My life is upside down
あっしの人生さかさまですってぇのが、この短文の意味らしい。Lifeのところには、worldも入るし、headも入るし・・・トホホである。世界もさかさま、アタマもさかさまということである。自他共にそれは認めざるを得ない。さかさまの人生を送ってきたからのぉ~~~と思うしかない。
でも、さかさまという以上「さかさまではない状態」というのがあったはずである。それはなんと呼ぶのだろうか。正常?
だったらなにが正常で、なにがそうではないのかということを考えてしまった。
ジジイやババアになると、どーも世間から浮きあがってしまっている方が少なからずいる。説教ばっかりしている御仁とか。文句ばっかり言っている御仁もいる。さらに、自分の年齢がおめぇなんかよりも、ずっと上だとか。
これってさもしい根性である。年齢しか自慢できるもんがないのかねぇとかわいそうになってしまう。
ボキなんか、年をとっていても中身がないから、なんにも他人に自慢できるもんがないのじゃ。年が若くても、能力や人格に優れている方々が世間にはたくさんおられるからである。すぐれた若い方に、オレはオメェなんかより年だけはとっているのだぜ!と力説していたらアホである。軽蔑されてオシマイである。だから、ジジイやババアになったら気をつけた方がよろしい。
もっといる。ブログで高齢者のつぶやきとかやる方である。もっともらしいご高説をのたもうて、訓戒を垂れている。それはそれで同年代がなにを考えているかという参考になるから、時々は見ている。しかし、説教調が鼻につく。経験は大事である。だからと言って、説教はよくないとボキは思うのだが。
年をくっているからなんだというのであろうか。尊敬せよというのだろうか。せせら笑われていることがわかんねぇのかね。そりゃ、それなりに年齢を重ねてきた方には、宝石のような至言もある。ボキは、素直に聞くべき耳だけは持っている。儒教国家ではないが、それくらいの常識は持っているつもりである。
そもそも儒教国家というのは、あやしい。国家の運営に儒教を持ってくるというのは、宗教を国家運営の柱にしている世界のいくつかの国の危険性を思えば納得である。日本にもいた。宗祖でそういうことをのたもうた方が。これ以上は書かない。書くと危険であるから。
価値観が異なってしまっている。その点でボキは他人のことをあれこれ言うことができないのである。だったら黙っていればぁと言われるかもしれない。
いいんだ、いいんだ。
どうせヒマだから、惚け防止のために打鍵しているだけである。生涯学習ごっこと一緒である。いつまでも、元気でいたいからである。
元気でいたいから、という最終目標があるからだ。
これが逆さまであったら、アカン。
市ヶ谷の自衛隊で、檄を飛ばして割腹自殺した三島由紀夫は、老いることは老醜を晒すことだとしていた。彼の作品中には、そういう表現がたくさんある。だからこそのボディビルであったのだろう。鍛えていたからである。
三島由紀夫には、老いてますます楽しくという観点がナカッタに違いない。老いることはみっともなくて、臭くて、老残であるということであったのだろう。
だったら自殺するしかないではないか。美しいのは若い時だけというんでは。
美しい老年というのもあるかもしれないではないか。
ボキは、そういうのを追求していきたいと思っているのじゃ。マジに。
さかさまに考えているのかもしれないけど。
どうせ一生である。
生きても死んでも一生である。
焦ることはないのである。
ゆったり生きましょうぜ。
(^^)/~~~