橋本左内は「稚心を去れ」と言っていて、それは実に重要だと思います。いつまでも子供っぽい人間ではいかがなものかと。
自立して世間の荒波に揉まれて生きていけるかどうかということを、最近の中高生をみていると感じてしまいます。一人暮らしすら、保護者の援助なしにはできないということだそうですから。一人暮らしをしたい、瀟洒なマンションで暮らしたいとか、そういう専門の雑誌まであるんだそうですね。
稚心というか、稚気というのは会話を聞いているとよくわかります。まるで小学生のような内容しか話せないという人もいるんですから。どういう頭の構造なのだろうと、はてなマークがたくさんついてしまいます。特に公共の場で、電車も含めて、ばかでかい声を出して、内容のない会話をしないほうがよろしいですよ。周囲の人には聞こえているのですから。携帯を電車の中で使ってはいけないというのは、マナーもそうですが、そういう自分のくだらなさを周囲にアピールしないという恥の文化でもあるのですよ。心してくださいね。
今日はもうひとつ。
「老成ぶっている」ということ。
若いのにそういう人がいます。教師の子供とか多いと言われます。周囲の方々に、いろいろなことを言われて、行動にあるいは言動に規制がかかってしまうタイプ。いつもいつも自分を抑えて生きているから、なかなか本音を打ち出せない。つまり、「・・・しなくてはならない」という固定観念を持ちすぎてしまうタイプ。
老成ぶっているということは、「ぶって」いるだけでナカミは伴わないわけです。表面上、そうしているだけで、もっと言えば外敵からの攻撃をそれで防御しているタイプなわけです。
思い当たる人は、部活動や社会体育、社会活動、ボランティアをやった方がいいと思います。
自己を打ち出す機会を持った方がいいのです。そうした活動は、年齢の幅があるから、覇気のある生き生きとした生活を送ることができるようになります。ただし、部活動オンリーではいけませんよ。文武一貫です。それに部活をやって将来金もうけをしようというのは邪道ですよ。本当にこころから楽しめるものでありたいものですよね。
13年前に幕張の教育センターの仕事についてから高校柔道部の顧問からは離れてしまったのですが、体験上自己を打ち出す機会としての武道というものがとても重要だと思ってきました。やる気さえあればどこでもできるわけです。学校の部活ばかりではありません。社会体育での取り組みもまたいいものです。
老成ぶらないためにも。もっとも、わたくしの場合は、老成ぶらずとも、老成そのものの年齢になってきて、むしろ歳のわりにナカミがないことを恥ずべき時期になってきましたか・・・。
また、明日。