他人が偉く見える日は、お不動様の現世肯定の教えを思い出して日常生活に戻るしかないですなぁ(^_^)
現世肯定というのが、お不動様の貴重なる教えではないのかとふと思った。これまで隠遁に憧れて、それこそいろんな日本文学の古典に親しんできたが(低レベルだけど)、成田山新勝寺に行くようになって変身してしまったよん。ヘーンシーンってやつだ(^_^)。
なにも変身願望があったわけではない。変化はしてみたかったけど。なかなかできなかったし。それに一旦就職したからには、定年退職まで勤め上げたいと思っていたからである。
亡父も町役場の公務員だったが、途中で夢を抱いて旅館経営と工場経営をやってしまった。見事に失敗した。それでもって、ボキには反面教師として亡父が心の中で位置づけられていた。だから、意地でも最後までひとつの仕事をやり遂げたいと思っていたのである。
現世肯定はありがたい。起こっていることもなにも、全部肯定である。積極的に生きることに結びついていく。なによりである。
後ろ向きに生きていちゃアカン。
消極的に生きていちゃ時間の無駄である。
そんな風に思う。
成田山新勝寺に行くようになって、感謝しているのである。バカなボキだが、感謝くらいはできるのである。一番難しいかもしれないけど。こいつが。
しかし、宮本武蔵も言っているなぁ。役にたたないことはするなって。思うに、ボキ、自分自身が役にたたない。しかも、喰っていけないような学部を出てしまって、結局こういうことになってしまったのじゃ。それでも、レベルが高ければいいんだろうけど、所詮落ちこぼれである。低レベルの。
それでもいいんだ。それも含めて全部現世肯定である。自分を否定しているのではないから。
積極果敢に攻めているわけではないけれども、それなりに生きているからである。
努力を放棄しているわけでもない。生きる屍はもっとよくないと思っているし。
ただし、夢だけで生きていこうとは考えていないだけである。現実を見ているのである。なかなか難しいけどねぇ。
立っている地盤がどうなっているかということである。それくらいアホなボキでもわかっているのだ。
だから地盤も含めて現世肯定である。否定ではナイのじゃ。
立っているオノレの足の裏まで否定してしまったら、それこそ穴蔵に落っこちてしまうではないか。
それじゃあんまりである。
お不動様は鼓舞してくれる。こんなアホな庶民のボキをである。ありがたいではないか。
マジにそう思うのである。
相手にしてくれるだけでも、ありがたいものである。
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いつも朝に打鍵しているのだが、今日は間に合わなかった。アルバイトに出かけていたからである。某大学に。今、帰ってきたけど。
さ、今日は塾もある。
これからgymに行って、歩いてくるけど。
健康のために。
(^_^)ノ””””