日生劇場は16年ぶりくらい。四季のオペラ座の怪人が最後。あれ以来四季は観てないかも。
ストーリーがいろいろと盛り込まれていて、深みがなくて、何が言いたいのみたいなところがある。殺人とか、恨みとか嫉妬とかいろいろあるけど、平板に次々と出てくるだけで、それで?という筋。
劇中劇で歌舞伎の千本桜の場面がいろいろ。前半の終わりには染五郎の宙乗り。慣れてないんだと思う。ばたばた足を動かしている割に、目が一点を見てるようで、見回す余裕があまりない感じ。ちょうど二階の宙乗りの終点のところにいたので良く見えました。染五郎、立ち姿はそれなりだと思います。声が通りにくいのは、父親とは別の意味で。どうしたらあの「くささ」が抜けて自然な感じになるのかなあ。啖呵とか見栄がさまになってないんですよね。
幸四郎は、相変わらずもごもご何か言ってるという聞こえ方で。動きが少なく、荒事みたいなのをちょっとやるという。
パンフレットに「演劇としての歌舞伎」と書いてありましたが、演劇としてのあり方みたいなのを問うというものではなく(たとえば、井上ひさしの元の黙阿弥みたいなのはない)、「劇的なる歌舞伎」というのは、よくわかりません。
歌舞伎役者が演じる、古典歌舞伎場面付、歌舞伎のようなお芝居。芝居として、中途半端という気がしました。
ストーリーがいろいろと盛り込まれていて、深みがなくて、何が言いたいのみたいなところがある。殺人とか、恨みとか嫉妬とかいろいろあるけど、平板に次々と出てくるだけで、それで?という筋。
劇中劇で歌舞伎の千本桜の場面がいろいろ。前半の終わりには染五郎の宙乗り。慣れてないんだと思う。ばたばた足を動かしている割に、目が一点を見てるようで、見回す余裕があまりない感じ。ちょうど二階の宙乗りの終点のところにいたので良く見えました。染五郎、立ち姿はそれなりだと思います。声が通りにくいのは、父親とは別の意味で。どうしたらあの「くささ」が抜けて自然な感じになるのかなあ。啖呵とか見栄がさまになってないんですよね。
幸四郎は、相変わらずもごもご何か言ってるという聞こえ方で。動きが少なく、荒事みたいなのをちょっとやるという。
パンフレットに「演劇としての歌舞伎」と書いてありましたが、演劇としてのあり方みたいなのを問うというものではなく(たとえば、井上ひさしの元の黙阿弥みたいなのはない)、「劇的なる歌舞伎」というのは、よくわかりません。
歌舞伎役者が演じる、古典歌舞伎場面付、歌舞伎のようなお芝居。芝居として、中途半端という気がしました。