と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

物語るということ

2012年10月31日 20時27分37秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

河合隼雄先生の著作集第二期「物語と人間7」(岩波書店)を読み、いろいろ考えることあり。

先生は、ご存じのとおりのユングの研究で著名な方である。現役時代は、いろいろと指導面で参考になり、読みこみを重ねて生徒に対応するバイブルとさせていただいた。

先生は「私の職業を『物語屋』と呼んでもいいのではなかろうか」と、頁に書かれているのである。これに度肝を抜かれる。もうちょっとこの書籍を拝読していくと、ユングこそ、その心理学は「物語」を重視する極めて珍しい心理学であったとも書かれている。

ここからは愚生の解釈になるのだが、先生は心理療法家として「物語る」ということを仕事にされてきたのではないか。あるいは、極端に言えば、クライアントに「物語り」をさせることをである。
物語るためには、その一連の物語の中に、いろいろなメタファーがあり、象徴性も出てくる。作り話もあり、パフォーマンスで語る場合もあるだろう。

拙ブログもそうである。
物語っているのである。

ネタを元に、いろいろな条件を加味して、物語っているのである。あるときは、体験したことから作り話をしたり、象徴を書くこともある。パフォーマンスを意識していないと言ったら嘘になる。当然読み手の受けもねらっている。また、具体的に読み手を意識して書いている場合もある。

当然であろうと思う。

実相のみを書いているわけにはいかないからである。象徴も当然書いている。また慎重に愚生の個人情報がもれないように書いてもいる。全部正直にあらいざらい書いているわけではないのである。思想信条もなにもあきらかにしていないからである。

この記事だって、愚生のアタマの中で、いろいろと組み立てられてから、キーボードで打ち出されているのだ。だから、当然愚生のフィルターがかかっているのである。それだから、愚生の創作になるわけである。

したがって拙ブログは、真の意味での日記ではない。本当の愚生のダイアリーは、机の脇にある文庫本形式のマイダイアリーという名の新潮社の文庫であるからである。事実しか書いていないという点において。手書きで。

意識面では、ある役割を意図的に書いているのであろうと思う。

生涯教育に役立てたい、あるいは、生涯教育をやってみたいという方への応援歌でありたいと思うからである。ささやかでもいいから、そういう方の一助となりたいというだけである。

実はこの河合先生の書籍は、源氏物語の分析にも言及されていて、そちらの方が愚生には楽しいのであるが、それはそれとしよう。そちらの方がページ数は多い。なぜ、そちらの方に興味が沸いたかというと、先生も光源氏がけしからんやつだと思ったというのである。

たしかにそうである。現代では許されない存在である。光源氏っていうのは。愚生と最も遠い存在であるから、愚生も大嫌いであったのである。

しかし、これは光源氏の物語だという束縛から一端離れてみると、違ってくる。

これは紫式部の女性としての分身物語だとすれば、全く違ってくるのである。瀬戸内寂聴さんが、源氏物語を「女人救済の物語」だとされていた本を読んだことがあったが書名をワスレテしまった。

そうだろうと思う。

紫式部の物語なのである。

枕草子も、ひたすらありがたがって読んでいると大いなる誤解をしてしまう。清少納言もまた物語っているのである。受験のためだけだと考えていると内容がわからなくなる。本当の内容が。

 

我々は、生きるためにある物語をつくりながら、毎日を生活している。

もしかしたら、明日は宝くじが当たって、贅沢な家を建て、たらふくおいしいものを食べて、高級車を買って生きていきたいというのも物語である。

そして、たいていは明るく発展系で物語は作られる。当たり前である。でないと、生きるのはつらくなるからである。我々は、そうやってなんとかして生きる智慧を持ってきたのであると思う。それほど生きるということは、ある意味で辛いことでもあったからである。

農民芸能と宗教という愚生の課題もこのあたりから来ているのであるが。





以上、とめもないことを考えたので。メモとして残しておきます。







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むりせず、焦らず

2012年10月31日 09時29分59秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

コンビニに行って、それから帰宅した。

風呂には入っているから、(ジムで)散らかっている書屋で、やおら「南北朝の動乱」(中央公論社)を読みはじめた。

読書カードをとりながらである。

ところが、面白くて、面白くてやめられない。

隠棲室でも古典大系本の太平記を再読しているが、こっちは新説を出しながら初学者むけに実に工夫した書き方をしてくださっている。

愚生も素人だから、面白いのだろうな。

そして、足利尊氏をちょっと認めただけで、学会から葬りさられた学者がいたこと、しかもそれは複数いたことを知った。歴史の先生方というのは過酷なんですなぁ。高校以下の先生方もそうなのかねぇと思った。ひごろ 、社会科のせんせがたというのは年号暗記にしても、なんでも知っているという感覚でいるから、こんなことで処分を受けてしまうのではかわいそうである。そう思ったのである。

足利幕府というのは、家康にしてみれば模倣したくない組織であったのだろう。京都に幕府を開かなかったのも一理あるし。そういう時代背景を知りながら古典を読む、あるいは映像を見るというのもオツなものである。

 

おかげで、今日は寝過ごした。朝、7:00だった。起きたのが。

ワンコに叱られてしまったよん。

ワシだって、寝過ごしたいですよって。

 

そして、今、庭を見たら、もう寝ていやがる。

いい境涯ですよ。

むりせず、焦らず、十分な運動をして、過食はしない。飲酒もしない。(あたりまえか)

 

ガキのようなワンコが売ってくる喧嘩にも動じない。

相手にしない。

 

愚生も見習いたいですなぁ。

 

毎日、快活にすごしましょう。

(^0^)

 

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また会いましょう

2012年10月31日 09時06分59秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

昨日の柔道のお稽古会は、楽しかったなぁ。

例のごとく、昔のお弟子さん(福祉の青年)といろいろ会話を楽しみながら、中学生とお稽古。

マジに大外刈りで投げられて、

「オレの得意技で投げられてしまった」「あああ、しまった、しまった」と言ったら、ボクちゃん大喜びしていたんだ。

いいものである。

実にいいものである。

追い抜かれていく喜びというものである。

教師なんてこういうところに喜びを感じるのだろうなぁ。

それを意固地になって、オレを投げるとはけしからんというのでは、

こりゃ教育者ではないでっせ。

あるいは、学問で弟子の成長を阻害する馬鹿もいないとはかぎらないからなぁ。

アカハラっていうんだってね。

オレには関係のない世界でありまするが。

(^0^)

 

稽古が終わって、ジムに行って、ちょこっと歩いて、サウナに入って。

それからコンビニに寄ったら、近くの中学校で学級担任をさせていただいた時代の教え子がいたのだ。

偶然出会ったのだが

「やぁ、せんせ、おひさしぶり」ときた。

おおお、懐かしい。男子バレーボールのエースだった。そう、愚生はバレーボールもできたんである。顧問をやらせていただいたんだ。バレーと野球をである。しかも実に一生懸命にやっていたのだ。我ながら感心する。

その男、我がふるさとにも連れていって、米沢の秘境姥湯温泉にも入りに行ったくらいの教え子。

言うことがいい。

「せんせ!」

「あいよ」

「なんだ?その痩せ方は・・・・・・・・」

ムムム。

ばれたか。

「病気でもしたんか?」ときた。

愚生「アタマがなぁ、ちょっと悪くて」と返した。事実だ。これは。

 

いろいろ雑談をしたが、心配してくれているんだなぁと思った。

ありがたいではないか。

実にありがたい。

やつも、48歳か。

 

おおおおぃ!

愚生は痩せたといっても、まだ75キロはあるんでっせ。

ドクターに叱られてしまうんだよ~ん。

 

また会いたいもんである。

(^_-)-☆

 

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10月30日(火)のつぶやき

2012年10月31日 04時15分19秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

Tabletを家に持ち帰ってきて、いろいろと修理をしていた。今日は修理三昧だねぇ。歯をいじってもらったし、家では機械。ワンコの薬もいただいてきたし。


獣医の先生、我が老犬の薬をくれないのかな?とちょっとだけ不安になった。もう17歳である。生きているのが不思議なくらいだと、先生と一緒に言っている。しかし、あやかりたいものである。これだけ長生きすると、頑固になっている。独自の世界に生きている。ガキのような他のワンコは相手にしない。


まるで風刺がきいているワンコである。嫌みだけで生きているんじゃぁないかと思うことがある。食事を、さぁ食べようと言っても、なかなか食わない。それで、愚生が散歩の綱を持つと食い始めるのだ。ひねくれじじぃめ!と言うとやめる。そしていつも持って歩いているトイレ用品を持つとまた食い始める。


内田百閒先生のようである。見習いたいくらいである。たいしたじい様であることよ。(^-^)/


今週はのんびりやれる。週末に大学祭だ。愚生は行かない。その日は別の大学で90分ほど講義をする。大学生さんに、たまにはお返しをせんといかんと思っている。こっちで教えて、あっちで教わるってスタイルもなかなかいいもんである。間違ってしまいそうだけど。たまには。(^0^)


さ、今日は柔道だ。楽しみ、楽しみ。そわそわ、そわそわ。終わったらサウナである。あつあつ、あつあつ。


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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/