と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

中游ということ

2008年10月07日 19時32分10秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 中国の雑書を読んでいると(もっともわたくしのは全て雑書でしかありませんが)、俚諺というか、成句というか面白いものがたくさんあります。

 在校生へ申し上げたいことは、それも読んでいただきたいということです。幅の広い知識を身につけていだきたいなぁと思います。

 俚諺の中に、「人不当頭児 木不当軸児」というのがあります。

 木は軸になるなと言う意味もあります。もっと深い意味もありますが、それはここでは触れません。

 むしろここでは、「中游」を言っておるということを申し上げたい。先頭でもないし、ビリでもないということです。

 最近若い人に流行の老荘思想の流れを汲むものです。老子の67章にあります。「アエテ天下ノ先ナラズ」と。わたくしの好きな書籍です。


 マラソンで言えば、中段あたりにつけて悠々とマイペースで走る。トップにも立たず、ビリにも落ちない。人生をそんな感じで走るのなら、大きなトラブルもなく完走できますでしょう。

 しかし、若い人にとっては両刃の剣であります。

 努力しないことの絶好の隠れ蓑になるからです。しばらく風向きをじっと観察して、その日その時で流されることにもなりかねない。つまり主体性がない。

 中游志向は、個人の生き方として確かに安全かつしたたかではありますが、みながみなこういう生き方では、国家から活力が失われてしまいます。

 安全な生き方だけを志向していると、結局なにもできなくなる可能性があります。人に嫌われたくないとか、好かれたいとか、そういう考えでいると、愛情だけが欲しいというようなさもしい根性になってしまいます。

 干されることも人生にはあります。そういうときに、したたかに次のチャンスを狙うくらいの気概を持っていただきたいと思います。一人で生きなくてはならないこともあるのです。

 先頭に立って大いにリードしていけるような人間もまた必要なのです。そういう傑物が出てこないかと、わたくしは今から楽しみにしておるのです。


 

 

 
コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/