と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

日々安穏に

2012年10月22日 11時48分11秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

日々安穏で過ごしたいものである。

平和と愛の充足した世界からは、苦しみのある人は出てこないと思うからである。

ボケて言っているのではない。

周囲に感謝して、ささやかであっても他者の役に立つように生きたいものである。

まだまだであるが。

これまで60年しか生きていないけれど、ほんとうにそう思う。

昨日の坂本冬美様という芸能人の歌に案外と恋愛の歌がないのに気がついた。愚生はもううんざりしているのである。西を向いても、東を見ても、あるいは近代文学も、どれもこれも恋愛ばっかり。飽きたですなぁ。だから、歴史的なものに関心がいっているのかね。自分としては。

最近の歌に不倫を扱ったのがあるんだそうだが、(本人いわく)

そしてそれも最前列で聞かせていただいた。しかしである。坂本様に不倫は似合わない。

なんでか?

和服を着ていらしたからである。

和服は日本女性の特質である。

愚生の誤解かもしれないが、日本女性には道徳的な質の高さがある。

民俗学をやると、日本の女性がいかに中核で歴史を構成してきたのかがよくわかる。

日本は太古の昔から、カカァ天下であったのだ!

マジに。

男なんか単純で、黙っていれば馬鹿に見えないのを、ペラペラしゃべっているから周りに軽蔑されるんだ。愚生がいい見本である。愚生も黙っていれば、こんなくだらないブログなんか書いていないで、神秘の森から出てこないようにすれば人生変わっていただろうなぁと反省しているんだよん。

反省の多い生涯である。

 

後代に生きる方々よ。

勉強だけはしましょうねぇ。

失敗の多いじじぃからのちょっとしたつぶやきでございました。

 

いやぁ、ほんとにつまらんな。

自分は楽しいんだけどね。

 

 

今日は、さっき携帯に電話がかかってきて、夕方どうしても会ってほしいといわれるかたがあった。困ったねぇ。愚生は、世を捨てたような隠棲のひとだから、あんまり世の中にかかわりたくないんだが。

どうしても愚生をなんとか棺桶から出して、もうひと勝負させたいという方がおられるのだよ。

ありがたいけど、ありがたいけど。。

ほんとに一瞬先はわからんからなぁ。

闇かもしれないし、ろうそくが灯っているかもしれない。

要するに固定して考えないことですよ。

脱皮っして生きるのもまたよし。

 

 

もう、愚生なんかは、旅行さえやれればそれで幸福なんですから。

あ、坂本冬美様の歌もだ。彼女の歌は難しくて、カラオケでもやったことなし。

もっとも、最近はまったく行っていないけどね。

 

駄文を書かなくてはならんから。

 

もう1400字だ。

やめます。

 

 

 

 

 

 

 

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モラトリアムにつきあわされる?

2012年10月22日 07時43分27秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

なんのホンであったかもう忘れたけれど、生涯学習ばやりで、大学人の方が「社会人のモラトリアムにつきあわされるのはかなわない」ということを書いておられた方があった。どこの大学であったかは、忘れたことにする。(じゃぁ、知っているんじゃんかねぇ・・・・・・・)

一面の真理をついているとは思う。

現状に不満があるから、大学に舞い戻って、大学院とかなんとかで勉強をしているんだろうっていう立場である。あるいは、大学の生き残り戦略をかけてそういうことにも手を伸ばしているという悪口をも聞いたこともある。

しかしである。純粋に学問的興味を持って、勉強だけをしてみたいという社会人学生にはどう回答されるのだろうか。来るな、中退せよというのでは、教育人失格である。人格向上のために学問をせよと言っておいて、鎧の下には、間違った思い上がりと、ご自分よりは能力の劣る学生への蔑視がある。そういうのを見透かされたら、大学そのものが経営破綻をすると思う。長いこと学校経営に携わってきて、そう感じるのである。大学ばかりではない。小中高全部にあてはまると思うのである。

愚生は完全にモラトリアムではない。だって、職業人としては終わっているのである。それをず~っといろいろな方に申し上げているのだ。ご理解いただけないようで、なんだか残念である。最近では説明するのも面倒くさいから「子守」ならぬ「孫守」をやっているぜと言うことにしている。いちいち愚生が何をやっていようと、なんだっていいじゃぁないかね。(^0^)/ウフフである。

それでも聞かれることがある。

それで最近、あっと思ったのである。そうやって聞く方は、モラトリアムを模索しているのだと。なるほど。それならわかる。当然である。ノウハウとか,愚生のように通信教育ばかりやってきたモノに聞いてみたいということである。それならオオイニ協力させていただきましょうと思っている。

こんな愚生のようなモノでも、それでお役にたつのなら。

 

(^-^)/

 

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京都のホテルが予約できた

2012年10月22日 07時04分49秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

12月の7,8日と京都のホテルがようやく予約できた。

実はさんざん苦労していたのである。

特に、8日が土曜日で、どこもあいていない。これは焦った。この日は朝から龍谷大学大宮キャンパスにいなくてはならない。京大の教授の講演もある。愚生の学術発表は午後からであるから、なにかあったらしょうもない。準備はしておくにかぎる。

パワーポイントでやってもかまわないと師匠にお聞きしたので、そのつもりである。国文学の学会というのは、そういうのを使わないのかなと、この夏に奈良国立博物館で行われた能楽学会を見て思ったからである。

だったらお手のもんである(^0^)

今日から大学で作り始めましょう。

人前で話すのは非常になれておるから、こっちは心配ない。質問とかいきなりきても、全く動じない。現場でせんせいがたに実によく鍛えていただいたからである。質問と言ってもいろいろあって、意図がある。種類もある。ハハハである。(これは現場の人間しかわからないだろうけど)

質問者の論理構造を分析して、その矛盾をつくとたいていは愚生の相手にならない。本当である。質問というのはある一定の立場を前提としているからである。わからないから質問しているのではないのである。意図があるのである。その隠された意図を速攻で理解しなくてはならないのだ。

だから対話を重ねるとどの程度のアタマの持ち主であるかがよくわかるのである。自称秀才はこのあたりがよくわかっていないから、墓穴を掘ることになる。あくまでも相手に指導してやるという感覚でいるからである。感情的になったらそれでもうおしまい。こっちのもんである。ホントにそうである。

純粋な学問的興味や価値観から対話をさせていただきたいもんである。世間師のような、政治屋的な発想で学会にしゃしゃり出ているのではないからだ。あるいは、成果主義でもない。実績をつくってなにかになろうとしているのでもない。まったくない。もうナニカになろうって言ったって、トシである。トシ。(^0^)/ウフフ

このことを何度言ってもご理解いただけないようである。こっちはフリーであるからだ。

ま、無明を生きることだけは避けたいからねぇ。

まったく、まったく。今更何をかイワンヤであることよ。

 

7日に、師匠の講義を受けて、午後1時の大学から出る東京行きのバスに乗って、3時くらいの新幹線で行く。

西本願寺の近くのホテルである。会場の龍谷大学にも近い。やれやれである。西本願寺の中央仏教学院で「も」勉強させていただいていたから、このあたりはよ~く知っている。

ホントは夜行バスで行ってみたかったんだけど。

あれって、けっこう楽しいんですぜ。時間もかかるし、なんかホントに

「そうだ、京都へ行こう」っていう気持ちになる。

今回は、古女房ドノに反対されて新幹線にした。

あまりにも快適で、風景も飛ぶように消えて無くなってしまうから、寝ているヒマもないではないかと思う。ビジネスで行くのではない。楽しみで行くのである。こっちは。

学会発表というのも、楽しみでやるようなものですな。

楽しいから還暦老学生をやらせていただいておるのですけど。

 

(^_-)-☆

 

 

 

 

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/