と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

第26回成田山奉納 成田太鼓祭

2017年04月15日 22時18分02秒 | とーま君の流儀2017

今日、行きたかったが・・・・・・・・・・・・。

残念無念。

 

 

第26回成田山奉納 成田太鼓祭

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平壌でなにかが起きなければいいのだが・・・鼓腹撃壌を生きているジジイとしてはかなり心配である

2017年04月15日 08時05分55秒 | とーま君の流儀2017

ささやかに、つつましく、貧しく生きている年金暮らしのジジイは、九十九里浜から世界平和を祈っているだけである。

 

 

能の「小鍛治」がある。来月である。成田山新勝寺である。能まで成田山新勝寺はやってくれるのだ。知らなかった。そして、小鍛治はまだ見たことがない。藝能史研究會に所属させていただいているから、見たい。見たいから、昨日早速申し込んだ。5月20日の夕方5時開場、6時開演である。山門を入ってすぐ左側の光輪閣でやるそうな。

これだと近い。これまでお江戸の能楽堂にしばしば通っていた。往復の高速バス代もバカにならない。メシもお江戸は高い。カネがネェから、高いモノは喰えないし。

困っていた。そうなのである。ボキは能も素人ながら大好きなのだ。

さらに成田山新勝寺は大寺院であるから、能まで安価に鑑賞できる。たいしたもんである。たった4000円である。年金暮らしのジジイには実にありがたい。

ちょっと成田山新勝寺への参道を外すと、成田空港から海の外にも出かけられるし。

しかし、北朝鮮問題が暗雲となってきている。かなり心配である。海外旅行にも出かけられないではないか。出かけてしまったら、戦争になったんでは非常に危険である。なにも起こらないことを祈るしかない。なにか起こったら、命を失うのは当事国の国民である。庶民である。日本だってとばっちりを受けるかもしれない。否、その可能性も高いだろう。戦国時代に戻ろうってぇわけにはいかない。戻らせてはならない。鼓腹撃壌ではナイが、庶民が生きていける生活を担保するのが全世界の政治家の義務ではないのか。

政治家の皆さんにはがんばってもらうしかない。平和厳守である。

そしてさらに思った。

室町時代に能は急速の発展をしたが、あの時代も戦乱の時代であったのだ。そういう政治状況の中で、武家も庶民もたったひとつの芸能を楽しんでいた。

それをどう思うか。タダの暇人の手慰みとしてとらえるのか。それとも死と隣り合わせの芸能ととらえるのか。

そんなことをふと考えてしまった。思えば、能にも政治を扱った作品がけっこうある。ボキは、喪った子供にこだわっている母親の哀しみという観点から興味関心を能に持ったのであるが(「百萬」がその好例)、庶民の願いというのは奈辺にあったのだろうかと思う時があるからである。

かつては、白拍子という方々もおられた。そういう方々との接点というものはどうであったのかと思う。

もっとある。ボキの故郷である陸奥東北には、謡曲の伝統がある。冠婚葬祭、特にめでたい席では親戚一同謡をやって祝う。これができないと一人前の親戚扱いをしてくれないのである。ボキも同様である。

しかし、ボキは関東生活が長くなってしまって、謡えない。マニュアル本もない。持っていない。伯父伯母達にも教えてもらうきっかけがなかったのだ。残念である。まことに残念。

庶民としてのささやかな楽しみが無くなってしまったのである。

ささやかに、つつましく、貧しく生きている年金暮らしのジジイは、九十九里浜から世界平和を祈っているだけである。

今日、平壌で何かが起こらなければいいのだが。太陽節とかいっている行事で。

 

合掌。

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4月14日(金)のつぶやき

2017年04月15日 05時05分27秒 | とーま君の流儀2017
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/