夫婦は少しくらい面白くないことがあっても我慢である。え? お互い様だと言われてしまうですな。
そろそろ学校も年度末なのかな?と思った。思ったというのは、正確には知らないからで。そうなのだ。もうすっかり記憶がぶっ飛んでいるのじゃ(⌒▽⌒)。
せいぜい近所の小学生が、朝登校しなくなったら学校もオシマイになったのかなと感じる程度である。
朝、雨戸を開けていると近所の小学生や中学生が登校していくからである。そういう光景を見ながらたまには朝の挨拶をすることもある。毎回だと子供達も警戒するだろうから。妙なジジイが、声をかけてくるって。
学校が終わると、4歳と2歳の孫達が遊びに来る。楽しみである。保育園に通っているのだが、爺婆のいる九十九里浜までやってくるのである。クルマに乗って。爺婆のこっちも楽しみであるが、孫達はもっと楽しみであろう。普段は狭いアパート暮らしである。走り回れない。ボキンチは、走れる。それなりにである。廊下もあるし、二階もある。ボキの子供達は全員巣立ちをしてしまって、子供部屋であった部屋は空き室になっているし。
やりたい放題である。好きなようにさせている。男児二人であるから、こんなに楽しいことはない。ボキ自身の経験でも、祖父の家に行ったときは楽しかったのである。10部屋くらいあった大きな家であったから、探検の連続であった。それがあるからおおいに遊ばせているのだ。
こういう幼い時の体験というのはけっこう重要であると思う。人格形成の基盤を作っているとまで思う。
なぜか。
考えるからである。感じるからである。だから幼児教育は重要なのである。両親が喧嘩ばかりしていたら、子供はけっこう傷つく。子供は子供なりに考えているのである。なんで、ボキの両親はあんなに仲が悪いんだろうと。そして理由まで考えてしまう。
両親の喧嘩の理由まで考えさえてはアカン。大人社会のみっともなさを教え込んでいるようなもんだ。
これから世の中に出ていこうとしているのに、大人社会が巨悪に満ち満ちていて、不幸な出来事しかないと教え込んでいたらアカン。
ボキのようなひねたガキになっちまうからだ。そうなのである。ボキの亡父・亡母は喧嘩ばかりしていたからだ。議論が好きで、今になって思えば、くだらない哲学的用語をどう解釈するかというようなことで議論していた。アホカイナと思っていた。議論が昂じると、喧嘩になっちまう。
今考えてみれば、亡父亡母ともども哲学なんて素人だったのにねぇと思う。ずいぶん、無駄な時間を費やしていたものである。
しかも、ボキはその議論の殆どを聞いていたのである。二階にあったボキ等兄弟の部屋で。階段の上で聞いていた。だって、うるさくて眠れないではないか。オヤジとオフクロが、レーニンがどうのこうの、スターリンがどうしたこうしたとやっていたのである。無理もなかった。オヤジは、シベリア抑留の犠牲者であったからだ。
そういうことならわかる。今になってわかってきた。そうだったのかというわけである。今さらわかったってもう遅いけど。死んじゃったからだ。
ま、夫婦は少しくらい面白くないことがあっても我慢である。
え?
お互い様だと言われてしまうですな。
わははっはははははっははははっはははは。
オシマイ!