と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

Twitter復活だそうです

2012年10月10日 20時14分23秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

早速試してみます。

拙ブログへの反映は明日の午前中だとのことでした。

楽しみ、楽しみ。

では、これから移動します。

Twitterへ。

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孫と過ごした二日間

2012年10月10日 03時29分36秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

二日間、孫と過ごした。昨日の夜に帰宅したのであるが。写真も動画もたくさん撮ってきたケド。これはつぶやきカテゴリには入りきれないし、若干長いのでお暇な時に読んでくださいね。2000字以上もあるので。最近では珍しく長く書いてしまったので。(シマッタ、シマッタ)

 

楽しい時間が過ぎ去っていった。若夫婦に迷惑をかけちゃならんから、老夫婦二人連れは温泉から通って行って、孫をだっこしていたのだが。山小屋風のログハウスで過ごしていた。部屋に露天風呂までついていたし、朝、露天風呂から見える山並みは塵芥にまみれて過ごしてきた現役時代とはまた違った風情を味わうことができた。感謝である。こういう時間を連れ合いと共に健康に過ごせることが。なんの病も無いし。また、退職後の時間を大切に使っていくためにも、時間的余裕というのは重要である。むろん現役の時だって、余裕というのは重要である。いつもキリキリしていては世間を狭くするのである。そんな生活を送っていると、健康を損なう。

だから、あまり執着されない方がよろしいですよ。シゴト、シゴトで、まったく家庭生活も顧みないで過ごしていると余裕というモノを失ってしまうから。むろん、シゴトも家庭も全部成り立たせてこそ、一人前であります。執着して、無明を生きているうちはまだまだ半人前でありまする。

孫は、まだ7ヶ月。人見知りをしていると聞いていたから、心配していた。そしたら、愚生にだっこされたら、ニコニコであった。だてに長年教員をやってきたわけではないなぁと自分勝手に言ってしまった。愚生の連れ合いの時には、ウェ~ンとなってしまったからである。もっとも愚生はジェスチャーが大げさである。普段の話し方ともまったく違っている。顔のパーツパーツがヒトと変わっているからだと、連れ合いには憎まれ口をきかれてしまったが。

(^0^)

 

愛しいものである。(孫ですよ、孫・・・・間違っても連れ合いのほうではない~=冗談)

しゃべれないし。

ちっちゃいし。

保護しないと、あるいは食事を与えないと(つまり母乳だ)、存在自体が否定されてしまう。人間のいのちなんて、実にはかないものである。

そして、みんなこうやっておおきくなってきたのだ。

それを忘れてはならないのである。

児童虐待とか、マスコミで知るたびに、愚生は激怒する。いかん。絶対に、いかん。弱いものを保護するのは、強いモノの義務であると思うからである。

そしてそれが永遠に人類の営みとなって継続していくのである。

だから、戦争とか、なんとかで自らの首を絞めてはならないのである。

NHKの大河ドラマ「太平記」で、北条高時を戦争の嫌いな若干虚無的な執権として描いているが、あれはあれでいいのだと思う。南北朝の内乱が、日本を大きく変えてしまったというのは、網野善彦先生の全集で知ったが、さもありなん。確かに、それ以前の日本は古代との関連をまだまだ持っていたし、内乱以降は現代社会にも通じる社会体制に移っていったのであろう。その意味で、現代にも通じる。

現代史をもっと勉強すべきであると思う。なんかのマスコミで、韓国の現代史教育と我が日本の現代史教育を比較して、日本を批判しているのがあったが、あれはあれで当たっていると思っている。

なんだかしらないうちに、現在の我々も2012年を境に、これ以前とこれ以降では日本も実質的に変質してしまったのだと後世の歴史家に言われる時間の連続を生きているのかもしれない。要注意である。政治にも関心をもって、我々はここ数年をチェックしていかなくてはならないと思うのである。立場立場で、いろいろとあるだろうが。

目に見えないかたちで、歴史は作られていくものであろうから。

感じられない、意識されないという形でジワジワと移行してしまうものであるのかもしれない。そういうふうに意図的に世論を誘導しているということも警戒をしなくてはならないと思っているから。気がついたら、日本が、世間が変質していたということであってはならない。

 

孫と過ごしていて、彼らはどういう未来の日本を生きていくのかということをしみじみ考えてしまった。

いい日本にしていきたいものである。

本当に。

 

今日はこれから朝6時の電車で出かける。郷土史を研究されている碩学の方々と、千葉市からBusで出かける。現代史ではない。それもまたいい。

碩学たちが、どういうふうに考えておられるのか。

そんなことを教えていただくつもりである。碩学達の前で、12月に発表もしなくてはならないし。中世の農民芸能のことをである。いつまでも勉強である。ほんとうにいいものである。



では・・・また。



 

 

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/