「鷹山と平洲先生そして図書館」(7月25日)の記事で細井平洲先生のことを書きました。そうしましたら、「殿様にクビを宣告した平洲の一線の厳しさ」(「人生の師」)という童門冬二先生の文章に接しましたので、またまたここに紹介いたします。
細井平洲先生、ある大名に望まれて講義をしていたのだそうです。そうしたら、その殿様、こくりこくりと居眠りを始めてしまった。すると平洲先生、使っていた本をまとめ席を立った。脇にいた重役が「お気遣い恐れ入ります」とやったのだそうです。むろん米沢藩以外です。
さぁ平洲先生「お気遣いとはなんですか?」と聞きます。重役は「殿がお休みなので、お起こししないように講義をおやめくださったのではないのですか」とやってしまった。
平洲先生「いや、わたしにそんな情けはありませんよ。たとえ殿様でも、講義中に居眠りをするような弟子は見所がありません。二度とお伺いしませんから」と言われた。
実はこれを寝ていたはずの殿様が聞いていて、すぐ謝罪をしたわけです。
両方とも人物だなぁと思った次第です。
あの西郷隆盛が、沖永良部島に流罪になったときに、川口雪峰という流人も先にいました。この人は藩主の島津久光に学問を教えるくらいの文化人で、西郷隆盛にもやはり学問を教えたのです。川口雪峰に教わった本の中に、細井平洲の著作があったわけです。「嚶鳴館遺草」です。岩波の日本思想大系にあったはずです。
西郷隆盛は敬天愛人を唱えますが、この愛民の思想を持っていたのが平洲先生なのです。むろん上杉鷹山もかなり影響されています。
そういうやさしい、大きな寛容の人物に思われる鷹山と西郷。彼らがともに信服していた細井平洲が、実は学問に、自分に厳しい人であったということを一番言いたいわけです。わたくしとしては。
授業で居眠りをしている人はいませんかな?
一瞬たりといえども、懈怠は許されませんぞ。県銚の卒業生はどこまでも飛翔していくのですから。自分の中の無限大(∞)の可能性に対して申し訳ないと思うべし、であります。そういう可能性をみんな持っておるのですから。いやぁ、自分だけはそんな∞なんて記号みたいなものは持ち合わせていないなどと言う無かれ。ラッキョウのように剥いても剥いても皮ばかりだというのでは当てになりません。梅干のように、剥いたら中から天神様と呼ばれる硬い種が出てくるようでなくてはなりませんぞ。(食べ物としてのラッキョウはわたくし好きですが)
叱咤激励です。
自分自身へですよ。
では時間となりました。
細井平洲先生、ある大名に望まれて講義をしていたのだそうです。そうしたら、その殿様、こくりこくりと居眠りを始めてしまった。すると平洲先生、使っていた本をまとめ席を立った。脇にいた重役が「お気遣い恐れ入ります」とやったのだそうです。むろん米沢藩以外です。
さぁ平洲先生「お気遣いとはなんですか?」と聞きます。重役は「殿がお休みなので、お起こししないように講義をおやめくださったのではないのですか」とやってしまった。
平洲先生「いや、わたしにそんな情けはありませんよ。たとえ殿様でも、講義中に居眠りをするような弟子は見所がありません。二度とお伺いしませんから」と言われた。
実はこれを寝ていたはずの殿様が聞いていて、すぐ謝罪をしたわけです。
両方とも人物だなぁと思った次第です。
あの西郷隆盛が、沖永良部島に流罪になったときに、川口雪峰という流人も先にいました。この人は藩主の島津久光に学問を教えるくらいの文化人で、西郷隆盛にもやはり学問を教えたのです。川口雪峰に教わった本の中に、細井平洲の著作があったわけです。「嚶鳴館遺草」です。岩波の日本思想大系にあったはずです。
西郷隆盛は敬天愛人を唱えますが、この愛民の思想を持っていたのが平洲先生なのです。むろん上杉鷹山もかなり影響されています。
そういうやさしい、大きな寛容の人物に思われる鷹山と西郷。彼らがともに信服していた細井平洲が、実は学問に、自分に厳しい人であったということを一番言いたいわけです。わたくしとしては。
授業で居眠りをしている人はいませんかな?
一瞬たりといえども、懈怠は許されませんぞ。県銚の卒業生はどこまでも飛翔していくのですから。自分の中の無限大(∞)の可能性に対して申し訳ないと思うべし、であります。そういう可能性をみんな持っておるのですから。いやぁ、自分だけはそんな∞なんて記号みたいなものは持ち合わせていないなどと言う無かれ。ラッキョウのように剥いても剥いても皮ばかりだというのでは当てになりません。梅干のように、剥いたら中から天神様と呼ばれる硬い種が出てくるようでなくてはなりませんぞ。(食べ物としてのラッキョウはわたくし好きですが)
叱咤激励です。
自分自身へですよ。
では時間となりました。