○余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。・・・・うううううむ!こんな難しいことはない。
一言居士というのがいる。高齢者に多い。自分が世間に通用しなくなっているのがわからなくて、周囲に文句ばかり垂れているヤカラである。あるいは、前の職場がすばらしいエリート集団であったとか、役職についていたとか自慢ばかりしているアホである。しかも、近所にそれをまき散らすものだから迷惑千万。酷いのに到っては、出身大学の自慢まで聞かされる。
(*_*) マイッタ。
ボキだけは、そういう高齢者になりたくない。もし、意識していなくてそういうくだらない台詞を吐いているようだったら自戒すべきである。いろんな場所で、そういうコマッタちゃんの高齢者に出くわすからである。町内の役員もさせていただいているし、今月まで在籍していた老人大学も高齢者のデパートであったから。
ブロガーでもいる。説教垂れて得意がっているのが。さも、オノレはすばらしいインテリであるとかのたもうている御仁。あるいは、オノレ一人だけの孤高を気取る御仁。もっとも、孤高というのはオノレ一人のことを指しますなぁ(笑´∀`)。
毒を周囲にまき散らして、得意がっていちゃいけねぇのだよん。ジジイやババアになったら、周囲に迷惑をかけないで生きているこっちゃよ。
それをだ。どっかの某政党のように、なんでもかんでも全部与党のせい、雨が降っても与党のせい、地震がきても与党のせいとやっていちゃ危なくねぇのかと感じるからで。そもそも某政党はかつて偽メール事件で取材情報の誤認をやっちまって、当時の党首の辞任問題までなったのに、懲りないようである。今回も世間を騒がせているけど。大丈夫なのかね。よくわかんねぇが。この事例の場合、ミンナでウソをついている可能性もあるから注意しなくちゃいけないけど。真実だけが、隠されているかもしれないから。
こういう姿を見せつけられると、イヤになっちまう。みっともなくて。こうやって争っていて、青少年に悪影響を及ぼしているってどうして思えないのかねぇと思う。しかも国家を代表している御仁ばかりではないか。情けない。
根底に相互比較があるからだ。徹底した相互比較主義。あいつとオレとどっちがエライか、エラクないかという奴である。学校秀才のなれの果てである。ボキとは違っているのじゃな、これが。ボキはクチが腐っても、学校秀才だったとは言えないからだ。
こんなくだらないことを毎日見せられたら、うんざりしてしまう。もっともこんなことでもって、影響されていたらたまらねぇではないか。精神衛生上。
だから、正岡子規がいみじくものうたもうたように、「平気で生きる」ことが大事だと思うのである。これは俳書で知ったのであるが。正確には、正岡子規の「病牀六尺」である。この部分である。
二十一
○余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。
○因ちなみに問ふ。狗子くしに仏性ぶっしょうありや。曰いわく、苦。
また問ふ。祖師そし西来の意は奈何いかん。曰、苦。
また問ふ。………………………。曰、苦。
(六月二日)
良いことをのたもうている。正岡子規は。そして、多くの宗教家もこの部分に触発されている。
ボキ?
ボキは、無理じゃ。無理。絶体に無理。悟っていないし、永遠に無理じゃな。
わははっははっはははっはははっは。
(^^)/~~~