と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

悩みへの対処

2008年10月01日 23時22分47秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 昭和62年6月27日のわたくしの読書ノートをひっくり返していましたら、面白いことが書いてありましたのでついつい紹介してみたくなりました。

 在校生たちが、元気に昼休みを楽しんでいるその声を聞きながら、生徒の成長の少しでも助けになればと思ってのことです。

 中高生時代というのは悩みを持つことが多いと思います。わたくしなぞ、今でもそうですが。

 で、くだんの読書ノートは、「人間の悩みのかなりの部分は、人とこころのふれあいが持てないことに起因している」とか書いてあるのです。

 20数年前にそんなことを考えていたのかという思いがして、ずんずんとノートを読み始めました。

1 教職を楽しめ 仕事には、WorkとLaborとある。Workには楽しみがあり、自分のパーソナリティの表現がある

2 シナリオ人間ではいかん。自分から仕事を見つけ出せる人間であること

3 役割を媒介とするつきあいだけだと、役割の喪失とともに人生と分離してしまう

4 われわれは決して自分だけで生きているわけではない。縁があって生きている。人様のおかげで生きている。

5 役割の世界に安住していると、わずらわしい人間関係から逃れたと喜んでいると、人間としての原点を見失うことになる

6 魅力ある人間とは、役割を抜け出した自分を表現している人物のこと

7 ベタツキというのは、愛情乞食。自分の苦境を語るのもこれ

8 ものに動じないため、やたらに人にべたつかないため、人生が自分にとってどういう意味があるかを把握しておくこと
 
9 人生の意味 自分で人生の意味を創造せよ。若干の不安と孤独に耐えよ。天上天下唯我独尊でいけ。創造のためには多様なものに触れよ

10 人間は、人生で自分を賭けるものを持っているとき、不安・孤独に打ちひしがれることはない

11 われわれは、人生で、自分のなしたいこと、なすべきことを持たねばならない。自分の居場所(アイデンティティ)を持て

12 悩む人間は、まともでないビリーフ(固定観念)を持っている人 受け取り方ひとつなのだ

13 人に好かれねばならぬ こういうビリーフを持ってはダメ。人に好かれないと自分では生きていけないと思っているから。本当は、一人でも生きていける、人に好かれるのにこしたことはない、と思うこと

14 親心(父母性)、おとな心(計算)、子ども心(純粋)を持て

15 人生ではふれあいを拒否しないと生きられないこともある。生きる哀しさとはそのことだと思う

16 自己嫌悪とは、あるがままの自分を認められない人 そういう人は他者をも嫌悪する

17 凡人中の凡人でなぜいかんか 凡人とは、無理の無い力まない生活をしている人のこと

18 成長とはナルシズム(うぬぼれ、自己中心性、万能感)が崩壊していくこと



 これくらいにしましょう。

 どういうことを感じましたか?

 またこのブログで語ってみたいことの一つです。

 時間になりました。

 また、明日。

(国分康孝先生のつきあいの心理学からの読書ノートでした)

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育児法について

2008年10月01日 22時03分20秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 在校生諸君もいつかは人の子の親になるのでしょう。

 そして、今は保護者の方々の太い脛をかじらさせていただいているわけです。感謝しても感謝しても尽きることはありません。本当に、あなた方は幸せです。


 さっき、国分康孝先生の読書ノートを紹介していたら、育児法について書きたくなってしまいました。

 わたくしもいっぱしの親でありますが、(中途半端かもしれませんが) 常に自分に言い聞かせてきたことは、「親になると言うことは、自分が人間としてどの程度の出来であるかを絶えず問われているということ」の国分康孝先生の言葉でした。

 親子関係を考えてみると、親は子供のおかげで、自分の人生を豊かにしてもらっているわけです。だから、育児の基本はわが子への礼賛でり、感謝であります。

 ずっと以前、そう20年ほど前になりましょうか。サマーヒル学園で有名なニイルという人の、あるいは霜田静志先生の著作にたくさんたくさんふれさせていただきました。その時期は、自分の教育の有り方に疑問を持ったりしていましたので、これらの方々の著作に大変に学ぶことがありました。

 目からうろこでした。

 まだ40歳前でしたから、一人で力んでいたわけです。

 何でもできる、自分でできると思い込んでいました。それも大切でしょうけれども、世間知らずではどうしようもない。つきあいの乏しい大人からは、常識のない子供が育ってしまうと危機感を持ったわけです。

 人生からドロップアウトして、達観し、哲学書などを読みながら、他人や世間を嘲笑して、傍観していくという寸前までいっておりました。一種の気取りなのでした。それはそれで自分で納得していればそれなりの生きがいがあるのでしょうが、わたくしは社会性を捨てることはできなかったのです。格好をつけて、隠者を気取ることはできませんでした。それは子供のためでした。人生は自分勝手な思い込みで生きてはならないと気づかされたのです。

 在校生諸君には逆に申し上げたい。

 ひたすら自分勝手な要求ばかりすることから一歩でも二歩でも離れ、社会性が要求される世間の中で生きているということ、困っている人の一助になることをも視野に入れて、毎日を生活していっていただきたいと。

 自分で自分の言動をコントロールする、橋本左内のいう「稚心を去ること」が、大人になることの第一歩であります。いつまでも子供っぽい言動を自己に許容し、つまらない遊びにうつつを抜かし、時間を無駄にしてはならんのです。あっというまに年を取ってしまいますよ。

 内容を充実させることです。積み重ねです。そして、他人も遊んでいるんだろうと思わないことです。自分のレベルに他人を合わせないことです。よその人は知らないところで、勉強してますよ、きっと。つまらない人間だということがそういう言動からばれてしまいます。

 言葉の使いかたです。
 それは内容がなければ当然充実しません。

 そういう生涯を賭けて充実させてきた自分を開くことが、育児法の最も大切なことであると思うからであります。

 考えましょう、しかと。
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/