あんまり他人をバカにしないほうがよろしい。オノレだけが崇高なのではないのである。そこらあたりを理解していないと、アカン。懺悔をしなくちゃいけない。悪業のである。
成田山新勝寺のいろいろな企画イベントや学習講座に通うようになって二ヶ月。仏教文化講座とか、七誓会という会でのお経や法話を体験している。月二回である。ちょうどいい間隔である。九十九里浜からちょっと時間はかかるものの、通うだけの価値はある。
なんと言っても、信仰心がないからなんでもやれる。やるしかない。万教帰一である。仏教だけではない。バイブルにも関心があったから、もうほとんど病気である。
なぜこんな風になったか。それは、ボキもまた死んじゃうからである。100%。そして死の問題を解決できていないからである。
死のことを考えるとおめおめと生きていられないのである。だらしなく、やってられないのである。今日死ぬか、明日死んじまうかと思うと、ダラダラと生きていたら後悔しちゃうではないか。毎晩毎晩夜の巷に出かけていって、アホなミニスカオネーチャンを追いかけていたらあっと言う間にジ・エンド。死んじゃうのである。バカバカしい。
その点で、生者必滅まさに奢れるもの久しからずの世界である政治も一緒である。がっかりすることのみである。昨日の国会についてはほとほと呆れたからだ。なんというこっちゃと思った。証言している方も、追求している方もである。マスコミもである。言いたいことは言い放題。聞きたくないことは、耳が悪いことにしているからだ。シランぺぇである。マスコミだって、取材方法で間違ったことがあったら、それこそ真剣に謝罪したことがあったのか。三行広告みたいに簡単に済ませて、あとはほっかぶりである。
呆れてものが言えない。だからこれくらいにする。打鍵しているとハラが立ってくるからだ。
最近では、その政治の世界やマスコミを真似しているヤカラも多い。言いたいことは言い放題、言ったことにはまったく責任をとらないのじゃ。ジジイもババアも、セーネンたちもネーチャンたちもだ。
さらにある。思考がワンパターンである。ボランティアで町内の役員をやっているが、祭の後に役員でご苦労さん会をやったらしい。ボキは、アルコールとミニスカートを見るのもイヤだから参加していないのじゃ。それをである。いくらかかったのだ?と聞いてくるヤカラもいたからだ。寄付しているからであろう。1000円。一軒当たり。意図は見え透いている。情けない。役員をやっているということは、イコール悪なのである。これじゃぁ、ボランティアも糞もねぇではないか。好きでやっているのではない。順番だから、あるいは他にやる人がいねぇからやっているだけである。
もっとある。某文芸賞の審査員をさせていただいたが、あれも完全にボランティアであった。旅費も自弁。大会当日に昼食の弁当をいただいただけである。ご苦労さま会もあった。こちらも自腹である。そばを食った。それだけである。それで満足してきたのである。だから、自腹で審査員やって、自腹でご苦労さん会をやってそれ満足しているだけなのである。
そういうことを疑ってくるヤカラの考え方が情けないと思うのだ。ボランティア精神なんて永遠に理解できないのだろうなぁと思う。
そういう悪業を成田山新勝寺の不動明王はじっと見ている。悪業三昧の人生をである。
だからあんまり他人をバカにしないほうがよろしい。オノレだけが崇高なのではないのである。そこらあたりを理解していないと、アカン。
懺悔をしなくちゃいけない。悪業のである。
もっともボキは人のこたぁ言えないけど。
あ、懺悔というのは「サンゲ」と読むのだそうな。仏教書によると。これもまた知らなかったですなぁ。知らないことばかりである。(*_*) マイッタ。
さ、これから図書館である。歩いて行く。
懺悔しつつ。
わははっはははっははははっははははは。
(^^)/~~~