著者は、「一度死を見た」ということである。死を見たからこそ、思い切った行動に出ることができたのであると思った。どーせ死ぬなら、やり残したことなく一生を過ごそうというのも凄いことである。
直腸ガン手術や、次男の山岳遭難という実に辛い体験を乗り越えたガッツな生涯学習記録である。63歳でパリ大学に奥様共々留学した御仁である。750万円くらい二年間でかかったと書かれているが、これを高いととるか、安いととるかは受け取り方の問題であろう。
昨日、居住地のブックオフ(古本チェーン)で買った。108円。ふと目が留まっただけであった。欲しい本は向こうからボキの目に飛び込んでくるからありがたい。今回も、へ?、63歳で、パリ大学?・・・これで目がこの本に止まったのである。ありがたいもんである。こういう書籍との出会いがあるから、古本チェーン巡礼が止められないのだ(^_^)。
著者は予想どおり普通の経歴ではなかった。暁星学園出身で、第一外国語がフランス語である。
祖父が旗本である。勝海舟の下、陸軍副総裁を務めた藤沢志摩守なる旗本だった。そういう家の生まれだ。小中高と暁星で学び、小学校からフランス語を習っていたからパリ留学ができた。大学は京大である。
フランスでは、ムードンという、パリの中心から30分くらいの町で暮らした。ここはヴェルサイユへ行く途中で、パリ中心から約10キロの所。ラッキーなことに、とんでもない日本贔屓の大家さん(ポルトガル人の老未亡人)が居て、日本人にしか貸さないというアパルトマンを相場の半分くらいで借りた。間取りは3DK、バストイレ付き。おまけに完全家具付き。ベッド、洋服ダンス、整理ダンス、ソファー、椅子、テーブル等は勿論、枕、毛布、敷布、冷蔵庫、オーブン、洋食器類、電気釜、飯茶碗、お椀類、お箸、鉢類までもが付いていた。
パリ大学Ⅲに入学して、フランス語とパリ史の勉強をする。新学期までの数ヶ月を、アリアンス・フランセーズという一級の語学校でフランス語を強化している。これはある意味、日本語学校で学習している外国人留学生のありようと一致している。だから面白かったのである。
パリ大学は13校に分かれていて、ソルボンヌ校(パリ大学Ⅳ)以外は、おおむね所在地の名称が付いているそうだ。著者が学んだパリ大学Ⅲは、サンシエ校(サンシエ通りに在る)と呼ばれている。
どちらにしても、なかなかできないことである。自叙伝的な性格も強いが、これを読んで発憤の材料とするか、数寄者ととるかは読む側の問題であると、ボキは思った。
ボキは、ガンを患ってその手術体験も書かれているのでさらに興味を持った。
大変に辛い手術である。それを乗り越えて、パリ留学をしたということに興味が沸いた。
つまり、「一度死を見た」ということである。死を見たからこそ、思い切った行動に出ることができたのであると思った。どーせ死ぬなら、やり残したことなく一生を過ごそうというのも凄いことである。
一度死を見た方は、残りの人生のハラのくくり方が違う。戦争体験をした方もそうである。亡父も戦争体験をした人であった。戦後、シベリア抑留をさせられたから、生死の覚悟が違っていた。ソ連の共産主義体制にも知識が深かったから、話は悲惨であった。
著者はボキなんかよりずっと年長の大先輩である。こうした方が生涯学習をやっておられることに、未熟者のボキのこれからを思った。
なにもせずにデタラメをやっていちゃいけない。そう思った。
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