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Pretenderの備忘録

セビリアの理髪師 新国立劇場

2005-10-20 22:41:06 | 音楽 Opera
今日は、リクライニングコンサートに行こうとチケットを押さえていたが、リクライニングでないことに気づき、どうしようかなと思っているときに、ふと、そうだ、新国に行こうと、当日売りで。クライアントから戻って、片付けて会社を出て、駆けつける。安いチケットから売れていて、B席以上しか残ってない。3階バルコニー左で、一番内側というB席があったのでそれにする。東フィル会員で5%引き。S席も1階はかなり埋まっていて、なんで初日でも休日でもないのにこんなに?やはりNewProductionだからだろうか?
これは僕にとって最高に贅沢な晩である。昨晩は、小澤さんの同じオペラを観ている。そして、斬新な演出が売りの新国で翌日。NYでもロンドンでもこういうのはないのではないか。NYでMetとシティーオペラが同じものをやることはたまにあるが。ドイツだとあるのかな。オペラの来日というのは非常に多いから、先日のマイスタージンガーを始め、こういう楽しみ方ができる東京は凄いと思う。オペラの引越し公演って、東京以外ではあまりなさそうだなあ。
演奏は、カバレッティがうまく、軽やかにまとめていると思う。本当は重いもののほうが得意そうな感じの人だが。
歌手は、ロジーナのリナート・シャハムは、声量もあるが、やや硬め、きつい声質。アルマヴィーヴァ伯爵のふぇるディナンド・ファオン・ボートマーも、伸びはあるが、第二幕の最初とかはちょっと声域がきつそうだった。フィガロのダニエル・ベルチャーは安定感がある響くバリトン。バルトロの柴山昌宣さんは貫禄も十分で、安定感もあり、頼もしく聴いた。
演出は、僕が観た新国の舞台の中ではもっとも凝っていた。昨日の舞台よりも凝っていたと思う。螺旋階段を二つ配して色もスペインらしい明るい色を使っている。舞台をフランコ政権の1970年代として、スーツを着ていたり、男女の絡みが結構きつかったり、という演出は、オペラを観ているというよりも、芝居を観ているような感覚がある。音楽よりも、それ以外の要素のインパクトで勝負しているようなところを感じた。また、歌手もかなりの動きを要求され、負担も相当なものであろう。このオペラをこの舞台設定で何を強く言いたかったのだろう?東京から発信ということで、フランコ時代といっても難しい面もあるような気がする。フランコの肖像画が随所に出てくるのだが。ヨーゼフ・ケッピリンガー演出。
今日は、サッカーの川淵さんや三枝さんを見かけた。
いま、仕事が結構忙しく、週末も仕事しなければならないことが確定、笑。これを書いた後もやるけど。

コメント
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