宮本常一せんせの著作集の31巻「旅に学ぶ」を読んでいたら、昔の湯治場のことが出ていた。(p.67)
それで思い出したことがあった。
亡くなった愚生の両親のことである。
山形に生まれ育った両親は、無類の温泉好きであった。これが遺伝している。愚生にも。
昔の農家の方々は、収穫が終わると、食い物を背負って湯治に出かけたものであると、宮本常一せんせが書かれている。宮本せんせ曰く、一ヶ月も、二ヶ月も出かけていくとある。しかもさらに湯治見舞いといって、近所の方が途中から湯治に参加する。その温泉地で3日くらいを過ごしていく。部屋も相部屋で、自炊である。薪だけを買って、共同生活をするのだ。温泉も混浴である。これ以上のコミュニケーションはないではないか。
そういうぼんやりとした記憶が愚生にもある。育ったところが赤湯温泉だったから、記憶がないのかな。。。みんな一緒になってしまって。
どこだったろうか。
もう覚えていないが。
今はどこの温泉に行っても、一夜かぎりの観光客しかいない。長逗留なんて言葉は死語になってしまったのではないかと思う。
温泉はいい。療養にもいい。こころの病にも効く。なんでも効く。・・・・そこまで書いていいのかと思うが、ちょっと疲れたら、温泉にでも行って休まれよと申し上げたい。
その前提には、普段からバリバリ働いていることという条件がある。なにもしないで、温泉三昧ではそれはいかがなものか。
要はバランスである。バランス。
調和のとれた生活をしていきたいものである。
夕方、また塾に行く。
その後、愚生はサウナに行く。
そして、家で駄文を書く。
楽しいものである。
時間を追っているから。
(^0^)