こっちは、軽いだけのジジイではあるが、知人のご活躍に(_ _ )/ハンセイしたですなぁ。
今日から新年度の古文書講座に行く。前回もあったのだが、欠席してしまった。旅に出ていたからである。倉敷に行っていた。それで、今日は新年度初めての古文書講座出席とあいなったわけである。
常連の出席者で、居住地の歴史講座の講師をなさっておられるような大先輩と映画会で先日お会いして、心配されちゃった。体調が悪いのか?と聞かれた。古文書講座を欠席したからである。体調を崩して某大学を中退したからである。退職してから入学した某大学大学院のことは知っておられたからである。まさか、遊びに行っていたとは言えねぇから黙って笑っていたけど。
講座と言えば、知人が**市の文化講座で講演をなさった。**市の地名にちなんだ中世文化の講演である。知らなかった。やっていたのを。同じ年齢であるが、あちらは都心部の大学で先生をやっておられる。しかも専門家である。千葉県の学芸員を長いことやっておられた。地元の新聞が取材なさっていて、経歴も書かれていた。たいしたものである。ボキなんか、経歴がない。まったくない。某大学中退くらいしか書けない。笑っちまうですな。まったく。
もっともあれか。そんな講演なんて話はあるわけがない。オファーが。なにをやっても素人であるから。
で、その知人の講演が地元大衆新聞に載っていたのである。県立図書館で発見した。講演内容も詳しく出ていたから、ありがたく拝見した。連続4回ほど報道されたから、さっそくコピーした。県立図書館だから有料である。一枚10円。こういうことの費用は惜しまない。もっとも、10円×4で40円である。こういうのは、費用とは言わんですなぁ(^_^)。
さすが専門家である。文献的にもしっかりした講演であったようである。聞いていないので、なんともわからないのであるが。時間があったのに行けば良かったと(_ _ )/ハンセイした。
チャンスはどこに転がっているかわからないものである。
一度逃したら、もう二度とチャンスは来ない。体験上そう思う。そして、チャンスが来たときにそれを選択するかどうかは、オノレの責任である。選択の連続が我が人生であったからと思う。
ホントウにそう思う。
あの時Aという選択をしたから、Bという結果があるということの連続であったと思う。Cという選択をしたら別の結果があったはずである。
運命であったのだなぁと思う。すべては、定められていたのかもしれないとシミジミ思うのである。あるいは「業」と言い換えてもいのかもしれない。こだわってきたものが、なんであったのかということである。こだわりの結果が今のボキを決定している。
どーも軽さを生き方の基盤に置いているボキだが、シミジミとした「重さ」もまた重要であると昨日は感じた。知人のご活躍に。ボキには無縁だろうけど。
わははっははははっははは。
さ、これから出かける。
(^_^)ノ””””