鎌倉後期の女性商人
厳島神社反古経裏文書 年月未詳 鎌倉時代某書状(鎌倉遺文)
そのさいふ いまやかへのほさせ給候はす候ハ、この月のひんこのふかつのいちへ、人を給候て、ようとうの□(候)はんほと、うけとらせ給候て、つ□せ給候へく候、人のかたより、をいをとり候へき事候あひた、かように申候也、ふかつの市にては、た□つのあまこせんのかりやへ、人を給候へく候、又おほせのことく、かちにてのほり候へく候、(以下欠)
この資料をどう解釈するか。
この書状の受け取り人は備後の国の歌島(尾道の対岸の島)の住人と岩波書店の「日本史史料」にある。(P,207)
差し出し者も、安芸の国厳島神社に関係する瀬戸内西岸の住人であったと思われる。その話題は、備後の国で割府を換金することにあった。
深津市のことである。
月に一度の市がたっていて、そこが流通めざましい割府の決済の場であることがおもしろいのである。
尼御前という女性商人が決済に関わっておるのだ。京都のみならず、地方でも女性が商業活動に関わっていることに注目すべきであろう。
女性は活躍していたのである。
これが中世時代を特色づけているのである。単に売り子ではなく、店舗経営者であったのだ。
女性というのはそういう価値のある存在であったのである。だから、中世時代をすべて暗黒であったというのはあてはまらないと思うのである。
この文献がその証左であるような気がするのである。
年貢もそうである。米を上納するのが常識であるとよく言われてきたが、そのことに疑問を示したのが、宮本常一先生であり、網野善彦先生であると思うのだがいかに。
現代に基調を置くあまり、今より昔のことは全部・レベルが低かったと思うのは勝手だが、ほんとうなのかねと思う。
これからこういうことをこのカテゴリに書いていきたいと思う。
自分のメモであるから。
このあたりは、自分勝手に書いているだけである。これからいろいろと探求していきたいことの一つである。楽しいではないか。実に。
大きな変革をしているときというのは自覚がないんだろう。
結果的に変革がなってしまったというのはあるんだろうが。
目的があって、手段があって、それに向かって邁進するというのは、それはそれで結構なことである。
しかし、その最中の方というのは、自分が見えていないというか、やはり渦中にいるとわからないのだろうなぁと思う。
かくいう愚生も他人のことは言えるが、自分が見えていない。
他者からの評価があって初めてわかることもあるわけである。
自分の顔が見えないというのと一緒である。鏡をつかうしかない。
今日は一日私的な用事で町をぶっとんで歩いていた。
非常に多忙であった。15:16帰ってきて、Personal Computerにむかっている。
手続きとか、書類を出したりとかの世間的な用事も愚生にはあるからである。
毎日気楽に駄文書きばかりやっているわけではない。
こういうつまらない用事をこなさないと、生きていけないからである。
そういうことである。
そういうこと。
今日は大雨である。
たいへんな一日になった。昨晩からいいろと考えることがあり、また世話になっているかたとの相談もあったりして、このBLOGに来ることがかなわなかった。
しかし、愚生を思い出してくださる方がおられるだけ、ありがたいものである。
結論は早々にだして、またご連絡を申し上げたが、こういう人間関係というものは大切にしていきたいものである。
すべては人間関係で回っていくのであろう。
孤高の歩みというのは、なかなかである。あまりやるべきことではないのかもしれない。仕方のないときは、それでも突進していくしかないだろうが。
そんなことを考えたのだった。
太平記は本当に現代の政治をあらわしている。
このことを政治屋さんたちはしるべし。
大衆とエリートが離反したらどうすんのかね。そのことの備えなしに、毎日を生きるってことは間違っておると思うのだが。問題は、そのことである。太平記は内乱の物語であるからである。
内乱は政治の妨げである。
そういうことが太平記には書いてある。
現代政治はまさに内乱ではないか。
愚生は本当にそう思うのである。
昨日も今日も太平記を見ていた。DVDをである。こんなに魅力のある時代はない。中世時代は、変化する時代をどう生きるかという課題にこたえてくれる。この時代を研究させていただけることの幸運を味わっている。
現代的課題に十分応えてくれるではないか。
今日は岩波の古典大系本の太平記を読んでいたのだが、その最中に電話があったから中断したのである。内容は書けない。要するに愚生の行く末を心配されておられる方々がいくらでもおられるのだ。ありがたいことである。
ま、これもありか。
しかし、歴史を勉強させていただくということは、いいもんである。
上位のものが常に正しい判断をするとは限らない。それを支えるのは、正しき執事である。そういうことを太平記は教えてくれる。そういうことを知るべし。ホントである。
殿が判断ミスをしないということも、臣下の使命である。
マジにね。
(^-^)/
棺桶から出てこい!といわれて困っている blog.goo.ne.jp/tym943/e/df7a9…
N駅で乗り換えるのだが、教えている方の大学(なんだか複雑怪奇ですなぁ)の先生と、N駅で来るときお会いした。なんだか、偶然というか怖いですねぇ。世間は狭いですわな。
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