「マコ甘えてばかりでゴメンね、ミコはとってもシアワセなの・・」の歌で有名な「愛と死を見つめて」という映画が、昔あった。ボキの場合は終活だから・・トホホ
朝起きて、血圧をはかる。それから体重をはかる。毎日である。このワンパターンを崩したことはまったくない。
これもまた二年前にエコノミークラス症候群になってICUに入ってからの習慣である。おかげで健康にはかなり関心が出てきた。数値的にも安定している。糖尿病の薬もドクターが「もう飲まなくてもいい」とおっしゃったし。
以来、健康にはかなりの興味関心がある。あるから改善してきたのである。ただし、これを若いころからやっていればこんな状態までオノレを追い込むこともなかったのだろうなぁと慚愧の思いでいるが。
もう遅いケド。
だからボキは(_ _ )/ハンセイしているのだ。
しかし、この健康状態が永久に続くわけはない。いつかはジ・エンドがくる。死を迎えた時である。もうそれで身体は終了してしまう。
葬儀があるだろうと思う。その時に、犬に食われるか、鳥に食われるか、水葬になるか、Indiaのように火葬の後にガンジスに流されるか・・・まったくわからない。チベットでも、鳥葬がある。高い山の頂まで連れていって、内臓と脳みそをえぐり取ってさらに死体を部分分けする。なぜか。ワシが食べやすいようにするのだそうである。あるいは、魚に喰わせるところもある。海や川に沈めてしまう。そして骨だけになってしまう。親鸞にもそのような記述がある。こういう話を書物で読んで慄然としたことがあった。むろん、死んだ本人はそういうことを確認することはできない。
生き返ることはできないからなぁと思う。
死のことは現代人が忌み嫌い、もっとも避けている話題である。オノレが死んじゃうことなんか、全く考えていない。古来、日本人は死をケガレと称して忌み嫌ってきた。古事記や日本書紀にも書いてある。そういうのが、伝統なのである。あるいは我々日本人にしみついた潜在意識である。
つまり死のことは話題にしてはいけないのだ。避けているから。避けていても、100%死んじゃうのにねぇ。
ボキが、エコノミークラス症候群になったときに、ある先輩にちょっと死にかけまして・・・と正直に報告したら、なんと「若ぇのになにをやっているんじゃ!」と叱責されたっけ。二年前である。
は?と思った。確かに先輩よりは若いけど、病気になって、復活したのは事実だからである。ボキは、回復したのが嬉しくて先輩に報告したのだが・・トホホ。
ま、ボキに対する激励だと解釈すればいいのだが、死とか病気のことはやはりタブーなのである。考えてみれば、先輩の方が年長である。ボキよりも死の問題はもっと深刻であった筈である。
だから叱責されたのだ。
ボキは、死の問題から逃げることはしないつもりである。これから終活段階に入る。事実、ボキが入る墓地も見つけている最中である。宗派の勉強も始めた。その寺院の。本山にも行ってみたいし、宗祖が学んだ中国にも行ってみたい。マジである。マジ。
そうなのである。それまで、ボキはこのブログでプチ修行をさせてもらうのである。いかんせん悪業三昧の人生を送ってきたのだから。
少しは(_ _ )/ハンセイしないとねぇ~~~~~。
これから古文書講座に行ってくる。古今和歌集を教わってくる。虚しいわるあがきかもしれないけど、他にやることもないしねぇ。
(^^)/~~~