でも、なにもやっていないと、それこそお不動様に叱られてしまう。あの憤怒のお顔で。それだけは(^.^)ご(-.-)め(__)ん(-。-)ね(^.^)である。
医者が嫌いだという人が多い。可能な限り、病院には行かない、行きたくないという御仁である。そりゃそうだ。歯科医をはじめ、痛い時は痛い。でも、ボキのお世話になっている歯科医は上手である。まったく痛くない。もう退職前から通院しているが、痛いと思ったことはただの一度もない。大した腕である。治療方法もかなり変化したからであろう。すぐ抜歯していた時代は去ったらしいから。いいことだよ~~ん。
内視鏡での突っ込みカメラも、痛い時は痛い。クチも、ケツの穴もである。両方である。ボキがやっているのは。もっとも、ボキ、内視鏡は慣れた。コツをつかんだからである(^_^)。脱力が一番である。ハラに力が入っていたら、そりゃぁ痛い。当たり前である。脱力こそすべてのコツである。柔道然り。そんなコツをつかんでもしょうもない話ではあるけど。
しかしである。
医者の先生にお世話にならなければならない時は、行った方がいい。これを嫌がっていると、大事に到る。大事に到る前に、手当をしておくことである。マジにそう思う。油断しているとなにが起きるかわからないのが、ボキ達の身体である。普段から不摂生をしていると、結局ダメージが蓄積されていく。体験上である。
ところがである。
成田山新勝寺におられるお不動様は、そういう嫌がる気分を一掃してくれるのじゃ。あの憤怒の表情には、なんで嫌がっているのじゃ!という慈悲の意図が隠されているとボキは思うのである。オノレの生き方を訂正せよ!と迫ってくるのである。成田山新勝寺にある大塔の中で、参拝したときは、ずっとお不動様を見上げているが、そんなふうに語りかけてくださるような気がしているのだ。
だから懺悔が必要なのである。ボキには。
エラそうに、オレは優れた人間であると思い込んでいたら、笑われる。笑われるどころか、お不動様のあの憤怒の表情で責められる。所詮たいしたことはない、ただのボンクラジジイである。今までやってきた悪業の数々は、お不動様にすべてお見通しである。
仕事仕事で生きてきたが、今はただのアルバイトジジイである。仕事の話なんぞまったくしない。できない。したとしても恥ずかしくてできない。
先日もアルバイトをしている某大学で、仕事をしているときの知人に偶然会った。受付で。そしたら、知人は、退職後某大学で重要な仕事をしているらしい。週に4日も仕事をしているそうだ。ボキは、週に一コマであるから重要もクソもない。彼は、プライドの高い方で、かなり誇りに思っているとのことであった。それはそれはすばらしいお仕事で・・・と申し上げたらおめぇさんだって同じようなもんだろうと言われたから、かなり違和感があったのである。ボキは、そんなポジュションにはないからだ。一コマ人生である。
知人のような生き方は、それはそれで結構である。自分がそう思っていればいいだけであるから。
ボキは、もうそういう話はしない。してもしょうがない。アルバイトであるからだ。さらに郷土史のボランティアのことも誰にも話さない。ボランティアであるからだ。一銭にもなっていないからである。塾だって他人に吹聴する、自慢するような話ではない。一週間にたった3時間しかアルバイトしていない。これ以上やってもしょうがないからだ。社会との接点を持ちたい、若い人と話をしていきたいと思っているだけだから。それに、専門外の英語と数学を教えていると必然教材研究をしなくてはならないから、ボケない。
英語も毎日高校英文法をはじめとして、会話もやっている。NHKのラジオ講座も活用している。惚け防止のためである。
中国語も、中国語文法が弱いから、昨日動画を100本ほど、あるソフトで変換してスマホに入れた。今日から、中国語文法のノートとりに図書館でやってくるのじゃ(^_^)。
楽しい、楽しい。
それで良いのである。
それで。
なにもやっていないと、それこそお不動様に叱られてしまう。あの憤怒のお顔で。それだけは(^.^)ご(-.-)め(__)ん(-。-)ね(^.^)である。
わははっははっははっはははっはは。
(^_^)ノ””””