萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第64話 富嶽act.1―side story「陽はまた昇る」

2013-04-08 21:52:46 | 陽はまた昇るside story
最高峰、その祈りへ



第64話 富嶽act.1―side story「陽はまた昇る」

午前5時10分、最初の光が稜線を輝かす。

金色が生まれて夜の紺青は中天へ昇り、ブルーに色彩を変えていく。
谷から昇らす風は涼やかになった、もう夏から秋の移ろいが山には訪れる。
こんな季節の変転を一年前の自分は未だ知らなかった、そんな懐旧が山頂に立つ今は不思議になる。

―もう、この生活が俺の普通になってるんだな?

ふっと想う自分の変化が愉快になる、そして出立の土曜が小さく痛む。
あと数日でこの「普通」と離れて異動する、それは自分から望んだ事なのに切ない。
それくらい今この場所は自分の故郷になってしまった、そんな自覚は温かで英二は笑った。

「きれいだ、ここは良いな、」

本当に綺麗だ、ここは良い。
肚底から想う感情と感覚に笑いたくなる、この喜びはどこまでも明るい。
こんな場所だからこそ自分のアンザイレンパートナーの目は、きっと底抜けに明るいのだろう。
そんな想いに見遥かす彼方に秀峰は暁の姿を顕わして、あわいブルーの優雅な裾に明日へ誘いする。
あの場所に今夜から昇りに行く、その予定ごと見つめる後ろから足音は近づいて、聴き慣れた低い声が笑いかけた。

「やっぱり速いな、あんた、」
「お疲れさまです、原さん、」

声に振り向いて笑いかける、その先でヘッドライトを切ながら精悍な瞳が笑う。
日焼した頬には曙光の汗きらめいて、登山グローブの甲で拭いながら原は隣に立った。

「見晴しが良いな、」
「ここからの富士も良いでしょう?国村に教わったルートです、ここでカップ麺食うのが最高って、」

答えながら笑いかけた先、精悍な瞳が可笑しそうに笑っている。
なにか変なことを言ったろうか?すこし考え首傾げた英二に同僚は笑いだした。

「あんたってさ、マジで国村さんと仲良いんだな、」
「仲良いですよ、」

さらり答えて原の笑う意味を考えてしまう。
そんな隣から5年次先輩は教えてくれた。

「国村さんは山ヤの世界じゃ別格なんだ、警視庁山岳会では救世主ってカンジでさ。でも、あんたと話してると普通の男って気づけるよ、」

別格、救世主、そんな言葉に光一が立つ場所が解かる。
そして自分の役割にまた気づけて英二は率直に笑った。

「国村は俺たちと同じ男だよ、ただ天才なだけ、」

ただ天才なだけで、哀しみも喜びも変らない。
そんな想いの言葉へと、細めた精悍な瞳が可笑しそうに笑ってくれる。
その眼差しに笑い返した英二の肩を軽く叩くと、原は言ってくれた。

「そういう考え方、良いな?」
「ありがとうございます、」

素直に礼を言って英二は南西の空を見た。
いま最高峰の山は蒼穹を指し、その頂点を輝かす。
この国で最も大きな空指す道標は曙光まばゆい、あの場所に光一と2度立った。
あのとき其々の記憶が懐かしく切ない、そんな場所に明日、また新たな記憶を見つめる。

―最後になるかもしれないんだ、明日が、

明日、後藤と自分は最高峰富士を登る。
それは後藤にとって最後の富士になるかもしれない、この現実に泣きたくなる。
最高の山ヤの警察官、そう謳われる男が生き続けた高峰への挑戦から下りてゆく。
それを最後に見送る山は母国最高峰、そんな想い見つめる隣から低く篤い声が微笑んだ。

「後藤副隊長との富士、楽しみだな?」

楽しみだ、そう言われて心が戻される。
確かに明日は楽しむべきだ、気づきが嬉しくて英二は綺麗に笑った。

「はい、楽しみです。俺、夏富士は初めてなんです、」
「俺は夏と秋しか知らん、」

ぼそり、いつもの一本調子だけれど精悍な瞳は笑っている。
この言い方とも馴染んでしまった、そんな一ヶ月弱の時間が今は宝に想える。
この男と知り合えて良かった、そう想うまま英二は期間限定パートナーに笑いかけた。

「1月、冬富士に俺と行ってみませんか?体重差が少ないからザイル組んでも悪くないって思うけど、」
「良いけど、国村さんに怒られないか?」

肯定しながら確認してくれる、その台詞に笑いたくなる。
ふたり踵返して下山へ向かいながら英二は尋ねてみた。

「なんで国村が怒るんです?」
「そら怒るだろ、」

短い答えの声が笑う、そのトーンがなんだか楽しい。
どうして原はそう想う?隣から目で尋ねた英二に精悍な瞳は呆れ半分笑ってくれた。

「国村さんのアンザイレンパートナー選び、どんだけ大変だったか後藤さんに聴いてみろよ?」

光一のパートナー選びは難航した、それは色んな人から聴いている。
美代にも言われ、吉村医師も少し話してくれた。後藤にも一通りは聴いている。
それ以上の「大変」がどうやらあるらしい?まだパートナーに未知があることに英二は首傾げた。

「体格とかの相性は聴いてるけど、他にもあるってことですか?」
「ああ、」

下りながら頷いた目が笑っている。
なんだか笑いたくなる理由のようだ、それを知ることも富士の目的なのだろうか?
また思案しながら目を上げた彼方には、万年雪を刻んだ秀峰が穏やかに蒼穹を仰いで佇む。



診察室の窓も夜へと変り、ルームライトの蛍光灯が白く明るい。
いつもの椅子に座った膝にファイル広げると英二は手帳を開いた。
そのまま右手にペンを持ちかけたとき、警察医の椅子から白衣姿は立ち上がり微笑んだ。

「宮田くん、よかったらデスクで書きますか?ファイルも広げるのだと、書き難いでしょう?」
「ありがとうございます、でも吉村先生、俺この席が落着くんです、」

素直な気持で笑いかけた英二に穏やかな瞳が笑ってくれる。
ゆったり座りなおすと医師は尋ねてくれた。

「その席の方が落着くんですか、書くのならデスクの方が良いだろうに?」
「慣れていますし、さすがに先生の椅子は申し訳なくて、」

さすがに警察医の席は座り難い、この率直な本音に英二は笑いかけた。
なにより写真立ての笑顔に申し訳なくて、つい視線はこんだ前から吉村医師もデスクを振り向き微笑んだ。

「ああ、雅樹に気を遣ってくれてるんですね?」
「はい、すみません、」

謝りながら自分ですこし困ってしまう、なんだか気を回し過ぎのようで申し訳なくなる。
けれど雅樹という男を知るほどあの席には座れない、そんな想いに笑いかけた英二に吉村医師は言ってくれた。

「私もね、この席に座るのは気が退けるって思ってるんです、本当は雅樹が座るべき席なのにって。だから宮田くん、ありがとう、」

率直な医師の言葉は温かで、そして気づいてしまう。
吉村は今でも次男の死に自責と愛惜を抱いている、もう16年の歳月が流れても哀悼は尽きていない。
それは親ならば当然の愛情なのだろうか、この父子にある絆を思いながら英二は正直に笑いかけた。

「俺、雅樹先生とも一緒に仕事したかったです。ご迷惑かもしれないけれど、」
「ありがとう、きっと雅樹も君と仕事したかったと思いますよ。でも、そうすると国村くんが嫉妬して大変だったかな、」

可笑しそうに応えてくれながら吉村もファイルを広げてくれる。
その長く繊細な指を見ながら英二はつい訊いてみた。

「やっぱり国村、雅樹さんが他と仕事したら嫉妬しますか?」
「そうだね、相手にも依るだろうけれど宮田くんだとたぶんね、」

応えてくれる笑顔が愉快そうに笑っている。
そんな容子からも光一と雅樹の仲が想われて、ふたりへの哀惜と自責が傷む。
こんなふう雅樹の父親にも言われる程ふたりは近かった、それを自分はどれほど理解出来ていたのだろう?

―ごめんな、光一。きっと俺は無神経な事いっぱいやったよな、本当にごめん、

心裡ひとりアンザイレンパートナーを想い謝罪を告げる。
次に会う時には改めて謝りたい、そう決めながらペンを執り医師へ向き直ると、吉村は口を開いた。

「では後藤さんの注意点と応急処置について、どうぞ?」
「はい、」

頷いて手帳に目を落し、さっと紙面へ視線を奔らせる。
すぐ顔をあげると吉村医師を真直ぐ見、英二は口を開いた。

「歩く速度は副隊長の通常ペースより緩めます、呼吸を一定に保ち肺の負担を軽くする目的です。少しでも息切れが出たら休憩します、
咳の悪化、呼吸困難の時は酸素吸入で対応して速やかに下山します。登山の開始前は検温など確認、僅かでも風邪の気配があれば中止します、」

中止、それだけは避けてあげたい。
けれど肺気腫の患者は風邪を引くと症状が悪化する、だから無理は絶対に出来ない。
それでも明日は後藤にとって最後のチャンスかもしれない、どうか無事に登らせてあげたい願いの前から吉村医師は言ってくれた。

「今日の後藤さんの診察結果だと風邪は大丈夫かと思います、インフルエンザの予防接種も肺気腫の疑いが出た段階で受けて頂いています。
それに後藤さんの体力は三十代と実年齢より二十お若いです、明日明後日で体調が急変する可能性は低いでしょう。まず中止は無い筈だよ、」

きっと大丈夫、そう篤実な笑顔が頷いてくれる。
優秀な医師からの太鼓判が嬉しい、嬉しく微笑んだ英二に吉村も笑いかけ、けれど明確に告げた。

「ただし、頂上の御鉢巡りは難しい。富士の酸素分圧は今の後藤さんに厳しいはずです、今日の検診で後藤さんにも言ってあります、」

大気中の酸素濃度は海抜0mでもエベレストの山頂でも同じ21%で変わらない、けれど高度による気圧変化で酸素量が減ってしまう。
それは酸素分圧という数値で表され「酸素分圧=気圧×酸素濃度」となるために高度が上がり気圧が低下する分だけ数値は減少する。
この酸素分圧の変化に伴う酸素摂取量の減少に対して身体が対応できないと低酸素症いわゆる高山病が発現してしまう。
それが肺気腫を罹患した後藤にとって厳しくない筈がない、この現実に英二は頷いた。

「解かりました、山頂での観察で判断します。後藤さんに無理はさせません、」
「お願いします、でも、ご本人が無理しちゃいそうですけどね、」

困ったようなトーンでも可笑しそうに医師が笑ってくれる。
こう言われる通りだろう、そんな感想に英二も頷いた。

「そうですね、そうしたら無理させないで無理を叶える方法を考えます、」

無理させずに無理を叶える、こんな言い回しは可笑しいかもしれない。
けれど自分なら出来るだろう、もう幾つかのパターンに思案する前から吉村医師は笑ってくれた。

「無理を無理せず実行ですか、宮田くんなら本当に出来そうですね?」
「はい、がんばってきます、」

素直に応えた向かい穏やかな笑顔が頷いてくれる。
この眼差しが相手だから「がんばる」なんて単語をこの自分が言えてしまう。
どれくらいぶりに遣う言葉だろう?そんな想いごと微笑んで英二はペンを胸ポケットに戻した。








(to be continued)

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おしらせ、校了3筆

2013-04-08 19:42:29 | お知らせ他
花散りて後、実り



こんばんわ、嵐ですっかり桜が散った神奈川です。
もう八重桜や藤、躑躅に山吹が咲きだしました、季節が速いですね。
年度初めの今、お忙しい日々かと思います。どうぞ体調など気を付けて下さいね。

第63話「残照5」、短編連載「雪花の掌5」「春霞、夢一夜」は加筆校正が終わりました。
今朝UP「春靄、夢一夜」も校了済です、当初の3倍になっています。

このあと第64話をUP予定しています、宮田サイドです。

桜が散ると、毎年のこと寂しいと想います。
あの花ってナンカ好きなので、そんな散り急がなくても良いのになあと。
それでも花が終わらずして若葉も実りの季節も来ません、終りは始まりですから。
新年度の今頃は別離と出会いの季ですが、桜と同じよう実りへの時間でもあるんだろうなあと。

取り急ぎ、

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