス、そんな表現に面映ゆくなる。
他の青年に恋焦がれ婚約までしている癖に自分は、山神の神官が愛する山っ子に横恋慕する。
こんな自分を最高峰の山神がキスしたがるだろうか?可笑しくて笑った英二に後藤は言ってくれた。

「本当におまえさんは綺麗な笑顔するなあ、そういう顔するから富士の神も気に入るんだろうよ、光一もな、」

光一も、そう言われて嬉しい筈なのに今は傷む。
この週末には一ヶ月ぶりの再会をする相手を想い、英二は微笑んだ。

「ありがとうございます、でも後藤さん、たぶん俺は光一にすこし嫌われたかもしれません、」

すこし嫌われた、こんな風に誰かを言うなんて自分らしくない。
けれどこの一ヶ月の距離感に想ってしまう、そして本当は再会に不安を抱いている。
こんな想いは慣れていない、その途惑いごと微笑んだ英二の肩を大きな手が軽妙に叩いてくれた。

「おまえさんが光一に嫌われてるんならな、世界中の人間が光一に嫌われちまってるだろうよ?俺も含めてな、」

深い声が大らかに笑ってくれる、その笑顔も言葉も温かい。
この信頼感が嬉しくて誇らしい、けれど言えない事実と真実に泣きたくなる。
もしも後藤が真相を知ったなら自分は蔑まれるだろうか、それとも別の応えがあるだろうか?

―言えたら良いのに、でも言えば余計な秘密を負わせることになるんだ、

言ってしまえたら、さぞ自分は楽だろう。
光一を抱いて肉体関係を持った、そう告白し懺悔出来たら罪悪感の一部は減って楽になれる。
それで後藤に怒って貰えたら、叱って貰えたらどんなに楽になれるのだろう?

それでも自分は秘密ごと光一を生涯抱きしめようとあの時、光一が抱く雅樹にも約束した。
それが光一を最も大切に護れる方法だと信じていた、けれど「真実」を知った今は迷う。

―雅樹さん、俺はどうしたら誠実でいられますか?すこしでも光一に、あなたに顔向け出来ますか?

登ってゆく荒涼の山肌を仰ぎ、はるかな山頂へ俤を見上げる。
警察医のデスクに佇む笑顔は誠実な心のまま輝いて透けるほど明るい。
あの明るさが自分には無い、それが何故なのか探したくて「雅樹」を見つめている。
そんな想いごと自分は光一の体と心を抱いた、アイガーの麓で幾度も抱いて確かめて、そして気づいてしまった。

―どうして先に気づけなかったんだ、俺は、

いまさらなのに懺悔が心臓に牙を射す、後悔は無くても傷みはある。
この傷みが苦しくて光一との再会へ不安は募り、だからこそ会って話して謝りたい。
けれどそんな謝罪は光一の誇りを傷つける、そう解るほど雅樹が抱く想いが痛切に解かってしまう。
もしも全てを先に気づけていたのなら違う選択肢があった?そんな懺悔に祈る隣から深い声が穏やかに笑った。

「なあ宮田、周太くんと宮田のことを俺がなぜ驚かないでいられるのか、解かるかい?」

問われた言葉に今、想っていた事が共鳴する。





(to be continued)


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花散る里、芽生の時

2013-04-12 10:40:38 | お知らせ他
芽生え、その傷みの先に



おはようございます、休憩合間に深呼吸の一筆です。

昨夜UP「暁光の歌1」加筆校正も終わっています、短篇連載「暁光の斎」雅樹サイドです。
いま心の一部を鎖しかけた雅樹と光一の夜明けを「暁光」は書いていきます。
ふたりが十五歳の差に向きあう最初の時です、5歳と二十歳の相違がきちんと描けたらいいなと。

光一は5歳の雅樹は二十歳の傷みと歓びを見つめながら今、夜明けの部屋で向きあっています。
ふたりの十五歳差はまだ大きい時です、本当は年齢差を認めたくない気持もあります。
それでも互いに年齢差に想う苦痛を告げあうのは、現状を認めず先に進むことは出来ないからです。

こういう向きあう最初って、芽が出る痛みと似ているのかもしれません。
種の固い殻を割る、樹皮を割る、どこかしら堅い一部を割って樹木は萌芽を生えさせます。
植物の痛覚は解らないけれど、実験データで植物も悲鳴を上げているとした説もあるんですよね。
肌の一部を割るって痛いんだろうなって思います、でも芽生えなければその植物は生きられません。

第64話「富嶽3」冒頭のみUPしてあります、これを今日中にはちゃんとする予定です。
後藤との山行で宮田が見つめる事は多くあります、その辺を考えながらで遅筆です。
年度初めの忙しい時ですが筆ノンビリですみませんが、良かったらお付き合い下さい。
また昼休みには加筆の予定です。


取り急ぎ、

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