萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第63話 残証act.5―another,side story「陽はまた昇る」

2013-04-01 00:44:38 | 陽はまた昇るanother,side story
伝言、過去から明日の君へ、



第63話 残証act.5―another,side story「陽はまた昇る」

文学部3号館の出口を潜った先、キャンパスの太陽は明るい。
もう冬なら夕方の時刻、けれど晩夏の太陽は高く青空を広がらす。
大きな古樹たちに木洩陽きらめいて、歩きだす足許を緑の翳ゆらいで一陣、風ふき抜けた。

ざっ、ざああっ…

キャンパスの道に居並ぶ木々ゆらいで小波おこす。
緑吹く風に木の葉が舞って、本抱える手の片方を伸ばすと周太は笑った。

「見て、銀杏が少しだけ黄色くなってる。まだ日中は暑いのにね、」
「あ?ほんとだ、8月なのにな?」

すこし驚いたよう手塚の瞳が周太を見、すぐ笑ってくれる。
いつものよう愛嬌ほころんだ笑顔は温かい、けれど本当は尋ねたい気持が見える。
さっき教授が語った真実を友人に確かめたい、その気持ちは立場が逆なら自分のものだった。

―きっと俺でも聴きたいって想う、ずっと仲良くしたいなら尚更に本当のこと聴きたい、

ずっと永く付き合う相手なら、いろんな場面に出会うだろう。
そのとき事情を知らない事が後悔になる時もある、その逆もあるだろう。
この選択を思案しながら淡黄の葉を指先にくるくる回し、並んだ友達と歩いてゆく。

さっき田嶋教授が話した事を、美代は未だ知らない。
いつ話すべきかも解からない、けれど今は未だ時ではないと思う。
そして青木准教授にも話して良いのか解らない、それ以上に田嶋教授へは未だ言えない。

―せめて講義のテキストを手伝うとこまでは伏せておく方が良いよね、タダって事にもっと気を遣わせるから、

素性も知らない状況下、たった15分ほどの翻訳で貴重図書を贈ってくれた。
そう考えると来月、テキストの翻訳手伝いに来た時にはもっと気を遣わせてしまう。
やっぱり暫く名前を伏せておく方が良い、そんな思案を纏めた隣から決意の声が問いかけた。

「あのさ、嫌なら答えなくていいけど、質問させてくれる?」
「ん、」

短く頷いて見上げた先、眼鏡の瞳が困ったよう微笑んだ。
それでも真直ぐ周太を見つめて、率直に手塚は訊いてくれた。

「その本を書いた湯原博士は、周太のお祖父さん?」

まだ名前で呼んでくれている。
その親しさに微笑んで、ずっと向きあいたい友人へ周太は笑いかけた。

「そうだよ、俺のお祖父さんが書いた本なんだ…でも俺も知ったのは1カ月くらい前なんだけどね、」

正直な言葉に快活な瞳ひとつ瞬かす。
きっと手塚には予想外な答えだろうな?そう見つめた先で眼鏡の瞳が考え込む。
ならんで歩き陸橋を渡る、その真中で友人は尋ねてくれた。

「周太は自分のお祖父さんのこと、何も知らなかったってこと?」
「ん、なんにも知らなかったんだ、」

素直に頷いて笑いかけた先、友人の貌が不思議そうに見つめてくる。
そう思われて当り前だろう、微笑んで周太は少しだけ謎解きを示した。

「さっき田嶋先生も仰った通りなんだ、父が亡くなった時は俺、小学校4年生でね。まだ家のこと何も教わってなかったんだ。
母もね、結婚してすぐに俺が生まれたから父と二人きりで話すことも少なくて、それで昔をあまり知らないんだと思うよ?親戚もいないし、」

本当の真実を幾つかは隠して、念のため防衛線を張る。
父がなぜ自分たち母子に祖父たち家族を語らなかったのか?大学の友人関係を絶ち切ったのか?
この意図が解かるまでは必要最低限しか話さない方が良い、そう想う隣から手塚は笑ってくれた。

「さっき名字で呼ぶなって言ったのはさ、お祖父さんが田嶋先生の恩師かもしれないって思ったから、気を遣わせないためだったんだ?」
「ん、そう…なんか申し訳ないから、」

微笑んで頷きながら陸橋から降りた頬を、ふっと緑の香が撫でてゆく。
農学部だけの緑豊かなキャンパスは何か優しくて、嬉しくて微笑んだ隣が急に立ち止まった。
どうしたのだろう?不思議で振向いた先、嚙みしめた友達の唇から嗚咽こぼれた。

「…っぅ…っ、」

声を呑んで、眼鏡の瞳から涙ひとつ落ちてゆく。
いつも生真面目で明るい瞳が泣いている、その涙の意味に気がついて周太は微笑んだ。

「手塚、ちょっと休憩してって良い?喉かわいたし、」
「ぅ、ん…ごめん、」

涙飲みながら謝って笑ってくれる、その笑顔が温かい。
こんなふう泣いてくれる友達が自分にもいる、それが嬉しい。

―俺にも男の友達って出来るのかな、

美代は同じ夢を歩く大切な友達で英二のことも自然に受容れてくれた、もう美代とは互いに親友と想う信頼がある。
けれど元から中性的な部分も強い自分は子供の時から、同性の友人に対するコンプレックスも強い。
そのうえ恋人も同性でいる、そんな自分を本当に理解してくれる同性の親友が出来るのか?
この答えは未だ解らない、それでも今、きちんと手塚に向き合いたい。

まだ話すようになって1ヶ月、今日まで手塚には家の事情も仕事のことも殆ど話していない。
それでも手塚は「周太」をひとりの人間として認め信頼して、本気で研究パートナーに選ぼうとしている。
今日もノートのコピーをくれた、大学院へ一緒に進学しようと誘って、生涯の夢を共に歩こうと笑ってくれる。
そして今も並んで歩きながら手塚は、田嶋教授が話してくれた父と祖父の物語に唇を噛みしめ涙をこぼす。

―本当に手塚は真直ぐで優しいんだ、誠実だから夢にも真直ぐ努力してずっと首席なんだね、

いつも明るく俊英な手塚には、英二の激しい情熱とは違う情熱がある。
それは夜通し話したときの言葉や表情、叶わぬ恋人への祈りと望郷、そのすべてが語ってくれた。
あのとき手塚は夢も秘密もその殆どを話すと大学院試験の要項を手渡して、信頼に微笑んだ。
この信頼に今ここで少しでも応えたい、そんな想いと缶ココア2つ携えベンチに座った。

「いま勝手に買っちゃったけど一緒に飲んでくれる?父がココア、好きだったんだ、」

冷たい缶を手渡しながら笑いかけて、涙の目が微笑んで受け取ってくれる。
きっと手塚ならこの意味を解ってくれるだろう、そしてまた笑ってくれるはず。
大きな手に持つ焦茶色の缶を眺めると、プルリング引いて友達は笑ってくれた。

「俺たちの先輩に乾杯な?文学と森林学でジャンル違うけど、」

ほら、やっぱり解かってくれた。
この友達に父と祖父の後輩として笑ってほしい、学問に夢懸ける1人として受け留めてほしい。
その願いにプルリング引くと甘くほろ苦い香こぼれて、笑って周太はココアを掲げると友達の缶と軽くぶつけた。

「ん、乾杯、」

涙の目と笑いあって缶に口付ける、この甘い香ごと喉を冷たく降りてゆく。
こんなふうに父もキャンパスに座り友人とココアを飲んだろう、その時間を想い周太は微笑んだ。

「祖父の研究室に連れて行ってくれて、ありがとう。お蔭で俺、この本を貰えたよ、」
「俺は何にもしてないよ、」

応えて笑いながら手塚は眼鏡を外し、手の甲で目許を拭う。
また眼鏡をかけ直して一息つくと、いつもの愛嬌の笑顔が言ってくれた。

「ごめんな、勝手に俺が泣いたりして。周太ってホント凄いヤツだって思ったら泣けちゃってさ。オヤジさんもお祖父さんも凄いよ、
大切な本だから手放そうとかさ、本気で学問を大事にしてるって思った。そういうのってマジでカッコいいよ、まだ俺は甘いって反省した、」

同情の涙じゃない、そう手塚は言ってくれる。
きっとそうだろうと思っていた、けれど素直な賞賛の言葉に気恥ずかしくて周太はココアの缶を握りしめた。

「ありがとう、でも、俺は何にもすごくないよ?…お祖父さんとお父さんはすごいって思ってるけど、」
「周太はすごいよ、」

さらり名前呼んで笑って、聡明な瞳が真直ぐ周太を見てくれる。
その眼差しにも羞んで微笑んだ隣から、手塚は言ってくれた。

「オールで飲んだ時にさ、小学生のときにオヤジさんとおふくろさんに樹医になることを約束したって、俺に話してくれただろ?
事情があって今は他の仕事してるけど必ず樹医になる、諦めない。そう言われたとき俺な、こいつは本物の学者なんだって思ったんだよ。
その事情って田嶋先生が言ってた事だろ?正直に言って俺、大変な事情だって驚いた。もし俺ならって考えたらさ、マジ尊敬して泣けたんだ、」

尊敬して泣けた、そう自分に言ってくれる?

父の死を受けとめられず記憶を消して、ただ努力に紛らし生きていた。
そして夢すら見失っていた自分を、こんなふうに言ってくれる友達がいてくれる。
この現実が今ほんとうに嬉しい、その喜びに父と祖父の哀悼も温められて周太は綺麗に笑った。

「ありがとう、でも俺ね、大変だったけど全部よかったって思ってるんだ。お祖父さんとお父さんには本当に生きていて欲しかったけど、
でも今までがあったから俺、好きな勉強ができることを幸せって想えるんだよ、だから父や祖父の気持も少し解かるようになれたんだ、」

大変だった、そう素直に言葉にして今は認められる。
前は弱みを見せたくなくて言えなかった、認められないから感謝すら気づけなかった。
そしてどこか恨む気持が強い自分だった、けれど今はもう解かる。こんな今の全ては英二が隣に来てくれて始まった。

―だから英二を好きなことを恥じたくない、誰に何て言われても、

いま隣に座る友達には、いつか話す時が来るだろう。
その時は英二にもきちんと相談して話したい、そんな想い微笑んだ隣から手塚が訊いてくれた。

「来月から周太、田嶋先生のテキスト作る手伝いだろ?たぶん先生、周太の名字を俺か青木先生に訊いてくると思うんだけどさ、
あれだけ英語とフランス語が両方出来て同じ湯原なら、すぐに湯原博士と周太を結びつけると想うよ。でも遠慮させそうで困るんだろ?」

手塚が言う通り、当然のよう田嶋教授は周太の名字を訊くだろう。
そのとき何て答えたら良い?すこし考えて周太は思い切って言ってみた。

「そしたらね、宮田、って答えて貰っても良いかな?…お宮参りの宮に、田んぼの田なんだけど、」

答えながらもう気恥ずかしくて首筋に熱が昇りだす。
けれど他に想いつけない、熱くなりだした首を掌で押さえた前で手塚は笑ってくれた。

「そう答えとくよ。宮田ってお母さんの旧姓?」
「ううん、違うよ、」

正直に首を振って、紅潮の熱が頬も染めてゆく。
こんなに恥ずかしがる自分に困りながら、周太は本当の事を告げた。

「俺ね、そのうち養子に入ることになってるんだ。それで宮田って名字になるから…これなら嘘にならないと思って、」

養子に入る予定がある、そう言われたら何を想像するだろう?
もし理由を訊かれたら?そんな緊張と笑いかけて、けれど友達は笑って頷いてくれた。

「そうなんだ、宮田になっても今まで通りよろしくな、周太、」

何も訊かない、その先の付合いだけを願ってくれる。
この大らかな誠実が嬉しい、嬉しくて周太は名前で笑いかけた。

「ん、よろしくね、賢弥、」
「おう、」

初めて呼んだ名前にも友達は、当たり前の笑顔でココアの缶に口付けた。



ノックと一緒に開いた扉から、ふわり紅茶と本の香がふれた。
時計は16時過ぎ、ちょうど休憩らしい空気に入ると青木准教授が微笑んだ。

「やあ、おかえり。ちょうど今、小嶌さんが紅茶を淹れてるよ。お菓子をご馳走してくれるそうです、」
「青木先生、ご馳走って言われると恐縮ですよ?試作品なんですから、」

可愛い声が流し台から聞えると、すぐトレイを携えた美代が出て来てくれた。
片づけた作業机に慣れた手つきがカップを並べ、プラスチックの涼しげな器も置いていく。
その涼やかな三層の黄色がそれぞれの透明度で美しい、皆で席に着くと周太は綺麗な菓子に微笑んだ。

「すごく綺麗なお菓子だね、柚子のゼリー?」
「そうなの、JAで試作中なのだけどモニターになってほしくて。皆さん、お願いします、」

綺麗な明るい目が笑ってお願いしてくれる。
そんな美代の様子に、スプーンをとりながら賢弥が質問した。

「もしかして小嶌さんって、JAの商品開発してる研究員?」
「研究員なんて大層なもんじゃないけど、そんな感じです、」

恥ずかしげに笑って美代はマグカップに口付けた。
その隣で青木樹医はスプーンを口に運んで、楽しげに微笑んだ。

「美味い、3つの食感が面白いですね?柚子も良い香だ、」
「良かった、そこんとこメモさせて頂きますね、」

ほっとしたよう微笑んで美代は鞄からクリアファイルを取出した。
一枚の用紙とペンを傍らに置いて「どうかな?」と視線を向ける、その先から賢弥が答えた。

「これ、甘さがそれぞれ違うよね?面白いし美味いよ、これ良いな、俺の地元でもこういうの作れって言おうかな?」
「ありがとう、そんな気に入ってもらって光栄です。でも他への紹介はまだ NG でよろしくね?」

嬉しそうに笑って美代は傍らの用紙にメモを綴り始めた。
いつも研究熱心な友達に感心しながら、ひとくち周太も口にすると微笑んだ。

「ん、おいしいね。寒天のゼリーと羊羹と、のし梅を柚子で作ったのを重ねてある?」
「当たり、柚子寒天とね、のし梅の柚子味と柚子羊羹なの。食感とかどう?」

もう少し詳しく聴かせて?
そう眼差しにも促されながらスプーン動かして、柚子が口を涼しくする。
ひろがる香と舌ざわりを確かめながら、素直な感想を言葉に変えた。

「のし梅が面白いね、ゼリーとのし梅と羊羹の重ね方を変えると食感もいろいろ出来ると想うよ…柚子の香と甘さも良いね、」
「重ね方ね、硬さの強度とバランスで色々試してみようかな。ね、羊羹の柚子の皮が入ってるのはどう?」
「ん、香がさっぱりして良いよ?夏のお茶席にも喜ばれると思う、」

涼やかな見た目も味も、夏の茶には向いている。
そんな感想に実家の茶室が懐かしくなって、母と父と、そして祖父の事も想ってしまう。
父の点法はきっと祖父が教え伝えたものだろう、あの茶室で祖父も祖母と一緒に茶を楽しんだろうか?
そんな思案にひとつ想いついた前から、綺麗な明るい目が楽しそうに尋ねてくれた。

「ね、こんどまたお茶点ててくれる?お抹茶とのバランス試してみたいの、お休みの日を合わせるから、」
「ん、いいよ?俺も今ね、ちょっとそれ考えてたんだ、」

美代も同じことを考えて、頼りにしてくれた。
それが嬉しくて微笑んだ隣から、驚いたよう賢弥が訊いてくれた。

「周太って茶道も出来んの?」
「ん、出来るって程じゃないけど…小さい頃からしてて、」

驚かれて気恥ずかしくなってしまう、やっぱり自分の年頃の男が茶の湯は珍しい。
幼い頃もからかわれたことがある、その記憶にすこし小さくなりかけて、けれど賢弥は笑ってくれた。

「へえ、ほんと周太って色んなこと出来るんだな。なんか茶道とか似合うよ、こんど俺にも抹茶いれて?」

あっさり褒めて認めてくれる、そんな笑顔に嬉しくなる。
やっぱり賢弥は解かってくれた、嬉しくて周太は綺麗に笑いかけた。

「ん、いいよ。美代さんとお点法するとき、賢弥も家に来る?川崎なんだけど、」
「うん、周太ん家に行ってみたい。小嶌さん、俺も交ぜてもらって良い?」

快活な笑顔で美代に許可を尋ねてくれる。
その楽しげな雰囲気に美代も笑って、頷いてくれた。

「もちろんよ、モニターは多い方が嬉しいから。ね、おばさまも一緒出来るかな?久しぶりにお会いしたいの、」
「ん、母の夏休みに合せるつもり…きっと美代さん来るって聞いたら喜ぶよ、このお菓子も好きだと思う、」

きっと母も美代との再会を喜んでくれる、そして賢弥の訪問を本当に喜ぶだろう。
まだ賢弥のことも少ししか話せていない、他にも色々と話すことが楽しみで微笑んだ前から青木が訊いてくれた。

「湯原くんのお茶は、何流なんですか?」
「あの、流派って僕も解らないんです…父が教えてくれた通りにしてるんですけど、母は遠州流じゃないかって言っています、」

答えながら、ふと疑問が起きあがる。なぜ父は茶の流派も教えなかったのだろう?
それとも、父も祖父から教えられず知らなかったのだろうか?

―ちゃんと考えたこと無かったけど、お茶の流派も知らないって変だよね?

あらためて自分の迂闊に気がついて気恥ずかしい。
そんな途惑いに俯きかけたとき美代が楽しそうに質問してくれた。

「ね、柑橘類を使った茶道のお菓子ってどんなのがあるの?参考にさせてほしいんだけど、」
「まずね、夏みかんの砂糖菓子があるよ。お干菓子になるね、」

即答と微笑んでまた家と点法の席が懐かしい。
毎年いつも庭の夏蜜柑を菓子に仕立てる、その記憶が温かで微笑んだ前から美代が笑ってくれた。

「そのお菓子、3月にお邪魔した時に出してくれたのでしょう?お家で毎年作ってるって、」
「ん、それだよ…重菓子だと柚餅とか、柚子を丸ごと使った羊羹もあるね。あと利休がね、柚子味噌を懐石代わりに喜んだって話もあるよ、」

質問に答えながらスプーンを運ぶ、そんな様子を賢弥と青木は感心気に眺めてくれる。
その注目にまた気恥ずかしくなりながら食べ終えて、周太は准教授へと向きあい口を開いた。

「青木先生、もし田嶋先生に僕の名前を訊かれたら、湯原ではなく宮田って答えて頂けますか?」

言葉の向こう青木は眼鏡の瞳ひとつ瞬かせ、思案げに首傾げてくれる。
樹医の隣から明るい目が微笑んだのに笑いかけ、周太は言葉を続けた。

「僕の祖父はこの学校のフランス文学の教授でした。田嶋先生は僕の祖父の教え子で、父の部活の後輩にあたる方なんです。
もし僕が祖父の孫だと知ったら講義のお手伝いも頼み難いかもしれません、だから僕の名字が湯原だってこと隠して頂けませんか?
もう少し親しくさせて頂いたら機会を見てきちんとお話するつもりです、父と祖父の事でお礼も言いたいので。それまでお願いします、」

ひと息に話して周太は頭を下げた、その向かい二人が驚いている。
それがまた気恥ずかしくて、首すじ熱くなりながら顔あげると青木准教授が笑いかけてくれた。

「解かりました、もし訊かれたら宮田くんと答えておくよ。でも湯原くんの語学力に納得です、田嶋教授の先生は立派な方と私も聴いてるよ、」
「ありがとうございます、あの…なんか色々と申し訳ありません、」

礼と笑いかけながらも気恥ずかしくて、つい膝の上に手を組んでしまう。
それでも無条件で頷いてもらえて嬉しい、ほっとした前から美代が微笑んだ。

「湯原くんが教え方すごく上手なの、きっとお祖父さんと似たのね?フランス語とか上手なのも、」

祖父と似ている、そう大切な友達が言ってくれる。
ただ素直に嬉しくて周太は笑って頷いた。

「ありがとう、きっと俺ね、お祖父さんからいっぱい援けてもらってるよ?」

フランス語と英語の語学力、翻訳して母国語にすること、文学に親しむ心。
家伝の茶という文化、そして学問を見つめる想い。どれもが父から教わった宝物たち。
その全ては祖父が父へ教え伝えたことならば、自分へも祖父は教え、援けてくれている。
それならば、祖父が父に与えた直筆メッセージは自分にも贈られている?

“Je te donne la recherche” 探し物を君に贈る

5つの単語に綴らす祖父の想いをブルーブラックの筆跡が伝言する。
いま膝の上にある推理小説に祖父は息子に宛て「探し物」を籠めた、それは孫にも宛てたろうか?
そして想う、祖父が「贈る」と言うのなら、この探し物は父にとって不可欠の大切な「何か」のはずだ。
そこには祖父と父の真実も籠められているかもしれない、ならば孫の自分にとっても必要な真実として受けとめたい。

―お祖父さん、お祖父さんの聲をひとつでも多く聴きたいよ、だから探させて?辛い事でも嬉しい事でも、ちゃんと受けとめたいんだ、

祖父が父に贈りたかった「探し物」その聲を探し、孫の自分が受けとめたい。
会ったことは一度も無くて写真すら見ていない、それでも祖父の唯一の子孫は自分しかいない。
だからきっと、祖父が遺した聲を贈りたい相手「君」は唯一人きり自分しか今、世界にいない。

たとえ会ったことが無くても、写真が無くても、この事実と絆は誰にも変えられない。








(to be continued)

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