交通安全教育の仕事を二〇年以上やっていますので、その仕事で船橋にいました。県教委の先生や知事部局の方、県内の交通安全担当の先生方と会議です。
わたくしは長い教員生活の中で、幾人かの生徒の交通事故死に遭遇しています。
まことに哀しい体験です。
保護者の方々の深い哀しみを思うと、安全な学校、交通安全を常に訴えていかなくてはならないと思うばかりです。しかし、指導しても指導してもなくなりません。交通事故の他に、いろいろな生徒指導上の問題もあります。これもまたなかなか絶滅していません。明治開闢以来。
教育というのはなんという息の長いものなのでしょうか。
思えば、学校制度始まって以来、百年以上にわたって「廊下を走るな」「授業はきちんと受けよう、寝るな」「万引きはいけない」「たばこを吸うな」等々言われ続けているわけです。出来ないから、あるいはそれだけ乱れているから、矯正する意味で指導がなされてきたわけです。姦淫することなかれなどというのは、二千年前から言われてきました。それだけ風俗が乱れていたからだと何かの本で読みました。モラル教育というのは、ある意味、人間への絶望から出発しているのではないかと思うことすらあります。
長い間に学校に求められるものが、とんどん変化していって人間生活の全てにわたって指導しているかの如き感があります。それでも人間は変わっていないわけです。
世界史を勉強すると、人間のそういう哀しい性がどしどし出て来ます。解釈の問題だと叱られそうですが、出エジプト記などの古代人の特性も人間性の勝手な部分のオンパレードだと思っていますので。本来人間は指導に従わない生き物なのかもしれません。しかし社会文化がそれを許さないわけです。つまり大人と子供の対立。そしてそれは結局大人社会の中に飲み込まれてしまう。でないと社会は機能しないし、持たない。正邪は別として。そして時々有り余るエネルギーの持ち主が時代を変革してしまう歴史を作ってきました。
そういうのは、優れた論理の問題だと教わりました。二者択一なのか、あるいは解がないのか。それも数学の先生に。数学嫌いな人のための数学原論とかいう書籍であったと思います。学校に置いてありますので再度調べてみます。
最近、全国的にも高校生の交通事故がちょくちょくと起こっているようです。生徒による悲惨な交通事故を起こさないように、学校教育のあらゆる場面で、どんなにクチ酸っぱく言ってもまた同じような交通事故の事例が出て来てしまいます。今日も県下の高校生の事故の事例を聞きました。なぜ、前回の事例が教訓とならないのでしょうか。
他山の石であります。
決して油断してはいけません。尊い生命は、自分ばかりのものではないのです。命は役立ててこそ価値があると思います。あっと言う間の人生であってはならないとつくづく思うのです。
また明日。
わたくしは長い教員生活の中で、幾人かの生徒の交通事故死に遭遇しています。
まことに哀しい体験です。
保護者の方々の深い哀しみを思うと、安全な学校、交通安全を常に訴えていかなくてはならないと思うばかりです。しかし、指導しても指導してもなくなりません。交通事故の他に、いろいろな生徒指導上の問題もあります。これもまたなかなか絶滅していません。明治開闢以来。
教育というのはなんという息の長いものなのでしょうか。
思えば、学校制度始まって以来、百年以上にわたって「廊下を走るな」「授業はきちんと受けよう、寝るな」「万引きはいけない」「たばこを吸うな」等々言われ続けているわけです。出来ないから、あるいはそれだけ乱れているから、矯正する意味で指導がなされてきたわけです。姦淫することなかれなどというのは、二千年前から言われてきました。それだけ風俗が乱れていたからだと何かの本で読みました。モラル教育というのは、ある意味、人間への絶望から出発しているのではないかと思うことすらあります。
長い間に学校に求められるものが、とんどん変化していって人間生活の全てにわたって指導しているかの如き感があります。それでも人間は変わっていないわけです。
世界史を勉強すると、人間のそういう哀しい性がどしどし出て来ます。解釈の問題だと叱られそうですが、出エジプト記などの古代人の特性も人間性の勝手な部分のオンパレードだと思っていますので。本来人間は指導に従わない生き物なのかもしれません。しかし社会文化がそれを許さないわけです。つまり大人と子供の対立。そしてそれは結局大人社会の中に飲み込まれてしまう。でないと社会は機能しないし、持たない。正邪は別として。そして時々有り余るエネルギーの持ち主が時代を変革してしまう歴史を作ってきました。
そういうのは、優れた論理の問題だと教わりました。二者択一なのか、あるいは解がないのか。それも数学の先生に。数学嫌いな人のための数学原論とかいう書籍であったと思います。学校に置いてありますので再度調べてみます。
最近、全国的にも高校生の交通事故がちょくちょくと起こっているようです。生徒による悲惨な交通事故を起こさないように、学校教育のあらゆる場面で、どんなにクチ酸っぱく言ってもまた同じような交通事故の事例が出て来てしまいます。今日も県下の高校生の事故の事例を聞きました。なぜ、前回の事例が教訓とならないのでしょうか。
他山の石であります。
決して油断してはいけません。尊い生命は、自分ばかりのものではないのです。命は役立ててこそ価値があると思います。あっと言う間の人生であってはならないとつくづく思うのです。
また明日。