「楽しいからやっていた」というのは、大切なことであると思う。
若い頃には理解できなかった本というものがある。あまりも叙情的な物語というのがそれである。特に十代後半は、ちょいとばかり生活と学業の両立で大変だったから、なおさらであった。
なにを読んでも面白くないのである。とりわけ恋愛小説なんか屁みたいなもので、どーせオレには関係のナイ話じゃと思っていた。以来ずっと関係ねぇのであるが(^_^)。
「野菊の花」なんかに感動していたのは、小学校の時まで。自分にご縁のない物語には、まったく興味がなくなってしまったからである。
これは最近のテレビドラマとか、映画にもあてはまる。甘ったるい恋愛物語は、おかしくて笑ってしまうからである。村上春樹に興味がわかないのも同じ理由だろう。あまりにも甘ったるいからである。所詮、彼はエリートであって、そういう世界の住人で物語が占められている。ボキのような庶民、一般大衆には無縁の物語である。
もっとある。
源氏物語である。これこそ貴族階級の物語である。高尚なる世界の。しかも、恋愛物語である。多様なる恋愛の諸相がこれでもかこれでもかと登場してくる。
正直ゲップが出る。もうたくさんだ!というのが実感なのだ。
この源氏物語は全部通して読んだことがある人はなかなかいない。指導層ならまだしも、そういう方にお目にかかったことがない。ボキは、学部時代にゼミで源氏物語をやっていたから、苦心惨憺して読んだ。が、かなり苦しかった。ついていけないのである。恋愛至上主義と新聞配達しながら大学学部に通うというのは、矛盾していたのじゃよん。
住んでいる世界が違うからである。こんな世界は永遠にご縁がないだろうと思っていたし、事実そうだった。
じゃ、なんのために読んでいたのか。それは古典の分析方法を学部時代の師匠に教えていただいたからである。源氏物語構想論というのが面白くて読んでいたのである。今では、もう構想論は流行らないのであろうが。
師匠の言われていることが理解できなかったからでもある。アタマが悪くて。ボキは。
ま、師匠が源氏物語の泰斗であったからたまたま源氏物語をやっただけで、別にたいした動機があったわけではない。
そういうのが面白くてやっていただけである。したがって、光源氏の君に憧れていたわけではない。生きていくのに精一杯であったし(今でもそれはそうだが)、「楽しいからやっていた」というのは、大切なことであると思っている。
でないと、耐えられなかったと思う。それがボキの生涯学習ごっこを左右しているとしみじみ思う。
ありがたいものである。
感謝である、感謝。
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